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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第五章 激突
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天照らす光 ③

   ― ― ―


「野元一佐。一旦進行を止めよう」


 指揮車が門を通過するタイミングで唐突に川口が口を開いた。


「全体止まれ! ……どうかしましたか?」


 無線で指示を出した野元だが、目的地を目の前にして進行を止めた川口の意図が分からず、指揮車後部座席に座る川口を見る。

 そこには神妙な顔で水滴だらけのフロントガラスを睨む川口の顔があった。


「雨足が強くなってきた。それに先程まで飛び回っていた人影も見えなくなった」


 確かに、川口の言うように車窓は常に数十・数百の雨粒が襲って来、新しい水滴が生まれては流れるそばからまた雨粒が襲い来る。

 指揮車の屋根も同様で車内はマシンガンの掃射を受けているように騒がしい。


「言われてみれば」


 そう答えはしたが、実際は野元はそこまで雨中を飛び回っている人影を注視していたわけではない。


「では、隊員に待機と装備確認をさせておきましょうか?」

「そう、だな。この地形でこの雨だ。少し様子を見るべきだ」

「…………分かりました。通達!」


 わずかな疑問や違和感を感じつつも野元は川口の判断をそのまま通信兵に伝えさせた。

 同時にこの先一時間の気象予報も確認させる。


「……何か言いたげだな」

「…………何も感じないと言えば嘘になります。ですが任務中であります。上官に対して疑問や不信を挟む余地はありません」

「そうか」


 川口がボソリと呟いたので野元は正直に答え、川口もまた短く応じた。


 そこからしばらく無言の時間が続いたが、雨が指揮車の屋根を叩くだけの時間を動かしたのは通信兵だった。


「気象予報によりますと、一時間は強い雨が続くとのことです」

「そうか。ご苦労」


 短い言葉で通信兵を労い、野元は再び川口を見る。


「……うむ」

「長時間の待機は隊員の体力を奪うのみです」


 野元は、踏ん切りのつかない川口に思わず指し出口をきいてしまう。


「確かに足元も視界も悪くなるだけだ。体も冷えるし緊張感も薄れかねない。しかしだからといって無策で突き進むのは愚かだ」

「はい……。作戦を変更するということですか?」


 いよいよ川口の意図が分からなくなり、野元は恥を承知で伺いを立てる。


「天候が結果を左右することは稀にある。しかしここまで劣悪であれば万端に整えても望む結果を得られない。むしろ結果が読めなくなるほどに悪い」


 なるほど、と野元は車外を観察して納得する。

 強烈な雨が視界を奪い、足元をぬかるませ、目の前の舗装路には大地が吸い込めなかった雨水が川となって流れている。


「申し訳ありません。そこまで考えが及びませんでした」


 野元は素直に陳謝し、潔く頭を垂れる。

 川口が超能力に怖じ気ついたと決めつけたこともこっそりと謝っておく。


「謝ることはない。私だって坂を登っている間ずっと悩んだ上での作戦変更だ。君が私より先に作戦変更を決めていたなら、階級を入れ替えなければならんくらい状況把握が出来ている証だよ」

「滅相もありません。……それで、どのような策を執るのでしょう?」


 至らぬ自身を自嘲しつつ、野元は上官に問うた。


「うん。対象の戦力や武装も分からぬし、こちらより数が少ないであろうとはいえ、この視界の悪さで伏せられては、文字通り足元を掬われかねない。ならば我々自衛隊がそこまで来ているぞと知らしめて、根拠地に集めてしまおうと思う」

「なるほど。こちらから追い込むようにして見せて、あちらに籠城策を取らせる、ということでありますか?」


 今日のような悪天候を想定した訓練ではなかったが、似たような指揮や作戦は訓練で学んだことがある。


「そういうことだ。まず照明弾か閃光弾で注意を引き、続いて煙幕弾で逃げ道を皇居本殿だけにしてやる。見えないところから敵が迫ってくるというのは怖いものだよ」


 表情を変えずに言い切った川口に野元はゾクリとした寒気を覚える。

 冷徹とは言わないが、任務遂行に対する覚悟を垣間見た気がしたのだ。


「了解しました。では、本部中隊付帯の迫撃砲小隊にやらせます」

「ん。煙幕弾で追い込んでいる間に牛内ダムの別働隊は壁を乗り越え、本部付帯の普通科隊員とタイミングを合わせて皇居を囲むように小隊単位で接近させろ。この時、煙に巻かれぬようにゴーグルの装着と、接近の速度に気を付けさせろ。煙幕より前に出ては意味がない」


