感情と道理 ②
「ごめん。瞑想してたのに邪魔しちゃったね」
「そこまで集中はしていなかった。大丈夫。もう用は済んだのか?」
小首を傾げて問うてきた貴美に、智明はありのままを話す。
「ああ。自衛隊の人が来てね。お互いの今後のための話をしてきたよ。その後は仲間と会議する必要があったから集まってて、ここに戻るついでに壊れた所を修理してきた。もう急ぎの用事はないかな」
「そうか」
得心したのか、貴美は智明に頷きながら返事をしベッドから降りる。
「ちょ、カワイイな」
「……え? 何がだ?」
「いや、まあ、うん。こっちの受け取り方次第だから気にしなくていいよ」
思わず漏れてしまった心の声をなかったことにできるはずもなく、不思議がる貴美にお愛想を述べておく。
貴美はクローゼットにあった優里のスウェットを身に着けているのだが、手も足も丈が余っていて、貴美の童顔も手伝って大人用の服を着た幼女に見えてしまった。
「とりあえず危ないから少しまくっとこうか」
言いながら貴美のそばまで歩み寄ってしゃがみこみ、袖を腕まくりして裾を内側へ折り込んでやる。
「あ、ありが、とう」
貴美のぎこちない感謝を受け取りつつ、まだ仄かに香るシャンプーが智明の鼻孔をくすぐる。
優里が普段使っている物を貴美も使ったはずなのだから同じ香りのはずなのだが、智明には少し刺激的だった。
「……さて、どうしよっか?」
「ど、ど、どうするとは、なな、何をだ?」
なぜか怯えるように自分の体を抱く貴美に智明は慌てる。
「そんな深い意味はないってば。寝るには明るいし、夕飯にもまだ早いから。まだ三時だもん。ゲームとかテレビで暇を潰すタイプでもないだろうしさ」
貴美は修験者である以上その生活は修行が中心で、文明との関わりは必要最小限だという知識から、智明はそう水を向けた。
案の定、貴美は智明の決め付けを肯定した。
「それは、そうだ。文明を積極的に取り入れることは煩悩や欲望に触れることと同義。煩悩にまみれていては悟りも救世も疎かになってしまう」
床にしゃがんだままの智明の前で貴美が仁王立ちできっぱりと言い放った。
なぜだか説教や説法を受けた感じになってしまい、智明は背筋を伸ばして聞いている自身の姿に苦笑いを浮かべる。
どうもこの絵面では対等に話せないと感じた智明は、立ち上がって貴美に右手を差し出す。
「……だよね。それじゃあ三時のおやつに付き合ってもらおうかな」
「お、おやつ?」
「お腹が減ってないならお茶でもいいよ」
「う、うん。……お茶なら、お付き合いします」
顔を赤らめ視線をそらしてなぜか丁寧な言葉で誘いを受け、貴美は智明の右手を握った。
そのまま手を繋いでリビングダイニングへと移ったのだが、見様見真似でエスコートをした智明も顔が熱を帯びているのを感じた。
優里とは幼馴染みという前段階があったのでこうしたエスコートに照れを感じることはないのだが、ほぼ初対面と言っていい貴美が、智明の差し出した右手をしっかりと繋いだものだから智明の想定を超えてしまっている。
貴美の手は体型に合わせて小さく、それでいて緊張のせいか強張っているところにさえ可愛さを感じてしまう。
――もしかするとこの人は他人に好意を抱かせる天才なのかもしれない――
小柄で黒髪ロングで純和風な童顔という容姿だけでなく、言動や振る舞いが心も体も純白なのだろうと思わせるのだ。
ただ二人とも顔を赤らめてぎこちなく歩いている様は、学芸会並みのお遊戯に見えるんじゃなかろうかと微妙な気持ちもよぎる。
「テーブルよりソファーの方が落ち着くかな。座って待ってて」
「う、うん」
リビングダイニングへ入ったところで声をかけると貴美はこっくりと首を動かして手を放したので、智明はお茶の支度のためにキッチンへ向かう。
優里とくつろぐ時はたいていコーヒーなのだが、修験者にコーヒーでは刺激がキツすぎるだろうと考え、日本茶か紅茶の買い置きを探し、ついでにお茶受けも物色する。
幸いにも紅茶とあんドーナツを発見したので、湯を沸かして白無地のティーカップと小皿を用意し、ティーバッグをカップに放り込んで小皿にはキッチンペーパーを敷いてあんドーナツを乗っける。
支度できたカップと小皿をトレイに乗せ、貴美の元へと運んでいく。
「……お待たせ」
「どうも」
「えっと、足崩していいよ?」
「すまない。普段がこうなものだから」
センターテーブルにカップと小皿を置きつつ貴美に声をかけた。
普段の癖、と言われてしまえば納得せざるを得ないが、ソファーの座面に正座していてはテーブルのカップまで手が届かないはずなので、申し訳ないが座り直してもらう。
貴美もその意図を察したのか、智明の座り方を真似るようにソファーに浅く腰掛け直す。
少し内股で膝を付けて両手を腿に置くのは変わらない。
「……えっと、さっき何の話をしてたっけ」
「……マコトとトモアキの精神的関係とかだと思うが?」
「ああ、そっかそっか」
互いに紅茶を一口すすり、数時間前に途切れた話を再開する。
「そうだ、俺と真はすれ違ってるよねって話だったよね。
