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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第五章 激突
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水入り ①

 皇居上空に人影が現れて赤い光を何百と撃ち出し、自衛隊の投射した煙幕弾が突風に吹き散らされた時、本田鉄郎(ほんだてつお)はこの後の行動を迷った。


 ――あの赤いのが攻撃だとしたら、防ぎようも避けようもない。自衛隊が煙幕で視界を奪って慌てふためく間に囲っちまおうって作戦を、あんな簡単に打ち破るとか。ある程度のとこで退散するつもりだったけど、それも危うくないか?――


 退散するタイミングを見誤ればテツオ達も自衛隊に囲まれてしまうし、死なばもろともで突撃しても有無を言わせない攻撃をされては命の無駄遣いだ。


 かといって高橋智明や川崎実らに捕まってしまうのも御免だ。


「アレがうちのキングじゃ」


 テツオが熱心に皇居上空に滞空している智明を見ていたせいか、テツオに倒されたままの川崎がどこか誇らしげに口走る。


「なるほどね。アレと比べられたら『キング』なんて通り名は返上しなきゃだね」


 冗談混じりに流して答えたが、自分があのような攻撃力を手に入れたなら同じような騒動を起こしたかもしれない。

 テツオは何不自由のない生活を送ってきたが、そのために起こる退屈や無感動な毎日に飽き飽きしていた。

 そうした満ち足りない不満は、バイクや瀬名たちのような友人と出会うことで解消された。

 そして欲張りになった。

 野望を膨らませ、仲間を増やし、準備を整え、あと少しでスタートさせようとしている時にこの騒動に関わることになった。


「違う形で会いたかったなぁ」

「あん? ワシみたいなポジションでええんか? あの本田鉄郎が?」

「島一個で満足するんならそれでいいんじゃない? でも俺がアイツに付いたら、もっとイケる気がしただけだよ」


 テツオの朗らかな笑顔に川崎は呆れてしまったようだが、テツオの頭の中には世界地図が開かれていた。


「てか、なんか様子おかしくない? キングさんが落ちていったよ」

「なんやと!?」


 テツオの言葉に驚いた川崎は体を起き上がらせようとしたが無理だったようだ。


「お? 今度は女が飛んできた」

「……白いドレス着とんねやったぁクイーンやねけど……」


 テツオの実況を解説した川崎だったが、そのニュアンスはやや疑問が含まれていた。


「防戦には出てこない予定だったとか?」

「ああ。キングからはそう聞いた。ワシもそないするさかい、変には思わんかってんけどの」


 テツオも同じ考えなので川崎の言葉には返事をしなかった。


 これは決してテツオがフェミニストなわけではなく、純粋に女性を戦いの場に立たせると気が散ってしまうからだ。守らなければとか傷つけたくないとかの甘い感情ではなく、純粋な戦力対比であったり弱点や切り崩されやすい点を考えてのことだ。


