水入り ⑤
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誰の目があるわけでもないのに、智明は格好つけてお姫様抱っこで藤島貴美を三階の寝室まで運んだことを後悔した。
念動力で運ぶことも考えたが、現在の精神力と体力とを秤にかけ、精神力の温存を選んだ結果だった。
優里より小柄であったことは幸いだったが、貴美の雨に濡れた白衣一枚の姿は、やはり照れくさい。
優里と体の交わりがあっても智明はまだまだ女性経験の浅い十五歳なのだ。
「……これで少しはマシか」
両手に白い光を薄っすらと灯し、周囲の空気を温めて貴美の衣装を乾かしてやると、体に張り付いていた白衣から肌色も透けなくなった。
安定した寝息を立てる貴美の顔を確かめ、彼女が目覚めないうちにと智明はシャワーと着替えを済ませる。
その間に優里に伝心を送ったり、川崎から報告と相談があったりと、まだ騒動の慌ただしさは収まっていない。
――思ったより自衛隊が強攻策を打ち出してこないな。雨のお陰だとしたら、止み始めか止んでから何かしてくる、かな?――
ジーパンと白のTシャツという軽装に着替え、キッチンからコーヒーを寝室に持ち込んでスマートフォンを弄りながら考えを巡らせる。
窓の外は一時間前より雨足が弱くなって見えたが、まだしばらくは止みそうにない。
「……う、うう……」
キングサイズのベッドからかすかな呻き声が聞こえ、智明はリラックスチェアーから体を起こしてベッドへ近寄る。
「……高橋、智明」
「そうだよ。……藤島貴美さん、だよね」
「ここは?」
「明里新宮って言うと分かりにくいよね。新しい皇居の三階のプライベートスペースだよ」
互いの身元を確かめた後、『皇居』の一言を聞いて貴美が勢いよく体を起こした。
「なぜ? マコトは!?」
「落ち着いて。あの、服、服!」
智明にすがるようにした貴美の片袖が落ち、未成熟な胸元があらわになったので智明は顔を反らして指摘した。
「あっ! ……失礼した」
恥らって小声で謝ったあと貴美が服の乱れを正す衣擦れがする。
「……とりあえず意識が戻って良かったよ。血塗れの傷だらけで倒れてるのを見かけた時は、手遅れかと思ったから」
「……感謝いたす」
微妙な間があったが、智明は気にしないことにし貴美を振り返る。
ベッドの上で姿勢よく正座した貴美は、和風な面立ちと艷やかな黒髪のせいもあり独特の雰囲気をまとっている。
「……とりあえず何か食べる? ひと心地ついてから話しでもと思うんだけど」
「……はあ、……まあ、はい」
「お互いにその必要はあると思うから」
「……承知した」
貴美が歯切れの悪い返事をしたため、少し強引だが先に席を立ってドアを開き、『ついて来い』と言わんばかりに智明は先に部屋を出てしまう。
仕方なく追ってきた貴美を伴ってキッチンへ入り、冷蔵庫を漁る。
「貴美さん、確か修験者だったよね? 肉と魚はだめなんだっけ」
「うん。肉は食してはならない事になっている。魚は、自分で殺めたものでなければ一応許されている。あ! それでも生は食べられない。あと、生卵や魚卵も禁止されている」
「なかなか厳しいね」
答えつつ、智明はレタスやトマトやキュウリを取り出し、ドレッシングの成分表示とにらめっこをする。
「何かで読んだけど、卵も卵って分かる見た目はダメなんでしょ? 厳しいお寺は肉の成分が混じってるだけでも食べれないとか」
コンソメや魚介出汁のドレッシングを除外すると味付けのしようがなくなり、仕方なくスマートフォンでレシピを探してオリーブオイルと岩塩を引っ張り出す。
「それは余程厳しい宗派の話。私達は御山で採れる恵みに限っていて、どうしても補い難い時のみ下界で買って済ましている」
「それはそれで厳しいね。じゃあ、米や麦や乳製品は平気なのかな」
『御山』とは諭鶴羽山のことだろうと想像し、そこでどれほどの物が採集できるのかと考えて智明は身震いしつつ、流しで手を洗ってレタスを千切っていく。
「……乳製品はできれば口にしない方が良い、と思う」
「ん、了解」
食器棚からガラスボウルを二つ取り出し千切ったレタスを敷き、トマトを輪切りにして三枚ずつのせ、キュウリをなるべく細く刻んでボウルの端に添える。
オリーブオイルをひと回しして、岩塩をミルで削りかけて仕上げる。
「ほい。食パン焼いてないけど完成だよ。そっちで食べよう」
キッチン横のダイニングテーブルを指し示し、貴美を座らせてサラダとパンを運んでやる。
「……器用なものだな。料理、するのだな」
「このくらいならね。ていうか、リリーの手伝いで覚えてただけだよ。はい、いただきます」
「い、イタダキマス」
意外なところで褒められ、照れくささを感じながら手を合わせると、貴美も緊張気味ながら手を合わせてサラダに口を付ける。
「……美味しい」
「良かった」
お世辞でもどこかホッとして智明もサラダを食べ、食パンをかじる。
