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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第四章 恋人たち
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恋人たち ①

 コーヒーカップに熱湯を注ぐと、インスタントコーヒーは瞬時に溶け広がって、立ち上った湯気に香ばしいコーヒーの香りが混じって鬼頭優里(きとうゆり)の鼻腔を刺激した。

 フレッシュミルクとシュガーシロップを加えてスプーンで混ぜ合わせると、コーヒーの香りも手伝って優里の気持ちもやや鎮まってきた。

「……ふふ」

 役目を終えたスプーンを洗う際、左手の手首でくすんだ銀色の腕輪が揺れ動き、思わず優里は笑みを浮かべる。


 外苑で演説を行った智明の姿を思い出したのだ。


 外苑に集まってくれたバイクチームの面々は、贔屓目に見ても智明の言葉に共感してくれた様子はなかったが、優里にとっては初めて見る智明の姿で、他人が智明の演説をどのように評価しようとも、優里が智明を見直したり惚れ直したりしたことは揺るがない。

 自分と智明だけのペアの腕輪も、優里を喜ばせた演出だった。

 そうした想いがあったからこそ、優里は智明の無謀とも言える独立の宣言に、パートナーとして責任の半分を負うと公言できたのだ。

 これを盲目的な恋路の果てなどと、誰にも言わせるつもりはない。


「モア?」


 キッチンから一続きのリビングダイニングへ移り、センターテーブルにカップを置いてソファーに寝そべっている智明に声をかける。

「……ああ、ありがとう」

 目を閉じていた智明は優里の呼びかけで瞼を開き、礼を言いながら体を起こしてソファーに座り直す。


「お疲れ様」

「はは。……なんか、柄にもないことをしたから変に疲れたよ」

 うなだれるように膝の上に肘を乗せて、力なく笑う智明に、優里は労いを込めて微笑んでやる。


「でも、モアが人前で自分の気持ちとか、考えを言うてるの、カッコ良かったで。私と話してたこと、ちゃんと全部言うてたし」


 寄り添うように智明の隣に腰掛け、優里の正直な感想を伝えたが、まだ智明の表情は冴えない。


「ありがとう。……でも正直なところ演説とか訓示って言えるレベルじゃなかったな。川崎さんやリリーが盛り上げてくれなかったら、もっと酷い雰囲気になってたと思うよ。リリーが居てくれて助かった。ありがとう」

「私なんか何にもしてへんよ。それより一山超えたんやし、今はリラックスする時間やで」


 再度の智明の感謝に気恥ずかしくなり、謙遜の言葉で横に置いて、智明の前へコーヒーカップを引き寄せてやる。

「ん。そうする」

 ようやく優里の気遣いを受け入れる気になったのか、カップを取り上げて智明はコーヒーをすすった。

 ふと、背もたれにもたれていた優里は、前のめりになった智明の髪の毛が気になった。

「……モア、髪の毛伸びてきたね」

「そうかな? そうかも」

 優里が左手を伸ばして髪を摘むのを気にも留めず、智明は無頓着な返事を返した。

「切ったげようか?」

「お? マジで?」

「ちょっと長くて陰気やもん。もう私らだけの冗談で言ってた王様やないんやし、短くして爽やかにした方がええと思う。私、モアは短い方がカッコええと思うし」

「そお? クイーンが言うんなら間違いないな」

 ようやく優里の方を振り返って笑顔を見せた智明だが、少し冗談混じりでニヤけている。

「あ! コラ! その言い方は根性悪いで! 悪い子は坊主や!」

って! その前にシバいてるし!」

「あ、当たり前や。シバいたうえで坊主にするんや。逮捕してから罰を決めるんと一緒や」

 小学生時代の名残が出てしまい、思わず智明の頭を引っ張たいてしまったのを誤魔化すために優里は適当な理屈を並べた。

「なんか久々にシバかれた気がするよ」

「ん? うん。そうやね。……コトがおらんねんもん。モアがふざけへんから、そら久しぶりやで」


 智明のクイーン呼びも、優里の坊主発言も、小学生時代から続いている幼馴染み三人組のふざけ合いだ。

 だが今は智明と真が袂を割ってしまったため、優里は遠慮がちに真の名前を出さねばならなかった。

 優里が智明によってこの明里新宮へと連れられてきた頃、真が居ないことを智明に聞いたが、智明はその問いをスルーしている。

 長年の付き合いで智明と真の間に何かあったことは勘付いていたが、これまでその件には触れることはできなかったし、智明も真の話題が出ないようにしていた気配もある。

 だが優里はいつまでも放置していていい話題ではないと思っていたし、智明と自分と新しい仲間で独立などという挑戦をするのならば、真も仲間として傍に居て欲しかった。そして今ここに真が居ない理由を確かめておかなければとも思っていた。


