テストプレイ ⑤
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「こんな所でいいんですか?」
播磨玲美は三度目のセリフを黒田幸喜に投げかけていた。
一度目は、三宮のラブホテルを出て黒田に行き先を聞いた直後。
二度目は、黒田の希望した目的地付近に近付いたあたり。
そして三度目は、淡路市一宮多賀にある淡路鉄道西淡線・一宮駅前のロータリーで発された。
一宮駅は、国生市南淡阿万地区から三原榎列掃守地区・五色鳥飼地区を通る都営の電鉄路線の終着駅で、後々島内を環状に網羅する計画の一端である。ただ、『都営』と銘打たれてはいるが実際はJR西日本との共同経営の形であり、起伏に富んだ淡路島に線路を引くには橋梁の建設やトンネルの掘削に費用がかかり、JR単独では土地買収さえままならなかったために、全路線が開通するまでは共同経営となったのだ。
『西淡線』という路線名も、洲本小路谷地区から淡路市津名志筑地区までの『洲本線』の計画が進行しているが故の一時的なものだ。どちらも島内に環状の線路が引かれるまでの暫定的な呼称なのだ。
「ああ、ここでええ。待ち合わせは伊弉諾神宮やからな」
黒田はなるべく素っ気なく答え、後部座席に放り込んでいたバッグを引っ張り出す。
チラリと目に入った玲美の表情は、悲しむでもなく寂しがるでもなく、怒ったり困ったりというよりも残念そうといったところか。
「もう、私とは一晩だけということですか」
疑問系ではなく確かめるように言った玲美を、思わず直視する。
「……俺と、どうにかなっても、ええんか?」
玲美の反応は、黒田のこれまでの人生ではなかった展開だ。
大抵は欲が先に立ってしまった黒田の一人相撲のまま恋は終わっていったのだ。女から別れを惜しまれたのは初めてだ。
「……黒田さんがよろしいなら」
運転席に座したまま膝の上で両手を重ねる玲美は、雰囲気抜群だ。黒田の返事如何ではゴールまで一直線だろう。
しかし黒田は辛うじて踏みとどまる。
今の、うつむき加減の玲美の言葉では踏み出せない。玲美が恥じらいながら笑顔とともに望んだのであれば、黒田はイチコロだった自信がある。
「……すまない。アンタとはそうはなれない。会うたびに抱きたくなるだろうし、抱くとは思うが、その度にお互いの傷を舐め合うだけな気がする」
「そうですか」
玲美はあっさりと受け入れた。
「寂しいからって結婚するんは、良くないと思う」
突き放した言葉に玲美は短く笑う。
「寂しくない人が居るのかしら」
小さなつぶやきだったが、玲美の本音は黒田の胸の真ん中をえぐるように突き刺す。
この十年、黒田は仕事に没頭することで寂しさを紛らわせていたと言っても過言ではない。他人を羨むようなことはなかったが、女性に対する欲求もあったし、寝る前に自慰で済ませたこともある。
でも、だからこそ、恋愛に聖櫃さを求め、結婚には神聖視とも取れる一線を引いてしまっている。
その価値観には寂しさの埋め合わせはスタート地点として相応しくなく、他人に胸を張れる『幸せに溢れた結婚』とはなり得ない、と考えてしまう。
――マイナスから始めたら、ゴールはちょっと遠のくやないか――
口には出さず辛うじて思惑だけに留めたが、そのことで玲美との間に長い沈黙が横たわった。
「……そろそろ行くわ」
最後くらいは女々しい言い訳を避けようと、思い切って黒田はドアを開いて車外へ出る。
玲美の高級外車の前を回り込んで、そのまま歩道に上がって歩み去る。
「黒田さん!」
運転席側の窓を開いて、玲美が黒田を呼び止めた。
仕方なく黒田は歩みを戻して、玲美の傍に立つ。
「どうした?」
「理由はどうあれ、黒田さんに抱かれて、結婚を考えたのは事実です。それだけは、私の本音です」
「分かってる。俺も一瞬考えたからな」
口元は笑っていたが、玲美の瞳には涙が溜まっていた。それを見たから、というわけではないが、黒田も玲美に微笑みを向けた。
