(五) 迎合 ②
※
「雨、スゲーな。……込み入った話になると思うから、タバコ吸っていいぞ?」
「……うっす」
バイクチームWSSは地域のボランティア活動を行ったりもするが、そこまで健全な集まりではないし個々の趣向で喫煙は黙認されている。唯一の禁止事項は、バイクチームである以上飲酒は厳禁であることくらいだ。
ただし、リーダーのテツオが非喫煙者であるために幹部のほとんどがタバコを吸わず、他のメンバーも自然とテツオらの前では喫煙しないルールが出来上がっていた。
とはいえ、リーダーから直接『吸っていいよ』と言われて吸い始められるものではない。
「……まあ、こんな時間作る必要もないんだけど、一応話とかないとだからな」
「すいません。本当に成り行きで、気付いたらもう真っ最中で、つい歯止めが効かなくなっちゃって――」
「オホン! ウォッホン! あの、だからそっちの話じゃないって」
わざとらしい咳払いをして、テツオが苦笑いを浮かべる。
「キミが好きで、二人の合意でヤッたんだろ? それを俺がとやかく言うのはおかしいだろ。……サヤカがここに居るんだから、分かれよ」
珍しく照れくさそうに頬を掻きながら話すテツオを見、また真はテツオとサヤカの淫らなまぐわいを想像して慌ててしまう。
「す、すいません」
「じゃなくて!だ。 キミの見せてくれた精神の世界で智明に食ってかかったろ? そっちの話だ」
恐縮する真に本題を突きつけると、真は何かを思い出して真剣な顔をテツオに向けた。
「そういえば、テツオさんとクイーンに止められました。……テツオさんもあそこに居たんですね」
真の言葉にテツオは思わず唸る。
ウッドデッキのテラスチェアーに背を預け、腕を組み足まで組んで思い出しながら真に答えた。
「……居た、て言うほどハッキリしてないんだよな。……どちらかといえば、夢みたいに『見えてた』って感じだな」
「夢、ですか。……言われてみると、智明や優里やキミは姿も形もあって、存在感もありましたけど、テツオさんとクイーンは声だけでしたっけ」
テツオの表現を受け思い出しながら話す真は、ようやく下世話な話から頭が切り替わったようで、真面目な表情になる。
「そうだなぁ……」
ようやくまともに話せる状態になったと感じたテツオは、腕組みを解いて左手は肘掛けに乗せ、右手で顎をさすりながら体験したことをどう伝えるべきか思案した。
「……歩道でケンカが始まりかけてたから、チャリで通り過ぎながら注意したくらいの感覚だったな」
テツオの身近すぎる例えに思わず真は苦笑する。
確かにテツオもサヤカも通すがりに一言だけ投げかけてそれっきりだった。
「言われてみれば。……でも、どうして止めたんすか? あの世界で殴り合いは出来ないにしても、アイツの考えとか聞くチャンスだったと思うし、文句の一つくらいは言えたと思うんすけど」
「それだよ」
テツオは組んでいた足を下ろして、チェアーにリラックスして座り、リーダーの貫禄を漂わせながら続ける。
「そもそも瞑想ってのは乱れたり揺れたりする精神状態を、平らで穏やかな状態にするものだろ? それか集中させて士気や意欲を高めて自分を鼓舞させたりするもんだ。例えば、例え話ばかりですまんが、波の立ってないプールに飛び込んだらどうなる?」
「まあ、水しぶきが上がって、波が立ちますね……」
「当たり前だよな。身体とか魂とか、そういうものを精神集中で連携させたり、ポテンシャルを上げようってのが瞑想だ。じゃあ、その集中が不本意な状態で途切れたらどうなる? 連携していた身体や魂はどうなる? あの世界で感情むき出しってのは、そういう状態になるってことだ。もしあのままお前が智明に殴りかかったりしてたら、あそこにいた全員に何かしらの怪我とか障害が残りかねなかったってことだ」
いつの間にかテツオは膝に肘を乗せ、前かがみになって真を諭すように話していた。
テツオはオーバーな表現も交えたが、今の真の一本槍な考え方や行動の仕方はテツオにとって気がかりで仕方がない。普通にチームのメンバーとしてならそのままでも構わないが、自分達の状況がそれを許さない。
その真意が伝わったかは分からないが、話が進むにつれ真の表情は次第に沈んでいき、何かに思い至ってハッと目を見開いた。
「…………だから、キミも俺を止めたんですね……」
しばらくの沈黙のあと、真は自嘲の笑いを浮かべながら呟いた。
「あの場にキミが居たのなら、そうするだろうな」
前夜の『共感』でキミの半生を知ったテツオだから、今こうして真に話ができているのだが、テツオにはもう一つ伝えたいことがあった。
「それとな? ちょっとだけ考えてほしいのが、もう、お前が智明に一発食らわせたいってレベルの話じゃなくなっているってことなんだ」
「え? ああ、そりゃあ俺がWSSを巻き込んじゃったから――」
「だけじゃない」
真の言葉をテツオが遮る形で断言したため、真は驚いてテツオの顔を見つめ、見落としや思い違いがないか考えを巡らせて目が泳ぐ。
「いいか? HDを洲本走連の分まで確保したってことは、WSSと洲本走連で動くってことだ。それを知ってかどうか分からないが、淡路暴走団と空留橘頭が新皇居に集まってるって情報もある。それだけじゃない。警察の機動隊が何回も追い返されたから、今度は自衛隊が動こうとしてる」
テツオが畳み掛けるように現実を突きつけたため、真の目線は段々と下がっていき、膝の上で握りしめた自身の拳を睨みつけている。
「…………でも、俺が、やらなきゃ」
