混戦 ④
― ― ―
鬼頭優里は動かずにただ真っ直ぐに立っていた。
気合の声とともに飛び出し、放たれた矢のように一直線に向かってくる藤島貴美をただ待ち受ける。
「鋭っ!」
間近まで迫った貴美が裂帛の一声とともに突き入れてきた手刀は、しかし優里の胸先数十センチでその動きを止める。
「蹴っ!」
目に見えぬ壁より先に入り込めぬと悟ったのか、手刀を引いた貴美は優里の脛を狙って左足で下段の蹴りを放つも、やはり優里の体には届かない。
「打っ!」
「無駄です」
左足を引いた貴美が左拳を突き入れようとするも、繰り出される間に優里は一方的に断じた。
その通りに貴美の拳は不可視の壁を叩き、貴美は後方へと飛び上がり、トンボを切って元の位置へ着地して膝を付いた。
「……高橋智明と同じことが出来る、ということか」
自らに言い聞かせるように呟かれた貴美の言葉は、智明の能力を見聞きしたように聞こえ、「なんで知ってるん?」と優里は聞き返しかけたが、あえて取り合わないことにした。
貴美からは智明の起こした騒動以外の理由で優里を探していた気がするからだ。
「そうです。だから、無理せんと引き上げてくれたらなって思ってます」
「それは、出来ない」
「なぜ?」
「それは…………私の役目なのだから」
明らかに貴美は出かかった言葉を飲み込み、立ち上がって先程と同じ構えを取る。
優里は変わらず真っ直ぐに立ったままだが、右手を差し伸べて貴美に手の平を向けて告げておく。
「私は戦うとか、ケガさせるとかはしたくない。けど、本当のことを話してくれへんかったら、今の私の決心は曲げられへん。モアとの約束は今の私の全てやから」
ハッキリと主張した優里に、貴美は床に目線を落として少し考えを巡らせたようだ。
そのまますくと立ち上がった貴美が顔を上げると、怒りのこもった目で優里を射抜く。
「……マコトの前で同じことが申せるか?」
突然の厳しい言葉に優里は動揺する。貴美の口調だけでなく城ヶ崎真の名前が出たことが大きい。
「……今、コトが関係あるん?」
震える声をなんとか抑えて問うた優里だが、貴美は冷たく答えた。
「優里殿を連れ戻してほしいと頼まれている」
「コトが? …………なんて今更な……」
優里には真の誤った勘繰りが予想できたし、真の智明への感情からそういった表現になったのかもしれないとも予想できた。
しかし、自分を救い出そうと考えた真の真意は、優里からすれば遅すぎる気遣いや優しさで、その部分が思わず言葉として出てしまった。
気遣ってくれた嬉しさと、幼馴染みとしての友情や絆を感じる反面、誠意を欠いた真の言動や行動を思い出してしまって悲しくなり、またこういった頼み事を優里の知らない女に頼んだことが腹立たしくなった。
だから優里は真正直に言葉にして貴美に投げつけてしまう。
「……私はコトの所には行きません。今コトに優しく気遣われても、私がコトに振り向く事はないと伝えてください」
優里は強く断言し、差し出していた右手を斜め下へ払ってその意思の固さを示す。
「私に言伝ず、自らの口で伝えるがいい」
「そのつもりはありません」
「トモアキに誑かされたか」
「モアの事を悪く言わんといて!」
カッと怒りが膨らみ強い言葉になる。
だが貴美からも厳しい言葉が返ってくる。
「なら、マコトの事も悪く言うな!」
貴美の口調の変化と語気の強さに、優里の気持ちが少し怯む。
その優里を見て貴美は素早く印を結び、力強く両手を突き出す。
「波っ!」
貴美の両手から瞬間的に強い風圧にも似た力が発せられ、優里の上半身に熱を帯びた衝撃がぶつかり優里の体はホールの柱に叩きつけられた。
「うっ! ――あぅっ!」
声とも息ともつかぬ音を発して優里はゆっくりと床に横たわった。
