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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第六章 影響
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立場と責務 ①

 淡路島の南に広がる諭鶴羽(ゆづるは)山地は、淡路島南部の東から南西部一帯に裾野を広げる広大な山々の連なりで、平安時代には修験道の聖地の一つとして大変に栄えたと文献にある。


 昨今では地元の人々の元日の初詣や、田植えを終え豊作祈願の夏祭りが行われる以外は、静かな一帯といえる。


 早朝に叩き起こされ人気のない頂上付近の電波塔まで連れてこられた黒田幸喜(くろだこうき)からすれば、無闇に人と関わらなくて済むだけ有給休暇ぽくて安らかではあるが、実際はのんびりしていられない状況のはずなのだ。


 赤い光や青い光が光ったり、自衛隊から迫撃砲と思われる砲撃があったのが午前九時頃。

 そのあたりから雨が止み始め、午前十時には新しい皇居を自衛隊の小部隊が何箇所かに分かれて包囲を始めた。

 雨が止んだ頃に黒田も煙草を吸いに車外へ出てその光景を見たが、とても日本の新しい首都になる土地で行われている出来事とは思えなかった。


 距離があるので当たり前だが、装甲車や銃火器の音もなく、怒号や騒音もないのに、自衛隊特有の色で塗られた車両や制服が蠢いている様は、映画や資料で見る戦場にしか見えなかったからだ。


 ――しかし、やはり結果は俺の予想通りや。自衛隊やから撤退とはならんかったけど、智明(ともあき)優里(ゆり)ちゃんは陸自さえ跳ね返した――


 諭鶴羽山山頂付近から見る新しい皇居――智明らがいう明里新宮(あけさとしんぐう)――は目立った破損や破壊は見受けられない。それでいて自衛隊に包囲までしかさせていないということは、自衛隊の攻撃を封じるような圧倒的なものを見せつけたのだろうと想像できた。

 それが分かってしまえば黒田から緊張感は薄れてしまい、午後はずっと高田の乗用車に居座っている。


「――しばらく動きはないようですね」


 双眼鏡やデジタルカメラでの見張りは切り上げたのか、黒田を叩き起こして山頂まで連れてきた張本人、雑誌『テイクアウト』の記者高田雄馬(たかたゆうま)が運転席に乗り込みながら話しかけてきた。


「……やろうな。もう三時や。自衛隊も腹ごしらえくらいするやろ」


 当たり障りのない返事をしつつ、高田にコンビニの袋を差し向けてやる。

「どうも」

 高田は買いだめしておいた菓子パンや調理パンをガサガサと選び、運転席のドリンクホルダーに差したままの缶コーヒーを開ける。

 ドラマで描かれる張り込み中の刑事よろしく、フロントガラスの向こうに視線を向けたままパンを頬張る高田の様は笑えてくるのだが、黒田も彼のことを笑えない行動は多くあるのでなんとか笑いを堪える。

 と、黒田の脳内にメールの受信音が響く。


「ん。俺の連れが近くまで来たらしい」

「……そうなんでふね。……ここまで来られそうですか?」


 口の中の物をコーヒーで飲み下してから高田は尋ねてくる。

 黒田は少しだけ考えてから答えた。


「いや、なだの水仙郷まで来とるみたいやから、迎えに下りられへんかな。高田さんがおることを言うてないから、この後どうするかとか聞いてみんとやから」

「そうなんですか? てっきり我々のしていることに同調なり理解を得ているから、合流するのかと思ってましたよ」


 少し黒田を非難するような目で見た高田だが、コンビニ袋やゴミをまとめたり片付け始めるあたり、迎えの車を出してくれるつもりのようだ。


「すまん。なにぶん細かい連絡取ってくれん人やからな。それに、高田さんが記者やと知ってどんな反応するかとか、その人と俺とで追ってる件で新しい情報があったらそっちに行かんなんかも知らん。そういう可能性もあるんやわ」


 高田には合流する人物が鯨井孝一郎(くじらいこういちろう)医師だと伝えていない。

 昨日の車中での密談で、中島(ちゅうとう)病院の()()()の話題が出たので明かせないでいる。


 もっと言えば、黒田は鯨井の知人に高橋智明の遺伝子解析を依頼している手前、彼の能力や遺伝情報など新しい情報があればそちらにも調査の手を伸ばしたい気持ちがある。しかもその件は高田には知られたくない。


