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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第五章 激突
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決起 ①

 兵庫県伊丹市。

 兵庫県の東に位置し、大阪府豊中市との境には大阪国際空港(通称:伊丹空港)があることでも有名だ。


 関西国際空港と神戸空港の開港により国際線は減便してしまったが、近畿圏の空の玄関口としての存在感は衰えてはいない。

 大阪や神戸のベッドタウンとして人口も多く、冬場にはハクチョウなどの渡り鳥が湖沼に飛来するなど、自然も豊かな土地だ。


 もう一つ、伊丹市から連想されるワードは、やはり陸上自衛隊の駐屯地があることだろう。

 伊丹駐屯地は、昭和二十六年の警察予備隊の駐屯に始まり、再編成や拡大・縮小を経て、中部方面隊総監部として平成中期からは一個普通科連隊が駐屯している。

 同市には千僧(せんぞ)駐屯地も置かれており、こちらには第三師団司令部などが配置されている。

 隣接している川西市には川西駐屯地もあり、こちらは自衛隊病院の設立などもあって、近隣住民との関わりも深い。


 その伊丹駐屯地の庁舎の一室。

「入りたまえ」

 ドアのノックに応えたのは五十代の男で、姓名を川口道心(かわぐちどうしん)

 夏用の軽装ではあるが、支給品のシャツは襟までキッチリと止まっている。短く刈られた頭髪は白髪が混じってはいるが、概ね黒黒とし、ガッシリとした体躯からはまだまだ若々しさが見られる。

 襟章は一等陸佐で、この駐屯地の司令官を指している。


「失礼します! 野元春正(のもとはるただ)一佐、入ります!」

「ご苦労。こちらへ」


 入室し敬礼とともに名乗った野元に返礼し、川口はデスクまで呼びつける。

 川口同様、短髪に長身の野元の襟にも一等陸佐の襟章があるが、年齢や成績で一等陸佐は三段階に分けられており、野元は川口より格下になる。


「用件は他でもない。淡路新都の皇居奪還の任務が正式に発令された。普通科中隊二個、重迫中隊一個、及び本部中隊一個をもってこれに当たる。任務開始は七月五日、○六○○(まるろくまるまる)。一般道を使い、現地に到着次第、奪還任務を敢行する。ただし、実弾装備は携行するが、周囲一帯は国立公園及び特別保護区のため、よくよくの事態にない限り実弾ではなくゴム弾を使用する。この任務の指揮を貴官に任せたい。どうか?」


 チェアーに座したままであったが、重々しく命じた川口に、野元は踵を合わせ敬礼とともに答える。


「ハッ! 拝命いたします!」

「よろしい。……使用する中隊の選定も任せるが、良いか?」


 伊丹駐屯地には、中隊本部付隊と重迫撃砲中隊を除くと、普通科中隊四個と軽装甲化自動車化中隊が駐屯している。その内から任務に当たらせる普通科中隊二個の選定を野元に委任する旨を知らせた。

 本来であれば川口が断じるべき事柄であるが、野元に指揮を委ねる旨を強調するため、そう告げた。


「自分が、でありますか? 了解しました!」


 一瞬の戸惑いを見せたが、野元はそれを打ち消して応じた。


 自衛隊は軍隊とは異なった組織ではあるが、質疑が許されない縦割りの世界であり、軍隊と同じで可否のみを問われればそれのみを答えねばならない。


「結構。何か質問はあるか?」


 幾分、重々しさを和らげて促す。


「ハッ! 二点、よろしいでしょうか」

「ん。構わん」


 川口の許可を得、野元は姿勢を正して問う。


「先程、実弾は携行するがゴム弾を使用すると仰られました。重迫はどうされますか? 次に、軽装甲機動車を加えない理由はなんでしょうか?」


 川口は淡々と答える。


「L16迫撃砲で使用する砲弾は信管を抜くわけにもいかぬし、催涙性のガス弾もない。完成間近の皇居を破壊するわけにもいかないから、発煙弾で対処するほかあるまい。現地には十代から二十代の若者が多数集まっているようだが、煙幕への対処はしてくれていると信じるしかないな」


