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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
【幕間】 それぞれの真理
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(三) 藤島貴美 ①

 ――マコト。どうなっている? 私は、どうしてしまったのだ?――


 藤島貴美(ふじしまきみ)は混乱の極みにいた。

 修験者(しゅげんしゃ)の修行では非常に過酷な修行を行う。

 一週間程度の断食や、大木の高所の枝から吊られたり、断崖絶壁の縁から身を乗り出すなど、空腹や恐怖や睡眠などを取り払い、まっさらな精神を手に入れるためならばどんな修行にも真剣に取り組まねばならない。

 貴美はこれまでその全てに弱音を吐かずに真剣に取り組んできた。

 しかし、今の貴美には初めての感情や状態が一度に巻き起こっていて、その整理がつかないまま意識が昇華されてしまった。

 何度も訪れた精神とイメージの世界で、一人悩む。


 ――これが愛なのか。これが高揚なのか。これが興奮なのか。……マコトも同じ気持ちだと、いいな……――


 いつものように視界いっぱいに広がる暗い背景とそこに散りばめられた生命の輝きは、いつもと同じに見えて少し違って見えた。

 星のような光点に見えてそれ一つ一つが生命の輝きだと知る貴美は、寄り添ったり重なったりする光に、ついフォーカスしてしまうのだ。


 ――これは、私の視野が広だったのだろうか? それとも、いつもよりも高い視点から見れているということか? ……恋に、欲に溺れてしまったのか?――


 これまでは真理の世界で光の輝きを見ても、『生命がそこに在る』というだけで満足し納得していた。

 しかし今は、つがいのような光たちの寄り添い方・重なり方・戯れ方・くっついている距離感などが気にかかって仕方がない。

 その光たちの一つ、貴美のすぐ近くに浮かんでいる一組の番は、じゃれ合う様に跳ねたり回ったりしていて、貴美は思わず手を伸ばして引き寄せてしまった。


 ――本来は禁じられていること。しかし、私はマコトとの接し方を学びたい。……だから、覗き見ではなく、参考ということにしてほしい――


 ここは貴美の感覚を開いて映像化した精神世界であるのに、何者かに弁解しつつ引き寄せた一組の光を手の平に乗せる。すると、手の平の上で光は輝きを増してぼんやりと球状に広がり、真ん中に映像が浮かび上がってくる。


「……あっ」


 映し出された人物を見て、思わず貴美の口から声がもれた。

 ベッドに横たわるテツオとサヤカが映し出されたからだ。

 ただ、二人は衣服を身に着けてはいなかったが、幸いにも眠っている場面のようで、二人の秘め事を目撃せずに済んでホッとした。

 サヤカには、バイクを壊してしまったり洋服を貰ったり、淡路島から大阪や滋賀までバイクで送ってもらったりと、迷惑をかけたり世話を焼いてもらっているが、友情というか姉妹のような関係性が成り立ちつつある。そのため、サヤカがテツオにしか見せない表情や貴美には見せない一面を覗き見てしまう怖さがある。


 これは、これまで貴美が諭鶴羽山(ゆづるはさん)で修行に明け暮れ、父の元に集った数人の修験者としか関わらなかった弊害だ。貴美の属した一派には女性も居たが、大人ばかりの集団で同年代の子供と出会えていなかったことに加え、文明を排し修行に没頭する大人達は貴美に一般的な娯楽や人付き合いを教える機会もなかった。『教義』という一本柱以外の観念を必要としない集団だからだ。


 もちろん、貴美の年齢や性別を加味した対応はあるのだが、それは目的を同じくした同志としての取り扱いであって、友情や絆や互助といった温かみではない。


 それでも貴美は一派を去っていく大人達を見て寂しさのような感情も知ったが、悲しさを知るほどの痛みはなかった。大人達の去り際は大抵、無味乾燥していたからだ。


 だが、サヤカは違う。


 出会った頃のサヤカには貴美を利用するような打算的な隠し事を感じたが、大阪へと向かう準備で時間を共に過ごすうちに貴美と親しくなろうとする心が見え、貴美のために服を当ててくれたり伯父の居場所を調べてくれたりと、今までの大人達からは感じたことのない親しさと楽しさを感じられた。


 初めてバイクに乗る貴美への気遣いや、貴美の負っている使命への理解など、サヤカの笑顔や心配顔を目にするたびに、貴美も自然とサヤカに心を開くことができていた。そうでなければサヤカの前で泣き顔など見せなかったろう。

 だから、サヤカの本心や秘め事を知ったりして、サヤカの心が離れる事も貴美の心が閉じてしまうことも怖くなった。『失うことへの恐れ』も知ってしまったのだ。


 そしてテツオに対して別の感情もあった。

 あれは偶然の産物だったが、テツオから瞑想の話題が出てこの精神世界へと(いざな)った結果、テツオに貴美の半生を見せ、テツオの半生を追体験することになってしまった。

『共有』や『共感』と呼ばれる現象に見舞われたと知った貴美は、テツオのこれまでの行いや思考、更には将来を見据えた意識やその基盤となる魂の貴さを感じた。


 まず他人の人生や思惑を全てその身その心に受けるということ自体が希有なことだが、それを交感しあい、互いに尊重しあえるという貴重な体験となった。父公章(こうしょう)や伯父法章(ほうしょう)ともこういった経験はない。

 今思い返せば、貴美の見たものは早回しの回想録なようなものでしかないが、それでもテツオの中で一貫して燃え盛っている野望と最終到達地点へと向かう情熱は、貴美の『教義』や『人々の救済』に対する熱情と合致し、すんなりとテツオを理解し受け入れることができた。

 またテツオが抱いているサヤカへの感情も、貴美がサヤカに向ける親愛と重なってそれを助けていた。


 ――でも、だからこそ、私には刺激が強い――


 十七歳になって初めて同年代の友達を得、真に友情とは違う感情を持ち始めたばかりの貴美には、テツオとサヤカがまぐわう姿は鮮烈の一言に尽きる。生涯初めての友達と生涯一番の理解者が愛し合う姿は、覗き見てはいけないという自制と、これが愛情表現の一例ならば見ておきたいという興味とのせめぎ合いを生む。


「やはり、良くはない」


 貴美にとっては長年守り続けてきた教義はやはり絶対の規範であり、欲求や煩悩に傾くことは絶対の禁忌である。

 厄除けの(まじな)いを唱えて、手の平の光を元の場所へ解き放つ。

 と、その近くに別の光の戯れを見つけた。


 ――この波動……。他とは少し違って見えるが?――


 貴美は興味と訝しみを感じながら、寄り添う二つの光を手元へ引き寄せた。

 その光たちは他の輝きとはどこかが違う。

 光の色も片方はやや赤っぽくてもう片方は青っぽく、輝き方も強く鋭い。何より、温度というか熱を帯びて見えた。

 恐らくは貴美が名前すら知らない他人の生命の輝きなので、先程のテツオとサヤカのように注視していいものか悩んだが、同化しそうなほどピッタリと寄り添う二つの光への興味を抑えられない。


 ――これは、私が知らなければならない事案であるのかもしれない――


 使命感、と言ってしまうと大仰だが、決意とともに貴美は彼らの事情を覗き見た。

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