決起 ④
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諭鶴羽山北西の裾野に鎮座する明里新宮は、早朝から異様な空気に包まれていた。
高橋智明が独立の意思を示し、キングとして立つ演説に合わせて配布が約束された『タネ』への不安と期待がそもそもの原因ではあった。加えて、配られる『タネ』を受け取るということは、近々に自衛隊や警察と衝突するという連想もさせ、より雰囲気を重くしてした。
智明や川崎実の説明不足もあったが、『ナノマシンで人間の能力を超える体や力を授ける』という触れでは、人心を引き込むというのは無理があったのだろう。
ただ、明里新宮に集った面々は概ね三十歳未満で比率としては十代が多く、非合法ながらH・B化した者ばかりなので『タネ』を体内に入れる事への疑心は薄い。
またバイクチーム淡路暴走団のメンバーは大将である川崎への信頼に加え、これまで行ってきた荒事や裏稼業からすれば、この程度の展開に動揺する連中ではない。
雰囲気を淀ませているのは、同じくバイクチームの空留橘頭のメンバー達だ。
彼らは頭を務めていた山場俊一が川崎に拘束され、不在の状態で智明の独立宣言を聞き、関係性が築かれる前に『タネ』の配布を受けるという状況に陥り、拒む者は立ち去らねばならなくなった。
しかも立場は淡路暴走団の下部組織扱いだ。
このまま新宮に残るか、それとも立ち去って地元に戻るか、その悩みや迷いが新宮全体に漂っているのだ。
「落ち着かん上に、鬱陶しい天気じゃのぅ」
時刻は午前七時前。
新宮の真ん中の区画にある大食堂の窓から空を見上げ、川崎が呟いた。
とっくに朝日が上っているはずだが、昨日の夜から降り出した雨はまだ止んでおらず、強まったり弱まったりしながら薄暗い雲を空一面に広げている。
――こりゃあ、外苑やと無理やな。集合場所変えようかのぅ――
ぼんやりと今日一日の段取りを考えながら、係に無理を言って支度してもらったきつねうどんを受け取る。
フランク・守山から届いた物資と食料は、インスタントやレトルトやフリーズドライや冷凍食品などが主で、川崎が受け取ったうどんも乾麺と即席出汁とフリーズドライの油揚げだ。
――独立さえ成功したぁ、ちったぁマシんならいの――
楽観的に考えながらテーブルに着き割り箸を割ってうどんをすすっていると、メンバーの一人が食堂へ駆け込んで来た。
「大将! えらいこっちゃ! うどん食うとる場合ちゃうで!」
「ぶふっ! ……んーう、なんやねん、シゲか。おどかすなよ」
食堂の入り口で川崎を見つけるなり怒鳴り込んできたのは、淡路暴走団の幹部中村茂美だ。川崎と同じ高校の六期下の後輩で、地域の集まりで顔見知りだった縁でバイクチームに入ったクチだ。
「うどんやこ後で食えんが! ヤバイねん!」
吹き出したうどんとこぼれた出汁を気にしている川崎に、シゲはかなり慌てた様子でまくし立ててくる。
「落ち着け! なんやねんな! 慌てるんやったぁさっさと要件言えや!」
間近で騒ぎ立てるだけのシゲに苛立ち、とうとう川崎も怒鳴り返す。
シゲは、呼吸を整えてから口を開く。
「……自衛隊が基地を出よった」
「マジか? こんなタイミングでか? どこ情報や?」
シゲを睨みつけるように真剣な表情になった川崎へ、シゲが声を潜めて答える。
「……スノハマからの……」
聞こえるかどうかの小声でシゲが仲間内にだけ通じる符丁を言うと、川崎は過敏に反応する。
すすりかけたうどんを器に落とし、川崎も声を潜めて指示を出す。
「…………分かった。例の配布は中止して、三十分後の七時半に全員をこの食堂に集めてくれ。昨日の班長にはミーティングやるから、十分前にワシんとこ来るようにな」
重々しい川崎の声音に合わせるように、シゲは一つ頷いて食堂を走って出ていく。
川崎はシゲが走り去るのを見送り、瞑目して智明へ危急の念を送る。
当然、川崎にテレパシーなど使える訳はなく、智明から緊急の連絡はそういうサインを出してくれと命じられての行動だ。
