混戦 ③
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雨が降り続く中に体を横たえていたからか、それとも首と腹に打撃を受けたからか、だる重い巨躯をゆっくり起こして川崎実は改めて周囲を見回した。
キングと呼んで持ち上げている高橋智明に報告した通り、辺りには部下として連れていた三十人の仲間が格好も様々に倒れている。
――あの女は何者なんや?――
川崎はナノマシンで骨と筋肉を強化していたからこそ意識を取り戻せたが、他のメンバーはまだHD化しておらず、少々のことでは目覚めそうにない。
それをおいても、これだけの人数を風のように駆けながら一撃で昏倒させた女の手際は、思い返すだけで恐ろしいものがある。
暴力沙汰や裏稼業の仕事人でもこのような手練に出会ったことはなく、巨躯と腕力で戦ってきた川崎にはとんでもない離れ業に思えた。
「案外、ホンマモンの刺客か仕事人かもしれん。忍者か陰陽師みたいな格好しとったし」
襲ってきた女の姿を思い浮かべてみるが、見えてはいてもしっかりと見定められたわけではないので、和風な白い装束とたなびく長い黒髪というイメージしか残っていない。
「いかんいかん。女より仕事が先や」
横道にそれてしまった思考を自分の任務へと引き戻す。
傍らに落ちていたスプリング銃を二丁拾い上げ、気絶している仲間の装備からゴム弾のカートリッジを持てるだけ持つ。
もう一度周囲を確かめ、雨の中を正門に向けて歩きつつ、外苑へ連絡を取る。
〈川崎や! 外苑はどないなっとる? もうすぐ本物の自衛隊が来よるぞ!〉
〈ああ、大将。今は静かっすね〉
〈なん? そうなんか? 武装した奴が三人来たんとちゃうんか?〉
〈なんか、急に林の中に引っ込んで、攻撃もやんでます〉
通話の内容を訝しみながら歩く川崎だが、これは好機とも思えた。
〈ほな、今のうちに全員正門まで戻ってくれ〉
〈え! 正門まで? まだ弾もあるし誰もリタイアしてませんよ?〉
〈無駄撃ちしてへんのは百点や。けど、さっきも言うたようにもうすぐ自衛隊が来る。空飛んでる連中は自衛隊と別口やさかい、戦力が分散しとるんは後々に響く。ちゃうか? 自衛隊が一個連隊で来るんやぞ? キングが障壁を張られへんぶん、戦力差も考えなあかんねーかれ〉
新宮北側の区画から中央の区画へ移る中門を潜りながら、通話の相手がサバイバルゲームの考え方から脱していない事に気付き、川崎はあえて軍隊ぽくまくし立ててやる。
そもそも外苑に五十人程しか配置しなかった理由は、智明の障壁頼みの守り方だったからだ。ゴム弾で武装した素人が陸上自衛隊一個連隊千人に敵うはずはない。
〈……了解〉
〈頼む!〉
やや声のトーンが下がった班長の返事に不安がよぎったが、指示のタイミングとしては今しかない。
指示を出し終えた川崎の次の役目は、仲間が早急に引き上げられるように正門の封鎖を解き、迎えに出てやることだ。
「…………ん? なんや?」
中央の区画を貫く大路を南へと突っきろうとした川崎の視界に、使っていない施設の影から空へと飛び上がる影が映った。
――さっき空飛んどった奴か! こんなとこで羽でも休めとったんか?――
忍び足でその施設に近付きながら、くだらないツッコミを入れて自らで薄く笑う。
飛び立ってしまった後には何もないにしても、何か仕掛けられていたり仲間がいる可能性があるから、見なかったことにはできないし放置できない。
「…………あっ!」
背中を壁につけて壁伝いに歩を進め、角から顔を出すと軒下に人影が見えた。
先程空へと飛び立った人物の防具と同じ防具を身に着けているから、仲間と見てまず間違いない。
なるべく物音を立てずに肩から銃を下ろし、カートリッジの装着と安全弁の解除を確かめる。
人影がまだ居座っていることを確かめ、スリーカウントの後に飛び出して距離を詰め、銃口を突き付ける。
「動くな! 動いたら撃つ!」
川崎の恫喝に、だが防具に身を包んだ人物は驚いたふうもなくゆっくりと川崎に振り返った。
「よお。川崎さんじゃん」
聞き覚えのある声に川崎の方が慌ててしまう。
「お前、テツオか? ……ウエッサイの本田鉄郎か!」
― ― ―
〈瀬名さん〉
〈あん? どうしたー?〉
更地から山林へと入り込んだ木の幹に背を預け、今のうちにと携帯食を口に含んでいた瀬名は、不意に名を呼ばれてのんびりした返事を返した。
