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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第五章 激突
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混戦 ②

   ― ― ―


 新皇居本殿の玄関は、貴美の腕力でもわりと軽やかに開き、自分が通れるだけの隙間を開けてスルリと体を滑り込ませる。

 追手や伏兵がないことを確かめ玄関の扉を閉じると、雨など降っていないかのように屋内は一気に静まり返る。


 灯りが点けられていないので玄関ホールは薄暗かったが、玄関の左右と天井付近の明り取りから入る光で、ホールの左右の壁と正面奥の階段までの距離感は把握できた。


 右の壁面を見、左の壁面を見、深呼吸をしてから姿勢を正し、貴美は正面へ視線を戻し、ホールを天地に貫く柱を見やる。

 薄闇に柱両脇に湾曲した階段が設えられ、その階段はバルコニー状の通路となって両側の壁まで伸びていた。


 貴美はこれまで掘っ立て小屋同然のねぐらで生活してきたため、サヤカの住むマンションや伯父法章(ほうしょう)の暮らす大阪の街、そして真やテツオらと出会った琵琶湖畔の貸別荘など建物を見るたびにカルチャーショックを受けた。

 だがそれらを凌駕する新皇居の規模に、正直気圧されてしまっている。


「イザナギと、イザナミ……」


 屋内の暗さに目が慣れてくると、柱両脇の階段の頂きに掛けられた絵画が見て取れ、思わず声が漏れた。


 貴美が修行をしている修験者の一派は、諭鶴羽山とイザナミを信奉している。なればこそ語り継がれてきたイザナミの形容から、絵画の女神をイザナミだと判別できた。


 ――この重い雰囲気や重圧は、戦いという重さではなかったのだな。そうか、ここは正しく皇居で天孫の末裔の居所であったか――


 想いは心の中に留め、貴美は印を切って(まじな)いを呟く。


 淡路島へと戻ってくる道中、淡路島へと近付けば近づくほど首から肩にかけて何かがのしかかる重さがあった。装束に着替えてなお重々しい雰囲気は、てっきり雨のせいか戦いという状況のせいだと思っていたが、違ったようだ。


