明日の天気 ②
※
夕暮れの琵琶湖のほとりで少年たちは車座になって座っていた。
それぞれ隣の者と手を繋ぎ、瞼を閉じて少しうつむき加減だ。
言葉も発さずに座っている七人は、閉じた瞼の裏に満天の星空を見ていた。
「――そろそろ元の世界へ戻りましょう」
七人の中で一番小柄な藤島貴美がゆるりと声をかけ、残りの者たちを誘導するように大きな深呼吸をした。
午後から始めた神通力とHDの模擬戦闘のあと、昨夜の貴美との体験を全員にも体感させたいと申し出た本田鉄郎に応じ、急きょ貴美による瞑想体験が行われた。
「…………どうだった? なかなかの体験ができたろ?」
全員を見回すようにテツオが言うと、皆が口々に感想をこぼす。
「すっごく穏やかな気持ちになれたよ」
「目で見る星よりキラキラしてたっす!」
「こんなの、本当にあるんすね」
「ちょっと人生を反省しちまいましたよ……」
「ああ。人生観が変わるよなー」
感動や感慨を抱く中、田尻だけ少し凹み気味だ。
「貴美ちゃんから教えてもらった時は俺もビビったよ。集中力とか感情とか精神がどうとか、そんなお題目は関係ないんだもんな。圧倒的だよ」
自身の感想を語りなから、テツオは全員で瞑想の先にある精神世界を共有出来たことを喜んでいた。
だが貴美は一応の注釈を添えておく。
「僭越ながら、今日のこれは私の精神世界を共有・感応したに過ぎないことを覚えておいて欲しい。幻影や白昼夢に近いものであって、独力で辿り着くには相応の修行と精神集中が必要なゆえ、取り違わないようにお頼み申す」
正座した膝の上に手を乗せ、貴美は小さく頭を下げた。
貴美も守人の力を得るまでに苛烈な修行を日常的に行い、文明的な生活や人間としての欲望や煩悩を切り捨てて、ここまでの境地に至ったのだ。
その彼女の精神世界を垣間見ることは、ここに集った少年たちには意義となると信ずるがゆえ、テツオの申し出を受けた。もし、前夜にテツオと瞑想についてのやり取りがなければ、こういった会は持たれなかっただろうし、テツオや真の目的を知っていなければ断っていた。
「キミの精神世界ってことは、もしも私がキミと同じ事をしても、同じモノが見えるわけじゃないってこと?」
鈴木沙耶香が貴美を覗き込むようにして聞くと、一つうなずいて貴美は答えた。
「そう。これは私が世界を見ようとして辿り着いた映像でしかない。サヤカやテツオが違う観点で意識を飛ばせば、違ったモノが覗けるはず」
言葉を選ぶように慎重に話す貴美を見て、紀夫が足を崩しながら問う。
「てことは、もし欲張った気持ちでイメージしちゃったら、とんでもないことになるわけだ?」
「そうはならない」
貴美の即答に紀夫の下卑た表情は恥ずかしそうに崩れる。
「瞑想や悟りは、感情や思考を捨て去らねば高められないし、我が物と出来ない。ましてや、欲望や願望、煩悩や悪心があっては精神は高まってくれない」
「な、なるほど」
紀夫は調子に乗った分だけ指摘を受け、小さくなってしまう。
「日頃の行いだなー」
瀬名は紀夫のテンションの下がり具合いを見て楽しそうに笑いながら追い打ちをかけた。
「……でも奇麗な世界だった。世界中の人間みんなが、アレを見れたら良いのに」
「ああ。アレを見て何も感じないヤツは居ないだろ」
瞳を輝かせるようにして空を見上げた城ヶ崎真に、田尻が思いつめた感じで受けた。今更ながら田尻が犯したサヤカへの罪は、大きな悔いとなって彼を苛んでいるようだ。
「……マコト。そこは少し後で話そうと思う。少し込み入っているので、ここでは全てを伝えられない」
「お? おお、分かった」
少し照れくさそうにしながら貴美が申し出たので、断る理由のなかった真は快く了承した。
「……さてっと!」
真の返事を聞くとテツオが立ち上がり、「飯にするか」と切り出す。
時刻的にはまだ夕刻前なのだが、訓練で腹ペコの少年たちからは賛成の声しかない。
全員が芝生から立ち上がり、雑談をしながら貸し別荘へと入っていく中、貴美だけが西の空を見上げて立ち止まっていた。
それに気付いたサヤカが貴美を呼ぶ。
「…………キミ?」
「雨が近付いている」
「マジで? こんなに晴れてるのに?」
貴美の予報を聞いて紀夫が空を見上げ、清々しいほど雲のない空だったので尚更貴美の予報が信じられなかった。
今日は早朝から訓練や模擬戦闘を行ってきた真たちだが、一日を通して雲ひとつない快晴で、梅雨の晴れ間どころか梅雨は明けてしまったと思うほどの夏空だった。
「あ、九州とか四国に大きな雨雲がかかってるな」
「この感じだと、夜中からしばらく雨だな……」
田尻やテツオはH・Bでアプリを開き、天気予報や雨雲レーダーを見ながらつまらなそうな顔をする。バイク乗りにとって雨や雪は歓迎できないどころか、天敵と言っても過言ではない。視界が悪いし、レインコートや撥水加工のアウターを用意せねばならないし、雨粒が肌に当たると意外と痛い。路面が滑りやすいので事故の危険もあるし、何より体が冷えてしまう。
良いことなど一つもないのだ。
「明日には戻ろうかって時に、これだもんなぁ」
肩をすくめながら瀬名がぼやき、「雨男でもいるんじゃないか?」と紀夫を見ながらつぶやく。
「うえ!? ちゃいますよ!」
「そおかぁー? なあ、メシの前にコンビニ行って来ていいかなー? みんなレインコートなんか用意してないだろー」
紀夫をからかいながら、瀬名はテツオに向けてこめかみのあたりを指差しながら申し出る。
「……ああ、頼めるか?」
「もちろんだ。任せてよー」
テツオも瀬名と同じ様にこめかみを指差しながら応じた。
二人だけに通じるサインを交わしたようだ。
「ん、頼む。さあ、風呂とメシだ!」
止まってしまった足を貸し別荘へと向けるために、テツオは全員に宣言するように声をあげて歩き始める。
「キミ、行こう」
「うん」
空を見上げたままだった貴美を促し、真と貴美は一番最後に貸し別荘へと入った。