「……リリー。真のこと、気になってるのか?」


 表情を曇らせた優里に気付き、智明が問うた。

 優里の気持ちは固まっていたが、智明の表情からは悲しい結末しか想像できず、先に智明の右腕に抱きついた。


「やっぱり、友達やもん。幼馴染みやもん。やっぱり、セットの方が、心強いと思うねん」


 ささやくような声だったが、優里はハッキリと訴えた。

 智明は一瞬だけ構えるように体を強張らせたが、何も言わないまま左手を優里の手に添えた。智明の右腕を抱く優里の目の前で真新しい腕輪が二つ、重なって小さく音を立てる。


「……やっぱり、あかんの?」

「……うん。だってさ、真は普通の人間だもん。今呼んだら可哀そうだよ」

「そんなん……分からへんやん。私みたいに急にモアみたいなチカラが使えるようになるかもしれへんやん。……それに、居るだけでも違うと思う」


 優里はもっとちゃんとした答えを欲していた。

 智明が明確な理由もなく真を除け者にするようなことは今まで無かったし、気分や感情で仲違いをする性格でもないと信じていた。だから、食い下がった。

「リリー」

 優里の渾名を呼びながら智明はゆっくりとソファーへもたれていく。


「多分だけど、真が俺と同じチカラを手に入れたら、真は俺と張り合うと思う。アイツの本音は分からないけど、アイツは俺を下に見ていたし、何でもかんでも俺より上手なんだっていう思い込みとか決めつけがある気がする」


 智明の感情を押し殺した説明に、優里は思い当たる節があった。

 真は交友関係の広さや末っ子の甘やかし特権などで、新しいゲームや新しいニュースに明るかった。対して控えめな智明は事あるごとに真から情報を得、新しいゲームやコミックなどはほぼ真から教えてもらっていたといっても過言ではない。加えて、真が智明に対して『そんなことも知らないのか』と威張ったりマウントを取ろうとする場面は何度もあった。


「だから、今、真とは会いたくないんだよ」


 その一言に優里の胸の奥がギュッと締め付けられる。

 言葉にはしなかったが、智明の中に怒りや復襲に似た黒い影が感じられたし、真の自慢やひけらかしに笑ったり驚いたりしていた智明の内側に、友情や絆を崩壊させかねない感情が押し込められていたことに悲しくなった。

 優里がそれらに気付かなかったことも、気付いてあげられなかったことも、悲しかった。


 ――でも、()会いたくないということは、()()関係を終わらせたくないってことやんね?――


 ただの言葉尻を拾っただけかもしれないが、それは優里にとって一番の希望だと思える。

「分かった。……わがまま言うて、ごめん」

 ややもすると涙がこぼれそうになるのを耐え、優里は出来る限りの笑顔で智明に笑顔を向ける。

 少し右腕を抱く優里の力が弱まったので、智明は体の向きを変えて優里の肩を抱く。


「なんでやねん。わがまま言ってるのは俺の方だよ。すぐに真と会わせてあげられないけど、落ち着いたら二人で会いに行こう。な?」


 瞬間移動が可能な二人なのに、『落ち着いたら』という念押しは陳腐でしかないが、独立が成功するまで会いたくないという智明の決意と優里への有無を言わさない念押しが感じられた。

「分かった。私はモアを、キングを支えるクイーンやもん」

 優里は真への想いを心の奥底に押し込め、智明を安心させるために自分からクイーンという呼称を使った。真のことを考えたがために宙ぶらりんになってしまっては、恐らく智明の起こした独立の機運を邪魔しかねないと思うからだ。

「ありがとう。リリー」

 短く感謝を告げると、智明はゆっくりと顔を近付けキスをする。


 優里はいつも通りに智明を受け入れ、ソファーにもたれたまま智明の全てを受け入れる。

 明里新宮に住み着いてからの十日間、二人の心と体の交わりは欠かされたことがない。智明は何度も求めたし、その度に優里への好意と感謝と感激を口にした。優里も求められる度に智明を受け入れたし、智明が果てるよりも多く意識を光の向こうへと解き放っていた。

 もちろん、二人の間には青臭いけれど確かな愛情と繋がりが結ばれている。


「ああ、モア! また、昇っていっちゃう!」

「リリー! 一緒に!」

 一糸まとわぬ姿で心も体も繋がった二人は、意識が無くなるほどの高揚の中、全てを解き放つ。

 その刹那、幾億の星粒の中を駆け上がる映像が二人の意識を占領した――

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