(三) 藤島貴美 ②
「……これは、イヤラシイ……」
光の中に浮かび上がったのは、黒髪の少年と少女。先程のテツオとサヤカのように一糸まとわぬ姿で体を重ねてい、互いの名前を呼び合いながら愛の言葉も叫んでいるようだった。
ただテツオとサヤカと違うところは、欲望や本能のままにぶつかり合っている様子が見て取れ、テツオとサヤカの様な通じ合い高め合う印象ではない。
より肉欲的で、動物的で、青臭くて生々しい。だから、イヤラシイ。
「リリー!」
男が叫んだ。
「モア!」
女もそれに答えた。
その瞬間、貴美は冷水を浴びたような衝撃と悪寒を感じた。
諭鶴羽山の電波塔から意識を飛ばし、監視をしていた新皇居の住人だと直感したからだ。
「高橋智明! 鬼頭優里!」
思わず貴美は二人の名を呼んでいた。
高橋智明の名前は、貴美に密命を依頼した者から聞いていたし、この二日間は真やテツオ達と彼の暴走に対処するために何度もその名が出てきていた。
鬼頭優里の名前は、真から聞いていた。
真と智明の共通の幼馴染みだと説明されており、今は智明にさらわれた形で新皇居にいるであろうとも予想されていた。
その二人が、ほんの小さな興味や好奇心から引き寄せた光の中で、体を重ね淫らに絡み合い官能の声を発しているのだ。
貴美が動揺しないわけはなく、テツオやサヤカの場合とは別の意味で目を背けたくなる。それほどに二人のまぐわいは直情的で恥じらいがなく、情愛よりも性欲が前に出ている。
だが貴美の冷静な部分は、これを好機と見ていた。
依頼者やテツオや真から口伝えで高橋智明という人物の情報を得てはいたが、この精神世界は貴美の世界である以上、もっと詳細に対象を知ることができる。
「何かしら知っておくべきことがあるやも知れぬ」
あくまで興味本位ではなく任務であると言い聞かせ、貴美はそっと映像として映る智明に意識を集中した。
――これは、なんだ?――
高橋智明の十数年分の軌跡を流し見て、貴美は言いしれぬ疑問が湧いた。
これまでにも加持祈祷の依頼を受けて、その対象の半生を精査した経験はあった。どの地域で、誰と誰の間に生まれ、どういった生活を過ごしてきたかを目にし、依頼のあった異常や問題点を探し出す作業の一つとしてこういった手段を取る。いわゆる霊視や降霊に類するものだ。
高橋智明の場合、小学校入学からはハッキリとした記憶と人格の形成が現れており、特に真や優里と過ごした時間は鮮明で明瞭な思い出として強く大きく見いだせた。
しかしそれ以外の時間、つまり家庭での生活や家族との思い出などが不明瞭で、父母の存在感すら希薄だった。
「どういう、ことか」
貴美は胸の奥に刺さったままの棘の痛みを堪えながら智明の幼少期まで遡る。
しかしやはり智明の父母の存在感は希薄で、その姿形すら朧気にしか見えない。
「そういうことなのか?」
智明の記憶にある父母らしき人影と、幼年期以前の智明を抱く父母の影は違った色に見え、貴美に一つの想像がたった。
智明の父母とされている同居者は、智明と血縁関係になく、本当の父母から養子などの形で智明との縁を結んだのではないか?