「おやおや。あれだけ大きな話を三つも抱えてるのに、他にも探っていることがあるなんて、興味深いですね」


 高田はスペースのない電波塔の前で車をバックさせながら黒田に当てこすった言い方をする。

 黒田の刑事根性をくすぐっているのか、記者魂ゆえの強欲なのか、気安さや親しみで取り入ろうとしているように感じる。


「これは高田さんにも話せないよ。踏み込まれちゃ困る。そう、プライバシーってやつだ」

「ははは。まあ、そういうことにしておきますか」


 あっさりと引き下がった高田の態度が気になったが、黒田は何も付け加えないことにした。

 隠し事などバレる時はバレるし、隠しているつもりでも既にバレている時もある。

 協調はしても、黒田と高田は仲間でもなければ共同戦線という約束でもないのだ。


 黒田も高田も、車が曲がりくねった細い山道を下る間は黙ったままで、ラジオも音楽もかけずにただただタイヤが砂を噛む音とエンジンの唸りを聞いていた。


 ようやく木々に遮られていた視界が開けて平地に下りてくると、76号南淡路水仙ラインに出て、防波堤と紀伊水道の荒波を右に見ながら灘黒岩水仙郷へと向かう。


「……ん、アレやな」


 南淡路水仙ライン沿い左側にある灘黒岩水仙郷の入場ゲート脇で、場違いなアロハにハーフパンツ姿で立っている髭面オヤジを見つけ、指差して高田に示すと、高田はハザードを点けて車を送迎バス用の駐車場へ入れ込む。


「連れてくるわ。……よお、バカンス丸出しやな」


 高田に断って助手席を開けると、すでに鯨井が車の方まで歩み寄っていて軽く手を上げて挨拶してきていた。


「嫁さんとのデートを切り上げてきたんだ。身なりくらいは若くてもいいだろ」


 少々バツの悪そうな顔をしながらも、ボストンバッグを下げた髭面オヤジ鯨井孝一郎は笑顔を見せる。


「そうか。別に、俺はあんたのお目付け役じゃないからな。プライベートで何をやってようと、本職で何があろうと影響ないからな」


 黒田も肩をすくめて他人行儀な一線を引いてみたが、内心は全く逆のことを考えてしまう。


 ――このオッサンに会うといちいち女の顔が出てきよる。指輪してた跡を見せるんは俺だけにしろよ色男め――


 あえて話題にはしないが、鯨井の左手薬指に指輪を付けていた痕跡があるということは、婚約者と公言していた野々村美保と本格的に結婚の話をしてきたのだろうと予想させる。

 よもや播磨玲美(はりまれみ)と焼きボックリを蒸し返すものでもなかろう。


「それはお互い様だの」


 鯨井は他愛ない世間話として言い返したのだろうが、黒田には『お互い様』の一言は意外に動揺させられる。

 野々村美保や播磨玲美との一夜を知っているのか?と勘ぐってしまう。


「……ああ、そうや。今回、世話になってる人を紹介しとかんとな。雑誌記者の高田さんだ」

「はじめまして。『テイクアウト』の取材と編集に関わっている高田と言います」


 運転席から出て車のそばに立っていた高田を紹介すると、高田は人当たりの良い笑顔で鯨井に近付き、鯨井に握手を求めた。


「ふーん、記者さんか。中島病院で脳外科医をやっとる鯨井です。……意外なつながり、でもないか」


 不承不承ながらも高田と握手を交わした鯨井は、黒田と高田を交互に見て、刑事と雑誌記者という関係性をうがった目で見てくる。


「まあその辺は好きに想像してくれ」

「まあの。……ところで、会って早々やが()()()()()()はあんたが流したということでええんか?」


 高田との握手を終え黒田に刑事と記者の黒い繋がりをいなされた鯨井は、高田を真っ直ぐに見据えて問うた。

 黒田はだいたいの察しはついたが高田の返事が気になって黙っておくことにした。

 高田は黒田の前では筋の通った正義感を見せる場面もあれば、ことさらに商業的価値を求める場面もある。

 協力関係を約束したとはいえ、それぞれの事案について正義感と商魂の比率は知っておきたい。


「速報をご覧になられたんですか?」

「電車移動で暇を持て余したもんでな」

「なら、その通り、と答えないといけませんね。一定の時間ごとに後追いがないか確認してますが、他社さんが関連情報を掲載していませんから」


 黒田が見る限り、鯨井は腹を立てたり怒っているという印象はない。どちらかといえば『気に食わない』といったところか。

 対して高田は鯨井の意図を計りかねているようで、鯨井のハッキリとした言葉が出てくるまでいなしている印象だ。


「そうか……。またややこしいタイミングで面倒な記事にしたもんだのぅ。高橋少年に会いたかったのに、こんなんじゃ皇居には近寄れんじゃないか」


 両手を腰に当てて拗ねたように唇を尖らせる鯨井に、高田も引くことはしない。


「いやいや。こちらとしても商売柄、自衛隊のおかしな動きは報じなきゃいけないという信念に基づいてますから。そもそも現行の御手洗(みたらい)政権は疑惑の数珠つなぎです。山路耕介(やまじこうすけ)の若い頃を見ているようだって話もあるくらいです。こうした疑惑を明かしていくためにも、見つけた隙きは取りこぼすつもりはありませんよ」