 現にテツオは鈴木沙耶香を大日川ダムに置いてきている。

 大事な存在であればこそ、サヤカをこのような試験的な戦いには立たせられない。


「今度は何だ? 青い光を作ってばら撒いてるけど?」

「わからん。ほやけど人を攻撃するような子とちゃうよってなぁ……」


 川崎の知らない能力なのかと解釈して視線を戻した瞬間、テツオと川崎の方にも青い光が向かってきて、声を出す間もなく光が体にぶつかってきた。


「――! 何だコレ!?」


 痛みや熱も感じなかったのですり抜けてしまったように思ったが、光が当たった所とは別の場所が少し熱を帯びて疼く感覚があった。

 川崎との対決でできた切り傷や打ち身に優しく触れられた感じ。


「本田、お前顔が――」

「お? おお?」


 おもむろに上半身を起こした川崎に驚いたが、その川崎の顔を見てもう一度驚いた。


「怪我、治ったのか? まさか、そういう光だったのか?」


 相変わらず熊ともゴリラとも例えられる野生的な川崎の顔から、腫れや出血が収まっているのを見て、テツオも自身の顔や体に触れて怪我が完治していることに驚く。


「そういうことじょの。そういうことする子やさかいの」


 まるで成績優秀な親戚を誇るような川崎の笑顔を不気味に思いながら、やはり怪我の具合を確かめている川崎を見て、信じられないことが起こったのだと改めて驚く。


「ホント、違う形で会いたかったよ」

「ほうかの? 今からでもコッチ混ざれるぞ。WSS(ウエッサイ)やったぁ大歓迎じゃ」


 急な勧誘に、本来ならテツオは懐疑的な目を向けなければならないはずだが、真顔で川崎の顔をマジマジと見つめてしまった。


「俺と川崎さんが肩並べて国取りするの? ……面白そうだけど。でも今回は俺主導じゃないからなぁ……」


 もともとテツオの計画では淡路連合を一つのまとまった組織にする事が前提だったので、川崎や山場と共闘できるならこれ以上のものはない。

 しかし今回は城ヶ崎真(じょうがさきまこと)の私怨に乗じて計画を前倒ししたのだから、そう簡単に鞍替えとはいかない。


「ほうか」

「ごめんよ」


 あっさりと勧誘を諦めた川崎にテツオは謝罪の言葉を投げかけたが、川崎から返事はなかった。

 二人が見ている前で、青い光をばら撒き終えた鬼頭優里が重力に従って落下し始めたからだ。


   ― ― ―


 急速に体が凍え始めたのは、雨に長く打たれていたからではない。

 肩から先を切り落とされ、盛大に吹き出た血を見たせいだ。

 視界が眠る前のように暗く狭くなり始めたのもそのせいだ。


 ――死ぬのか? 気絶するだけか?――


 のたうち回るほど激しかった痛みはすでに麻痺し、脈打って吹き出していた血も、枯れかけの湧き水のように勢いはない。


 ――こんな感じで終わるのか――


 智明に殺し合いだとふっかけたのは真だったが、智明のひと睨みで両腕を切り飛ばされ、死を意識するほどの痛手を被ったのは真だ。


 少しずつ狭くなる視野に合わせて意識も遠のいていく。


 さっき自分で呟いた『終わり』が、何を指したのかすら考えられなくなってくる。

 智明との勝負の決着のことなのか。

 真の人生のことなのか。

 だんだんと頭が回らなくなり始め、意識が虚無へと落ちていく感覚に陥る。


 と――。


 胸の辺りに何かがぶつかってきた気がした。

 ほんのり温かく、体の隅々に沁み入る感覚がある。

 例えるなら、喉がカラカラになるまで走り回ったあとの水分補給のように、ジワジワと体内に入っていくイメージ。

 例えるなら、血管が圧迫されしびれが切れた箇所に、血が流れ始めたようなイメージ。


 ――心地良いけど、気持ち悪いな――


 当たり前のように頭の中に感想がよぎった瞬間、真は目を見開いて勢いよく体を起こした。


「あ、あれ? ……生きてる。まだ生きてる! え、腕がある!?」


 死が目前に迫り、拒む暇もなく意識が遠のいたのを思い出し、また考えたり体を動かせることに驚き動揺した。


 命が潰えなかったことを確かめようと、首から下を見たり触ったりしていて、切り飛ばされたはずの両腕が元通りになっていることに遅れて気付いた。


「なんで? 智明が治した? んな馬鹿な」


 智明のあんな目は初めて見た。

 殺意や暴力を振るう者の目は、あんなにも雰囲気が変わるのかと改めて思う。

