明日の天気 ③
男子勢が防具やエアジャイロの手入れと片付けをしている間に、サヤカと貴美は食事の手配をしてから風呂で一日の疲れを取る。
女子が上がるのを待って男子が風呂を使い、その間にサヤカと貴美で届いたデリバリーを配膳してしまう。
食事中は決起集会とまではいかなかったが、エアバレットやエアジャイロの使い方を話し合ったり、真や貴美の空中での動きを参考にしたりと、高橋智明との決戦に向けた具体的な話題が中心となった。
その途中に瀬名が戻ってきて、やや深刻な顔を見て一同の緊張感が増した。
「……あんまり楽しい話じゃなさそうだな?」
代表してテツオが水を向けると、瀬名は席に着きながら収集してきた情報の一部を話す。
「うん。どうやら明日か明後日には陸上自衛隊が動くみたいだ。一個連隊って情報だから、かなりの規模らしい」
いつもの飄々とした話し方はなりを潜め、入手した情報をそのまま話している感じだ。
「どこからだ?」
「伊丹だそうだ」
ここ数日のテツオと瀬名の予想では、徳島・安芸・伊丹・泉市にある駐屯地のどれかだろうと踏んではいたが、兵員の輸送や経路を鑑みて、一番妥当な地域からの派遣だと思えた。
「演習なんてお題目をつけるだけあって本気だな。でもまあ、そうなるか。智明の事もあるだろうけど、ここで自衛とか防衛に突っ込んでる戦力ってやつを外国にアピールしようって狙いもあるんだろうな。じゃなきゃ、マスコミ使ってまで大々的にやる意味がないもんな」
テツオが予想する通り、第一の目的は警察力では解決できなかった新皇居を奪還することであるが、マスコミを使って寝耳に水である『皇居防衛を想定した演習』などという名目を立てる裏には、国民のみならず諸外国への防衛力の誇示も含まれるのだろう。
二十一世紀以前に比べ、北方領土・竹島・尖閣諸島などの領土問題は一定の落ち着きを見せてはいるが、二十二世紀を目前にしても完全な解決には至っていない。
だから、とはならないが、そういった緊張状態の抑止や解消にと自衛隊の組織改変も度々叫ばれるのだが、自衛隊が軍隊に寄ることで近隣諸国が警戒を強め、より緊張が高まるのではという懸念もある。
それらとはかけ離れたところで、日本が資源や物資のほとんどを輸入に頼っているなどの事情もあり、上手く立ち回らねばと強硬な姿勢や意見ができないことも見落としてはいけないだろう。弱みがあるとは言わなくとも自国の領土権を強く主張しきれない立ち位置は、弱点や欠点とも捉えられ、緩やかにご機嫌を伺ってしまう体質は本懐を遠のかせているように映る。それは日本国の美徳足り得ないだろう。
「テツオさん、どうするんですか?」
気の逸る真は、テツオの一声で飛び出せるように腰を浮かせてしまっている。
テツオは真の気持ちを理解しつつも、焦りに似た真の催促を微笑みで押し留めてやる。
「急ぐなよ。今日の訓練の疲れも取らなきゃだし、アワジに戻ってもすぐに智明のとこに乗り込める訳じゃない。今夜一晩はゆっくり休んで、明日のうちにアワジに帰ろう」
「……ハイ」
テツオの言葉をなんとか受け入れて真はチェアーに座り直したが、すぐさま行動できない歯がゆさは消えない。
「今夜一晩で、チームのメンバー動かしてまた情報を集めるよ。じれったいのは分かるけど、我慢するのも作戦のうちだぜー」
「う、うっす!」
瀬名の言葉にはバイクチームWSSの多くのメンバーが協力してくれているニュアンスが含まれており、真一人の身勝手を許さない厳しさがあった。それと同時に、真の本懐を遂げさせるための根回しが行われていることも示していて、真一人で智明に挑んでいるわけではないことを教えていた。
「真」
テツオが真を呼んだが、呼ばれた真が顔をあげず、ジッとテーブルに視線を落としたままなので言葉は続かなかった。
「真」
もう一度呼ばれたが真は動かない。
普段の他愛ない雑談の最中なら田尻や紀夫が注意するのだが、真の雰囲気もテツオの雰囲気もいつもとは違うため、彼らは憚ったようで無言だ。
と、貴美がそっと真のヒザへ手を置いた。
真はようやく噛み締めていた口元を緩め、貴美の手を見、顔を見、その瞳に促されてテツオと目を合わせる。
「……先走ってしまいました。すみません」
「いや、いい。……俺もお前くらいの時は誰に何を言われても聞かなかったからな。お前の気持ちが分かるから、お前を責めたりはしないよ」
無鉄砲な弟をなだめるような、優しげな表情と声音でテツオは続ける。