正直なところ、今、真に会いにくい状況になっちゃったなと思ってる。
俺が大きな力を持ったからとか、リリーと暮らし始めたからとか、それだけのことじゃなくて、ここで暮らし始めてから俺にも想像できない方向に進んじゃってるんだよね。だから真に謝ったり仲直りしたりってタイミングを失ったし、警察とか機動隊を追い払ってるうちにここから離れられなくなったっていうのもある」
膝の上に肘をのせ背中を丸めて話す智明を貴美はじっと見ている。
「教会の懺悔室ってわけじゃないけど、能力を手に入れて今日までに十人以上の命を奪ってしまってる。
どれも殺意があってやったものじゃなくて、能力を扱いきれていなかったり平常心を失って暴走させた結果なんだけど、それは言い訳にならない。
だからってわけじゃないけど、俺が能力を使わなくていいように人を集めたりしたんだけど、それが返って俺の身動きを封じるんだよね」
「兵隊のように鉄砲を持っていた連中のことか?」
貴美の問いに智明は苦笑を浮かべる。どうやら揃いの防具と武器が兵隊に見えたらしい。
「そうだよ。元は淡路島のバイクチームの人達なんだけどね。真がそういう人達と遊んでるって聞いてたから、大勢を一度に仲間にするって考えた時にピッタリだなって思ってね。他に俺が人数を集める方法も思い付かなかったし、無闇に能力を使ってまた人を殺してしまうようなことは避けたかったからね」
少し伏し目がちに話す智明につられたのか、それとも亡くなった者達に心を寄り添わせたのか、貴美の表情も少し曇る。
「人を、殺めてしまったのか……」
「……ああ。……正当防衛とか言い訳したいけど、問題はそこじゃないからな」
「そうだな」
やはり命や魂や生き方というものを考える機会が多いせいか、智明の後悔や懺悔に対する貴美の返事は早い。
智明も、優里と能力の使い方について話し合ったり、命やその償いについて考えてきたし、そのガイドラインとして宗教や文学書なども目にしていた。
結果として智明は法律や刑罰の問題ではなく、人の心にわだかまったり衝動的に爆発する『殺意』と、それを抑制できない意識や情緒の不安定さ、そして行ってしまった『事実』と向き合わなければならない。そういうところへと行き着いた。
そして貴美が即答で智明の答えを認めたことで、智明から貴美へと語る言葉を失い無言になる。
「……一つ、聞いても良いか?」
「ああ、うん。なに?」
「集まった人達は智明の考えに納得してここに居るのか?」
静かな口調で貴美は智明の一番痛いところを突いてくる。
「……半々、ってところじゃないかな。集めてすぐはその場しのぎで、対策できたつもりになっちゃったんだよね。
でも幸運なことに組織作りや集団をまとめるのに詳しい人が居てね? 『目標を掲げて目的や考えを伝えなきゃついてきてくれない』って教えてくれたんだ。
それで演説めいたことやって俺の気持ちとか考えはみんなには伝えたんだけどね」
当初、智明は川崎と山場を懐柔することで、淡路暴走団と空留橘頭は彼らを通して動かすことができると考えていた。組織や規律や目標や目的などなくとも、川崎や山場の指示でこなすべきことをこなしてくれると思っていたのだ。
しかし山場は裏方や汚れ役を望み、川崎は智明に訓練風景を見せることで組織作りの必要性を訴えてきた。事実、淡路暴走団と空留橘頭のメンバーからは半信半疑な態度や表情が伺えたし、積極的な者と消極的な者とに分かれ個々人の温度差は激しかった。
「……ただ、それはますます俺の先行きを決定付けてしまって、俺の想定した状態からはかけ離れたばかりか、俺の身動きを縛ってきてる」
ますます下降していく気持ちにとどめを刺すように貴美が問う。
「だから真にも会えないでいた、と?」
「そう、だね。貴美さんはウエストサイドストーリーズって知ってる?」
「え? あ、あのテツオのチーム、かな?」
急な質問に慌てたようだが、WSSを知っていると答えた貴美に智明は少し驚き納得もした。
「そうそう。なるほどやっぱり、真はウエッサイに頼ったんだな。……実は人を集めようって思った時に一番最初にウエッサイのことを考えたんだけど、ウエッサイは真が出入りしていたグループだし、リーダーの本田鉄郎さんはスキのない人だから話しかけられなくてね。真に会わないためにも他のチームをスカウトしたっていう経緯はある」
言葉を切って智明は紅茶をすすり、カップを置いてソファーにもたれる。
「そんなに会いにくいものなのか?」
「普通に学校とかで必ず顔を会わせるならそんなことないんだろうけどね。俺は今お尋ね者だし、リリーを拐った感じになってるからね。……一応、リリーとは同意の上でここに居るんだけど、そこも真に誤解させてしまってるかもしれない」
「そう、か……」
ソファーの背もたれにもたれていた智明は、貴美の反応を見ておや?となる。
「……俺からも少し聞いていいかな?」
「うん、はい。どうぞ?」
反らしていた目線を智明に戻し貴美は構えるように背筋を伸ばした。
「もしかしてだけど、リリーとなんかあった?」