「――ようこそ、って言うてええんかな」


 瞑目し、心を落ち着けていた貴美に、不意に声がかかった。

 目を開けて声の方を向くと、バルコニー左手の扉が開かれ女が立っていた。


「貴方は、イザナミ?」


 薄暗い部屋に居ながら神々しい白い輝きを纏って見えるのは、決して女が白いドレスを着ているからではないだろう。

 ましてやイザナミノミコトであろうはずもない。

 かの女神は肉体を失い、黄泉へと墜ちた際に醜い姿へと変わり果て、約束を破った愛する人にのろいの言葉を吐いたのだ。

 その女神がこうも若々しく神々しい佇まいで現れるだろうか。


 女はイザナミの絵画の下まで歩んでから貴美に応える。


「私は鬼頭優里(きとうゆり)です。昨日、会いましたよね」

「鬼頭優里、昨夜の貴方か? ……失礼。私は藤島貴美。丁度貴方を探していたところ」


 微笑みながら名乗った優里に敬服しつつ、貴美も名乗って用向きを伝えた。


「そう、昨日会いましたよね。探してたということは、何か用件があるんやんね?」


 貴美に応じてから優里は再び歩を進め、純白のドレスの裾を揺らしながら階段を下りてくる。


「優里殿は、高橋智明が何をしようとしているかご存知か?」

「もちろん、知ってる」

「マコトと仲違いしてまで?」


 貴美のその一言にあと三段を残して優里の歩みが止まる。


「……貴美さんは、コトのこと、知ってるんやね」


 少し悲しげな目をしてまた歩み出し、階段を下りきった優里は柱の前に立つ。


「……こんなことがなければずっと三人で仲良くできたと思う。ううん、そうできたらずっと幸せなんやろなって願ってた」


 優里が左手をもたげて胸を押さえるようにし、反動で手首から肘の方へ滑った腕輪をそっと右手で押さえる。


「幼馴染みだった、と聞いている」


 白いドレスに赤い上着を羽織った優里の姿に気圧されつつ、意を決して貴美も柱を目指して真っ直ぐに歩き始める。


「違う!」


 貴美がホールの中央まで来た時、優里が強く否定したので貴美の歩みが止まる。


「違う?」

「そう、違う。今だって、幼馴染みやから」

「でも――」


 聞きたいことはあるのに貴美はそれ以上を聞けなくなってしまう。優里の表情を見る限り、迷いや悲しみを感じるから。


「……本当は分かってる。いつまでも三人でっていうのは、進学や就職なんかで離れたり会えなくなったりするから。でも、だからって幼馴染みやなくなるなんてことないんちゃいます? 離れてたって、ケンカしたって、今までのことは無くならへん」


 胸元に押し当てられた優里の手に力がこもり、貴美へと投げかけている言葉にも強い気持ちが込められているように感じた。

 しかし、貴美は優里に答えてやれる言葉を持たない。

 これまで友達はおろか家族の絆さえ希薄な生活を送ってきた貴美には、周囲の人々との関わり方や関係性について思うことがなかったからだ。

 それでも何かを言ってやらねばと思う。

 問いかけに対して答えるのが修験者として救済を担う者の役目だから。


「私は、これまで友人というものを持ったことがなかった。しかし、今回のことで初めて友達を得、愛しい人と巡り会えた。かの人は私を守ってくれると言ってくれた。代わりに戦ってくれるとも。……この騒動を収める為に、優里殿と私で協力できることはあるまいか?」


 右手を差し伸べ一歩踏み出して貴美は誘う。

 昨夜の智明と優里の親密度は、一般的な幼馴染み以上と思うからだ。


「それは、無理やと思う」

「なぜ?」


 間を開けずにハッキリと拒否した優里へ、貴美も間を開けずに問い返していた。


 優里は一度瞑目し、再びその瞳を開いた時には悲しげな色はなく、固い決意が表れた厳しい色を見せた。


「モアと私はもう進むべき道を決めてしまった。今辞めてしまえば、バイクチームの人達に何をさせているんやって話やもん。せっかく、せっかくあの内気で優しいモアが淡路島の独立を決めたんやもん。私は、モアを応援したいし、支えたい」


 胸元に留めおいていた両手を開放し、綺麗な姿勢で立つ優里に、また神々しい輝きが宿る。


 ――間違いない。先程見た高橋智明と同じく、優里殿も自ら光を放っている――


 そう感じると同時に優里から発されている波動が、強く、早いリズムで貴美に押し寄せてくる。


「致し方なし、か」


 長く弱く息を吐き、強く短く吸って止め、再び息を吐く。

 手早く印を切り、貴美は両手両足に『気』を宿して構えを取る。


「申し訳ないが、私はこの騒動を収めるお役目で参った。高橋智明の力を封じる障害となるならば、優里殿の力も封じねばならない」


 貴美の宣告に、だが優里は変わらずに美しく立ったまま応える。


「ごめんやけど、モアの邪魔はさせない」

「ならば、参る!」


 気合の声と共に貴美は飛び出し、一気に優里との間を詰めた。


   ― ― ―


 新宮本宮の三階北側のベランダに身を潜めた智明は、懐に忍ばせておいた栄養補助食を食べながら、周囲の状況把握を行っていた。


「効率悪いけど、備えといてよかったよ」


 障壁を張り真と空中で戦ったとはいえ、ここまで消耗しエネルギー補給を行わなければならないとは、正直想定していなかった。


 自衛隊との長期戦を想定して念の為にと淡路暴走団と空留橘頭に栄養補助食を配布したが、まさか自分が真っ先に摂取せねばならない事態に陥るとは、自身の見通しの甘さを痛感する。


 ――そもそも自衛隊じゃなく真が突っ込んできた時点で風向きが変わってるよな。まさか真が自衛隊の先鋒ってわけじゃないだろうけど、このタイミングで自衛隊が来てるのは、俺らにとっては追い打ちとか波状攻撃食らった感じだぞ――


