天照らす光 ②
藤島貴美は感情のままに放った『気』のために呼吸を乱してしまったことを激しく悔いた。
修験者の誇りであり困窮者の救い主であるべき守人が、感情的になって攻撃を加えるなどあってはならないことだ。
同時に、貴美の呼吸が落ち着いてもなお倒れ伏したままの鬼頭優里を見て「しまった」と思う。
琵琶湖畔の訓練で真の仲間に『気』を使ったが、彼らは身体を金属や樹脂で強化していると聞いていたし、それでも怪我のないようにと幾分加減して使用していた。
しかし先程の一撃は感情のままに放ってしまったため、その加減はされていない。
しかも鬼頭優里は人智を超えた能力を宿しているとはいえ、その体は生身のはずで、明らかにやり過ぎている。
「……うっ。……く」
うろたえかけた貴美の耳に微かに優里のうめき声が聞こえたので、最悪の事態が起こらなかったことに安堵する。
「……優里殿。マコトとの間にどのようなやり取りがあったかは知らぬが、少しマコトの気持ちも考えてもらえぬか」
貴美としては口にしたくない内容だったが、真から託された頼み事なのだから言わねばならない。
苦悶の表情で胸から腹にかけてを左手で押さえながら立ち上がる優里は、しかし貴美の気持ちも知らずに拒否の態度を崩さない。
「さっきも言ったやんね? モアを支えるって決めてるねん。私は私の意思でここに居る。コトの気持ちなんか考える余地はないねん」
また優里の強い言葉に沸々とした怒りがわき起こったが、なんとか抑え込む。
「……貴方たちは何がしたいのだ? 友達の関わりを切り捨ててまで、何をしようというのだ?」
言いようのないもどかしさから貴美は思わず問うていた。
優里を理解するためでもなく、依頼を果たすためでもない。貴美の気持ちを言葉にできない苛立ちと、真と優里の向かう先が違いすぎて質問になっただけだ。
「……何がしたい? ……そうやね。モアは国を作ろうとしてはる」
オウム返しにしてから、ふらつく体をなんとか立たせて優里は返した。
胸を押さえていた手は体の横へと垂れ下がっている。
「国を、作る?」
「そう。モアは私を本物のクイーンにしてくれるんです」
貴美の反問に優里が間を置かずに答えたため、沸き立った貴美の憤りは肩透かしをくらう。
「そんなこと。……出来ようはずはないだろうに」
「それはやってみやんと分からないですよね? 日本でも世界でも、誰かが立ち上がったから歴史の分岐点があったんやし。それがモアであっても変なことはないですよ」
確かに歴史において国家の内情が変化したり、支配者層の交代劇や仕組みが変えられた事実はある。
しかしそんな野望や目標を自分と同年代の少年少女が口にすることに貴美は納得がいかない。
「それは目標を立てることで逃げているのではないか?」
昨夜の精神世界で見た優里の過去がよぎり、そう問うた。
困窮者を救う際、彼らをがんじがらめにする悪環境を、考え方や捉え方を変えて逃げ道を示すことはよくある。
貴美からすれば智明と優里の言い分はその逆で、自分の状態がおかしくなってしまったから無駄に大きな目的に向かうことで現実から目を逸らしているだけに見える。
事実、先程まで貴美を射抜くように強気だった優里の視線は、埋め合わせる言葉を探すように泳いでいる。
「マコトからも、逃げているのではないか」
貴美の追い打ちに優里はハッとした表情になって即座に否定する。
「違う! 違う違う、違う! それは違う! 私はっ!」
何度も首を振り肩より少し長い髪が乱れるのも気にせずに優里は強く否定する。
その度に両手は次第に持ち上がっていき、拳が握り固められる。
「コトも呼ぼうとした!」
優里は叫びとともにボールを投げるように右手を力強く振ると、貴美の左脇を強烈な風が通り過ぎて背後の扉に重い物がぶつかったような音がした。
「ホントはコトと三人でやりたかった!」
なおも叫びに合わせて優里は両手を何度も何度も振り出し、駄々っ子か苛烈なお仕置きのように両腕は何度も振り回され、止まる気配がない。
優里が手を振るたびに衝撃波が起こり、貴美の近くに風切り音が途絶えずに鳴く。
風切り音が通り過ぎた後には背後の扉や明り取りの窓や床や壁から破砕音や破壊音が轟く。
貴美にとっての幸運は優里が狙いを定めていないことで、ほとんどの衝撃波は貴美の体より離れた所を通り過ぎていくこと。
貴美にとっての不幸は、優里から飛んでくる衝撃波を目で捉えることができず、両手を交差させて顔と上半身を庇っているが、肩や手足にまぐれ当たりがあること。
「うあああああああ!!」
「クあッ!」
言葉にならぬ絶叫を撒き散らしながら優里はやたらめったらに衝撃波を打ち出し、その数の多さから貴美への直撃は増える。
サヤカのバイクに乗せてもらった時に道路ですれ違った車から受けた風圧よりも強い威力を何発も浴び、痛みと衝撃で遂に貴美の防御が崩れ片膝を落としてしまった。
その拍子に交差させていた手を片方床についてしまい、狙いすましたように衝撃波が立て続けに貴美の体を打ち据え、とうとう小柄な体が吹き飛ばされた。
痛みで意識を失いかけるところへ新たな衝撃が襲い、身をかわそうにも吹き飛ばされている最中も打ち据えられ床にも落下できない。
意識の混濁と覚醒を強制的に繰り返されながら、貴美の体が正面玄関脇の崩れかけの壁に当たるまで苦痛の時間が続いた。
「くっ。……マコト……」
