決起 ③
※
二〇九九年七月五日 日曜日。
バイクチームWSSのリーダー本田鉄郎の指示で早い時間に寝たものの、夢とも精神世界ともつかない空間に迷い込んだり、テツオからお説教されたりがあって、城ヶ崎真の眠りは浅かった。
わずかな時間眠ったと思っては目が覚め、トイレや水分補給をしてまた寝てを繰り返していたのだが、突然、耳慣れぬアラート音が頭に鳴り響いて飛び起きた。
「な、なん、なんだ!?」
脳ミソを締め付けるような大音量の中、ドアの外から激しいノックの音が聞こえる。
真の寝ている部屋とは違う部屋をノックしているようだが、なかなかに騒々しく、ただ事ではないと感じて真は廊下へと飛び出す。
「瀬名さん!?」
「真か! 田尻と紀夫を起こして、早く着替えろ! テツオ! 起きろっ!」
まだ頭の中で響いているアラートに負けない勢いで、本田鉄郎の右腕である瀬名隼人がノックを止めずにまくし立ててくる。
「ウッス。……あ、田尻さん、紀夫さん」
テツオが寝ているはずの部屋をノックし続けている瀬名をよそに、真が向かおうとしていた部屋から田尻と紀夫が眠そうに目をこすりながら出てきた。
彼らもH・B化した脳内にけたたましいアラートが鳴り響いているようで、真と同じ様に表情が険しい。
「お前らも早く支度しろ! テツオッ!」
「――んだよ、まだ五時じゃねーか」
「そっちー!?」
真らがたむろしていた廊下の一番奥の部屋のドアが開き、テツオと鈴木沙耶香が姿を現した。
その部屋はサヤカに当てられていた部屋だ。
「あん? 夕べ色々あったんだよ。それより警報切ってくれ。吐きそうだ」
目当ての人物が違う部屋から出てきたことに脱力して、床に崩折れてしまう瀬名へ、テツオが皆の気持ちを代弁してくれた。
ヘナヘナと座り込んだ瀬名だが、それでもテツオの要望は聞こえていたようで、真を始めテツオ・サヤカ・田尻・紀夫の頭に響いていたけたたましいアラートは止まった。
「何事?」
「あ、キミ。おはよう」
テツオとサヤカが寝ていた部屋の隣から藤島貴美がヒョッコリと顔を出し、サヤカが場違いなくらい冷静に朝の挨拶をした。
貴美が平然とした顔をしているのは、脳をH・B化していないからだ。
テツオは幾分表情を緩めながら瀬名に歩み寄って問う。
「やっと止まったか。……で、何があったんだよ?」
「そうだった! こんなことしてる場合じゃないゾ! 陸自が動いた!」
「なんだと!」
瀬名の報告に、ダルそうだったテツオの表情が一瞬で引き締まり、残りの面々にも緊張が走り声にならない驚きが呼吸音となって起こった。
「昨日のうちに正式な発令があったらしい」
「どうなった? 何時にどうなる?」
「今日の六時に伊丹をでて、到着したらすぐ作戦実行、らしい」
瀬名の語尾が不確かになるのは情報源が自衛隊や日本政府から遠いためなので、そこは仕方がない。
しかし出発時間や作戦開始時間を問うたテツオに、これも不確かな情報が返ってきて、テツオは少し苛立った。
「分かってはいたけど、ハッキリしねーな……。ルートとか移動時間は予想できないか?」
左手で右肘を抱き、右手をおとがいに当てながらテツオは瀬名を問い詰める。
「予想はできるケド……」
部屋を間違えたショックから立ち直ったのか、立ち上がりながら瀬名が答える。
「下道なら、垂水から第二神明乗って、橋渡って三時間? ……てトコか。高速使うなら、宝塚から中国自動車道に乗って阪神高速使って、二時間強……だな」
瀬名の即答に真は思わず感嘆してしまった。
手付きや視線を見る限り、カーナビゲーションアプリを使わずに脳内に展開したマップを見て、ルートや所要時間を予想したと分かったからだ。