チョコレートでコーティングされたクラッシュナッツはキャラメルの香りと甘さで瀬名の緊張感を緩めてくれている。
その緩み方が気に入らなかったのか、瀬名を呼んだ相手田尻はやや語気強く責めてくる。
〈なんか変ですよ。緩んでる場合じゃないですって〉
〈分かってるよぅ。何がどう変なんだ?〉
〈壁とか門から人影がなくなってます〉
〈なんなら門閉じられてますよ〉
〈なんだとー?〉
田尻のあとに紀夫までが変化を告げてきたので、瀬名は体を捻って木の幹から更地の方へ顔を出す。
雨で見えにくかったが、確かに紀夫の言う通り先程まで弾除けで立てかけられていた木板は取り払われ、鈍色の門扉がキッチリと閉じられていた。
〈こりゃあ、俺らがクーリングタイムに入ったタイミングで奥に引っ込みやがったな〉
テツオとの会話の中でやけっぱちなジョークから次の行動を準備していたが、それはあくまで相手が外塀に張り付いていての作戦だ。
相手が撤退、もしくは瀬名たちをおびき寄せるような考えであると、そこに飛び込んで行くのは危険を伴う。
――行くか? どうする?――
一瞬の逡巡が瀬名を支配したが、背後から自衛隊が迫っているということを思い出し、腹を括る。
〈田尻、紀夫。冷却は終わったなー?〉
〈ウッス〉
〈よし。んじゃあ、リーダーの作戦通り壁超えてアイツらをやっちまうぞー〉
〈ウッス!〉
〈ただし! アイツらの向かう先へ追い込む感じにするぞー〉
〈お、追い込む? っすか?〉
〈さっきテツオさんとは自衛隊との挟み撃ちにするみたいに言ってなかったっすか?〉
行動指針の変更に即座に問い返してきた二人に、瀬名は『真面目だなー』と思いつつ、理由を説明する。
〈臨機応変ってやつだよ。いいかー? 門とか壁から離れたってことは、退却とか防衛ラインの立て直しとかの命令があったってことだ。そんな連中の前に立ちふさがったら、死に物狂いで戦っちまう。そういう連中はな、怖いんだよ。チームの縄張り争いでも決死隊とか愚連隊は油断できないんだ〉
WSSが結成されて三年弱。瀬名の脳裏には昔馴染み数人で立ち上げたバイク遊びのチームが、レースやケンカを経て今の規模になった経緯が思い起こされた。
まだチームに入って一年経たない田尻と紀夫は、血に塗れたWSSの創設期を知らない。
かじった程度であったが、創立メンバーが格闘技道場に席を置いた経験がなければ、連日のように拳を振るわなければならなかったあの時期を生き延びれなかったろう。
〈窮鼠猫を噛む、すか〉
〈まあそんなとこだなー。さて、時間だ〉
〈ウッス!〉
〈いいかー? 狙うのは足元だ。空からも地上からも、相手の足元の地面を狙うんだ。攻撃してるように見せて追い上げる感じだ〉
ゆるりとエアジャイロで浮き上がる瀬名に続き、右手の林から田尻が。左手の林から紀夫も空中へと浮き上がる。
〈ああ、サッカーでフォワードを前へ走らせる感じっすね?〉
〈そういうことー〉
サッカー部経験者らしい紀夫の理解の仕方に同意してやる頃、外塀を越えた瀬名の目に敵の背中が見えた。
「来たぞ! 入って来た!」
「走れ! 走れ!」
「こっち来んなボケェ!」
木々の隙間から瀬名たちの姿を認めたのか、後ろを振り返りながら緩斜面を一団が駆け上がっていく。
〈田尻、紀夫。俺は空からやるから、お前らは地上から頼む〉
〈ウッス!〉
複数同時通話で指示を出し、瀬名はその言葉通りに木々の少し上を飛行しながら散発的にエアバレットを撃ち込んでいく。
エアジャイロの噴射圧のせいか、エアバレットの煽りを受けたのか、木の葉や枝に溜まった雨水が細かな飛沫を立てる。
引き際でありながら余裕のある敵も居て、何発か撃ち返されたが全て防具が弾いてくれた。
――ほら走れってば。急がないと自衛隊が来ちまうぞ――
言葉にしてしまうと弱いものイジメに聞こえてしまうが、瀬名の本心はそうではない。
先程のテツオとのやり取りでは明言されなかったが、テツオの発した『拮抗か膠着状態でいい』という指示には汲み取るべき思惑がある。
――お前らが安全なとこまで逃げてくんなきゃ、俺らの退路が無くなるんだよ。お前らだけじゃなく、俺らも警察と自衛隊の厄介になれないんだからな――
非合法のナノマシンを使用していることや、危険性の高い武器を使用していることなど、叩けばいくらでもホコリが出てくる。
そしてなによりもびしょ濡れの服を一刻も早く着替えたいのだ。




