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#実神鷹 ―戯れ合い― 2


 家に行く約束をした日に限って部活が無いとは、岡後さんもなかなか運がいい人じゃないか。


 梅雨は明けてないが、相変わらず雨は降ってこない日が続いている、と天気予報は言っていた。梅雨前線がさぼってるんだろうな、と蒼い空に思いを馳せる。もしくは今年の高気圧はでしゃばりなのか。しかしまぁ、梅雨に雨が降らないことをあまり素直に喜べないのは僕だけだろうか。過去の経験からして、梅雨の雨が楽しい夏休みにやってくることも考えられるわけだし。


 岡後さんは間違いなく晴れ女なんだろうな。常に表情が晴れ晴れしてるし、どこぞの憂鬱な少女とは大違いだ。そういえば、憂鬱の対義語が晴れ晴れだったっけ。


 対して僕は、天気はあまり気にしない主義だ。雨は雨で楽しいし、雪も然り。霧も、靄も。気候を嗜むのも日本人的に一興じゃないか。雨に打たれて髪の毛を濡らしてみたり、しんしんと降る雪を静かに見つめてみたり。


 ああ、日本人でよかった。味噌汁も飲めるし。これぞ愛国心だ。


 「松尾芭蕉みたいなこと言わないの」


 「岡後さんこそ、小学生みたいなこと言わないの」


 現国の時間に出てきた松尾芭蕉が、岡後さんにとっての昔の人の代表者らしい。


 「岡後さん」


 「ねぇ」


 僕の言葉を無視して無理やり言葉を挟んでくる。


 「岡後さん、って何か長くない?おかしりさんって6文字だよね。もうちょっと短い呼び名がいいな。あだ名とかにちょっと憧れちゃったり」


 「い、いきなりだね……」


 本当にいきなりだ。言われてみればの話だから、いつか出てきただろうけど。


 「岡後さんは、何て呼んで欲しいの?」


 「あだ名か、名前で呼んで欲しいな。あだ名だったらどんな感じかな?」


 「まいみ、まいみ……」


 「え、そんな、いきなり名前を呼び捨てなんて……」右手を口に当てて、頬を染める岡後さん。


 「い、いや違うよ。名前からあだ名考えてただけであって、別に名前で呼んでたつもりでは」


 「は、はわわわわわ」顔が熟れた林檎みたいに赤くなっていく。ちょっと、人の話聞いてます?


 「じゃ、じゃあ、実神くんのことも、名前で呼んでいいの、かな?」


 「おーいおじょうさーん。人の話はちゃんと聞きましょうね~。それとも、本当は名前で呼んで欲しいのかな~?それならそうとちゃんと言おうね~」


 「………何言ってるの?何でいきなりそんな口調になるの?」


 あう。


 元はと言えば岡後さんが僕の話を聞かなかったことから始まったのに。何で立場が変わってるんだ。神の悪戯かこのやろう。


 「舞魅って、呼んでもいい?」


 「ふぇ?い、いいの、かな?」


 「こっちが聞いてるんだけど」


 「あ、じゃあ、いいよ……。私は鷹くんって呼んでいいよね?」


 「ああいいよ。舞魅」


 「えへっ、ありがとう、鷹くんっ」


 飛びきりのはにかみを見せる岡後さん、ならぬ舞魅。僕はその笑顔で平日の疲れをいつも癒している。そして栄養ドリンクを与えてもらった僕は上機嫌になるのだ。


 あれ、僕は舞魅……ってやっぱりこの呼び方変だよな。付き合ってるわけでも無いのに。というか、昔付き合っていたその人のことすら、僕は名字で呼んでいた。


 「岡後さん、やっぱりこの呼び方やめない?何か不自然な感じがするんだけど。僕達って友達なわけじゃん。あくまでも友達なんだし……。名前で呼び合うのはちょっと」


 「ちょっと、何?」首を傾げて疑問系の顔。


 そう言われると返す言葉が無いことを岡後さんは知っていたのだろうか。


 岡後さんにはちょっと、の意味が伝わらない。それは純粋に、一転の曇りもなく物事を考える岡後さん特有の思考と、僕を含める一般人の思考の間にズレが生じているからだ。


 「ちょっと――。僕が言いたいのは、別に恋人同士じゃないよねっていう」僕の意思に反して唇と舌と口が動く。無意識にだ。


 「恋人同士なら名前で呼んでいいの?」


 「まぁ僕はそう考えてる」決してバンピー代表の意見じゃないけど。


 すると岡後さんは、算数の問題を解き明かした小学生のような表情で、「じゃあ、恋人同士になればいいのかなっ?」と言った。確かに言った。


 僕は勿論、返答に困った。言葉を知らない犬か猫になった気分を味わった。口を動かしても、言葉にはならない、そんな不快感を数十秒ほど味わう。


 「恋人同士って、お互いがお互いを好きならなれるんだよね。私は実神君の事好きだよ?」


 実神くんはどうなの?といった目線を送ってくる。待て待て。展開が早い。だいたい、岡後さんは好きっていう言葉の意味を理解して言っているのか?


 「僕も、岡後さんのことは好きだよ。岡後さんは、好きっていうの、理解してる?」


 「よく、分かんない」と、あっさりと言う。何だ、やっぱりそうじゃないか。「でも、実神くんと一緒にいたら楽しいし、話をするのも楽しいし、一緒にご飯食べるのも楽しい。会えない時はずっと実神くんの事考えてるし、会ってる時もずっと考えてる」


 「………………」


 「こういうのを好きって言うんじゃないの?」


 100%濁りの無い模範解答です。


 そのまま辞書に載せても問題無い。抗議する奴は僕が排除しよう。


 岡後さんのその言葉は、好きと言う単語について、具体的に説明したと、そういうことだ。多分。


 岡後さんは、僕のことが好きらしい。ああ、そうなのか。


 へタレな僕は、事実を他人事のようにしか受け止められない。自分のことだと考えると、気恥ずかしさで僕の脳は思考停止状態になるだろう。


 僕は岡後さんの問いには答えず。


 その小さな身体を抱きしめた。


 部屋の真ん中辺り、座った状態で二人、鼓動を感じている。か、どうかはともかく、僕は岡後さんの鼓動を感じる。ドクン、ドクン。


 「僕は……」やっと声になった言葉を、彼女の耳元で囁く。


 「純粋で、美しくて、綺麗で、清純で、濁ってなくて、透明で、神秘的で、まっすぐで、素直で、優しくて、可愛くて、暖かい」  そんな岡後さんが――。


 「世界で一番好きだよ」


 ずっと詰まっていた胸の異物は、羽のように軽くなり、どこかに飛んでいってしまった。


 だいぶ、呼吸が楽になった。


 

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