コンタクト ③
― ― ―
「よしっ!」
雨粒のカーテンの向こうで門柱に立て掛けられていた木板の一部が爆ぜるのを認め、瀬名は快哉を叫んだ。
相手に何があったのかは分からないが、障壁が無くなったのが目に見えて判明したのだ。
「田尻! 紀夫! 広がれ! 反撃来るぞー!」
両サイドのチームメンバーに指示しながら、瀬名は歩みを止めずにエアバレットを撃ち込んでいく。
ただ、この状況下になってエアバレットの弱点の一つが明らかになった。
――射程が短いから、狙いが定まらねーぞ――
比良山での訓練で薄々は感じていたが、最弱の威力で雨中の使用ということも相まって、バイザーに転写している照準には捉えられていても、その通りには命中してくれない。
エアバレットが圧縮空気の放出である限り、風や雨の影響を受けるとレクチャーされていても、ここまで減衰するとは思っていなかった。
足元の更地は五十メートル程あり、障壁があるうちに十メートルほど進んだが、先程木板に命中したのは何十と撃ったうちの一発に過ぎない。
「瀬名さん! 反撃来た!」
「イテッ!」
紀夫の叫び声とほぼ同時に田尻の悲鳴も聞こえ、瀬名の足元に何かが跳ねた気配もあった。
「林に入れ! 木を盾にして大回りで近付くんだ!」
両サイドの二人に指示しながら、瀬名は命中精度を上げるために、伸ばした右腕に左手を添えて固定する。
その左手の防具に何かが当たって跳ねた。
――銃声がしない? てことは、そこまで強力じゃないのかなー?――
防具を貫通しなかったことも含め瀬名は勝機を見い出した。
「数が多いぜ」
「結構なメクラ撃ちだぞ」
瀬名の指示に従って手近な林へと移動して行く田尻と紀夫を視界の端に捉えながら、瀬名はH・B化した脳内から複数同時通話を行う。
〈こっからは通話で済ますぞー。二人はそのまま林つたいに壁まで取り付いてくれ〉
〈ウッス〉
〈瀬名さんは?〉
〈俺は真ん中で引きつける。技巧派の真骨頂、見せてやるよ〉
普段の飄々とした言い回しを封じ込め、瀬名はエアジャイロを吹き上がらせて体を宙空へ持ち上げた。
― ― ―
打ち込んだはずの拳は何とも言えない感触の壁に阻まれ、相手まで届かぬまま弾き返された。
一発目のパンチで結果が分かったにも関わらず、真は気が済むまで柔らかいのに硬い空中を殴り続けた。
「クソッ!」
「通用しないなら潔く引けばいいのに」
侮蔑の言を吐いて飛び退った真へ、智明は呆れ気味に呟いた。
カチンと来たが、深呼吸を一つして感情を落ち着ける。
「超能力みたいに言ってたのは、どうやら本物みたいだな」
「まあな。こういう感じで使うのは初めてだけどな」
余裕の笑みを浮かべる智明を見て、真は少し焦りを感じた。
トラウマ、というほど根深いものではないが、実家の近くで水素爆弾様の爆発を間近で見せられたことを思い出した。
眩しい輝きとその後に起こった爆発と爆風で真は天地も分からないようなメチャクチャな吹き飛ばされ方を食らった。
あの凶暴で凶悪な現象を自分に向けられたらと考えると、智明の有している能力はどこまでのものか想像できなくなる。
智明を睨みつけるように体を正対させて空中に浮かぶ真へ、智明から声がかかる。
「ちゅーかさ、てっきり自衛隊が来ると思ってたのに、意外な登場で驚いてるんだよ」
「ああ、らしいな。結構な強行軍で追い抜いてきたんだよ。お前を止めるのは俺の役目だからな」
呼吸が整ってきたので、真は見様見真似の構えを取る。
「止める? お前が? 俺を?」
「ああ」
「さっきのパンチは体に当たってないんだぞ」
腕組みを解いて両手を腰に当て、挑発するように智明が笑う。
「いきなり手の内を全部見せると思うか? さっきのは普通の人間の力で試しただけだ」
「普通の人間の力?」
自信のこもった真の言葉に、一瞬智明が訝しむような顔をしたが、すぐにまた挑発した笑顔へと戻った。
「夢見がちなとこ、真らしいな」
「うるせぇ! とにかく俺はお前を一発ぶん殴らなきゃ収まらねんだ!」
蔑みが込められた智明の一言に叫び返し、真は空を蹴るようにして飛び出した。
十メートルとない距離をHDで強化された脚力とエアジャイロの瞬間的高出力で一瞬で詰め、左肩からボスンと障壁へぶつかる。
「くっ!」
智明の想定を超えた突進力だったのか、障壁の中で智明が小さく呻き、滞空を維持しようと真を押し返した。
