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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第五章 激突
137/485

決起 ⑤

   ※


 新皇居の麓にある大日川ダム。

 諭鶴羽山から三原平野へ流れ込む大日川の上流に設けられたダムの一つで、美女池・大日川ダム・大日ダムと連なった三つのうちの真ん中のダムに当たる。


 当初、新皇居は下流側の大日ダムから北へと登った頂に建設される予定であったが、地盤に難があり、また北側の牛内からの資材搬入が困難なことから、僅かに奥まった大日川ダム付近の頂へと計画変更された。

 牛内ダムに設けられた資材搬入路は簡易のもので既に閉鎖されているが、大日川ダムからは皇居へと至る専用路として立派な舗装路が通されている。


 また、皇居建設以前から設けられていた大日ダム公園は、一般参賀などの特別な日を除いて一般人が一番皇居に近付けるスポットになる予定で、若干の整備を加えられた。


 その公園には、日曜の早朝だというのにバイクの集団がたむろしている。

 降り続く雨の中、濡れるのも厭わずにこれから集会でも始めそうな様相だ。

 高橋智明が皇居を占拠して以降、麓の入り口は警察が封鎖しているはずだが、どうやら力ずくで突破してきたらしい。

 よく見ると、五十人近いバイカー達はバットや鉄パイプなどの武装をしており、物々しい雰囲気が漂っている。

 しかし、統制が取れた印象はなく、雑談したり喫煙したりとどこかバラバラな行動が目立つ。


「テツオさんはまだか? ポンタ」

「やるならさっさとやっちまおうぜ。なあ、ポンタよ!」

「そうや、ポンタ。ここ上がったとこに、アワボーとクルキが居るんやろ?」

「ポンタァ! まだ連絡ないんけ?」


「じゃかましわっ! 来たら言うから、黙って待っとけ!」


 少し背の低い角刈りの関西弁男が周囲からの集中砲火に堪えきれず、とうとう怒鳴り声を上げてしまい、場が一気に険悪な空気に変わってしまう。


「おどれは瀬名さん直の連絡係やろが! シャンとせぇや!」

「ドアホ! 連絡係でも、連絡無かったらシャンとできへんやろが! そんなことも分からんのか。幼稚園からやり直して来いや!」


 ネックレスをチャラつかせながら角刈り関西弁の男ポンタはさらに怒鳴り返す。


「ンだとコラ!」

「イライラさせんな!」

「ほりゃお前じゃ」

「あん? いてまうぞ?」


 ポンタの怒鳴り声がキッカケというわけではないが、ポンタを取り巻いていた集団は一気に険悪になり、乱闘寸前まで高まってしまう。

 とその時、公園の入り口から声が上がった。


「バイクの音だ! 誰か上がってくるぞ!」


 その一声で雑談や睨み合いはピタリと止み、雨音の中からバイクのエンジン音を聞き取ろうと、息を詰めたように静まり返る。

 大日ダム公園に集まった全員が耳をそばだてていると、複数のエンジン音が聞こえ始め、徐々に唸りを上げて大きくなってくる。


「テツオさんだ!!」


 耳の良いメンバーがリーダー本田鉄郎(ほんだてつお)のVF750マグナの排気音を聞き分け、皆に知らせる。

 それに応えたかのように雨の幕の向こう側にヘッドライトが光り、半クラッチでアクセルを吹かし、テツオにしか鳴らせないコールを轟かせた。

 公園にいたWSSウエストサイドストーリーズは一斉にワッと飛び上がり、気の利いた者は公園入り口のバイクを移動させて、テツオ達が停車するスペースを作る。


「……雨の中、悪いな」


 メンバーが作ったスペースに滑り込んだテツオは、自身もびしょ濡れなのを横に置いて開口一番にメンバーを労った。

 皆が口々にテツオの名を呼び、チーム名を叫ぶ中、テツオに続いて瀬名・田尻・紀夫と順にバイクを止めていく。


「よお。ご苦労さん」


 テツオと瀬名にメンバーが群がる横で、センタースタンドを立ててバイクを安定させた田尻と紀夫の元へポンタがやってきて声をかける。

 だが田尻も紀夫も休憩なしのロングライドに疲れたのか、無言でポンタとハイタッチを交わすだけに留める。


「……オイ! まだ来るんだ。そこ空けてくれ!」


 ポンタとのハイタッチの後、田尻はまた近付いてくるバイクのためにリーダーを取り囲む輪に向かって叫んだ。

