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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第一章 三つの仔
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事件前夜 ④

   ※


「うえっぷ。ちょっと食いすぎたかな……」

『かまちゃん』を出て真の自宅へ向かう路地で、真は機嫌良さそうに腹をさすりながら歩いている。

「半分はコーラだろ」

 真と並んで歩きながら智明も腹をさするが、満腹感からそうしているのではない。

「なぁる、そっちか」

 楽しそうにケラケラ笑う真に対し、智明は少し落ち着いた笑い方しかできない。

「……食いすぎたのか?」

「いや、違う。なんだろな……。風邪かな。なんか変な感じがする」

「おいおい。ムケタからって調子乗って裸でヌイてたのか? うつすなよ?」

「人をサルみたいに言うなよ」

 智明の切り返しにまたケラケラと笑う真。

 他愛もないやり取りをしているうちに真の自宅に着いた。


「……具合、やっぱり悪いか?」

 玄関から二人のヘルメットを持ってきた真は、尚も腹をさすっている智明を気遣ってくれた。

「さっきとあんまり変わってない」

「……今日はやめとくか?」

 アワイチをするにしても智明を帰らせるにしてもバイクには乗るので、真は智明にヘルメットを手渡す。

「いや、行こう。家に帰ったって医者に行けるのはどうせ朝になってからだし、急にぶっ倒れる感じもしないし。てか、アワイチなら途中棄権しても一時間我慢したら家に帰れるしな」

 真に気を使わせないようにどうにか笑顔で話しているが、智明の様子を見て、真は少し考え込んでいる。

 無理をさせて事故を起こすのはもっての外だし、風邪をこじらせたり体調を崩させてしまうのも避けたい。

「今のとこ、どこがどう違和感がある? 正直に言えよ」

 バイクに寄りかかりながら真は智明を見据えるようにして問いかけできた。

 正直な返事を聞きださなければ、アワイチに出かけるどころか智明を安全に帰す手段も講じなければならないからだろう。

 真が真剣な目で見つめる先で、智明は痛みを堪えるというよりも、辛さに耐えるような声音で答える。

「……頭が重くてボヤッとしてきてる。腹が痛いというより食いすぎて溜まってるみたいな。……あとはちょっと体がダルイかな?」

「……微妙だな」

 判断しかねる真を安心させるため、智明は深刻さを紛らわせるように付け足す。

「な。二日くらい徹夜して、元気だそうとして食いすぎたみたいな、よく分からん感じだよ」

「はっ。だな」

 真は一笑にふしてから少し考える。

「頭痛薬かなんか飲んでみるか?」

「いや、いい。昔から市販の薬って効きにくいんだよ」


 市販薬というのは曲者で、体質や体型によって表れる効果はまちまちだ。

 そもそもが万人向けに調合されているため、平均的な一定量の効果を持たせることしか出来ない。効きすぎる者も居るし、効果を感じるほどではない者も居る。

 智明は後者のようで、効果を感じない物はまだマシで、体に合わない市販薬を服用すると戻してしまったりする。


「ああ、そうだっけな。そのわりには病気ってしないよな」

「そうでもない。毎年、季節の変わり目には熱出て三日ほど寝込むし、たまに関節がメキメキいうほど痛くなって寝込んだり、湿疹とか変なコブが浮いてきて気持ち悪い時あるからな」

「おいおい。もう成長痛とかきてんのか? 背が伸びるのはこれからだろ」

「あんま考えたくねーな」


 十代男子に訪れる二次性徴といえば、変声期と精通と陰毛や脇毛・髭などの発毛に加え、急激な体型の変化と身長の伸び方だろう。

 真は平均的な成長を遂げているようで、クラスでも背は真ん中より高い方だが、脇毛は生えてきたがまだ髭は生えていない。成長痛もまだ経験していない。

 智明はようやっと精通を経験したばかりだし、真より少し背が低い。髭はおろか脇毛も生えていない。陰毛は辛うじて生えているが、まだ生え揃ったとは言い切れない半端な生え方だ。

