#実神鷹 ―戯れ合い― 3
一瞬だけ、ある人間のことが頭を掠めた。
しかしそれは、僕の脳内で自動的に処理され、表に出ることはなかった。
こういうのは地雷だからな、気をつけないと。
お互い、自分の気持ちを言い合ったところで、部屋にノックの音が響く。
「お菓子持って来ましたよ」
がちゃり、とお盆を持った清水川さんが入ってきた。
僕らは抱き合ったままだった。より正確に言えば、敢えて体勢を解除しようとはしなかった。
さて、状況説明。
部屋の真ん中に、高校生の男女。ついさっきカップルになりました。
ドアの前で、お盆を持ってこちらを見る女性。19歳。メイドさん。
外は相変わらずの暑さ、雲ひとつ無い空。
「えっと……」
「えっと……」
僕と清水川さんが同時に声を上げた。僕が続けて言おうと唇を開く前に、お菓子を床に置いて大急ぎでドアを閉めて行ってしまう清水川さん。
「ああ……」
抱き合うカップルだけが部屋に残された。さっきまでの心地よさは羽と一緒にどこかに飛んで行ったのだろうか、僕の心にはやるせない思いが残された。誤解、されてないよな。
「妹が知ってる男と抱き合ってたらああなるのかな」
「ああ、そっか。清水川さんは事実上のお姉さんだったな。うん、妹が、ね」
二人見詰め合って、お姉さんのことは考えずに笑った。だってほら、もう笑うしかないし。
「誤解されたらあれだし、一応彼氏として、挨拶に行ってきてもいいかな?」
「うん、私も行く」
二人でキッチンに向かった。僕の家の3倍くらいの、もうちょっとした厨房みたいなところで、清水川さんは左手で包丁を握っていた。いや、怖いわ。髪の毛の隙間から見える耳が赤い。
「あのー……」申し訳無さそうに一言。妹もらっちゃったわけだし。
「は、はい!何ですか!?」包丁を置く彼女。
「ついさっきから付き合ってます、実神です。改めてよろしくお願いします」僕はぺこりと頭を下げた。
清水川さんは、あたふたしながら「こ、こちらこそ!」と威勢のいい声で言った。「あ、やっぱり付き合ったら、その、ああいうことするんですよね?」
「ああいうこと?」誤解されて無いか?僕はまだキスもして無いぞ。
「い、いや、何でもないです!あたし、恋愛とかしたことないですから、ちょっとびっくりして」
両手を両頬に当てる清水川さん。顔から火が出るんじゃないかと思うくらい、見事に熟した林檎になっていた。もしくは苺か。
「それは、意外ですね」返答が難しいため、曖昧な言葉で済ませる。
「ええまぁ、中学卒業してすぐに仕事に就いたから……」
それはそれは。僕の姉と一緒だ。親近感の沸く話だった。しかし清水川さんは、中卒でメイドをやってるとは、今年で19なんだから、なかなかのベテランである。
「お姉ちゃん。お姉ちゃんも一緒に私の部屋で遊ぼうよ」
僕の横で僕らを見守っていた岡後さん――否、舞魅が、突然の提案をする。
「え、でも、邪魔になりそうだからいいよ。あたし、まだ仕事あるし」と言いながらも、嬉しそうな表情が隠せてない。嘘を吐けないタイプの人らしかった。
「3人の方が楽しいもん。それに仕事なら私が免除するよ」
こうして舞魅姫様のお嬢様発言によって、僕らの楽しい時間はより楽しいものになった。傍らで、仕事の代償を押し付けられた使用人さん達が居ることを、僕以外の二人は気付いていなかった。そんな人達に、僕の20分の1ほどの同情を渡してあげた。この二人の笑顔に免じて、許してあげてください。
ちょっと外に行こうよ、という舞魅の提案で、僕と舞魅は出かけることにした。清水川さんは、さすがに外出はできないということで、お留守番を引き受けてくれた。
僕は自転車で来ていたので、押しながら駅まで舞魅と並んで歩いた。駅の駐輪場に止めておいて、月曜にでも乗って帰ればいい。
外は丁度、雲が太陽を隠していたので、それほど暑さを感じなかった。
