♯岡後舞魅 ―知り合い― 3
家に帰るのが憂鬱で仕方ない。
もっと実神くんと喋っていたかった。
高校に入学してから2週間、あんなに長い間話をしたのは彼が初めてだった。
私は元々、お喋りなほうではないし、記憶喪失の影響もある。ちょっと話せばすぐに話が噛み合わなくなり、皆は私を避けるようになった。
ふと、空を見上げる。南の空に、明るい星が一つ、オレンジ色に光っている。なんていう名前の星なのかは分からない。
私は視線を前に戻す。桜並木の道。もう桜は散ってしまっていた。
「ここにきたばっかりの時は、まだ咲いてなかったのに………」
家に着いたのは、実神くんと別れて25分後だった。
10mくらいあるんだろうか、とても高い壁。横に無駄に長い玄関――門と言ったほうがいいかもしれない。その門の端に、小さな精密機械。私はインターホンを押す。5秒ほどして返事が来た。
「どちらさまでしょうか?」
「私です」
「少々お待ちください………」
ピーという、小さな電子音が耳に届く。知ってなければきっと聞こえないだろう。その後、カシャ、という鍵が開く音。
「どうぞお入りください、舞魅様」
「は、はい……」
中には広大な庭。テニスコート、バスケコート、噴水まである。何でこんなものを作ったんだろう、と最近疑問に思っている。絶対にいらないでしょ………。
玄関の扉の前で、一人のお手伝いさんが待機していて、扉を開けてくれた。
「お帰りなさいませ、舞魅様」
「ど、どうも……」
重苦しい雰囲気を我慢しながら、私はようやく自分の部屋に辿り着いた。鞄を机に放り出し、ベッドに寝そべる。自然に深い溜息が出てしまう。
「はぁ………」
実神鷹――くん。
彼との会話を思い出してクスっと笑う。それは面白かったからでもあるし、楽しかったからでもある、と思う。他のクラスメイト達とは違う独特の喋り方、言葉の遣い方。それは聞いていて気持ちよかった。まだたくさんの人と会話したわけじゃないけど、彼の真っ直ぐな話し方は私が知っている話し方の中で一番好きだ。
彼のことを思い出し、少しニヤけているところで、部屋のドアがノックされた。
「舞魅さん、入ってもいいですか?」
「あ、はい、どうぞ」
ドアが開き、メイドさんが部屋に入ってくる。
「今日、学校どうでした?」
「何ですかいきなり」
「だって舞魅さん、すごい顔が笑ってますよ?」
メイドさんは面白そうに笑う。彼と、少し似た笑い方。
このメイドさんは、この家の中で唯一私がまともに話ができる相手。彼女だけは、他の人たちと違って、私のことを『舞魅さん』と呼ぶ。彼女の本名は、清水川歩美。そして私は彼女のことを『歩美さん』と呼ぶことにしてる。
「何で下の名前で呼ぶんですか?」
「だって、名字長いじゃないですか。それに歩美さんも私のこと名前で呼んでるじゃないですか」
「それはまぁ、そうですね」
などというやり取りがあり、以降名前で呼び合うようになり仲良くなったのだ。家に母親も父親も居ない私にとっては、唯一の喋り相手。ここだけの話、胸が大きい。年齢は19歳だそうだ。
「今日は――男の子と話をしました」
「舞魅さんも年頃の女の子ですもんね。仲良くなりましたか?」
「仲良くは………でも、明日も話す約束をしました」
『年頃』という言葉がよく分からなかったけど、私はそう返した。
「へぇ~、話す約束を、ねぇ。面白い約束ですね」
「え?普通じゃないんですか?」
「そんな約束をする人、私は会ったことありませんねぇ」
歩美さんは苦笑する。優しい笑顔。
「でも、きっといい人ですよ」
「いい人?どうしてですか?」
「舞魅さんがいいって思う人だからですよ」
私は歩美さんの言ってることがよく分からない。
「私、いいって思ったなんて言ってないんですけど……」
「顔にそう書いてありますよ」
歩美さんは、また楽しそうに笑った。