 自衛隊で採用されている迫撃砲は、中・遠距離から支援する支援火器であるため、警察機動隊のような催涙弾のように、対象を負傷させず無力化する兵器ではない。その中で発煙弾が殺傷力も少なく有用に思えるが、自衛隊が採用している発煙弾は白リンによる煙幕弾で、発火性があるために若干の焼夷効果も含んでいる。

 屋外であれば眼・口・鼻から少量が体内に取り込まれたとしても無害とされているが、閉所で多量に取り込んでしまうと死に至る場合もある。

 今回の任務では屋外で使用する予定ではあっても、何分対象が徒党を組んだ急造の集団のため、ゴーグルやマスクで防護していない可能性があり、川口はそれらの影響を案じた。


「軽装甲化自動車化中隊については言わずもがなだな。目標は山中の天然林の真っ只中だ。進入経路は南北に一本ずつしかなく、運用には難がある。対象の武装も強力とは思えない。投入しない理由としてはそんなところだ」


 軽装甲化自動車化中隊に採用されている軽装甲機動車は、戦車や重装甲車に変わって配備された比較的小型の車両で、天井ハッチを開放して機関銃を設置し運用できる装甲車だが、山中で運用するにはある程度開けていなければならない。

 また、兵員の輸送を目的としていないため、今回の任務では中隊規模での投入は能力を充分に発揮できないと考えられた。


「理解いたしました」

「ん。他に質問がなければ部隊の配備にあたってもらうが、どうか」


 先程より一層堅苦しさを解いて、川口が再び促すと、野元は直立不動のまま視線を彷徨わせた。


「……いえ、御座いません!」


 一瞬だけ唇を噛み、川口と目を合わせた野元だが、何かを飲み下して結局質問しなかった。

 その様を見届けた川口はゆるりと立ち上がり、野元の背後にある応接セットを指し示す。


「そこに掛けなさい。……惑っていては任務は達せられないぞ」

「……失礼します」


 わずかな逡巡のあと、野元は軽く顎を引いて了解の旨を示し、下座に浅く腰掛けた。


「まずここは軍隊ではない。似て非なるものだ。その前提で、皆が言いたい事と不安な事があるのは私も知っている」


 野元に語りかけながら川口の顔はデスクの奥の窓へと向き、駐屯地内の施設を数えるように眺める。


「私にも似たような危惧や心配があるよ」

「……左様でありますか」


 野元の返事は適当とは思えなかったが、話しにくく答えにくい話題のため、仕方ない。

 川口は視線を室内に戻し、野元を見る。


「貴官に。……君に指揮を任せる意図も言っておかないといけないな」


 自身の膝に目線を落としている野元へ、川口はなるべく明るい声で告げ、デスクを回り込んで応接セットへ歩み寄る。

 上役の歩みに合わせ、野元は表情を固くして待つ。

 居住まいを正す野元を目の端に捉えながら、川口はあまり畏まらずにソファーに腰を下ろして続ける。


「私はあと三年で退職を迎える年齢だ。この歳から将官を目指すものではないし、大きな災害や海外支援も若いうちに経験した。残りの在役期間は後進の指導に注ぐしかない」


 野元が部屋に来た時とは打って変わって、柔らかく笑う川口を、野元は不思議そうな目で見返してくる。


「自分が指揮を執るというのは、そういうことでありますか?」

「……君は何歳になった?」

「五十であります」

「はは。あと五年もある。ならばこそ今回の任務は君が指揮すべきだ」

「……恐縮であります」


 なんと答えたものか、野元は笑うでもなく誇るでもなく、微妙な表情でとりあえず返事をしていた。


「ん。報告書にも命令書にも、特殊な事例とある。心して掛かってくれ。勿論、本部中隊を動かすのだから私も現場には向かうが、責任を負うために立ち会うだけだから、君の思うようにしてくれて構わない」