 智明のサーチでは外苑の部隊と交戦している三人は、空気砲のような武器を使用していることから真の仲間と考えられた。真を合わせて四人、報告にない方向からも攻められているとしても十人に満たない先発隊など、あまり聞かない。自衛隊としてもそういった工作は取らないとも思える。


 となると、たまたま二つの集団が智明を打倒するために時間差で攻めてきたことになり、防戦する側としてはより的確な対処を取らねばならなくなる。


「――となると、散らばってるのは不利だぞ」


 真らはまだ素人が強力な武器で攻撃してきているだけと断じられるが、自衛隊はその道のプロで様々な作戦や攻め方の訓練を行っている専門家だ。

 恐らく数の面でも智明らの十倍はあると考えられ、外苑・北側の外周・本宮の人員を数えても百名そこそこでは散開している時点で防御力は弱い。


「籠城戦っつっても一週間も持たないだろうけどな……」


 川崎が手配してくれた食料は、もってあと四日というところだが、現時点で白旗を振る気にはなれない。


《川崎さん! 川崎さん、自衛隊が迫ってる! 一旦、全員を本宮まで退かせてくれ! ……川崎さん!?》


 栄養補助食の個包装を開きながら川崎に伝心で呼びかけたが、返事が返ってこず、意識を強めに発して呼び直したが川崎は応えなかった。


 ――まずいな――


 交戦中か他の事に気を取られているか、気を失っているのか。なんにしても川崎に連絡が付かなければ、外苑や北側の部隊を本宮に引き戻すことができない。

 そうなると、智明の仕事としては早々に真との決着を付け、外苑と北の部隊の盾となってそれぞれを導いてやるしかない。


「やりようはあるんだろうけど、加減が難しいんだよな。……いや、待てよ? 弾丸とかレーザーみたいのは出てなかったよな?」


 何発か障壁越しに真からの攻撃を受けたが、物理的な攻撃を受けた印象ではない。それでも障壁に包まれている智明ごと揺さぶられるような威力は感じた。


「なるほど? 弾丸や光がなかったし音らしい音も聞こえなかった。てことは、俺の空気弾と似たような攻撃ってことだな」


 思い返せば、智明の放った一撃が真の攻撃とぶつかりあい、盛大な破裂音を轟かせていた。

 手の内を読む、まではいかなくとも目星がついたことにはそれなりの意味がある。

 と、頭の中にチリチリとしたサインが届く。


《川崎さん?》

《……悪い。……なんや小柄な女が襲ってきて、のされてしもたわれ。……すまん》


 川崎らしくない弱々しい意識の波が届き、智明に少し不安が生まれる。


《辛そうだね。大丈夫なの?》

《気絶から覚めたとこやよっての。……ワシだけでんHD(ハーディー)化しといて良かっとら。周りはまだ気絶しとるわ》


 なるほど、と智明は一応の安心をした。

 筋肉や骨を金属や樹脂へと作り変えるHDの効果で、人体の耐久力や回復力も上がっているようだ。


《ちょっと安心したよ。起きてすぐで申し訳ないけど、状況はすごく不利なんだ。今戦ってる相手の外側から自衛隊が迫ってるみたいなんだ》

《ホンマにけ? どないすんな?》


 智明の示した危機に川崎はさすがの瞬発力を見せる。


《一旦、正門の内側まで下がろう。ただでさえ人数や装備で負けてるから、散らばってるより固まった方がやりやすい》

《ん、分かった》

《まだ他にも入り込んだやつがいるかもだから、用心してね》

《よっしゃ!》


 すっかり川崎らしい豪快で力強い意思が戻ったのを感じ、不安が取り除かれた気がして智明は伝心を終える。

 手の中にあった栄養補助食の包装をポケットへ押し込み、深呼吸を一つ。


「さあ、こっちも再開しようか」


 智明はあえて声に出して気合を入れ、本宮三階のベランダから顔を出し、降り止まない雨の中に真の姿を探した。

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