「ただな、誰かを頼って誰かの流儀に則っているなら、事が終わるまではその人の流儀を通せ。通せない時はその理由を説明しなきゃだ。……わかるよな?」
こくり、と真の頭が動く。
「なら、それでいい。……こんなタイミングで言うことじゃないかもしれないけど、俺はお前をウチの二代目か三代目のリーダーになる奴だと思ってる」
穏やかな表情のまま明言したテツオに、田尻と紀夫はチェアーを跳ね飛ばす勢いで立ち上がった。名指しされた真はテツオの言葉が唐突すぎて呆けている。
「ああ、いや、今すぐ代替わりしようって話じゃないよ。落ち着いてくれ。……これから先、真が経験を積んでその器になればの話だ」
「……あ、焦ったぜ」
「心臓に悪いっすよ……」
田尻と紀夫はチェアーを引き戻してまた席に着く。
田尻や紀夫だけでなく、WSSのほとんどのメンバーはテツオの魅力やカリスマ性に憧れてチームに入ったというのがほとんどだ。そのテツオが引退や代替わりを口にした事に驚いたのもあるが、そういった気配をこれまで感じさせることもなかったため、田尻や紀夫の驚きや動揺は当然のものだろう。
そんなチームメンバーをからかうように瀬名が付け足す。
「俺が見てても真はテツオに似てるからなー。昨日の訓練と、今日の訓練見てたらそう思わないか?」
言われて田尻と紀夫は、HDの基礎能力測定や、エアバレットとエアジャイロの訓練を思い出す。
最年長の十八歳で生ける伝説とも呼ばれるテツオが総合一位は納得の結果だとしても、最年少十五歳で総合二位の真の成績には驚かされた。
加えて、エアバレットの射撃に関する精度も高く、エアジャイロの使い方に至っては他の誰にも真似できない柔軟な使い方をしていた。
「みんな忘れてるかもしれないけど、ウォーミングアップのテニスも技巧派の瀬名と渡り合ったくらいだからな」
午前中の瀬名と真のプロ顔負けの高速ラリーを思い出し、田尻は小さく呻き紀夫は真を凝視してしまう。
「そ、そんな、俺には、そういうのは……分かんないっすよ」
「そうかな? そんなことはないと思うよ」
謙遜も含め真は否定したが、それをサヤカが後押しする。
「なんだろ、熱量って言うのかな? 今回のことだって真君がトモアキをなんとかしたいって思って行動したから、田尻君や紀夫君が付き添ってくれたんでしょう? テッちゃんに聞いたけど、最初にテッちゃんがした指示よりすごく深く関わってたらしいじゃない。ちょっとの手助けのはずだったのに、田尻君たちにそこまで手伝わせるような気持ちにさせたってことだよね? ……それはすごくリーダーとか集団の長に必要なことだと思うな」
「そんな。……たまたまですよ」
サヤカの話に腕組みをしながらイチイチうなずくテツオを見て、真はまた謙遜して顔をうつむけた。
「ただな? さっきみたいに気持ちが逸って独断専行みたいになるのはリーダーとして良くない。部下とか後輩としても問題あるんだが、大勢を引っ張っていくなら尚更良くないっていう話だ。そこは分かるだろ?」
丁寧に教え導くテツオの言葉に、真は無言でうなずく。
「ん。それでいい。まあ、逆もあって、どうでもいいような事にすぐ動かなきゃいけないこともあるんだけどな。それはまたこれから学んでってくれ。……さて、話がそれちまったが、明日はアワジまでのロングライドだ。ここを引き払う前に片付けもしなきゃだから、今日は早めに寝ようか」
「ああ、そうだ。さっき貴美ちゃんも言ってたが、今夜からしばらく雨が続くみたいだ。しっかり寝とかないと事故るからなー」
テツオの発したスケジュールに瀬名が補足をし、残りの全員が了解の返事をする。
「よし! んじゃあ解散!」
全員の返事を待って、テツオは柏手を一つ打って食事の終了を告げた。
すぐさま全員が席を立って食事の後片付けを始め、それが終わると各々自由に行動していく。
テツオとサヤカと瀬名はリビングへ。
田尻と紀夫はウッドデッキへ。
真は与えられている部屋へと戻った。
「マコト」
真が部屋のドアを開けるのと同時に、後ろから名前を呼ばれ、振り返る。
「キミ? どうしたの?」
「少し、話そう」
「うえ? お、うん……」
貴美は有無を言わさぬ雰囲気で真の背中に手を添え、部屋に入るように促した。
力尽くではなかったが、貴美に押し切られる形で部屋に入り、真が照明を点けると貴美がドアを閉じた。