 二人のこの会話だけでも黒田には方向性の違いは十二分に理解できた。

 鯨井は、高橋智明の身体的な変化に立ち会ったも同然の過程から、直接高橋智明と会って聞き取りやその能力を見聞したいのだろう。

 その足掛かりに、本来なら許されることのないはずの国立の研究施設に、高橋智明の体細胞や血液やMRIデータを持ち込んで解析を依頼したくらいだ。

 対して高田には、正義感を履き違えているか偏ったイメージ先行な使命感を感じる。

 どちらにしても、大きな風呂敷のあちこちにある()()()()()()を見つけて触ってみたい高田と、高橋智明という()()の原因を解析したい鯨井は、やはり見ているものと追っているものが全くに違う。

 ただ黒田が思うに、自衛隊というほつれのそばに高橋智明というシミがあるのも間違いないことで、自分はさらにそのそばにある()()()()()()()かもと思えてくる。


「まあまあまあ。……鯨井センセ。自衛隊がアワジに向かうと分かった時点で皇居に近付くんは困難になるんは分かっとったことやし、それを高田さんに言うてもしゃあないよ。 高田さんも、闇を暴いたり明るみに出すっていう使命感は分かるんやが、それを押し付けたりするんは正しくないやろ。その言い方は良くないわ」


 仲裁というほど黒田は二人の真ん中には立っていないが、話題と空気が良くない方に向いたことだけは分かる。

 黒田はまだどちらとも喧嘩別れしたくはない。


「そうなんだがの。先を見れば見るほど彼には近付けなくなる」

「分かってる。ただな……」


 少し声が大きくなってきている鯨井へ歩み寄り、黒田は高田に聞こえない小声で鯨井を諭しにかかる。


「記者の前で高橋智明の能力の話したらもっと状況を悪くするやろ。ちょっとは控えてくれ」


 黒田に肩を押され高田に背を向けさせられた鯨井は、小声でささやく黒田を訝しみながらも声の大きさを合わせて答える。


「……言ってないんか?」

「当たり前や。俺はもう高橋智明を襲撃事件の犯人として追ってるんやない。超能力者のサンプルでもない。智明と優里ちゃんは次のステージに向かっとる」


 鯨井の肩に腕を回してあからさまな内緒話しの姿勢を取るが、どこか世間ずれした脳外科医にはここまでしなければならない。

 黒田から見れば、鯨井は頭も良く医者なりの秀でた才を感じるてはいるが、こだわりのないことはあけすけに口にする印象がある。

 そうした無意識の垂れ流しは記者である高田の前ではどんなトラブルが起こるか想像だにできない。


「なるほどの。あの記者さんの持っとる情報では、高橋君はまだ病院襲撃犯か、皇居立て籠もり犯なんだな?」

「そういうこっちゃ」

「だからって俺が超能力研究にいそしんどるわけじゃないんだがな」

「分かっとる。あいつは世間の騒動から記事になるネタが欲しいんや。あんたは異常な高橋智明の体の仕組みを追求したいんやろ。俺は、智明と優里の動向を見届けて、そこに正義に反するものがあったら追求したいだけや」


 小さく身振りを付け加えながら黒田は端的に三者三様の目的を言葉にする。

 鯨井にはこれで伝わるはずだ。


「なるほどの。……三人の中心に高橋智明と自衛隊を含む日本政府があるが、三人の追ってるもんは別物なのか。分かったよぅ」


 黒田の説得とも棲み分けとも取れる言葉を整理し、鯨井はくっついていた黒田の体を押しのけるようにして了承の旨を発する。


「よろしゅ頼むわ」


 なるべく笑顔を作って黒田は鯨井の背中を叩き、高田を振り返る。


「すまんな。医者ってやつはどこか偏屈やからな」

「ほっといてくれ」

「いやいや。記者も刑事も穴は違いますが同じムジナですよ」

「なんや、俺もかいな」


 鯨井を貶めて場をまとめようとしたが、高田が黒田に皮肉を言ったので愛想笑いを返しておく。


「ともあれ、ここでずっとだべってる暇はない。場所を移して仕切り直そうや」


 あたりに人気はなくとも灘黒岩水仙郷のゲート脇の駐車場である。

 これ以上の深い話はこんな場所ではできないと黒田が切り出すと、高田が控えめに手を上げて提案する。


「ちょうどいい。僕は一度会社に戻らないといけないんで、お二人にはうちでくつろいでいてもらいましょう」

「近いのか?」

「ええ。洲本に部屋を借りてるんです。同居人が居ますが、一時間ほどですから大丈夫でしょう。さあ、乗ってください」


 やや強引に行き先を決めた高田に鯨井が憮然とした顔を向けたが、黒田は鯨井に手招きをしてさっさと高田の乗用車に乗り込んでしまう。


――刑事と記者と医者か。我ながら妙な取り合わせになってしもたな――


 乗用車に乗り込んでからタバコを吸う機会を逃したことを悔やみつつ、この一週間、黒田は今までよりタバコの本数が増えていることを気にした。

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