その証というわけではないが、智明の同居者はどこか智明に対して距離がありよそよそしく、智明の記憶の中の景色も幼年期と小学校からでは雰囲気が違う。
そしてもう一つ、明らかに智明に変化が起こった瞬間があった。
それは極々最近の記憶で、智明と優里が学生服らしい姿でキスを交わしている場面。
貴美はその場面につられて自身と真とのキスシーンを回想してしまったが、このシーン以降明らかに智明の顔付きや体内に変化が起こり始め、射精や嘔吐や吐血などを経、衣服と皮膚を裂き割って臓器や筋肉や骨を露出した姿になり、それらが再生されてから人外の念動力を発現した。
貴美の知識は閉じたものであったが、それでもそういった奇怪な人体の変容は聞いたことがなかったし、そのような力の目覚め方は想像の枠にもない。貴美が守人の力に目覚めた時とも違っている。
「しかし、新皇居で垣間見えた力の大きさは侮れぬもの。彼に実の父母が居る事や、体を裏返したような変事が何を意味するのか調べなくてはなるまい、が?」
生まれた疑問を課題として心に留め、智明への注視をやめた。のだが、貴美はまた違和感を感じた。
手の平の上の光の中では、先程と変わらず智明と優里が抱き合っている。
しかし、その映像から視線を感じるのだ。
「!? 見られている? 見返されている? 有り得ぬ!」
だが映像の中の智明は鋭い視線を真っ直ぐに貴美の方へ向けているし、その智明を追うように優里の不安げな瞳も貴美の方へ向いた。
《――アナタは、だあれ?》
「……!?」
貴美と優里の視線が合った瞬間に、貴美の頭の中に女の声が響き、驚き過ぎて言葉が出てこなかった。
咄嗟に手の平から光を放り出して数歩分距離を取る。
――今のは、伝心……テレパシーというもの、か?――
瞬間的に早まった動悸を押さえ込みつつ、光を手放したことで少しだけ貴美は落ち着きを取り戻した。
心と心での会話、もしくは相手の意識に言葉を送る能力、いわゆるテレパシーの存在は貴美も知識として持っていたし、法章に戦闘術を習った時のように一時的な感応の中で言葉やイメージを交わし合う術は心得ている。
しかし示し合わせもなく、多分にイメージで形成されている個人の精神世界に、外から同調して意識を割り込ませてくるなど聞いたこともない。貴美に同じことが出来るかと問われれば、『成し得ない』と答えるしかない。そもそも貴美には離れた所にいる他者に意識を飛ばすという発想がない。
――声は女の声だった。……智明ではないということは、鬼頭優里か!? 彼女も、力を使えるということ!?――
真やテツオから聞いていた話とは違ったニュアンスが生まれ、貴美は惑った。
このまま集中を説いて通常の意識に戻れば、智明や優里に追跡されたり怪しまれることはないはずだ。ここは貴美が作り上げた貴美の精神世界のはずだからだ。
しかし、優里が能力を持っている・行使できるという新事実を、このまま捨て置くこともできないと思えた。少なくとも真やテツオは智明とだけ戦うつもりでいるし、智明の元に地元のバイクチームが集まっているという情報があるにしても、HD化しているテツオ達の敵ではないだろう。
それよりも優里の能力が智明と比肩するならば、相当な脅威となりうる戦力だ。
「…………真のためなら、もう少しだけっ!」
あくまでここは精神世界なのだ。危険や不安はないと腹をくくり、貴美は目を閉じた。
先程の智明の記憶を辿った要領で、優里の半生に意識を集める。
ぼんやりと貴美の瞼に浮かび始めた映像は、ごくごくありふれた一家の団らんに見えた。乳児期から幼年期の可愛らしい女の子を中心に、父親や母親に加えお手伝いさんのような女性の姿もある。もしかすると一般家庭よりも裕福な家庭環境であるのかもしれない。小学生の少女が楽しげに話している食卓も広くて豪華に見える。
だが、このあたりから貴美は違和感を覚え始める。
食卓に着いているのは父親か母親かのどちらかで、中学生の記憶になると彼らは途中退席をしたり、少女一人の食事の場面が増えた。
次いで、帰宅したばかりの少女に、父親ないし母親が顔を合わすなり叱りつけるシーンもある。少女が言い返した場合は更に厳しい言葉が飛んでいた。
そこからは少女が自室に篭もる場面が多くなり、時折窓の外を眺めたり、勉強机で物思いにふける場面が増える。
――私とは、違う孤独――
すぐそばにいるはずの家族と、温かみを分かち合えていないように見え、貴美の胸の奥がまた痛んだ。
貴美が修験者として物心つく前から御山で修行を行っていたのは、父と母がそこで修行を行っていたからだ。
ただ、貴美は母の顔を知らない。写真などの記録も、ない。