― ― ―
本宮三階のベランダから飛び立ち大屋根へと降り立った智明は、まずグルリを見渡して真の姿がないことを確かめる。
――俺を探してどっか行ったのか? それともこの隙になんか仕掛けてんのか?――
真が未知の飛行手段や未知の武器を用意してきた事を考えると、ついつい智明の用心深さと考え過ぎなところが出てしまう。
――まあ、いいや。真は俺がなんとかすればいいだけだから。それよりは自衛隊の動きだ――
智明は油断なく辺りに目を配りながら、頭の中では意識の目を幾つか飛ばした。
自分の立っている本宮の大屋根から八方に伸びていく意識の目は、まず北側の外周で昏倒しているバイクチームの面々を見つけ、次に南側の外苑からほうほうのていで本宮へ戻ってくる仲間と、それを追い立てる防具の男達を見た。
更に北西と南西では、舗装路を塞いでいるバイクを脇に寄せている自衛隊の姿があった。
――どこのチームだ? って、ウエストサイドしかないか。真が関わってるチームならそこだよな――
十日ほど前に淡路連合の集会に紛れ込んでしまった時の事を思い出し、智明は自分の勘の悪さを嘲笑った。
「勘繰ってたのが馬鹿らしいぜ。真が遊んでたのがWSSなら、H・Bったのも変な武器も推進装置も、全部ウエストサイドのバックアップならこんなシンプルな話はないじゃないか」
川崎からは、淡路連合の四チームにH・Bの『タネ』を提供しているのはフランク・守山という偽名を使う謎の人物と聞いている。
未成年に非合法の『タネ』をバラ撒いているのだから、WSSが求めれば未知の武器くらい融通できるだろう。
実際、フランクなる人物は川崎の要請で、智明の元に武器と防具を授けてくれている。
と、状況把握を終えて引き戻していた意識の目に、地上から舞い上がってきた人影が映る。
「よお。逃げたかと思ったぞ」
大屋根の棟に立つ智明に対し、軒に降り立った真は軽い口調で智明を煽る。
「お前こそどこ行ってたんだよ」
「雨に濡れて体が冷えたからな。ちょっとトイレに、な」
雨に加えバイザー越しで真の表情は見えなかったが、声は冗談混じりで笑いを含んで聞こえた。智明からすれば『真らしいその場しのぎ』に聞こえた。
「そうか。俺は退屈だからおやつタイムだったわ」
「ハッ! んじゃ、腹ごしらえはできたって事だな!」
智明は馬鹿正直に自分の行動を晒してしまう性格を悔やみつつ、強い語気とともに右腕を持ち上げた真に対して瞬間的に障壁を張る。
「ぐっ」
真の手甲から雨を押しのけて迫る不可視の弾丸は、すんでのところで智明の張った障壁で無効化する。しかし先程よりも勢いや圧が強まっていたのか、障壁ごと智明の体が揺さぶられた。
先程の空中でのやり取りほどではなかったが、真の攻撃に押し負けまいと障壁をコントロールする。
だがこれで一つハッキリしたことがある。
真の攻撃に合わせて、天から降り注ぐ雨粒が円形に押しのけられているのが見えた。
「なるほどな。空気砲を使ってたのか」
これで智明の空気弾と真の攻撃が相殺したことも説明がつく。
同じ性質の物が似た力で真正面からぶつかりあえば、互いに打ち消し合って当然だ。
「チッ。……雨なのが失敗の元だな。晴れてたら分からなかったろ?」
「かもな。……けど、逆はどうだ? 俺の攻撃を分析できてるか?」
「……まあ、だいたいはな」
「はは。相変わらずだな」
真の強がりとも負け惜しみともつかないはぐらかし方に、智明は思わず笑ってしまった。真が智明の攻撃を見抜いているなら相応の対処があるだろうに、瓦屋根に立つ真にその様子はない。
対して、智明には空気弾以外の攻撃手段が幾つもあるが、以前のように水素爆弾様の爆発を起こすことは智明自身が封じている。