 即座に通信を行おうとした野元へ注意点を添え、川口は「雨中だが観測は念入りにな」と更に指示を付け加えていた。


 野元はそれも含んで通信兵に伝えさせる。


「自分の不勉強を思い知らされます」


 もう一度頭を下げる野元だが、川口は彼の肩を軽く二度たたき、ニンマリと笑って答える。


「気にするな。私だって怖じ気づきそうなくらい必死なんだから」

「……恐縮であります」


 野元は、なぜ川口が定年前に後進の育成などを考えたのか不思議で仕方なかったが、今回の任務で少しだけ分かったような気がした。


 自分が退いたあとに心残りや後腐れを感じないためには、自分と同等と思える人物に丸投げしてしまいたいのではないだろうか。

 そうでなければ総指揮官の必死さなど吐露する必要はないはずだ。

 決して野元が川口の後任に収まるという話ではないが、川口としてはそうした『芽』を見つけたり育てておきたいのかもしれない。


「一佐。この任務に関しては、最後まで随伴させていただきたいと思います。よろしいでしょうか?」

「最後までか?」

「はい」


 真剣な目で見やる野元に川口も真面目な顔を返す。


「……そうだな。それがいいだろう」

「有難うございます」


 車中ながら野元は堅い声を出し、上官にキッチリとした敬礼をした。


   ― ― ―


〈紀夫! 人を狙うな! ちょっと外してアイツらを走らせるんだ!〉

〈ウッス!〉


 新皇居の周囲に新造された壁を飛び越え、瀬名と田尻と紀夫は三人で智明の手下らしい兵隊を追い込んでいたが、雨足が強くなってきたために皇居まで追い返す作業は難航していた。


 恐らく淡路暴走団と空留橘頭(クールキッズ)であろう集団は、ぬかるんだ斜面に足を取られたり視界が悪くて逃げ道を見失ったりと、瀬名が思うような動きをしてくれない。


〈田尻! もっと右だ! 二人ほど向きを変えたぞ!〉

〈ウ、ウッス!〉


 それは瀬名たちも同じで、紀夫と田尻も視界の悪さと足元の悪さで精度を欠いた動きになってしまっているし、山林スレスレを飛んでいる瀬名も田尻と紀夫のフォローをしながら敵を追い上げねばならず、自然と言葉尻はきつくなってしまう。


 ――クソッ! もうエアジャイロが限界なのかよ! ホント、水と相性悪いんだな!――


 視界をスクリーンにしてH・Bから送られてくるアラートやインジケータを表示させると戦闘の邪魔になるため、瀬名は防具のバイザーに表示させているのだが、そこにはエアバレットとエアジャイロの加熱による機能低下のアラートが点灯しており、クーリングタイムを取れと促してくる。


 使用前に水没や大雨に弱いと聞かされていたが、ここまでとは思わなかった。


〈おっ! 壁が見えたぞ! 皇居の本当の囲いだ!〉


 まだギリギリ木の上を飛行していた瀬名の目に、雨で霞んでいたが真新しい白壁と塀瓦が望め、自身を奮い立たせる意味でもチームメンバーに伝える。


〈っしゃあ!〉

〈瀬名さん! はぐれたのをそっちへ行かせましたよ!〉

〈オッケー!〉


 心なしか声が弾んでいる後輩からの声を聞きつつ、瀬名も地上へ降下して、膝が泥に埋まるのも気にせずに斜面へと着地した。

 が、皇居の本来の囲いへとたどり着いたはずの敵の先頭集団の様子がおかしい。


〈……チッ! 門が開かないのか!〉


 皇居の囲いに唯一設けられた正門。

 その前に追い込んだ敵兵たちは、押したり体当たりをしたりと試行錯誤を行っているようだが、開く気配のない正門の前で右往左往している。

 その様を見て思わず瀬名の口から罵声が漏れ出てしまった。


「こんちくしょうが!!」


 怒りに任せ、クーリング直前のエアバレットを最大出力に切り替え、正門の近くの囲いへと撃ち出す。


 バイクで深めの水たまりを高速で通過したような派手な水音を立てた空気の弾丸は、強烈な雨をものともせずに狙い通りに直進し、高さ三メートルはあろうコンクリート壁へとぶち当たる。


「うおお!?」

「なんや、なんや?」

「さっきの奴らだ!」

「そこまで来てるんだ!」


 突如崩壊した壁に敵兵は混乱してしまったようだが、ほぼ真円に撃ち抜かれた壁は人間が二人通れるほどの大穴を開けている。


「こっから入っちまえ」

「へへ、俺らの逃げ道になるとはな!」

「こっちこっち! 早く入れ!」


 瀬名の意図を知らない敵兵たちは、これ幸いと穿たれた大穴を通って皇居の敷地内へと逃げ込んでいく。

 うまい具合に田尻と紀夫が左右から牽制してくれたようだ。


〈アイツで最後っすね〉

〈ふう。……なんか疲れたっすよ〉


 五十人近くいた敵兵は、巣穴へと退散する鼠の群れように殺到したが、おかしな渋滞はなく最後の一人が穴の向こうへと逃げてくれた。


〈なんとかなったかなー。……さて、んじゃあ今度はこっちが逃げる番――〉


 緊張を解き、田尻と紀夫に撤退の合図を送ろうとした瀬名の目に、強い光が指した。


 思わず言葉を押し込めた瀬名が周囲を警戒すると、上空に小さなパラシュートに吊られた真っ赤な閃光がゆるゆると浮遊しているのを見付ける。

 閃光の照り返しで一部だけ赤い白煙を立てて落ちてくるそれは、激しい雨にも負けず強烈な赤い光を放ち続けている。


「…………照明弾、か?」


 ぼんやりと見上げていた瀬名が、すぐそこまで自衛隊が迫っているということに思い至るまで数秒を要した。

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