父公章の説明では、貴美の母は貴美を産んですぐに体調を悪くし、家族の元へ引き取られたのだそう。それから二度と母が御山に戻ることはなく、生死の連絡すら届いていない。
だから、というわけではないが、公章は一派の長という立場もあり貴美を特別扱いせず、また母の話題や家族らしい会話もしないので、貴美が母の不在を思って涙するようなことはなかった。ただ、居て当然であろう存在から絆を感じさせてもらえないという不足感は、寂しいと思うし、そういった感情を抱いた人に過剰に同調してしまう。
と、映像では初めて見る部屋に優里と少年の姿が映った。
「マコト? ああ、幼馴染みだからな。おかしな事は、ない」
かなり最近の出来事のようで、智明の時と同様に二人とも制服姿だ。
何かを話しているようだが、楽しげ、という雰囲気はなくやや空気が重い。
「……あっ!」
真が優里に言い寄るようにベッドに上がると、優里は激しく抵抗し、落ち着かせようとする真に平手打ちをして部屋を出ていってしまった。
しばらく立ち尽くした真は、自らのミスを省みるようにうなだれて床に座り込んでしまった。
――マコトは、優里が好きだったのだな――
貴美は失恋や片思いという痛みをまだ知らない。
それでも真の失意は想像できたし、真を受け入れなかった優里の心情も少し分かった。先程の智明の記憶を先に見ていたということもあるが、どのような会話があったかは定かでなくとも、貴美から見て真の行動はスマートだったとは思えない。
また貴美の胸の奥がチクリと痛んだ。
「コンバンワ。あれ? コンニチワの方がええんかな?」
不意に女の声がしたので、貴美は目を開けてそちらを見る。
と、男の姿もあった。
「コンバンワでいいんじゃないか? 実際に夜なんだし」
「そっか、そうやんね」
「ええっと、あの……」
一目で高橋智明と鬼頭優里だと分かったのだが、目のやり場に困って貴美は言い淀む。
「も、申し訳ない。少し、隠して欲しい」
輪郭はボンヤリとしているが、二人とも全裸に近い格好だったのだ。
「おっと、失礼」
「あはは。……えっと、ごめんなさい。貴女もやで?」
「あああ! し、失礼した」
貴美の指摘に智明は両手で下腹部を押さえ、優里は智明の後ろに隠れた。対して貴美は盾にするものがなく、右手で胸元を隠し左手で下腹部を隠した。
三人ともが居住まいを正し広大な星空をバックに、宙に浮いたまま正対する。
「……改めまして、高橋智明と、鬼頭優里、で、よろしいか?」
貴美はなんとか動揺を押さえ込み、まず二人の素性を確かめた。
先に名指しされた智明と優里は、智明の肩越しに目線を合わせ、また貴美の方を向く。
「ああ、そうだよ。……君は、誰なんだい?」
「私は、藤島貴美。諭鶴羽山で修行をしている者」
ほう、と智明が唸る。
「修験者――山伏なんだ? ということは、イザナミ信仰なのかな?」
「そうだ」
貴美の示した『諭鶴羽山』『修行』という単語から、間を開けずに修験者と言い当てた智明に、貴美は素直に感心し首肯した。
「へえ。モア、詳しいね」
優里も山伏の知識は多少あるようだったが、智明がイザナミ信仰まで知っていることに驚いたようだ。
「ん? ああ。新皇居で『天の御柱』を見た時にね、アワジ界隈じゃ伊弉諾神宮は有名なのにイザナミを祀ってる神社や神宮を知らないなって思ってね。調べたことがあるんだよ」
「へえ」
「……それはそれとして、山伏ならこういう空間とか世界を持ってるのはなんとなく理解できるんだけど、なんで俺達のことを見てたのかな?」
話を戻した智明の言い様に、どうやら瞑想やスピリチュアルの知識もあるのだなと感じ、貴美は言葉を選んだ。
「……先程も言ったように、私は諭鶴羽山で修行を行っている。大きな力を感じ取れば様子を伺いに来るのは、おかしいことではあるまい?」
「…………なるほど」
貴美が言葉に真実味を乗せようとジッと視線を外さずにいると、智明はそれを真っ直ぐに見返し、探るような間を開けてから応じる。
「じゃあ、ここってどうゆう空間なん? こんな不思議なとこ、初めて来たんやけど?」
貴美と智明の睨み合いに優里が割って入る。
「ん。ここは瞑想によって訪れることのできる精神の世界。厳密に言うと悟りを開くための準備段階とも言い換えられる自分だけの世界。我々は『真理』と呼んでいる」
「悟り? 真理?」
貴美の説明をオウム返しにした優里だが、智明が「後で説明するよ」と諌め、話を進める。
「とりあえず意識とか精神に、イメージとか仮想の感じで存在してる空間とか世界ってことは分かったよ。……じゃあ、なんで修行とか瞑想をしてない俺と優里がここに来れたんだろう? 貴美さんの説明だと、一人に一つって感じだよね?」
「……あくまでも想像だが」
