#実神鷹 ―くのいち― 3
舞魅が誘拐された。
何だって?とはもう聞かない。よく分かった。じゃあ根拠を聞こうじゃないか。
「何で、誘拐だと分かったんですか?」
「カメラの映像です。この家、防犯カメラがあるんですよ。だいたい10台くらい、敷地の外側と内側を監視するように。家の中以外には死角が無いように取り付けられているらしいです」
「その映像に、犯人と舞魅が写ってたということですか?」
清水川さんは黙ってコクリと頷く。肯定の意を表しているようだ。
「どんな奴でした?」
「そこまでは……ただ、舞魅ちゃんを抱き上げてそのまま塀を飛び越えていきました」
その時点で一般人じゃない。あの塀、4mくらいあるだろうから。
「警察には通報しました。特隊も来て捜査するらしいです」
「特隊―――能力犯罪特殊対策部隊及び防止機関でしたっけ。長ったらしい名前だ全く」
今はそんなことはどうでもいいが。と毒づいたところで、僕の携帯が震える。先輩からだ。
「もしもし」
「一方的に喋るから聞いとけ。まず、犯人の要求が不明の間は、お前は行動を慎め。間違っても変な気を起こすなよ。次、犯人は忍術を使う奴ら、つまり忍者だ。どんな術なのかはまだ分かってない。次、岡後さんと犯人は、県外に出ていない。岡後さんの家から半径20kmのどこかに存在していることが分かった。勿論、岡後さんの命もまだ無くなってない。今分かってるのはそれだけだ。情報が入り次第伝える。もう一度言うが、お前は絶対に無駄な行動をするな!今居る場所から動くな!分かったな!おら、返事しろ」無茶を言う。「一方的に喋るって言ったのはせ」「返事は!」「……はい」
次の瞬間には通話は解除され、プー、プーという虚しい電子音だけが僕の耳に届いていた。携帯を耳から離し、少し画面を眺めてから閉じる。
僕は先輩からの情報を清水川さんに伝え、清水川さんは最後に一度だけ頷いて、また俯く。どうしてこんなことに……という声が今にも聞こえてきそうな表情。
「今僕らにできることは無さそうですね」悔しいながらもそう言わざるを得なかった。
「何故旭さんという人は、そんな情報を持ってるんですか?」
「ああ、それはですね………」言おうとしたが、止めた。この人は何も知らない人だ。そして今のまま、知らない方が幸せに人生を歩める人だ。僕みたいな、どうしようもない人間とは違う。
僕はそのまま押し黙ったが、清水川さんは何かを察したのか、それ以上聞いてくることは無かった。
それから舞魅の家に警察だの特隊だの無粋な輩が来て、僕から話を聞いたり、舞魅の部屋を調べたりしていた。大嫌いな警察を前に、口からでまかせが出かけたが、舞魅の安全のことも絡んでる限り、嘘をつくのはよくないと判断した。実行に移せていたかは不明だけど。
舞魅の部屋を調べる国家権力ども。正直見ていてイライラする。一般人には考えられないところまで調べ尽くし、失礼しました、などの言葉は何一つなく引き上げていった。だから嫌いなんだ。こんな、馬鹿げてる奴ら。こっちまで頭が馬鹿げてきそうだ。だが、こんな馬鹿げてる奴らのところまで堕ちるのは絶対に嫌だ。
舞魅は今、何してるんだろう。
電話してみようかな。
ああ、そういえば、もうかれこれ18時間くらい舞魅の声聞いてねーよ。あり得ない。24時間声聞けなかったら僕は狂ってしまう。
「落ち着きましょうか」
清水川さんがコーヒーを入れてくれた。こんな時になんて親切な、と思ったけど、落ち着きたかったのは清水川さん本人らしく、ダイニングのテーブルのイスに腰掛け、コーヒーを啜りだす。僕もお言葉に甘え、清水川さんの向かいに座り、コーヒーを一口飲んだ。予想以上に苦かった。何でだろう。
一息ついて、携帯を開く。するとまた携帯空の振動が僕の手に伝わる。ディスプレイには、姉ちゃん、という文字と見慣れた11桁の番号。
「はい」
「私今日早く帰れるんだ。2時くらいに。鷹は今日予定ある?無いなら晩御飯食べに行きたいんだ」
家で聞きなれた声が、精密機械を通して聞こえる。若干声が低く聞こえるのは僕の鼓膜のせいだろうか。それとも……。
「姉ちゃん、友達が、いや、この際言うけど、彼女が誘拐された。今は予定とかよく分からない」
「……それ本気?」まだ完全には信じ切って無いような、そんな口調。
「ああ、彼女の部分が嘘とかそういうのも無い。全部本気」
「……そう。誘拐、か。彼女のこと心配なんでしょ?」今度は本気で信じてくれた。
「……………」
「お姉ちゃんのことはいいよ。彼女を優先させて。そのかわり、危険なことはしないこと。命に関わるようなことはしないこと。鷹が居ないと、私寂しくて死んじゃうからね。分かった?」
「うん……」
「後でメールでもいいから、状況教えて。じゃ、切るよー」
最後はいつもの陽気な声が、直後に乾いた電子音が聞こえた。
さすがバカ姉貴。こういう時でも明るくしてくれる。十分、尊敬に値するじゃないか。
「えと、僕は何をしようとしてたんだっけ」
携帯を開いて。それから、何をしようとしたんだっけ。ああ、思い出した。
「舞魅に電話してみよう」
「え、それ、いいんですか?」心配したように僕の方を見る清水川さん。「何か問題でも?」「いや、犯人とかに気付かれたら……」成程そういうことか。「大丈夫です。大丈夫。何となく、でもどこかにある確信を持って、大丈夫です」
何をいい加減なことを言ってるんだ僕は。そう思いながらも、僕の指先は止まらない。暗記してある11桁の番号を順番に一つずつ、確実に押していき、最後に通話ボタンを押した。耳に携帯を当てる。コールサインが一回。――二回。三回。四回。五回。六回。七回。プツン、出た。
「……………………………」
「……………………………た、鷹、くん?」
精密機械を通して、舞魅の声が聞こえた。
口から言葉よりも先に、目から涙が出てきた。僕の口は今日はもう閉店らしい。
代わりに、涙腺とそれを抑える自我が同時に活発に働き出した。