 そんな状況で成長痛の経験談だけはアチコチから入ってくるのだから、期待よりも不安が大きくなるのが人の道理だろう。


「まあ、とりあえず走ってみるか? 気分が悪くなったり限界が来たら、合図してくれたらすぐ止まるから」

 優しく声をかけたあと、「止まって欲しい時はヘッドライトをハイとローに何度も切り替えてくれ」と付け足して、真はさっさとヘルメットを被った。

 智明はモヤモヤを発散したい真の気分を盛り下げたのではないか?と申し訳ない気持ちになりながらも、何かと世話になりっ放しの幼馴染みへの恩返しの気持ちもあって、真の誘いはなるべく乗ってやりたいと思っている。

 勿論、智明にもモヤモヤとした晴れない気分があるし、バイクで疾走する爽快感は今のところ一番楽しい遊びでもある。無免許運転を学校や親に隠れてやってのけているというスリルもある。

「……なんとかなるだろ」

 智明は自分に言い聞かせるようにつぶやいてからヘルメットを被った。


 アワイチ。

 この言葉自体は一部のマニア以外では廃れて来ているかもしれない。

 二十一世紀初頭の淡路島は、洲本市・南あわじ市・淡路市を総計した人口は十三万人を数えたが、月日を追うごとに過疎地にありがちな他県への若者の流出などで、人口は更に減少傾向にあった。また社会問題として取り沙汰され始めた高齢者の運転免許返納などもあいまって、島内の車人口はなおのこと減少傾向にあった。

 島内の車人口の減少は通行量に反映され、近隣の府県からは『景色を楽しみながらゆったりと走れる』ように見えたのだろう。週末や長期休暇にはバイクで訪れるツーリストやスポーツバイシクルで訪れるサイクリストが増え、『アワイチ』と称した淡路島を一周するルートが広まった。

 しかし二十世紀末期から問題視される地球温暖化ガス削減とエネルギー枯渇問題の煽りを受け、ガソリンエンジンから脱却しにくいバイクはその所有者を減らすに至った。

 スポーツバイシクルに関しても、安価な市販品は長距離のサイクリングに向かず、反して高性能で高品質のスポーツバイシクルは中型バイクほどの費用がかかる。

 これらの点から二十一世紀末期の昨今では、アワイチを楽しむ者は、極々少数しかいない。

 ましてやツーリングやサイクリングは、景色や地域のグルメ・特産品などを楽しむポタリング要素もあるのに、智明と真は日付けも変わろうかという深夜にバイクを走らせようとしている。

 酔狂を通り越して変わり者の域である。


 ともあれ真の自宅を出発した二台のバイクは、31号淡路サンセットラインを順調に北上し、慶野(けいの)古津路(こつろ)の海水浴場と松林を抜けて五色浜(ごしきはま)を通り、北淡(ほくたん)から一宮(いちのみや)を過ぎて岩屋港で休憩をとった。

 トイレと水分補給とタバコタイムを終えると、今度は国道28号線を南下する。

 岩屋を出てすぐ右手の淡路サービスエリアにある大観覧車の航空標識灯を眺めつつ、明石海峡公園の脇を通って東浦に差し掛かる。

 住宅街を過ぎて右手に妙見山(みょうけんざん)を含む津名山地、左手は大阪湾という闇しかない区間で、真のバイクのバックミラーに上下するライトの光跡が映った。

「おいおい、こんなとこでかよ」

 フルフェイスヘルメットの中で独りごちつつ、目立った観光名所もないこんな道でなんであるのかが不思議な自動販売機の明かりを見つけ、真はハンドサインを送ってバイクの速度を落としていく。

 ハザードを数回点滅させてからキルボタンでエンジンを切り、ギアをニュートラルに入れて惰性で自動販売機の前まで進んで、急いでスタンドを立てて智明のバイクを確認する。

「結構普通だな?」

 運転に支障があるかもとか、停まれそうになかったら体張らなきゃいけないかもとか、止められない状況だったらどっかに突っ込むのもやむ無しかなどと覚悟していたが、智明のバイクは危なげなく減速して停車した。