 加えて、そうして傷付けた自分を間を開けずに智明が治療するなどあり得ないだろうし、もしそうならば何がしたいのか訳が分からない。


 そうなると他の要素で助かったのだと考え辺りに目をやると、先程までの雨が止んでいることに気付き空へ目を向ける。


「……あれは、優里、か?」


 重黒い雨雲がポッカリと円形にくり抜かれ、七月の青空に白い服の女が滞空し、周囲に光の粒を放出している。

 脈略なく名前も知らない人物が智明のように空に浮かんでいるとは考えにくく、自然と鬼頭優里の名前が出てきた。


「そんなことがあるのか?」


 智明の獲得した超能力を初めて見た時よりは驚きや動揺は少ないが、身近な人間がそうそう何人も容易く超能力を使いこなせるのか、現実味のなさが言葉になった。


 智明という前例を知っているから優里を否定することはできない。しかし目にしたものをすんなりとは受け入れ難い。


 中途半端な気持ちのままだが、真が立ち上がろうとしていると空中にいた優里が足場を失ったように落下を始める。


「優里!!」


 真は幼馴染みの名前を叫び、数歩駆け出して何も考えずに一直線に飛び上がる。


 HD(ハーディー)で強化された真の体は、常人の数倍の筋力を惜しみなく発揮してくれ、まっすぐに優里へと向かっていく。

 だが真が思うよりも優里の落下速度が早く、このままでは受け止められそうにない。


――もうちょい下っ!――


 軌道修正をしなければと慌てたが、エアジャイロがあることを思い出して今更ながら微調整を行って、辛うじて優里を受け止められた。

 さすがに抱き止めたりお姫様抱っこのようにはいかなかったが、左腕に優里の腹部を引っ掛ける感じで受け止め、優里に意識があるか確かめる。


「優里? 優里。優里!」


 背中を軽く叩いたり、声をかけてみたが反応はない。


「真! その子がユリちゃんか?」

「あ、はい。そうっす……」


 皇居上空を漂っていた真の元へテツオも飛行してきて声をかけてきた。


「よし。トモアキとは決着つかなかったみたいだけど、ここらで退散するぞ」

「退散? え、でも――」

「自衛隊がすぐそこまで来てるんだ。チームのメンバーもどうにかされてるはずだ。今が引き時なんだ」

「……分かりました」


 優里を抱え直しながらテツオの指示を拒もうとした真だが、テツオの言い分を渋々ながら承知した。

 自衛隊が皇居に接近しているということは、大日川ダム周辺と牛内ダム周辺の道路を封鎖してくれていたWSSウエストサイドストーリーズのメンバーが、拘束なり捕縛されたことを示す。

 琵琶湖畔の貸し別荘を離れる際、テツオから『チームで動く時の心構え』を説かれたばかりなので、今は真が我を通していい時ではないと分かる。


〈瀬名! 田尻! 紀夫! 退散だ!〉


 テツオは複数同時通話で撤退を告げ、真にも手招きをして西の方へと舵を切る。


〈うーい。てか、どこに逃げるんだぁ?〉


 変に間延びした瀬名の返事にテツオはあやふやな答えを返す。


〈確か、28号線沿いでバイク屋やってるメンバーが居たろ? 名前なんだっけな……〉

〈リーダー、名前覚えてあげてくださいよ〉

〈いつも『バイク屋』って呼んでるから覚えられないんすよ〉

〈ああ、ジンべのとこかー〉

〈そうそう。ジンべだ〉


 田尻や紀夫に冷やかされつつ、瀬名が思い出してくれたので事なきを得たようだ。


 優里を抱いた真とテツオが西へと飛び始めてすぐ瀬名たちも舞い上がってきて、五人が固まって高度を取る。


〈田尻。紀夫。真が女の子抱えてるから、サポートしてやってくれ。雨の中を人抱えて飛んだらエアジャイロが保たない〉

〈ウッス!〉


 智明によって雨雲が吹き飛ばされ晴れていた区域を脱するので、テツオが指示をした。


〈ありがとうございます〉


 田尻と紀夫が、真の肩の防具のあたりを持ち上げるようにして支えてくれたので、真は素直に礼を言った。

 その時にチラリと皇居の方を振り向き、大事なことを思い出す。


――キミも脱出しただろうか?――


 少しずつ小さくなっていく皇居を眺めたあと、自分の腕に抱かれた優里を見て、真は自分の行動が正しかったのかを考え始めていた。

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