室内にはソファーやチェアーも設けられていたが、なんとはなしにベッドに腰掛けると貴美も真の隣に腰掛けた。
しばらく待ってみたが、『話をしよう』と言った貴美が黙ったままなので、真から口を開いた。
「キミ? 何か話がしたかったんじゃないの?」
「……うん」
真の方は見ずに貴美が小さくうなずく。
「……三つ、ある」
「ん? うん。……何?」
「まずは、ごめんなさい」
相変わらず真の方は見ずに、貴美が綺麗な姿勢のまま腰を折って謝意を示した。
「あ、うん。……いや、何についてかな」
貴美が真に対して謝らなければならないような行動や発言はなかったはずなので、聞き返す。
「……その、マコトではなくテツオと、してしまったから……」
「なん!?」
頬を赤らめながら申し訳なさそうに打ち明けた貴美に、真は仰け反るほど驚きながらマジマジと貴美を見た。
「し、しちゃったの!? え、しかもテツオさんと? え、いや、ちょっと待って! なんでそうなったか意味がわからない。……え、しちゃったの?」
貴美の口から出た想定外の言葉に、真の動揺と混乱はなかなか収まらない。
「昨夜、テツオと瞑想の話になったので、それは瞑想ではないと教えたくて、つい……」
ここまで聞いてようやく真は自分の勘違いに気付いた。
「あ、瞑想? 瞑想の話か! び、ビックリした……。いつの間に、しかもテツオさんとって……。ああ、焦った。変な汗かいた……」
態勢を戻して速くなった動悸を落ち着けている真へ、貴美はハテナ顔を向けてくる。
「す、すまない。勘違いをさせた、か?」
「うん。ビックリしたよ。昨日さ、キミは恋愛とか男女のことはわからないって言ってただろ? なのに『しちゃった』なんて言うから……。てっきりテツオさんとアレをしたのかと……」
真は自分の早合点を詫びるように言ったつもりだが、未経験者の恥じらいで明確な単語は避けた。
それでも貴美には真の勘違いが何かは伝わったようで、見る間に顔を紅潮させながら貴美は全力で否定する。
「…………あ! あ! 違う! そうでは、ない!」
「だ、だよな。だよな。クイーンも来てるんだもんな」
頭をかいたり服を正したりと落ち着きなく答えながら、真はチラチラと貴美の様子を伺う。貴美も真の様子を伺いながら、太ももの上で両手を組んで指をモジモジとさせている。
「あの、その、サッチンとテツオみたいに ま、交わったり、か、重なったりは、まだ――」
「ちょちょちょ! 詳しく言うのはやめとこっ! ひ、他人の事を想像しちゃいけないよ。うん、いけないよ」
具体的な表現をし始めた貴美を制止し、危うく昨日のテツオとサヤカのラブシーン以上の光景を想像しかけてしまい、真は慌てた。
厳密に言えば、貴美が語りかけた内容はテツオとの感応で得たテツオの実体験の追想なので、貴美の想像ではないことを真は知らない。
「そ、そうだな。すまぬ」
「謝らなくていいよ。先に勘違いしたのは俺だし。……てかさ、テツオさんと貴美が瞑想の話をしてたから、今日、俺達はさっきのビジョンとかイメージを体験させてもらえたんだし。アレがなかったら貴美も俺達に瞑想の話なんかしなかったんじゃないか?」
「それは、間違いない。そのことも話そうと思っていたのだ」
真の言葉に貴美も落ち着きを取り戻したようで、姿勢を正して切り出す。
「……実は、皆には細かな説明を省いて瞑想と説明したのだが、それは正しくないのだ」
「どういうこと?」
「先程のアレは、私が過去に瞑想を行って垣間見た精神世界の映像を、皆と共有しただけなのだ。テツオが見たものもそうなのだが、なので、皆がアレを真理であるとか悟りであると勘違いしてしまうと誤解を生んでしまう」
貴美の言葉遣いもあってか、真はすんなりと理解することはできなかった。しかし、耳に入った言葉を頭の中で繰り返すうちにボンヤリと答えが浮かんできた。
「えっと、つまり、貴美が見たものをみんなに見せただけで、みんなが同じものを見ようとしても見れない、ということ?」
「……それに近い、と思う。要は、何を見ようとしたかの説明をしていないから、皆は星空だと思ったけれど、私は違うものを見ていたのだ」
申し訳なさそうに告げた貴美の言葉に驚き、真は貴美の真意を確かめるようにやや顔を寄せて問う。
「そうなの? じゃあ、貴美は何を見ようとしてたんだ?」
真の問いを受け、貴美は凛とした表情で胸に手を当てて答える。
「私は、全ての命の輝きを見ようとしたのだ」