「……なんか、不思議だ」
「ん? 何が?」
食事がある程度進んでから、貴美が手を止めてポツリと呟いた。
「マコトと同じ年の幼馴染みなのに、ずいぶん違う」
「そうかな? どうだろ。よく分かんないよ。アイツも悪い奴じゃないし」
「それは勿論そうだ」
はぐらかした智明の答えに、貴美が即答したので思わず苦笑してしまったが、幾つか思い付いたこともあった。
「貴美さん、真のこと好きなの?」
「ひっ!?」
前ふり無しで突然聞いた智明に対し、貴美は変な声を出して驚いた顔のまま硬直して顔を赤く染めた。
「て、て、て、テレパシーというやつを使ったのか? ぶ、無礼な」
「あはは! いやいや、そんなの使わなくても分かるよ」
「そ、そうなのか?」
うつむいて目を反らす貴美が可愛らしくなり、あまりいじめちゃいけないよなと思いつつ、やはり確かめなければならない事もある。
「そのせいかも知れないけど、俺と真の間に確執があるとか思ってるなら、それはちょっと違うなぁと思うんだよ」
色恋の話から話題が切り替わったので、戸惑いを残しつつ貴美が視線を上げた。
「どういう、ことか?」
「……なんて言っていいか分からないけど、言ってしまえばすれ違いってやつかな」
貴美の問いに答え、何から話そうかと迷った智明はドリンクを持ってこなかったことを思い出し、手持ち無沙汰でテーブルに肘をついて手を組む。
「……俺は突然大きな力を使えるようになってのぼせ上がったんだな。だから一番近くに居た真に見せびらかすような行動をしてしまった。今思えば子供っぽいことをしたなって思うよ。力をひけらかして自慢したって、俺と真の精神的な関係性は変わるわけはないはずだからな」
人外の能力を手にし、優里を連れて逃げ出し、川崎を巻き込んで淡路島の独立を掲げた今、自分がどこに向かおうとしているのか分からなくなり始めていた。
ただ分かっているのは、淡路暴走団と空留橘頭を従えたことで後戻りは出来なくなったし、警察や機動隊や自衛隊を跳ね除けたことで騒動はより大きくなってしまったということだけだ。
「トモアキの思うマコトとの『精神的な関係性』とは何だ?」
顔色も落ち着き姿勢や表情も真剣になって貴美が問うた。
「昔から変わらないよ。アイツがリーダーで、リリーがツッコミ役のお姫様で、俺が二人の部下1で世話係」
端的に答えた智明を、貴美はキョトンとした顔で見返してくる。
「それは一体、なんだ?」
「逆に分かりにくかったかな……。よく三人で探検ごっことか冒険ごっこみたいなのしててさ、真が隊長とかリーダーで『あっち行くぞ!』とか『ここを調べるぞ!』なんて言ってドンドン進んでくわけ。んで、リリーが『そこは人の家やからアカン』とか『お腹減ったからおやつにしよう』とかツッコミながらワガママ言うんだよ」
「トモアキは何をするのだ?」
「俺? 俺は二人からの命令とか指示とかワガママの通りにするんだよ。ああ、二人が知らないことを知ってたら口出しはしてたけどね」
「そうなのか。よく分からないが、その……楽しそうだな」
いつからか貴美も頬杖をついて微笑みながら聞いていた。
「楽しかったな。小学校の時はずっとそんな感じで、三人セットで遊び回ってたからな。貴美さんはそういう幼馴染みとか友達はいなかったの?」
リラックスしてダイニングチェアーに背を預けた智明は、貴美に話をふってみる。
「……私は、物心ついた時にはもう、御山で修行を行っていた。だから学校や友達というものを知らない」
伏し目がちに答えた貴美に申し訳なくなり、智明は背もたれから背中を離す。
「そうなんだ。なんか、ごめん……。ちょっと待ってね」
頭の中に針でつつかれたような刺激を感じ、貴美から視線を外してその理由を探る。
「……貴美さん、ごめん。ちょっと用事が出来たみたいだ。さっきの部屋に服とかタオルがあるから、シャワーでも浴びて着替えてゆっくりしててよ」
「それは、良いのか? 私は、敵だぞ?」
立ち上がってリビングダイニングから立ち去ろうとしている智明に、貴美から戸惑った声が投げかけられた。
「敵なら逃げ出されても仕方がないかな。でも――」
ドアを開け、照れ臭いので背中を向けて告げる。
「でも、友達の彼女なら捕虜みたいな扱いはしないよ」
貴美の返事を待たずにリビングダイニングから立ち去り、智明は廊下を歩きながら合図を送ってきた相手へ伝心を返す。
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《川崎さん。何かあったの?》
《キング! 自衛隊が来よった!》
気焦りのある川崎の意識が飛び込んできて、どこかで聞いた台詞に笑いそうになったが、少し違うニュアンスがあったので問い直す。
《なんか攻撃とかじゃなさそうだね》
《白旗や! 武装解除して白旗提げて来よった!》
想定外の出来事に智明の歩みも止まってしまった。




