水入り ③
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「見ましたか?」
雨水を滴らせた透明ビニール傘を運転席のドアポケットに突っ込みながら、雑誌記者高田雄馬は興奮気味に黒田幸喜に聞いてきた。
「なんや、とんでもないことが起こったんは分かった」
助手席から新皇居を眺めていた黒田には子細まで見通すことは出来なかったが、雨粒に打たれるフロントガラス越しでも、照明弾が輝き煙幕が立ち込め、雨雲が消し飛ばされて赤や青の光が放たれたことは分かった。
早朝に電話の着信音で叩き起こされ、高田に諭鶴羽山まで連れて来られたが、雑誌記者として月刊誌と週刊誌にページを持つ高田が興奮する理由も納得できる。
ただ、黒田はこんな土砂降りの中にビニール傘一本で出て行って、写真や動画を撮影しようとまでは思わない。
刑事魂と記者魂の違いを見た気がした。
「正式発表もなしに自衛隊が駐屯地を出たと聞いて、もしや!と思ったのは正解でしたよ。もっと近くで取材したかったんですが、警備が厳しくてここからしか見れなかったのが残念です」
「いや充分やろ」
興奮しながらも悔しさを滲ませる高田に、思わずツッコんでしまったのは関西人の黒田には仕方のないことだ。
諭鶴羽山の頂上付近に建てられた電波塔には、高田の乗用車以外に車や人影はない。
黒田には独占スクープだろうと思える。
「いやいや。そんなに甘い世界じゃありませんよ。ここには僕らしか居なくても、他の場所やドローンなんかで撮影されていたら、そっちの方が画的に良いかもしれない。そうなったら後はどんな記事をどんな速さで出すかなんです」
黒田のツッコミを跳ね返しつつ、高田はデジタルカメラを自身の膝に置くなり、仮想キーボードを展開して両手の指全てを忙しく動かし始める。
「おいおい。報道規制かかっとるやろ。ええんか?」
「それは中島病院の件ですよね。新皇居の占拠と自衛隊の奪還任務はどちらも非公表なだけで規制されてません。むしろ自衛隊が非公表な戦闘行為を行ったことは、報じなければならない。その戦場が皇居であるなら、尚更です。……違いますか? どこかおかしいですか?」
タイピングの手を止め、黒田を見やった高田の目は、警察発表に食らいつく報道記者の熱意がこもっていた。
「違わなくはないが……」
「……大丈夫です。高橋少年と結び付けるような文面にはしませんし、情報の提供元にアシがつくようなこともしませんよ。ただ、多少オカルトな内容になリますけど、追求したいのは現政権の自衛隊の取り扱いです。防衛軍どうこうの話の前に、こんな大事を事後発表で済まそうというのは、御手洗首相の悪癖です。これを世間に伝えなければ、マスコミの存在価値は本当に些事を邪推するだけの下劣なものになってしまう」
やたら力のこもった高田の声と指の動きに、黒田は置いてきぼりにされてしまっているが、半分は理解できたので何も言い返さないでおいた。
――俺らは、犯罪者が犯した罪を法で裁くためにホシを追うけど、それと同じなんだぁかのぅ。……だからっちゅーて裁く方法がないから、世間に広めよう伝えようっちゅーのはどうなんやろ……――
あくまで黒田が追求してきた刑事という仕事は、正義感と法律に則した犯罪者の検挙であり、検察に送致するまでが警察にできることだ。
それに比べて、高田のような記者は世間へと公知させようとし、法ではなく世論や批判によって騒動や事件の当事者を責め立てる。
その違いには、刑事と記者で通じるものと相反するものがあると感じる。
刑事から記者への転身を考えた黒田だが、自身が記者となって記事を書く場合、どのようなスタンスを取らねばならないか、どういったことを取材し世間に示さなければならないかを考え始める。
「……そういえば、お知り合いの方を呼ばれたようでしたけど、どうなりました?」
記事の執筆が一段落したのか、高田が手を止めて黒田に問うた。
「んあ? ああ。……なんや用事が出来たらしくてな。始発で帰ってきて昼に合流するはずが、午後の便に変更になったらしい。やから、夕方に合流になるんやないかな」
考えを中断させられ、黒田は適当に答える。
そもそもなんの用事があったのか知らないが、昨夜の連絡で『京都から最速で帰るから会おう』と言い出した鯨井孝一郎医師に、今朝『諭鶴羽山で何か起こっているらしい』と返すと、『夕方になる』と予定をひっくり返してきたのだ。
黒田が鯨井を高田に会わせたかった訳でもないし、取り繕ってやる義理もない。
強いて言えば、高橋智明の遺伝子解析と野々村美保との関わりで負い目があるから連絡をとっているに過ぎない。
「そうですか。じゃあ買い出しもしてありますから、夕方までここで張り込みですね」
デジタルカメラを操作しながらあっさりと言い放った高田に、黒田は少しうんざりした気分になる。
「ホシの内定で張り込むならまだしも、俺らは何を捕まえようとしとるんやろな」
助手席をリクライニングさせた黒田に、しかし高田はハッキリと答える。
「真実と真相ですよ」
リクライニングに合わせて後方に倒れていった黒田からは高田の顔は見えなかった。が、高田の声にはジョークや格好つけた色はなかった。
――またデカイもんを掲げたなぁ。真実とか真相なんぞ、当事者と部外者で捉え方が変わるやろうに――
まだ部外者のつもりでいた黒田は高田の考えをどこか突き放して考えてしまったが、フロントガラスの雨粒の合い間から臨める新皇居を見てハッとする。
――高橋智明と鬼頭優里。あの二人が自衛隊とひと騒動起こした。それを見ている俺がなんで部外者やねん? なんで鯨井のオッサンに声かけたんや?――
そう思い直した黒田は助手席を元の位置に戻し、数百メートル先の皇居本殿の瓦屋根を見つめる。
――とっくの昔に俺らも当事者やないか!――
黒田の目には刑事魂とはまた別の光が宿っていた。