――キング! キング! 危急やどー。急ぎやどー。ホンマにこれでええんかいな――
《川崎さん? 何かあったの?》
――うおっ!! ホンマに繋がった!――
まだ数えるほどしか伝心の経験のない川崎は、初めて電話を使った子供のように驚いた。
《そう出来るよって言ったじゃん。それより、どうしたの?》
智明は心の声でも苦笑いしながら同じ問いを返してきた。
――ほうじゃほうじゃ。とうとう来た! ホンマに来た! 自衛隊が兵隊を動かしよった――
《………………ホントだね。須磨のあたりを幌付きトラックが列をなしてるね》
少し長い沈黙のあと、智明から具体的な言葉が返ってきた。恐らく意識の目を飛ばして実際の景色を見てきたのだろう。
――もう須磨まで来とんのか。ほしたら、あと一時間そこそこでこっち来よるな。どないすんで?――
《とりあえず、HDの配布は中止だね。効果が現れるまで二日間は動きが鈍るって話だし》
――それはもう指示出した。アチッ。……中止を伝えるためにも、今集合さしとるとこや――
《流石だね。てか、なんか食べてる?》
思ったことがそのまま智明に伝わるのか、伝心をしながらうどんをすすっていることを悟られてしまった。
――すまんすまん。朝飯食うとんねん――
《ああ、そういう時間だもんね。……とりあえず外周に障壁を張るけど、機動隊みたいに追い払えるか分からないから、外苑と牛内ダム側を守ってもらいたいな》
智明の若さなのか、キングや指導者として甘いからか、食事中の連絡には咎はなかった。
しかし、川崎が求めたほどの指示もなく、大まかな防衛拠点を示されたに過ぎない。
――ホンマ、とりあえずじゃの。ほな、外苑の内側と北西に部隊を配置する、でええんけ?――
また智明の苦笑が伝わってくる。
《そういう言い方が良いわけね。それで頼む。自衛隊の布陣とか見てまた連絡するから、柔軟に対応してもらえたらいいよ》
なるほど、と川崎は納得する。
ドローンや偵察機の代わりを智明が能力でやってくれるというのは、良い案だと思えたからだ。
――了解。こっちもなんかあったら連絡しょーわ――
川崎が会話を締めると、脳内に直接耳打ちするような気配が消え去った。
「ふう……。障壁をどうにかされたら、いっぺんにやってこまされそうで怖なってったぞ」
川崎は智明との伝心を終えて、思わず本音を漏らしてしまった。
川崎は、智明や空留橘頭の頭山場俊一たちとは違って、大学を出て社会人経験のある二十八歳である。バイクチームを率いて裏稼業的に世直しのような事をしていても、その根底にはこれまでに見聞きし体験してきた常識や通念というものが出来上がってしまっている。
自衛隊が軍隊ではないからといって、警察の強化版といった楽観視はなく、軍隊として銃火器を携え、効率的で有効な作戦の元に攻め入ってくる。
サバイバルゲームのように、人数や陣地が分かった上で始まるものでもない。
今日までに機動隊を五度も追い返したという智明の実績には感嘆するが、それは智明の能力を知らずに機動隊が突入した結果であって、智明の能力を踏まえた作戦や対処ではなかったのだと、川崎は分析している。
しかし、今度の相手は自衛隊だ。
恐らく、これまでに智明が行使した能力は、機動隊が自衛隊に伝達し、分析されていると見ていい。
――その裏をかいた隠し玉が俺らなわけやけど、HDなしのゴム弾でどこまで通用するかやな――
うどんを食べきり、考えをまとめながらスープを飲み干して器を置く。
「よっしゃ! やるか!」
シゲに頼んでいた招集に従い、大食堂にチラホラと人が集まり始めたのを確かめ、川崎は気合を入れて席を立つ。
「よっしゃあ! 入ってきた者から順番に座ってってくれ! 予定が変わったよってん、いきなり本番じゃ! 緊張感持てよ!」
川崎は、見慣れた淡路暴走団のメンバーと、ようやく見慣れてきた空留橘頭のメンバーに向け、いつも通りに大きな身振り手振りで指示をしていく。