「了解、致しました」


 国防省が自衛隊の演習を記者発表した時点で、伊丹駐屯地司令室には新皇居の現状がまとめられた資料が届いていた。

 中部方面隊第三十六普通科連隊司令部幹部として、当然野元もその資料には目を通している。


 正直、川口も野元も、他の幹部たちもその資料の内容は「信じられない」の一言に尽きるのだが、所轄警察及び機動隊の責任者が現実を無視した報告を行うわけはなく、単純な「若者の暴徒化」ではない対処を講じざるを得なかった。


 もう一点腑に落ちないのは、この騒動が明るみにされず、防衛派遣として任ぜられたこの任務を「演習」として演じなければならない違和感だ。

 その一事が野元の返事を詰まらせている。


「……この機会ですから、私語として流していだきたいのですが」


 瞼を伏せ、顔を背けて野元は川口に切り出す。


「自衛隊は、この先どうなってしまうのでありましょうか」


 野元は恥ずかしさを押し込めて問うたようで、七月の暑さとは違う理由の汗を滲ませている。


 陸海空のどの自衛隊にしろ、入隊希望者には様々な経緯や想い・考えがあって入隊したことは間違いない。

 しかし候補生から正式な入隊へと至る際に、日本という国を護る同意書にサインせねばならない。


 野元も、川口も、十五万人以上の自衛隊員も、それらをまとめ指揮を執る幕僚長もそのサインを行ったのだ。

 その覚悟や志が、今まさに揺らぐ事態が起こりつつある。


「……全ては御手洗(みたらい)首相の、遡れば山路元総理の胸の内次第だな」


 野元の危惧は川口が予想していた通りの文言だったとはいえ、川口にも想像だにできない結末を憶測では語れず、少し突き放すような言い方になってしまった。


 第二次世界大戦からすでに百五十年が経ち、何度となく自衛隊の意義が問われたり法改正なども行われたりしてきた。

 だが此度のように『防衛軍への引き上げ』が議案として上がったのは初めてのことだ。


「とはいえな、そのようにはならないと私は踏んでいるよ」

「軍にはならない、と?」


 野元は不安げな顔のまま少し身を乗り出す。


「考えてみるといい。日本は小さな領海侵犯や領空侵犯を度々被るが、そこから即時防戦へと至ったことがない。これは海自や空自の怠慢ではないし、日本国のおびえやひるみでもない。過去や歴史から学び取った良識や美徳ではないかね? 我々は引き金に指をかけても軽々しく引きはしない。それを命令一つで引くのが軍隊であり、自衛隊にも引き金を引けと国民が望む形態であるならば、もっと早くに自衛隊という組織は軍隊に改編されていただろう」


『これは私語です』と野元が呈していても、自然と川口は言葉を選び、語るうちに表情は強張っていった。


 正直なところ、自衛隊の行く末は川口や野元の思惑が反映されるところにはないが、『自衛の組織』という前提だけは損なってはならない絶対的な志であるし、その前提を議会が揺さぶる事への反発もある。


「自分も軍隊ではなく、自衛隊に入隊したつもりであります」

「無論、私もだよ」


 少し開いた膝に手を付き、肩肘を張ってわずかに頭を下げた野元に、川口も同意をしてやる。


『防衛軍への組み換え』などという議案を目にした瞬間に、日本中の自衛官たち全員が彼らと同じ思いを抱いただろう。


「救いは『防衛軍』であって『国軍』ではないことだな。何をもってどこまでを『防衛』とするかだが、敗戦の記憶は薄れても、戦争の記録や歴史は消えることはない。ここまで『自衛隊』という形態であり続けた理由は、そうそう覆らんだろう」

「自分もそう願います」


 野元はもう一度川口に頭を下げて同意を示した。

 だが、川口はここまでの論旨をひっくり返すような渋面を浮かべる。


「なればこそ、今回の任務が『防衛派遣』である意味を考えなければならない」


 川口の後を追うように野元の表情も引き締まる。

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