黒田幸喜 ③
黒田が乗り込んですぐ、シートベルトも付けきらないうちに高田は車を発車させ、多賀周辺を三周ほどして淡路サンセットラインを南下し、多賀の浜海水浴場の駐車場に車を停めた。
「ずいぶん念入りだな」
「政治や権力が絡むと気を使うんですよ」
「刑事の俺との雑談でもか?」
話の脈略がなさすぎて思わず確認してしまった。
「刑事だから尚更ですよ。分かってて言わないで下さい」
「ああ、そうか。すまん」
まるでスパイか密告者のような高田の口ぶりに言い負かされ素直に謝る。
「それで? 暴走族になんかいわくが付いとるわけやな?」
「……僕が掴んでる情報では、彼らをモルモットにしている組織と、淡路連合を操って対立構造に持っていった人物。その辺と関わりがあるかどうかわかりませんけど、バイクチームと内通してる人物が居ます」
「…………なんや、なんかの映画かマンガか?」
「……だったら気が楽なんですけどね」
高田の口から出た話はどれも現実味がなく、すぐには信じられなくて茶化してみたのだが、高田は笑うどころか疲れた顔をのぞかせた。
「一個目と二個目は想像もつかんが、三つ目は警察関係者か?」
内通という語感に刺激され、黒田は直感で聞いていた。
「恐らくは。もしかしたら二個目もそうかもしれません。状況的にそうだろうなという程度ですけどね。ただ、一個目はどこかの企業だろうとは思ってます」
さすがに黒田もなぜ?とは聞かない。
「……一部の未成年に蔓延してるエセH・Bか。最近じゃ、開発中のアプリのテスト版もバラ撒いとるらしいな」
捜査一課の黒田には少し縁のない犯罪だが、未成年者へのH・Bの提供は固く禁じられており、ましてや世界基準から外れたスペックや未承認のナノマシンを導入した『どぶろくH・B』も摘発対象だ。
「ええ。あと、こんなのも有ります」
黒田の言葉を受け、高田は予め可視化していたインターネット記事を黒田の前へ展開した。
そこには『ナノマシンによる硬骨及び筋肉の再構成で可能となる疾病の回避と老化の補助』と書かれたタイトルが踊っていた。
「正気か!?」
「大真面目な論文ですよ」
タイトルだけで分かる大風呂敷に驚きつつ、一笑にふしてやろうと高田を見やると、高田は真剣な視線を返してきた。
「…………実現できるなら平均寿命は倍になるって理屈は分かるが」
論文を読み進めた黒田は、ナノマシンを体内に取り込み、骨や筋肉の新陳代謝を利用して金属化や代替の器官へ入れ替わらせることで、人間が羅漢しうる疾病を減らし老化や弱体化に対処することで人類の平均寿命を倍に伸ばすことが可能だという論文に一定の理解を示した。
しかし体を機械化することへの安全性や事故や暴走の可能性を感じ、肯定よりも否定の方が大きかった。
「H・Bでさえ提唱から何年もモルモットで試験――」
「そういうことです」
「けしからんな! これは許せん!」
論文の通りの商品を開発した企業ならば、早急な実験と実用化を試みるだろう。そうなった場合、懐疑的な大人よりも警戒心や猜疑心の薄い未成年を対象にするだろう。
高田の懸念通り、世間からはみ出し気味のバイクチームには未成年者が多く、モルモットとして絶好の存在だ。
ましてや早急な実用化に達することで利益や先駆者というブランドを纏おうという資本主義的腹黒さに、黒田は純粋な怒りが湧いた。
「だが、なんでそんなデカイネタを俺にバラしたんや? 高田さんにメリットないやろ」
「分かってるでしょ? 黒田さんが隠してるネタ、あるんでしょ?」
「…………」
高田の断定に黒田の怒りは一瞬で引っ込み、心臓が飛び跳ねてうるさいくらいに高鳴った。
――さすがは急進の雑誌社やな。バレバレやな――
喫茶店で『バイクチームが新皇居に集まっているという通報』などと誤魔化したことが恥ずかしくなり、自嘲してなんとか鼓動を鎮めてから高田に答えてやる。