「抱いてくれて、ありがとう」
「こちらこそだ。……さあ、アンタには鯨井のオッサンに頼まれた仕事があるやろ。これで終わりにしよう」
「……はい」
短く鼻をすすった玲美は返事をし、目を閉じた。
黒田は窓から車内に頭を突っ込んで、可能な限り愛情を込めたキスを見舞う。
唇を離すと、互いに一つうなずいて、玲美は車を発進させた。
玲美の運転する車が交差点を曲がるまで見送り、わざとらしく腕時計で時間を確かめて、黒田は伊弉諾神宮に向かって歩き出す。
淡路島が丸ごと『淡路新都』を目指して三十年近くなるが、その中核となる国生市は南あわじ市と洲本市の合併であるため、淡路市全体の都市化にはバラつきがある。
例えば岩屋周辺や東浦近辺は、明石海峡大橋と神戸淡路鳴門高速道の利用増が見込まれるために、商業施設や観光施設・宿泊や娯楽といった企業の参入が進められたし、物流に関わる企業も多く参入し始めている。
その他では、津名港の価値が見直され、大阪や和歌山との定期航路の復活案が出たり、こちらにも物流センターや大手のロジスティクスが立ち並び始めている。
そうして企業や店舗が出来上がれば人が集まり始めるため、岩屋・東浦・津名は戸建てやマンションの建設ラッシュを迎えている。
それらに対し、一宮はやや複雑な立ち位置にある。
南東の五色上堺に政治の中枢である国会議事堂と各省庁と議員会館が集中し、下堺から広石の一帯に国会議員や富裕層が邸宅を確保し始め、高級住宅街へと生まれ変わりつつある。
加えて、元来、五色浜周辺は別荘地やゴルフ場などの密集地で、その脇を都営西淡線が通る。
こうした状況は西淡松帆地区と一宮の間に一般的な戸建てやマンションの建設を拒み、電鉄が一宮まで延伸されていても、五色鳥飼地区周辺にポッカリと緩衝地帯が作り上げられてしまって、一宮に経済的な効果を生み出しにくくしていた。
その証拠に、伊弉諾神宮周辺で昼食を摂ろうとしていた黒田は目ぼしい店が見つからず、伊弉諾神宮は後回しにして一宮駅の北にある市街地へと向かうことにした。
――女医さんと離れるための言い訳を、バカ正直に実行してる場合やないわな――
黒田が玲美に言った『伊弉諾神宮で待ち合わせ』は方便である。
三宮から一宮へ玲美に送ってもらっている車中で、大手新聞社の記者二名と有名雑誌の記者二名、さらにマイナーオカルト雑誌の編集者に電話とメールをしたが、返事があったのは有名雑誌の記者一名からだけだ。それも短いメールが一文だけ。
『午後に体が空きそうなので少しお待ち下さい』
こちらが来て欲しくない時は連絡もせずに現れるくせに、こちらから会おうとしたらこの扱いだ。つくづく記者というものとは相容れない。
しかしこの一文のお陰で播磨玲美と穏便に別れられたと思うと、横柄な記者も使いようというところか。
実際、黒田が播磨玲美を遠ざけた理由は大したものではない。出会い方と続け方に難癖があっただけなのだ。
同じことが野々村美保にも言える。
二人共に、女性としての落ち度は無いに等しい。むしろ若々しく容姿の整った野々村美保も、年齢を感じさせない色気出しっぱなしの播磨玲美も、黒田にはもったいない女性だった。
彼女らとの結婚生活を成り立たせられない黒田が甲斐性無しというだけなのだ。
「あんな良いモン食うてもうたら、この先、満足できんかも知らん」
綿パンのポケットに両手を突っ込んでプラプラと歩きながら、黒田は欲張りなことを言ってのける。
と、視界にAR表示させていた地図アプリに交番を見つけた。
場所は、周辺検索で見つけた喫茶店の手前だ。
「……逆にちょうどええかもな。下手に岩屋の淡路警察署で聞くより、邪魔がないかもしれん」
女のことばかり考えていた頭の中身を、一気に刑事の脳に切り替え、ポケットから手を出してしっかりと歩き始める。
――やっぱり、俺は追われるより追う方が好きやし、捕まえられるより捕まえる方が性におうとるな――
辞めるつもりのデカ魂が黒田の顔を男前にしていった。




