変転 ③
智明が乗っていたバイクは一旦放置し、真と智明を病院に送り届けてから田尻と紀夫で回収する段取りになった。
どの病院に運ぶかも打ち合わせていて、近くならば洲本市街地の病院だが、智明の尋常ではない状態から最新設備の整っているであろう中島病院が最適だろうと決まった。
三台とも400ccだし三人とも運転には慣れているので、28号線を法定速度で一直線に進み、一時間とかけずに中島病院へと辿り着けた。
「サーセン。あざっす!」
「アホ。駐車場でハイオシマイなんて出来るかよ」
「受け付けまで連れてくから、疲れたら代わってくれ」
グッタリとして自分で歩けそうもない智明に肩を貸しながら田尻と紀夫は真に声をかけた。
とても『リーダーに言われてきただけ』ではない対応に、真はちょっと胸が熱くなる。
「俺、先に走っていって病院の人呼んできます! 車椅子借りれるかもだし!」
真は二人に言いおいて返事も聞かずに病院の入り口へ走っていってしまった。
「ったく、ガキだな」
「頭いいし良い奴じゃねーか」
「だからかな?」
「ああ?」
「リーダーが助けてやれって言った理由」
「……かもな」
暗いアプローチを走っていって途中転びそうになったりしている真の姿を見ながら、田尻は紀夫の言葉に同意を示した。
程なくして、真が走り出てきて、その後ろを看護師らしき人物が二人、畳んだ車椅子を抱えて走ってきた。
「ちょっと、待って、ください、よ」
男の看護師が乱れている呼吸の合間に切れ切れに喋り、車椅子を組み立てていく。
「患者さんを、こちらへ」
女の看護師も弾む息を押し込めながら、田尻と紀夫の方へ手を差し伸べる。
まず田尻が智明の腕を外して看護師に託し、続いて紀夫が智明から離れて、智明は女の看護師に抱かれる格好になる。
「いいですよ。こちらに任せて」
智明が倒れないようにシャツを掴んでいた真に男の看護師が離れるように指示して、智明を後ろから羽交い締めするように持ち上げる。
すぐさま女の看護師が車椅子の位置を調節して、智明を座らせ、力なくぶら下がった両足を足場に乗せた。
やや勾配のあるアプローチを男の看護師はゆっくりと車椅子を押して進んでいく。
真たち三人は運ばれていく智明の様子を見ながら無言で看護師についていく。
「あの……」
「待ち合いで座っててください。患者さんの年齢や状況などを担当の者が聞きに行きますから」
切羽詰まった感じで女の看護師が告げる間に、男の看護師は車椅子ごと診察室へ入っていく。
三人は勝手が分からないので、とりあえず待ち合いのベンチに腰掛けた。
「……なんか、嫌な感じだな」
「まあ、血吐いてるからな」
智明を運びに来た看護師たちの慌てようが、自分達の予想の域を超えた救急対応だったので、田尻と紀夫は急に不安になってきた。
事故でもないし事件でもない。
真の説明でそう聞いているし、智明の乗っていたバイクにもコケたような傷も見当たらなかったし、真が智明に危害を加えた様子もなかった。
そんな気配があったならテツオが手助けの指示をしたりしなかったろう。
今のところテツオへの信頼も真への信用も、覆る要素は全くない。しかし、まるで事件か事故の関係者のように漠然と座らされている状況は、とても居心地が悪い。
「……あの、状況の説明とかは俺が居ればなんとかなると思うんで、お二人は帰っても大丈夫だと、思いますよ」
控えめに口を開いた真のトーンはかなり低く、放っておけないほど動揺していると思えた。
「そうは言ってもな……」
「あ、ちょっとトイレ」
真をなだめようとした田尻をよそに、紀夫はスッと立ち上がって歩いていった。
「うん。……お前一人ってのも心細いだろ? ジョーキョー、何だ? 説明か。それが終わるくらいまでは居てやるよ」
「でも、迷惑かけますから」
「そこはアレだ、気にすんな。上手く行けばチームに入るつもりなんだろ? じゃあ仲間になる予定の仲間じゃねーか。迷惑なんて、今度俺らが困った時に返してくれりゃいいんだよ」
「……スンマセン」
田尻はチームの先輩達から言われたまんまを真に言っただけだが、小さな声で謝る真に気にしていないことを伝えるため、ベンチの背もたれに両ヒジを乗っけて大仰に足を組んで座り直す。