 それに紀夫も続ける。


「二台来るかんな! もっと空けてくれ!」


 そこへ真が控えめに入り込んでくる。


「すんません!」

「お? おお、真か」


 顔はまだヘルメットで隠れていたが、バイクと声でギリギリ真だと分かってもらえたようだ。


「おい、この音!」

「クイーンだ!」


 テツオとは違うコール音で鳴って入ってくるバイクを見つけ、周囲はまた雰囲気が変わる。

 先程のリーダーを迎える声がクイーンを迎える声に変わった所へ、サヤカがテツオの真横に滑り込む。


「ありがと」


 流石にサヤカを取り囲むような無粋な出迎えは無いが、他チームのリーダーを迎えた空気ではない。


「早速で悪いけど、これからひと悶着起こすから、幹部は集まってくれ!」

「真! 田尻! 紀夫! そっちの東屋で準備するぞー!」

「ウッス!」


 テツオはメンバー全員に声をかけ、瀬名は真ら三人を誘導し、それぞれ雨合羽とヘルメットを脱いで大日ダム公園の東屋へと向かう。


「私らは準備してからそっち行くよ!」

「おお!」


 歩み去るテツオの了解を取ってから、サヤカは「こっち」と貴美を公衆トイレへ導く。

 貴美の準備を整えるだめだ。


「時間無いから早口で言うぞ」


 東屋に着くなりテツオはそう宣言しつつ、背中のケースを開いて防具を装着していく。

「……ウッス」

 テツオ同様に不格好なケースを開いてガチャガチャとやり始めた瀬名や真に動揺しつつ、幹部たちは目の端で彼らを捉えながらそれでも幹部らしくリーダーの言葉を待つ。


「俺らの準備が整ったら、瀬名・田尻・紀夫の三人は新皇居の正面から攻め込む。俺と真と、さっきサヤカのケツに乗ってた女の子で牛内ダム側からも突っ込む」

「アワボーとクルキをいてまうなら、俺らも行くんやろ?」


 チームの幹部とはいえ、元はテツオや瀬名と共にボーイスカウトや格闘技道場の同輩である。口調はどうしてもなあなあになる。


「テツオ君。俺らは何するんだ?」

「落ち着け。今、この上にいる奴はヤバイ奴なんだ。俺らは裏技使ってるし武装もしてるけど、お前らは生身だからな。そんな無茶はさせられないよ」

「なんか別の役目があるのか?」

「もちろんだ」


 幹部たちの声に答えつつ、上半身の防具を被ったので一旦間を置く。


「今こっちに自衛隊が向かってんだ。そいつを足止めしてくれ」


 テツオの言い放った指示に幹部全員が息を飲んだ。


「あの、ニュースで言ってた演習とかってやつか?」

「足止めって、テツオ君……」

「また無茶言うなぁ」

「おいおい。二つの意味で緊張感持ってくれよー。この上の奴は自衛隊が潰しに来る強者(つわもの)って事と、自衛隊は演習じゃなくて実戦に来るんだぜー」


 少なからず動揺や強がりを見せた幹部に、防具の装着を終えた瀬名がふっかける。

 幹部たちが口を開くより早くテツオも追い打ちをかける。


「その通りだ。俺らは今からそんな奴とやり合いに行くから、皆は自衛隊が邪魔しないように足止めして欲しいんだ」

「よろしくお願いします!」


 同じく準備を終えた真が瀬名の後ろで腰を折って真剣な声で嘆願した。

 声こそ発しなかったが、田尻と紀夫も同様に頭を下げた。


「……まあ、リーダーがとつるってんだから、俺らも体張るけどよ」

「どうすんだ?」

「ケーサツみたいにおちょくってればいいんだろ?」


 テツオや瀬名、真らの真剣さが伝わったのか、幹部たちも前向きな言葉を口にし、テツオの表情が少し和らいだ。


「ああ、そんな感じでいいと思う。邪魔してても無抵抗なら何もしてこないだろうからな」


 さすがに甘い考えだと思いつつも、テツオはそこまでしか言ってやれなかった。徹底抗戦や命を懸けるような事を言うと、本当にその通りにやってしまう連中だからだ。


「なら、平気やな」

「無茶しなきゃムチャクチャはされないってか?」

「おもんないぞ」


 テツオの意図通り、緊張感は残したまま幾分肩肘を張らなくていい空気になったようだ。


「とりあえず二箇所から攻めるから、チームを二つに分けてくれ。自衛隊も多分二方向から近付いて、包囲なり突入なりするだろうから、侵入経路二つを封じとけばなんとかなる。こっちも早期決着目指すからよ」