無差別で広範囲な攻撃は防ぎようがなく、無意味で後味の悪い結果しか産まないし、智明のエネルギー消費も大きい。
そういった智明の事情があるとはいえ、真の言い様は強がりや負け惜しみとしか見えない。
「けどな、まだコイツのマックスの攻撃力は見せてないからな」
「へえ。面白いな」
自信有りげに言った真を煽るように言い返したが、智明からすればやり過ぎぬように加減していることが真に伝わらないことが歯がゆい。
「けど、『実』が伴わなきゃな!」
ずっと真に先制させていた攻撃を、虚をついて今度は智明から仕掛ける。
素早く両手を脇に引き付け、叫びとともに押し出す。
先程までと同じ空気弾だが、二つ同時に生み出して二方向から真へと迫らせる。
「うおっ?」
智明の挙動と雨のせいで空気弾の発射を悟ったのか、一声あげて真は後退して上空へと舞い上がる。
だが真が留まっていた場所を通り過ぎた空気弾は智明の操作で宙空を舞う真を追跡する。
「マジか!」
追尾してくる空気弾に気付いた真は、背面飛行やジグザグ飛行・キリモミ飛行を交えて振りきろうとするが、智明の巧みな操作で空気弾はジワジワと真に追いすがる。
「真! 往生際が悪いぞ!」
実を言えば意識だけで二つの空気弾を操作することは高い集中力が強いられすぐに疲労するため、智明は両手を使うことでそれぞれの空気弾を細かく操作している。それだけ操作に集中を要するため、思わず逃げ回る真に愚痴を浴びせた。
「……このっ!」
真もただ逃げ回るだけではなく、複雑で予測不能な動きで隙きを作り、散発的に智明めがけて空気砲を撃ってくる。
さすがに当たりはしないし智明の張った障壁を貫くほどではないが、智明にこの戦闘が長引く予感をさせる。
「うりゃっ!」
「うお!?」
不規則な軌道で智明の近くを通り過ぎざま、真はスピードを調節して一瞬滞空し、追尾してきた空気弾を智明の方へ蹴るという離れ業を見せた。
あまりに近かったので空気弾の解除が間に合わず、空気弾と障壁がぶつかった衝撃が智明を驚かせた。
もののついでで障壁にぶつかってしまった空気弾は解除し、真の追尾は残った方だけで済ませることにしたが、智明は真にはまだ明かしていない細工をしておく。
「クソッ! お前こそしつこいぞ!」
「お互い様だ。さっさと当たれ」
追尾してくる空気弾が一つだけになったぶん真は回避が楽になると思ったようだが、智明にすれば一つに集中できるのでより執拗な追尾が行える。
しかし両者とも回避と操作に神経を擦り減らされているのは事実で、互いに愚痴が出てしまう。
「クソッタレ!」
振り向きざまや切り返しのタイミングで空気砲を撃つ真だが、狙いが定められず当たらないことに罵声がでる。
「攻撃ってのは、こういう事だ!」
智明が上から目線で叫び、一気に空気弾の速度を早めて真の真後ろまで間を詰める。
また空気弾に弾き飛ばされる危険を察して急上昇をかける真。
だが真が進路を変えた直後、電子回路がショートしたような青白い電光が瞬いた。
「のをうっっっ!?」
真の全身を光が包んだかと思うと、バケツの水に突っ込まれた花火のようなくぐもった音を立てて真は地上へと急降下を始めた。
「瞬間移動は、超能力の、定番、だろ」
真へと肉迫した空気弾を一瞬で真の進路へ瞬間移動させ、その空気弾に大気中に帯電している微弱な電気を凝集して纏わせたのだ。
雷ほどの電圧はないが、H・Bによって電子機器化された真の脳には堪えたはずだ。
「これで、飛んだり、撃ったり、できないだろ……」
真への勝利宣言といきたいところだが、使い慣れない力を使った智明の呼吸も乱れている。
それでも地上へと落下していった真の状態を確かめるため、智明は本宮の大屋根から浮き上がってゆっくりと地上へと降下していった。




