#実神鷹 ―くのいち― 2
舞魅が居ない。
何だって?何かの冗談じゃないのか?いやいや、清水川さんがそんな冗談言うはずが無い。
ということは、消去法で――そうか。僕の鼓膜がおかしいのか。いやこれも違う。ってことは脳だな。うん。僕の脳がおかしいに違いない。早起きして、もっとちゃんと朝飯を食べればよかった。血糖値が低くなってるんだな。うん。うん。うんうん。それで、えっと。
もう一度聞こうか。
「今、何て?」
「……舞魅ちゃんが家の中に居ないんです……」
「家の外に居るんじゃないですか?」
「いえ、敷地内には見当たりませんでした」
「もう学校に行ったとか」
「鞄が部屋にありました……」
一つ一つ、申し訳無さそうに、そして悔しそうに語る清水川さん。実の姉として、本気で心配してる証拠なんだろう。
時計の針は、あと10分ほどで8時。
今日は、終業式だ。
舞魅は昨日、別れたときどんな様子だった。と、自問する。別に変わりない、笑顔を振りまいていた。別れのキスだって、普段と変わってなかった。
「えっと、舞魅を最後に見たのはいつですか?」
「えっと……夜の11時ごろ、部屋に行くと携帯をいじってました。それで……私は、そろそろ寝なさいよと。そして舞魅が、はーいと返事して、それで私は部屋を出て、それが、最後です」
「そのメールの相手は僕です」
清水川さんは心なしか、目の中の水分量が増してきて、瞳が潤んでいる。
僕は、反対に目から水分が引いていく感覚。眼球が乾く。発汗が停止する。血の気が引いていく。ありとあらゆる水分が、肌の表面から消えていき、僕を乾かしていく。
「警察には……」通報したんですか、と舌が続かない。舌も乾ききってドライマウス状態だ。唾液の分泌も停止している。口内が不快感に襲われてもおかしくなかったが、別の感情の介入でそれすらも感じない。
「まだ、です」
「靴は?」
「ありませんでした」
「制服は……?」
「ありませんでした。それと、少し部屋が荒らされてまして、衣服が床に散乱してました」
「……他に無かったものは?」
「携帯電話と、財布と、ペンケース」
「ペンケース?」
「はい。実神くんと撮ったプリクラが貼ってあったペンケースです。舞魅ちゃん、大事にしてた…」
時計に目をやる。針の角度はさして変わってなかった。時計の針は、あと8分で8時。
全然時間が経ってねぇ。
「今、うちに居る使用人全員で、敷地内を捜索しています。何分広いから……。とりあえず、実神くんは学校に向かってください。舞魅が見つかればすぐに連絡します」
「――分かりました。僕の携帯の番号を教えておきます」
口頭で伝えた11桁の番号を、清水川さんはメモを取ることなく暗記した。
「一応、学校の皆にも聞いてみます。それでは」
僕は体の方向を入れ替え、学校へと足を進める。
ふいに、空を見上げてみた。
どす黒い雲が、いつもある青空に覆いかぶさっていた。
馬鹿野郎――。
「前兆みたいなのは無かったのか?」
「いえ、全く。本当に急にです。先輩の方は、予言みたいなのはなかったんですか?」
「無かった。そもそも最近は安定してたんだ。お前らが付き合い始めてからはな。だけど、何で今日だ。たまたまなのか」
先輩は右手親指の爪を噛みながら、眉を寄せて考えている。
舞魅が失踪した。
それは、家出とかじゃない。
舞魅には家出する理由がない。そして、部屋が荒らされていたことと、窓が開いていたという不審な点から、家出の可能性は排除して問題ない。
誘拐が最も濃い。
舞魅は二度、誘拐未遂に遭っている。二度あることは三度ある、何て言葉じゃ事足りない。舞魅の場合は、永遠にあるだからだ。
そしてその犯人達が全て能力者。彼女を狙う者だ。
「今日、新月だろ。あたし達の能力――魔法とか超能力ってのは、満月の日には力が強まり、新月の日に力が弱まるんだ。でも……そうか、くそっ。あの時もそうだったのか。何で今まで気付かなかったんだよ!」
怒りにかまけて、廊下の壁を殴る先輩。ゴツンと、骨と壁がぶつかる鈍い音。
「あの時って?」
「文化祭の日。あの日も新月だった。だから油断してたんだ。まさかあんなことが二回もあるなんて……」
今度は壁に蹴りを入れる先輩。
「とりあえず、上と連絡取って見る。後で携帯に電話するから」
そう言って先輩は廊下を走っていってしまった。
これで、舞魅と関わる全ての人間と話をした。
舞魅が狙われてるということは話さずに、失踪したとだけ伝えておいた。案外、街のどこかで見つかるのかもしれない。
「んなわけないんだよ」
現実から逃げるな。強く、言い聞かせる。そして強く地面を蹴って、全速力で舞魅の家へと向かった。
ふいに、空を見上げてみた。
黒い雲の量が増えていた。が、まだ雨は降らない。
馬鹿野郎。焦らしてるのか。それとも、あれは雨雲なんかじゃないのか。そうか。僕の目がおかしいのか。脳がおかしいのか。
何が誘拐だ、馬鹿野郎。
「舞魅はもう、立派な普通の女子高生じゃないか」
なぁ神よ。
お前はどこまで舞魅をいじめれば気が済むんだよ。どこまで舞魅を特別にして、普通から遠ざけて、異端にして、異様にして。
どこまで……。
僕がおかしいのか?昔から、厄介事ばっかり引きずってきた僕が悪いのか。小学校の時だってそう!中学でも!そして高校でも!僕が悪いのか!僕さえ居なければよかったのか!?
いっそ死んでやろうかと、そんな思考が頭をよぎった。が、一瞬の内にに霧散する。それはダメだ。先輩が言ってたじゃないか。死んでも舞魅が悲しむだけだって。分かってる。それは、分かってる。
ああ、僕らの楽しい日常はどこに行ったんだ。僕ら普通の高校生の、普通に楽しい生活はどこに持ってたんだよ。
走る。走る走る。走る走る走る。走って。走って走って。走って走って走って。
走りながら、考える。
「僕らの日常を返せよ!」
いつものクールな自分を捨て、回りくどい口調も捨て。かぶっていた猫を投げ捨て。
「なぁもういいだろ。なぁ。いい加減にしろよ」
同じようなことを繰り返し吐く。弱音を、吐く。
「僕は弱いんだ。舞魅がいないといけない。けど、舞魅を守れるほど強くない」
独り言は風に消えていく。
なぁ神。ここまで降りてきて僕に説明してくれ。何で僕をこんな目に遭わせるのか。被害者面が気に食わないなら、言い方を変えてやる。なぁ神。これは運命って奴なのか?それともお前の悪戯なのか?なぁ!どうなんだよ!
「返事しやがれ!、なぁおい、神様よう!」
空に向かって叫んだ。
雨粒の返事が帰ってきた。