「ウッス!」


 テツオに向けて気合いの入った応答をし、幹部たちはチームを二班に分けるためにメンバーの元へ走っていった。

 それを目の端で見送り、テツオは真の方へ向き直る。


「キミの準備が整ったら、今度はこっちの段取りだ」


   ― ― ―


 設置されてから年数の経った公衆トイレは少々アンモニア臭がしたが、通常の個室より多目的トイレはまだマシで、洋服から修験装束(しゅげんしょうぞく)へと着替えるには広さもあって安心できた。


 窓も天井付近の明り取りだけなこともあり、貴美としても年相応の恥じらいも小さい。

 本来であればそういった感情の起伏は悟りを求める者としてあってはならないのだが、この数日、貴美に起こっていることは未知の事ばかりで精神が落ち着かない部分もある為、修行不足よりも経験不足と割り切らねばなるまい。


 初めて訪れた場所で、いくら目隠しがあるとはいえ着替えることは躊躇われたが、数日ぶりに装束に袖を通すのだからと、貴美は借り物の洋服を脱いでいった。

 雨合羽を着ていたにも関わらず洋服は雨を吸って重く、シャツや下着が肌に張り付いて難儀したが、それほど時間をかけずに生まれたままの姿へとなる。


 ――神酒(みき)沐浴(もくよく)で清めたかったが、やむなしか――


 こういった事態まで想定できなかったため、体を清められないことを悔いつつ、脱いだ洋服を畳んで傍らへ置く。


 それから貴美はまず白衣(はくえ)脚絆(きゃはん)を身に着け、鈴懸(すずかけ)はかまを着重ねて帯を締め、手甲(てこう)と地下足袋を身に着けた。


 これに頭巾(ときん)引敷(ひっしき)結袈裟(ゆいけさ)などを身に着け、錫杖(しゃくじょう)・ほら貝・貝の緒・桧扇(ひせん)などの法具を備えれば修行に臨む修験者の正装となるが、貴美は修行以外ではそれらの法具を省くことを許されている。


 ――少し、惑いが晴れた――


 たった数日だが、洋服に見を包んでいた違和感が取り去られ、清めを行えなかったが幾分かは貴美の心は落ち着きを取り戻せた。


「サッチン、整い申した」

「ん。……やっぱりキミはそっちの方が似合うね」


 多目的トイレから出てきた貴美を見てサヤカはそうもらした。


「私も少しばかり心が落ち着く。借り受けたお洋服を返し申す。ありがとう」


 これもサヤカから借りていたリュックサックごとサヤカヘ差し出し、貴美は深く頭を下げた。


「キミにあげたつもりだったんだけど、もう着ないの?」

「この一件が解決すれば、多分……」


 貴美は守人(もりびと)として引き受けた依頼の為に下界へと関わったのであり、依頼が達成されればまた諭鶴羽山に引き篭もって修行の日々へと戻ることになる。

 貴美にとってはそれが今までの日常であるから、サヤカから洋服を貰っても今後出番がないことを素直に口にした。


 ただ、下界や一般的な俗世間との関わりへの未練も素直に言葉になった。


「可能性あるならキミが持ってていいよ」

「……良いのか?」

「友達と会っちゃいけないって、教義に書いてあるの?」

「いや、ない」

「ん。じゃあ、洗濯しておくから、乾いたらまた渡すね」


 サヤカは水気を含んだリュックサックをキミから受け取る。


「サッチン、ありがとう……」


 キミはリュックサックを持つサヤカの手に自身の手を重ね、小さくお辞儀をする。

 サヤカは、貴美の手を取りリュックサックを下ろして貴美を引き寄せ、短い抱擁をし貴美の手を引いた。


「……行こっか。みんなが――真くんが待ってる」


 サヤカの表情には色々と物言いたげな色が浮かんでいたが、結果的に何も言わずに送り出そうと決めたようで、貴美を誘う表情は母か姉のように柔らかい。


 貴美は改めてサヤカと出会えたことに感謝し、修行とは離れた所に人との繋がりが持てたことを嬉しく思った。

 それはサヤカに対してだけではなく、公園の東屋からこちらを気にしてくれている真に対しても感じている感情だ。


 だから、貴美はなるべくサヤカを心配させまいと大きな返事をする。


「うん。行こう!」

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