壁に磔にされた貴美は真へ思いを馳せることで意識を繋ぎ止めていられたが、痛みに耐えようとしてそうしたわけではない。ただ、そのお陰で衝撃波が止んだ理由を知ることができた。
「ユリ……。うう……」
力を使い果たしたのか、玄関ホール奥の大柱の前で崩折れる優里の姿を目にし、そこで貴美の意識も途切れた。
― ― ―
明里新宮本宮の大屋根からゆっくりと降下していく智明は、頭痛と空腹を感じながら、落下していった真を探す。
――あれじゃ足りなかったか? まだ消化吸収されてないだけか?――
三階ベランダで腹に入れた栄養補助食品のタンパクな味を思い出しながら、再び起こったエネルギー切れの予兆を案じてしまう。そのためエネルギーを節約しようと智明は障壁を解除し、強くなり始めた雨に打たれ上着もスラックスも重くなり始めている。
「……たぬき寝入りか、気絶してるのか」
本宮東側に設けられた庭園の植え込みに上半身を突っ込み、両足を芝生に投げ出している防具姿は真に間違いないだろう。
うつ伏せているので意識の有無までは分からない。
智明は用心して真から三メートルほど離れた位置に降り立って様子をうかがう。
「あ、あう……。む、くっ」
智明の接近に気付いたのか、それとは関係なく意識を取り戻したのか、真がうめき声を漏らしながら身をよじった。
「お前……。あの高さで感電とか、生身だったら死んでるぞ……」
舌が回らないながらも真は抗議し、体に異常がないかゆっくりとした動作で確かめている。
新宮本宮は三階建てで天辺には立派な大屋根が葺かれている。屋内の天井の高さからみても、通常の三階建ての民家より倍ほどの背丈はあろう。ざっと二十メートルほどか。
その高さで空中浮遊していた真に、空気中に帯電していた電流を誘導して凝縮し浴びせたのだから、真の言い分は全く正しい。全身が雨に濡れていたからよほど電気の通りが良かったのだろう。
ただ、智明からすれば真が感電以外に異常がないことの方に驚かされる。
空気弾の攻撃に耐えた真の体は、智明にHDの使用を感じさせていたが、高所から落下しても無傷なことに加え先程の真の発言でそれは確実なものになった。
だから、腰に手を当てて最後の警告を行う。
「生身なら、か。変に頑丈だと厄介だぞ。こっちの加減一つで本当に死にかねない」
「まるで殺したくないみたいな言い方だな。それは覚悟が足りないんじゃないか」
怪我のチェックが終わったのか、真は智明から目を離さずに立ち上がる。
「できることならしっぽ巻いて逃げてほしいんだよ。人が死なないにこしたことはないんだから」
思わず本心を晒してしまった智明だが、真はそう思ってくれなかったようだ。
「男同士のケンカだぞ! 殺す気で来い!」
言うが早いか真はすでに飛び出し、まっすぐに智明目指して飛びかかってくる。
「くっ!」
予想以上のスピードで迫る真に対し、先程までの全身を包むような球体の障壁ではなく、両手に円形の盾のような障壁を展開する。
それほどに智明は消耗しエネルギーの枯渇を恐れているのだが、真にそれを悟らせないためにも防御するためにも障壁を張らないわけにいかない。
「チッ」
体当たり同然で突っ込んできた真は、智明が辛うじて展開した障壁に阻まれて舌打ちをした。それでも先程より障壁の範囲が小さいと感じ取ったのか、上半身へ集中的にパンチを放ってくる。
――山場さんほどじゃないけど、早いし重い!――
早朝に新宮施設内で山場のHDによる強化具合を試した際に、山場から放たれた打撃ほどの威力は感じない。
しかしテレビ放送や動画配信で見たプロ格闘家の乱打よりも真のパンチは早く、障壁で押し返していなければならないほど強力だ。
――完調ならまだしも、こんな状態で接近戦とか想定してないぞ――
飛び退いたり押し返したりしつつ、智明は反撃の術を巡らせる。
障壁や空気弾を頻繁に使っていたのは自身が生身でひ弱だと自覚しているからで、以前に警察官の放った銃弾をその身に受けた過去も影響している。
「うぐっ!?」
真の攻撃の苛烈さに焦ったせいか、反撃の手段を講じねばと考え過ぎたせいか。障壁の隙間を狙ったように真の右腕が伸び、智明の腹部に強烈な痛みが起こって後方へ弾き飛ばされた。
生け垣をぶち抜き池を飛び越え灯籠をなぎ倒して芝生を転がり、庭石に当たってようやく智明の体は大地に伏した。
「っしゃあ!!」
体中のアチコチに火で焼かれたような痛みを覚える頃、遠くから真の快哉の叫びが聞こえた。
「く、そ……!」
体中の痛みとエネルギー枯渇のせいで激しくなる頭痛の中、智明は口汚く罵りながら立ち上がるために芝生ごと砂利を握りこむ。
「こんなもんで終わらないだろ! 立て! 智明!」
いよいよ本降りになってきた雨を全身に受けながら、真の煽りを跳ね返すために智明は力を振り絞って体を起こそうとする。
――これは、ヤバイな――
体が震えているのは痛みのせいではない。
凍えるように寒いと感じるのは雨に打たれているからではない。
喉がヒリ付き呼吸が苦しいのはダメージが大きすぎて戻してしまったからだ。
――ヤバイ。マジでヤバイ!――
地上に降りてから節約して力を使っていたのに、遂に智明のエネルギーが枯渇を迎えようとしている。
それと同時に視界が赤い靄に染まり始めている。
「以外にあっさりした決着だよな」
激しい雨音の中、真の足音が近付いてくる。