「……ホイ、これでも飲んで落ち着けな」
トイレに行っていたはずの紀夫が、ペットボトルのお茶を真の目の前に差し出した。
「あ、サーセン」
紀夫にお茶をもらって初めて自分の喉が乾いていることに気付き、真は素直に感謝した。
「俺のは?」
「あん? あるわけないだろ。さっきのガソリン代も貸してんだぞ」
「ジュースくらいケチるなよ」
「先にガソリン代返せ。話はそれからだ」
「んだと!?」
やおら気色ばむ二人は前のめりになって険悪なムードになる。
「いやいや、田尻さんのぶんは俺買ってきますから。ケンカしないでください」
「お、そうか? 紀夫、これが男気ってもんだぞ。少しは真君を見習え!」
「ああ? 年下にお情けでおごってもらうお前のどこに男気があるんだよ?」
収まるはずの言い合いが再び加熱し始めたので、真は両者を手で制する。
「紀夫さんのぶんも買ってきますから、落ち着いてください」
「じゃ、俺コーラ」
「俺はホットのコーヒー。あ、微糖な」
睨み合いから一転してにこやかな笑顔になった二人に、真はやられた!と気付く。
「……ウッス!」
苦笑いをしながら真は席を立ち、自動販売機まで歩いていく。
コーラとコーヒーを買いながら、未来の先輩達の気遣いにこっそり感謝した。
数分後、智明を診察室へ運び込んだ看護師とは別の女の看護師が現れ、智明があんな状態になった状況を細かく聞かれた。
とはいえ、州浜橋近くの海水浴場で田尻達に話した以上の事は伝えようもなく、十分ほどの時間で聞き取りは終わり、看護師はクリップボードを抱えてどこかへ去っていった。
看護師からは別段指示などがなかったので、田尻と紀夫は智明のバイクを取りに行くと言い出し、その間に真には横になって寝ておくように言いつけた。
真も徹夜になってしまった疲れや聞き取りの際に言葉選びに注意を払ったこともあり、二人の言いつけを素直に受け入れてベンチに横になった。
「――緊急だ! 内科の萩原教授と、脳神経科の鯨井助教授に連絡してくれ! 呼べる先生は全員呼んでもいい! すぐに来て欲しいって言えばいい! とにかく異常事態だ!」
どのくらいの時間が過ぎたのか、慌ただしい足音やドアの開く音、ドラマでしか聞いたことがないような病院内で指示を叫ぶ声に、真は目を覚ました。
覚醒しきっていない頭のまま体を起こし、周囲を見回してみる。
と、激しくドアが押し開かれ、看護師五人がコマ付きのベッドを囲いながら病棟の奥へ押していく。
「何だ?」
運ばれていったベッドには白いシーツがかけられていたようだが、時折赤い液体が吹き出しているように見えた。
しかも開かれたドアは智明が運ばれたはずの診察室ではなかったか?
思わず立ち上がってベッドの行く先を眺めるようにした真に、再びドアの開く音が聞こえた。
そちらに視線をやると、先程状況を聞き取りに来た看護師が、顔や服に血液らしき物を浴びて真っ赤になったままクリップボードを持って病棟の奥へ走っていった。
一瞬だけ真と目が合ったが、看護師は何も言わなかった。
「……何だ? どうなったんだ? 智明になんかあったのか!?」
不安が押し寄せ立ち尽くす真に、構う者も説明してくれる者も今は居ない。
喉の奥がキュッと絞まる感じがして、さっき紀夫からもらったお茶を飲もうとベンチに座り直す。
500ミリのペットボトルには少ししか中身が残っていなかったが、口に含んでゆっくり飲み下すだけで気分は少しマシになった。
「ふぅ……」
一つ息を逃して天井を見上げると、煌々と周囲を照らしていたLEDの照明に加え、病院の玄関や窓から朝日のほんのりした明かりが差している。
梅雨入りが近いからか、夜明けのためか、どこか重苦しい。
「え? な、う、うわぁぁ!?」
視線を足元に移した真は思わず悲鳴をあげた。
壁やドアや通路のそこここに血飛沫のような赤い斑点が無数に飛び散っている。さっき運ばれていったベッドから吹き出したものだろうか?
「智明! 智明ぃ! おい!」
もう一度立ち上がって幼馴染みの名前を呼んでみたが、やはり真に答えるものは居ない。