苦笑しながら問うた智明に、貴美も即答できずに当惑の笑みを浮かべる。
こういった事象は教えられていないし、これまでに経験したこともないので、貴美としても明言できないのだ。
仕方なく仮説を述べるしかない。
「そちらの二人はテレパシーが使える様子。そのあたりが作用し、混線のような状態が起こったのではと考えている」
「混線?」
貴美の使った単語の意味が分からず、智明が聞き返した。
「本来の筋道と違ったところ同士が繋がってしまった、というか……」
貴美の説明が通じないのも無理はない。
まだスマートフォンのような電波通信が普及していないどころか電話線が日本全土に行き届いていない時代、電話での通話は原始的な接続のプロセスを行っていたため、目的の通話相手へと繋げられるべき回線が別の電話番号へ繋がってしまう事故がたびたび起こっていた。災害時や一つの電話回線に多数のコールが集中すると、三者通話でもないのに複数の回線が繋がってしまうといった混乱があった。
二十世紀に移動式携帯電話器が登場し、電波通信が開始された当初もごく稀にそうした意に反した複数同時通話は起こったが、通信システムの改善や通信容量の大容量化と通信内容の暗号化などのセキュリティー増強が整い、近年はそういった混線は死語と言っていい。
貴美も修行の最中に高齢の修験者から聞かされた例えを思わず使ってしまっただけで、混線を経験しているわけではない。
「取り違いとか、リンクミスとか、バグみたいなもんかな?」
「……おそらく、そう」
今度は智明の例えを貴美が理解できなかったが、話が進まないのであやふやに肯定した。
「まあ、いいや。……つまりは、俺達が貴美さんの世界に割り込んでしまったってことだね」
「ああ、そっか。なんか覗かれてる気がして、二人で呼んでしもたからや」
あっけらかんとテレパシーの行使を話した優里に、貴美はまた驚いた。
真理の世界から覗いていた自分の気配に、彼らは気付いたと言ったからだ。
「……私の気配に気付いたのか? 有り得ない。……それは、有り得ない」
この真理の世界は、貴美の意識の中に作り上げたられた精神世界なのだ。この世界で何かを行ったからといって現実世界に影響しないし、また現実世界が貴美の精神世界に影響を及ぼすこともない。
むしろ影響があったとすれば、それは貴美の人生観や意識や魂が変化したことの証で、その影響が悟りに近付いているか遠のいているかを知るためにも、貴美は定期的な瞑想を行い、修行を続けている。
そういった内に閉じた個室に外部から侵入したり、呼びかけること自体、貴美には信じられなかった。
「有り得ないと言われてもな……。理由は言えないけど、俺達はちょっと厄介事を抱えててね。そのせいで俺達に近付く気配には敏感なんだ。寝てる時でも飛び起きるくらいだから」
「それは言い過ぎや」
「…………そんなことも出来るのか」
智明の警戒心というか猜疑心というか、結界とも取れる抜け目のなさを感じ、貴美は少しだけ彼らから距離を取った。
「そうか? 実際、さっきもイッタ瞬間だったけどちゃんと――」
「アホ! な、何を言うてんの!」
「い、いだい。リリ、いだい……」
智明が何かを言いかけた途端、優里が突然智明の後頭部を叩いて、怒鳴りながら智明の首を締め始めた。
「ど、どうかしたのか? ケンカは、良くないぞ」
「へ? ああ、ごめんなさい。気にせんとって。エッチなこと言いかけたモアが悪いねんから」
訳が分かっていない貴美に手を振りながら、優里は智明の首にかけていた手を解いて何かを誤魔化すように笑う。
「ならば、良い」
答えた貴美の顔が赤く熱を帯びていくのが自分でも分かった。
先程の智明と優里の交わる姿を思い出し、なおかつ自分と真の行いも思い出してしまったからだ。
――もしかすると、高橋智明と鬼頭優里の思考に、私がマコトの事を意識した事が絡み合い、このような混線が起こったのではないか?――
アチラとコチラでそんなにタイミングよく意識が開いてしまうことなどないはずだが、可能性の話をしてしまえばゼロではない。
――もしかすると、マコトも彼らの事を考えていたのかも……――
貴美がもう一つの可能性に思い至った時、智明と優里が緊張し意識を引き締めたのが貴美に伝わった。
「……何事か?」
貴美の問いを無視して、厳しい表情で身構えた智明が辺りを伺っている。
優里も、智明の背中に張り付くようにしながら、耳をそばだてるようにして警戒を強めている。
「誰か、来る」
かなり間が開いてから智明が応えた。
ここに至って貴美にも新たな乱入者の気配に気付く。
だが、今、その者には彼らと会って欲しくなかったので、貴美は可能な限りの叫び声で制止した。
「マコト!! 来ちゃダメ!!」