が、真はこれだけでは終わらせない。
すぐさま脇に用意していた右拳を叩き込む。
拳には先程のような貫き通せない硬さや勢いを削ぐような柔らかさは感じず、粘土に押し付けたようなズシリとした手応えが生まれた。
だが智明は障壁ごと後退することで拳の威力を殺し、ダメージを感じさせない。
「……へえ、対抗策を練ってきたじゃないか」
また真との間に十メートルほどの距離を取り、智明も障壁の中で緩くファイティングポーズをとりながら減らず口を叩く。
「間に合わせにしちゃなかなかのもんだろ」
真も負けずに言い返し、両手に着けた手甲を操作する。
「ちょっと楽しくなってきたな」
「あん?」
距離があり雨も降っているので智明の呟きが聞き取れず、真は聞き返す。
「楽しくなってきたって言ったんだよ。今までゲームや遊びや勉強なんかで競うことはあったけど、こんなふうに力と力で『戦う』っていうのは初めてだろ? 今まで殴り合いなんかしたことなかったからな」
「そいうやそうだ。まあ、体を使う競技は俺が勝つからな」
真が挑発するように智明を嘲笑い、ファイティングポーズをとる。
「テストの点は俺の方が良かったぞ」
「ゲームは俺のが上手い」
「へへ。最終的にはやり込んだ俺に負けてたじゃん」
先に意固地になったのは真だが、智明は流されずにしっかりとファイティングポーズをとり、表情を険しくする。
「優里を返せ!」
「結局そこかよ。お前が今更リリーを追いかけたって遅いんだよ」
心なしか智明がズイッと迫った。
「連れ去った奴が言うな!」
叫び返しながら真は攻撃のタイミングに備えて全身に力を込める。
「リリーに向き合わなかったお前が言うな!」
真が初めて聞くような智明の叫びとともに、智明は棒切れを放り投げるような動作をとった。
瞬間的に智明の攻撃だと判断した真は、両手のエアバレットを発射する。
両者の中間で空気の塊同士がぶつかり合い、爆発音とも破裂音ともつかない轟音が生じ、辺り一帯の雨が同心円状に吹き飛ばされた。
― ― ―
――動いた!――
新皇居北側の斜面に伏せていたテツオは、行動を起こすべきタイミングと知り、降り注ぐ雨水と下草に溜まった露を弾き飛ばす勢いで立ち上がった。
流れてくる泥水のお陰で胸や腹の防具は泥だらけだが、気にしている場合ではない。
真が皇居上空を飛び回ることで智明を引きずり出し、智明が戦闘状態となることで皇居周辺の障壁を除去できたのだ。
瀬名が複数同時通話を開始したことでテツオが飛び出すべきタイミングを測ることができた。
――何人だ?――
HDで強化された脚力を有効に発揮し、斜面を一足飛びに登りきったテツオは、そのまま皇居の外壁も飛び越してしまう。
――二十ちょい!――
人間の背丈よりも高い塀を飛び越え、着地するまでの数瞬のうちに目に映った人数を把握し、エアバレットではなく体術で処理すべきと判断する。
ブーツのゴム底がぬかるんだ山肌を感じるより早く、体を起こして手近な人影に右膝を当て込む。
膝を引いた流れで真横へ体を滑らせ、次の標的に右足踵を埋め込む。
そのまま勢い任せに敵を押し倒し、次の標的の顎に左膝を見舞い、体を浮かせたまま両手の逆捻りを使って回し蹴りを放ち、四人を昏倒させて初めて地に足を落ち着けた。
――チッ! 三十も居たか――
人数の読み違いを修正しつつ、声を上げられる前に素早く飛び出す。
膝を鳩尾に埋め込み、顎を蹴り上げ、延髄に手刀を打ち込み、拳で鼻を潰し、肘で胸を突いて、目に見えた標的を早々になぎ倒していく。
「――ふうぅ。……大人しく寝てればこれ以上は何もしない」
詰めていた息を逃がし、呻き声を発し泡を吹いて痙攣している敵に告げる。
幸い、と言うべきか当然の結果と言うべきか、倒れ伏して人の山となった敵からは異論は出なかった。
――そういやここはキミの庭みたいなもんだったな。じゃあ、真の心配だけしとけばいいか――
修験者として神通力を備えた藤島貴美の能力を信じ、テツオが北側の守りを崩して注意を引く間に貴美には東から侵入してもらう段取りをとっていたが、よくよく考えれば諭鶴羽山は貴美を含めた修験者の修行の場であることに思い至った。
そうであるならば道に迷うこともないだろうし、正面で瀬名が注意を引き、空中では真が智明を引き付けているなら、貴美を気にしてやる必要はない。