テツオの示した現実を背負うように、真は引き結んでいた唇を開いて絞り出すように呟いた。
昨夜の食事の時にも宣言していたが、もしかするとテツオが思うより真の決意は固く強いのかもしれない。
昨夜のように強くハッキリと言い返してきたならテツオにも言いようはあったが、真の重々しい雰囲気にテツオも黙ってしまった。
テツオが言葉を選ぶ間、貸し別荘のウッドデッキには雨の音だけが聞こえる。
「……お前がそこまで真剣に考えてるってのは分かってるつもりなんだけどな。ただ、子供のケンカみたいに一直線に向かって行くってのは、やめようぜって話なんだ」
「そりゃ、俺らはまだ中学生っすけど、そこまでガキじゃないっすよ」
テツオに挑みかかるように厳しい目線を向けた真へ、テツオは左手を上げて制する。
「そうは言ってないだろ。相手は超能力使うんだろ? 水爆も作った奴だ。その気になれば何十人何百人を虐殺できるんだぞ? そんなのとやり合うんだから、人数と皆の能力を最大限に活かさない手はないだろ。ましてや、もう智明一人だけじゃないみたいだしな」
「そうか、アワボーとクルキか……」
真はついさっきテツオに言われたことを思い出して呟いたが、テツオは静かなトーンでまだ真が気付いていない現実を突きつける。
「……ユリちゃんだっけ? 彼女もあの世界に居たんじゃないか?」
「まさか! 優里にそんなチカラがあるっていうんですか?」
テツオの突きつけた現実をようやく受け止めかけた真だが、優里が智明に加担している可能性だけはすんなりと入って来なかったようで、また前のめりにテツオに厳しい目を向けてくる。
優里が智明のような能力を得ているという部分も受け入れ難いようだ。
「まだ分からないけどな。でも、俺やサヤカがあの世界に登場しなかった事を考えると、可能性はあるだろ。キミから素養があるって言われた俺でさえ声のみなんだからな。疑ってかかるくらいじゃないと対処できない局面はあるぞ」
テツオの座右の銘『石橋を叩いてぶっ壊してから新しい橋をかけて渡る』の、『石橋を叩く』がこの猜疑心過多とも取れる言葉に表れているだろう。
最高のゴールのために不安要素を全て廃して、ルールを変えて違う競技にしてでも最高のゴールを決めるのだ。
真には言わなかったが、恐らく貴美はサヤカにもテツオに感じた素養を見出していると思っている。貴美が淡路島を離れることになった経緯や、大阪に向かった理由をサヤカから聞いているというのもあるが、その程度の恩義や表面的な人付き合いだけでああも仲良くはできないだろう。それはテツオがサヤカに愛情を持ったことと同じで、言葉や態度ではなく感性や魂で感じたことと自負している。
「それは。……でも、そんなこと。考えられません……」
ウッドデッキに来てから一番動揺している真は、情報の整理のためか精神を落ち着けるためか、両手で顔を覆ったり頭をかいたりと落ち着きがなくなる。
「まあ、可能性の話だからそこまで深刻にならなくていいよ。ただ、一本槍で殴り込んだら危険なのは分かってきただろ? あえて言うけど敵の数は多い。でもこっちも味方がいる」
テツオに窘められて真は体を落ち着けて座り直したが、まだ視線は揺れていた。
だがテツオの『味方』という単語に顔を上げ、テツオを真っ直ぐに見返す。
「ウエッサイやスモソーは勿論だけど、お前にはキミが居る。それはとても大きなチカラなんじゃないか?」
「それは、そうです」
真は即座に答え、言葉を足す。
「キミは俺を助けてくれると言ってくれたし、俺もキミを助けると約束しました。そこは、絶対やらなきゃいけないことです」
テツオには真が貴美とした約束の内容は分からなかったが、『絶対』という言葉に真の真剣な熱意を感じ、話を一気にまとめることにした。
「じゃあ、なおのこと成功させるための段取りとか手順をキチンとしようぜって話なんだよ。殴りかかるだけのガキのケンカじゃないからな」
「……そういうことですね。分かりました」
ようやくテツオの真意まで追いついたからか、真は数秒の黙考のあとテツオの考えを聞く姿勢へとなってくれた。
「それでいい。比良山で大尉に教えてもらったのは、生き残り方だけじゃない。全員が同じ目標を持ち、能力や装備に合わせた手段と役割を決めるってことも教わったからな。お前や俺の能力とか、キミのチカラを最大限発揮するためには、感情で動いちゃいけないんだ。分かるか?」
「大尉が言ってた『感情で引き金を引いてはいけない』っていうのは、そういうことなんですね……」
テツオの踏み込んだ説明に、真は大尉からの注意を思い出したようだ。
大尉の言いたかったこととは少しズレているが、しかしテツオは今はそれでいいと思った。これまでにチームの抗争などで拳を奮ってきたテツオだが、チームの利益とかけ離れた感情だけのケンカは、その時には勝負がついても後腐れしか産まないことを知っている。だがそれを今の真に言ってもピンとこないであろうと思える。
だから、今は全体の中の個人という立ち位置を知らしめるだけに留める。
まだ十五歳の少年に後悔をさせたくないから。
「……そうだな。目的や目標が大きかったり大事なことであるほど、慎重さも大事だ」
「はい」
「キミのことも考えるならなおさら、だぞ」
貴美のことも並べてしまったのは流石に蛇足だったか?とテツオは思ったが、真の目は真剣なままテツオを見返してきた。
「もちろんです」
真の力強い返事を聞いて、テツオはこの時間が無駄にならなかった事に胸をなでおろした。