今回の滋賀への遠出で真が感じたのは、神戸・大阪・京都周辺の高速道路の複雑さだ。それぞれの都市が、周辺の地域と交通の便よく結びつく為なのだから仕方ないのだが、真が淡路島から大阪・大阪から滋賀へと至るまでに気が狂いそうな枚数の案内板が掛かっているのを目にし、出口や合流などの複雑さに頭がついて来なかった。
恐らく自力では滋賀から淡路島へ帰れないだろう。
そんな複雑な道路交通網を、瀬名はナビゲーション無しでルートを把握し、時間の計算もやってのけた。これはかなりの回数遠出を重ね、走り慣れているから出来る芸当なのだろう。
「ということは、最短で八時。遅くても九時には到着しているってことね」
瀬名に応じたのはサヤカだ。
「こっちは、どう足掻いたって二時間ちょっとかかる。おまけに――」
テツオは腕組みを解き、忌々しそうに開け放たれたままの真が寝ていた部屋を睨みつける。
室内は電灯が消されていて真っ暗だが、わずかに開いているカーテンの間は明るく白んでいて、夜明けを教えてくれている。
しかし、窓ガラスを乱打する雨粒は昨夜のままだ。
「こんな雨じゃ、飛ばすに飛ばせない」
一般的に高速道路の制限速度は時速一〇〇キロと法令で決められているが、あくまで最高速度であり、交通量や道路状況によってはもっと低い制限速度が設けられていたり、車列に添った場合は一〇〇キロはおろか六〇キロも出せない。
ましてや日曜日の早朝で交通量が空いていても、打ち付けるような激しい雨の中を制限速度を超えて走るなど、かなり危険だ。
テツオやサヤカや瀬名のように技術と経験があれば、あとは集中力の問題だが、田尻や紀夫でさえ雨中の走行は心許ない。
ましてや真は無免許の十五歳だ。
テツオの視線を追って言わんとすることを理解し、真は自分の能力の低さに悔しくなる。
「……俺、全力でついて行きます! 自衛隊より先に着かなきゃ意味ないですよね?」
「そりゃそうだけどな……」
思わず口をついて出た真の言葉に、テツオは同意を示しはするが、まだゴーサインは出さない。
「そんなに気にしなくていいと思うぜー」
判断に迷うテツオに向け、瀬名が軽く手を挙げて注意を引く。
「俺らの周りだけ降ってるわけじゃないからなー。陸自だって雨雲の下だ」
H・B化している全員に向けて、瀬名は天気予報アプリの雨雲レーダーを可視化して見せる。
「うわっ。広島からこっちはスッポリ雨だ」
「こりゃ昼過ぎまで降るぞ」
「うむ。特にアワジは午前中に激しく降る様相。阪神間もそれなりと思われる」
雨雲レーダーを見て田尻と紀夫がうんざりする横で、唯一H・B化していない貴美が話題に乗れていなかったが、自然の気や気圧などから細かな予報を行なった。
「キミの予報なら信じれるな。しかし相手は陸自だぞ?」
テツオは前半で貴美を肯定し、後半は瀬名へ「先回りできるのか?」と問うていた。
「向こうはプロだからなー。装備を天気に合わせてから出発するだろうし、現地に着いてからも準備をするだろー。その前に、日曜日の早朝ってことは、渋滞とかトラブルを避けるために高速より下道を選ぶ可能性が高いと思うぞ? 休憩も取るだろうしなー」
身振りを加えながら答えた瀬名に、テツオはまたおとがいに手をやって少し考える。
「……自衛隊が下道使うなら、どっこいどっこいか」
「バイクの身軽さは伊達じゃない」
「よし! すぐに出よう! 着替えてガレージに集合だ!」
「ウッス!」
瀬名の後押しをキッカケにテツオは語気を強め、出発を告げた。
真・田尻・紀夫がこれに気合の声を返してそれぞれの部屋へ駆け込む。
「瀬名、念の為に皇居の近くにメンバー集めといてくれ。いざとなったら自衛隊の足を止めてもらうかもしれん」
「アイヨー」
自衛隊の足止めなどとだいそれた指示だが、瀬名も気軽に返事をして部屋へと入っていった。