「バレてたらしゃあない。……今度の自衛隊の演習な。アレは防衛派遣や」
「なんですって!? 国内ですよ?」
人気のない海岸沿いの駐車場とはいえ、高田の驚きの声は車外に聞こえるほど大きかった。
「マジや。俺の同席しとる場で警察署長が南あわじ市長に要請したんやから間違いない。機動隊が五回も任務に失敗したんやから、まあ当然やわな」
「ちょ、ちょっと待ってください! それ、言っていいんスカ? 公式発表してませんよね? 防衛派遣も、総理大臣の判断がなきゃ――」
「お前が望んだ通りの秘密やろが。お前の話とどっちがヤバイか考えてみぃ」
普段の口調で凄む黒田に、高田は口をつぐむ。
「……バイクチームの抗争に自衛隊が出張るとか、大袈裟すぎるでしょ?」
声をひそめて問い返した高田に今度は黒田が慌てる。
「ああ、なんや、そこまでは知らんのか。……それはそれでええか。どっちか言うたらオカルトやからな。……要は、首相と自衛隊の今の繋がりとか関係性とか立場の話やからな」
「防衛軍への引き上げ、ですか。……確かにヤバイ話ですね」
黒田のヒントで点と点が結ばれたようで、自衛隊が防衛派遣を行った事実を元に御手洗総理大臣が自衛隊を防衛軍へと組み換えようとしていると想像出来たのだろう。
人体実験も辞さない企業と、自衛隊を軍隊に改変しようとする総理大臣。
どちらも両手を挙げて受け入れられる事案ではない。
「俺はもうちょっと違う情報が欲しかったんやけどなぁ……」
黒田の構想としては、高橋智明と関わり始めたバイクチームの動向や、それらから生まれる今後の展開を探りたかったのだ。
智明と優里が独立国家を興したならば、その手足となったバイクチームの活況は注目されるだろうから、そのフォローないし真相を知っておきたかった。
「……じゃあ、お釣りを返す意味で一つだけ」
「あん? まだあるんか?」
「そりゃあ、噂話の集積地ですからね。……フランソワーズとか、モリヤマという人物を調べてみて下さい」
「なんやそれ。ハーフか?」
「分かりません。ですけど、色々な所に、様々な名前と肩書きで現れる人物です」
「んなもん、どうやって調べろっちゅうねん」
高田の薄ら笑いも気に入らなかったが、そういった人物が跋扈していることも気に入らなかった。
――いっそ、そいつがすべての黒幕やったらええのに――
そんな考えが浮かんでくるほど、黒田は面倒なことに首を突っ込んだことを自覚した。
そんな黒田の困り顔を面白がって高田が言う。
「雑誌記者ってのは全員そう思いながら名刺配ってるんですよ」
「悪かったよぅ。警察も同じ気持ちで手帳ペロペロ開いとるわ」
珍しく高田が皮肉を言ったので、黒田も言わずもがなの反撃をしてヒョイッと右手を差し出した。
「さっきの三点に関しては手を組もうや」
「自衛隊を含めたら四つですよね?」
「……そうやな」
正直、自衛隊に関してはこれ以上黒田のもとに情報が来ることはないだろうが、ここで首を縦に振らなければ話は進まない。
案の定、黒田が同意するまで高田は右手を持ち上げもしなかった。
― ― ―
そうして黒田と高田は一時的な共闘を約束して握手をし、多賀の浜海水浴場で別れて、黒田は江井にある旅館へと徒歩でやってきた。
その合間から降り出した雨に心も体もビショビショにされ、黒田は明日からの行動指針に迷いが生まれたのだ。
「いつの間にかアワジだけの話に納まらんようになってきたぞ……」
じっくりと二本目のタバコを吸いきり、とにかく気分転換を図ろうと決めた黒田は、旅館の喫煙所から食堂へと向かう。
有給を取ってからの三日間の方が、通常の職務より忙しく感じるのは黒田の気のせいではないだろう。
昨晩は播磨玲美。
その前の晩には野々村美保を抱いた。
「一人寝なんか寂しくないぞ」
独り言でこんな強がりを言っている時点で、自分はかなり疲れているな、と黒田は自覚した。