「おい、どうし――うわっと!?」

 智明の様子がいつもと変わらないように見えて気を許した瞬間に、スタンドを立てていないバイクが倒れそうになり、真は慌てて智明とバイクを支える。

 思わず怒鳴りかけた真だったが、転がるようにシートから下りて、ヘルメットを投げ捨てるように脱いだ智明に絶句した。

「うぅ、うげぁああぉううぇ!」

 よろけているのか歩いているのか分からないクチャクチャの姿で反対側の歩道まで移動して、智明は盛大に吐いた。

 真はしばらく傍観していたが、智明の逆流がなかなか収まらないので、急いでバイクのスタンドを立て、安置してから智明の傍へ駆け寄って背中をさする。

「げっ! ケホッ。…………ペッ!」

 どのくらいそうしていたのか、ようやっと胃の中の物を全部出し切ったらしく、智明は唾を吐いて呼吸を整え始めた。

 その様子に真も胸をなでおろし、自動販売機で冷たいお茶を買って智明に差し出した。

「……平気か?」

「なんどか。……バイク、すまん」

「気にすんな。飲めそうにないなら飲まなくていいから、うがいくらいしとけ」

「……ああ、うん……」

 真のアドバイスを忠実に済ませて、智明は道端に座り込む。

「とりあえず向こうで様子見るか。……流石にゲロ臭いわ」

「お好み焼きだと思えば……」

「無茶言うな」

 真は一瞬、体調を崩した相手に容赦がないなとは思ったが、とりあえず智明の頭をシバいて自動販売機の前まで引っ張っていく。

「落ち着きそうか?」

「吐いたら、ちょっと楽になった」

「そうか」

 智明の様子を伺いながら、真は可能な限り頭をフル回転させて考える。

 智明がここでリタイアした場合、真のバイクで智明と二人乗りして連れて帰ってやることは出来るが、その場合は後で智明の乗ってきたバイクを取りに来なければならない。

 ただ、同じ取りに来るならばこんな道端ではなく、どうにかこうにか津名港までたどり着きたい。津名港ならば知り合いに助けを乞うことも出来るし、バイクの安全も確実なものになる。

 一番厄介なのは、智明がここから動けなくなり、救急車を呼んだ時だ。通報者として真も救急車に同乗せねばならないから、バイク二台を放置することになる。

 淡路市の東側のこの辺りはガラの悪いバイクチームのシマになっていて、智明の125cc一台なら見過ごしてくれるかもしれないが真の400ccはどんな《《イタズラ》》をされるか、知れたもんじゃない。それだけは絶対に避けたいのだ。

「……救急車って、バイクで後ろを付いて行っていいんだっけかな……」

 考えがまとまらず思わず口に出してしまったが、通報者が救急車を追走していいなら、真の不安は一つ解消される。

「もうちょっと、人気(ひとけ)のあるとこまで、なんとかするよ」

 真の独り言に、智明は切れ切れに答え、自動販売機から体を離した。

「大丈夫なのか? ノロノロ運転で走ったって、事故ったりコケたりしたら、足一本切っちまうかもだぞ」

 さすがの真も時速十キロや二十キロでコケたからと言って足一本切るハメになるとは思っていないが、智明に無理をさせないためには少し大袈裟に言っておく。

「なんとかする。前見えてるし、意識はちゃんとあるから」

「あのなぁ……」

「ヤバイ時はさっきみたいに合図する」

 明らかに空元気の笑顔を見せる智明をしばらく見つめ、真はため息を一つついてタバコを取り出す。

「これ吸ったら出発するから、その間ゆっくりしとけ」

「ああ」

 くわえたタバコにはまだ火を着けずに真は缶コーヒーを買う。

 ぶっきらぼうに見せてシレッと休憩時間を長くした真に、智明は感謝しながらまた自動販売機にもたれて目を閉じた。

 真には智明の空元気は目に見えて分かったが、真を心配させまいと振る舞う姿を無下にはできない。

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