― ― ―
「遅いぞ!」
真が走ってガレージに着いた時には、すでに他のメンバーが集まっていて、フルフェイスヘルメットのバイザーを上げたままの田尻から、集合に遅れたことを注意された。
「すんません!」
昨夕に瀬名が用意してくれていた雨合羽をシャカつかせながら、真は腰を折って全員に頭を下げた。
時刻はもうすぐ六時になろうとしている。
「雨だからな、慌てずに集中してないと事故るぞ」
「ハイ!」
急いでヘルメットを被ろうとする真に、紀夫からも注意が飛んできた。
「ん。先頭は俺と瀬名で引っ張るから、田尻、紀夫、真の並びでついて来てくれ」
「ウッス!」
「サヤカ。キミとニケツだし、真に追い越しのチェックまではさせられない。悪いけどケツ持ち頼む」
「ん、いいよ」
テツオの指示にサヤカは二つ返事で了承する。
これから使用する経路の大半が高速道路になる。日曜日の早朝の高速道路は交通量が減る分、大型トラックや一般車の速度超過や追い越しがやや増える。七月初旬ということもあって夜間よりは明るく対処はしやすいが、真の運転技術や経験を考えると、最後尾を走らせるのは多少の危険が伴う。
ましてや雨天の走行は、バックミラーが濡れていたり水飛沫で視認が困難だったりと、不安要素は多大にある。
加えて、サヤカはタンデムシートの後方に貴美を座らせ、二人乗りで走行しなければならない。その負担は先頭や列の中央では単騎よりも大きい。
また、登山などでも初心者や未熟な者を列の真ん中か後に置き、熟練者が最後尾からフォローするのがベターであるとされている。
テツオがサヤカの技術や経験を買っているからこその並び順だといえる。
「念の為、H・Bを複数同時通話状態にして、なんかあったらちゃんと言ってくれよ」
「ウッス!」
全員からの返事のあとテツオは通話アプリを設定して、愛車HONDAVF750マグナへまたがる。
次いで瀬名もHONDACLC1100Lへ足をかける。
田尻はヤマハSR400へ、紀夫はカワサキZ400へとまたがる。
「あの、クイーン……」
「心配しないで。キミを落っことしたりしないから」
ヘルメットの中の真の表情を読み取ったのか、サヤカは真が何かを言う前に心配事に答えてくれた。
「あ、はい。キミ、後でな」
「うん。サッチンにはここに来るまでにも乗せてもらったから平気。心配ない」
すでにサヤカがまたがっていたHONDAVF750マグナの後部シートへ腰掛け、貴美は不慣れなピースサインを返してくる。
それを見てから真もHONDACB400スーパーフォワーへとまたがる。
「よし! 行くぞ!」
肉声と脳内の通話音にテツオの声が響き、早朝の琵琶湖畔にバイクの排気音を轟かせる。
一行は県道307号線から321号線へと通り抜け、国道161号線から国道1号線へと入る。
五条バイパスから京都・山科方面にハンドルを切り、京都東ICから名神高速を走る。
もう太陽は日の出を済ませているはずだが、昨夜からの雨は弱まる気配はなく、雨雲も七月の太陽を透かしもしない厚さで進行方向に居座っている。
何度目かの分岐で阪神高速・第二神明へと走り抜ける。
〈明石大橋だ!〉
〈もうちょいだ!〉
田尻と紀夫の声に誘われるように視線を向けると、左手前方のかなり遠くに、雨に煙った淡路島の影と明石海峡大橋のシルエットが望めた。
あの長大な吊り橋を渡り、神戸淡路鳴門自動車道に入れば、間もなく幼馴染みの高橋智明との再会の時である。
〈……ウッス!〉
真は深呼吸のあとで気合を入れ直し、気持ちが逸っていると悟られないような声量で田尻と紀夫に応えた。
――もうすぐそっち行くからな!――
アクセルを握る真の手に自然と力が入った。