むしろテツオが出遅れた形になっている可能性の方が高いかもしれない。
「……あっちか」
周囲の風景と斜面の様子を確かめ、木々の向こうに見え隠れする皇居の屋根を目安にしてテツオは駆け出した。
――真をほったらかすのが一番心配なんだよな――
心で毒ついたタイミングで、皇居の方から巨大な風船が破裂したような轟音が響いた。
― ― ―
本来の皇居の外壁よりも広い範囲を囲うように増設された外塀にピタリと背を付け、自身が残してきた足跡を確かめるように貴美が呟いた。
「ここまでは、良し」
幼い頃から修行の場としてきた御山であっても、余人に悟られずに行動するという作業は貴美に緊張を強いていた。
高橋智明が騒動を起こしてから数日間、諭鶴羽山の山頂から様子を伺ったこともあったが、これほど人が蠢く場所で気配を消すというのは、貴美にとって初めてのことだ。
また自然の気を鋭敏に感じ取れるがゆえ、今日のように強い雨の日は晴天よりも感覚がぼやけ、気持ちも重く沈みがちになってしまう。
それでも着慣れない洋服で雨に打たれるよりは、自身の本領を発揮できていると感じる。
「やはり高橋智明の波動は相容れぬな。真が近くに居ることで刺激されているのやもしれぬ」
滋賀県から淡路島に近付くにつれて増してきていた違和感。存在感とも、圧迫感とも、異物感とも表せる高橋智明の異質な『気』は、その能力の行使に同調しているのか、人に在らざる大きさとうねりと重さで貴美に襲いかかってくる。
その強弱と間隔が『波長』としてより異様だった。
「まずは懐へ迫らねば」
一人ごちて貴美は用心深く辺りを探り、ひと飛びに塀を飛び越える。
視界には、空中で対峙している真と智明を捉えてもいるが、今、貴美が目指すべきは彼らではない。
怪しげな智明の波動とそれに向き合う真の『気』。その二つの間近で燻っているもう一つの『波長』が貴美の目指すべき目標なのだろう。
――昨夜の美しい女性。多分、真が本当に好きな女性――
落ち続ける雨粒を乱さず、濡れ煙る大地を揺らさず、風の邪魔をせずに駆け抜けながら貴美は想う。
――真に頼まれずとも、私は彼女に会わなければならぬ――
智明の『波長』と比べれば、静かで、重みもなく、清らかで、打ち寄せるリズムも一定だが、その白く燻る『気』が智明と同等に大きいことは既に貴美は見抜いている。
だから貴美は一直線に駆ける。
「鬼頭優里。今、何を考えんや?」
木々の間を走り抜け、今度こそ皇居の囲いを飛び越えた貴美の目に、皇居本殿の前にたむろする一団が飛び込んできた。
「ご容赦!」
晴れていれば立派な庭が見通せたであろう高さのうちに呟き、手早く『気』を練って両手へ宿し、貴美は空中で跳ね飛んで一団の真ん中を突き抜ける。
「な、なんじゃ!?」
通り過ぎざまに貴美が打ち込んだ掌打に悲鳴もなく倒れていく数人の男女に関わらず、突然に襲いかかった貴美に対して大柄な男が誰何の声をあげた。
貴美はこの一団の戦意を見て取って身構えた。
「高橋智明に与するものと見た。峰打ちゆえ許し給う」
「ああん?」
黒い衣装の上に防具を着けた一際体格の良い男が言い返そうとしたようだが、貴美はとうに駆け始め、『気』を宿した手で棒立ちの男女を片端から急所を打っていく。
貴美の風のように俊敏な動きに二十数名の男女は追うこともできず、電光のように打ち込まれた手刀や掌底はうめき声さえ立たせずに彼らの意識を奪った。
「ぐ、ぬぬっ!」
「無理はするな。覚めた時に辛くなる」
倒れ伏した集団の中でただ一人立っている大柄な男に貴美は気遣いの言葉をかけたつもりだったが、男はそうは取らなかったようだ。
「アワボーの川崎実が、女にのされてたまっかいや!」
気を吐き挑みかかってくる川崎へ、貴美は呼び鈴を鳴らすようにフワリッと右手を突き伸ばす。
「あ、あぁ、うっ……」
緩やかに鳩尾を突かれた川崎は、弱々しい声を漏らして膝を付き、ゆっくりと横倒しに転がった。
「すまぬ」
貴美は全員が昏倒したことを確かめ、短く印を切って詫びた。
さっと周囲を改め、本殿の玄関ドアに手をかけた時、貴美の背後で爆発音が響いて雨粒が不自然に飛散した。
貴美が初めて目にした高橋智明の姿は、柔らかな光を纏い、神か天使のような浮世離れした姿だった。