駅に着いたところで、僕達はどこに行くか迷ってしまった。いかんせん急な提案だったから、プランも何も無い。
「駅前のショッピングセンターにでも行ってみる?」「うん」
まずは本屋に向かってみた。別に、これと言って見たいものがあったわけではなかったけど。
「て………」
「え?」「手、繋ごう」「あ、ああ、うん。はい」と、初々しいカップルのイベントを軽くこなしながら、本屋を徘徊した。途中、トランプに関する本(さっきまで3人でトランプをしてたため)を立ち読みしてから、僕らは本屋を後にした。
陽は西に傾き始めていたけど、まだまだ明るい。
「舞魅って、呼んでもいいよね」「いいよっ」口端を歪ませる。
「じゃあ舞魅、冷たいもの食べたくない?」
「食べたいっ!っていうか、鷹くんが言うものなら何でも食べたい!」
「その考えは改めた方がいいよ」
世の中は物騒だから。僕に変装してよからぬものを食べさせる奴が居ないとは限らない。ふん、今の僕は舞魅の安全のためなら何だってする男だ。
「じゃあ、鷹くんが食べるなら私も食べる!」
「うんうん。それならいいよ」僕は舞魅の頭に左手を持っていき、そのまま水平移動をさせる。即ち、頭を撫で撫でする。
舞魅は、「ふぇ?」と言ってきそうな表情をした。その表情で、僕はこっちの世界でこの行為に及ぶのは初めてだったということに気付く。
向こうで始めたんだよな、これ。
「何か、恥ずかしいよ……」
僕は唇を歪ませて「恥ずかしい思いさせたよね。ごめん」と言った。感情がこもってないのを、舞魅に見抜かれなくて良かった。
このやり取りも、向こうの世界でやったこと。
向こうの世界での記憶は、全く薄れる様子もなく、ニスでも塗ったのかというくらい、はっきりくっきり色が付いたまま残っている。
「何味がいい?」メロン、イチゴ、レモン、ブルーハワイ、練乳、マンゴー、みぞれ。
「イチゴがいい」じゃあ、イチゴひとつで。
「えっ?鷹くんは食べないの?」
「ううん。食べるよ。一つのを一緒に食べるんだ」
こういうのをカップル食べという。多分流行らないだろう。そもそもかき氷自体、夏意外にはなかなか食べないシロモノだしね。沖縄では一年中食べられるのかな。
「あ~ん」「あ、あ~ん」イチゴのシロップがたっぷり掛かった部分を舞魅に食べさせた。続いて、僕も食べさせてもらった。完全にバカップルに成り下がって――否、成り上がっていた。レベルアップ版だ。
全部食べきったところで、二人、頭痛を訴える人間が現れた。無論、僕と舞魅。
まだ7月上旬だもんな。一つを二人で食べてもこれじゃ、先が思いやられる。
「あ、鷹くん舌が赤いよ~?」
「舞魅もね」
「えっ、うう、自分の舌見えないよ」舌をできるだけ伸ばそうと努力する舞魅がとても可愛かった。写真とって待ち受けにしたくなった。
「ん、携帯鳴ってる」
僕じゃない、舞魅だ。
「もしもし?あ、うん。今駅前。うん…………うん、分かった」
「誰から?」
歩美さん、と赤い舌をちらつかせて言う。「もうすぐ雨が降るらしいから、帰っておいでだって」
「そっか」空を見上げると、どす黒い雲が、西のほうからやってきて青い空を蝕んでいってる。
帰りは早足で、舞魅の家へ向かう。当たり前のように、家の前まで送る。
「傘持って帰る?」家の前まで来て、舞魅が言う。
「いや、大丈夫。それより舞魅……」
「キス?」
「何で分かった!?」僕は大仰に驚いた。だって舞魅、ドラマとか知らない人なのに。
「歩美さんに聞いた。ドラマとかではよくあるんだって」
「ああ、そうですか……」ちょっと水を差された気分。
「ん、目、瞑るんだよね」
「それくらい言わせてくれたっていいのに」目瞑って、って言ってみたかったんだよぉ。
もう既に目を瞑っている舞魅の唇に、自分の唇を重ねた。柔らかい感触、そして。
目を開けて、天然記念物並みの笑顔で舞魅が言う。
「えへへ、イチゴの味っ」