#実神鷹 ―異世界― 8
日向陸さんは、霞先輩と腕を組んでいた。
それを見て僕は、この人が先輩の彼氏だということが分かった。
先輩が愛していた相手。
マンションの14階から飛び降りて死んだと言っていた。そして、僕に似てる、とも。
僕よりも身長が高く、整った顔立ちでいかにも格好いい先輩という雰囲気を醸し出している。先輩とは本当に仲が良さそうで、僕と岡後さんとの関係とは比べたら失礼だろうと思った。
「で、何してたわけ?こっちの女性は?」
「お知り合いですか?」女性は僕と先輩を交互に見る。
「ええ、まぁ」曖昧な返事をした。
「先輩、今からここ、警察来るんで、厄介なら早く帰った方がいいですよ」
「あたしは天邪鬼だからなぁ。敬語使うなっていくら言っても聞かない実神の言うことに、素直に従えないんだなぁ」
「早く帰れよ」
「うんっ。今度会ったらいじめてあげる。行こっ、りくっ」
「あ、ああ」と、日向さんは先輩に引っ張られる形でこの場から退散した。行動権は先輩が所有しているらしく、否定する様子も見られなかった。
警察がいらっしゃったのはその数分後。まぁ何というグッドタイミングだろう。優しい優しい地方公務員さんたちは、僕らをパトカーに乗せて、事情聴取を行った。ちょっと遊んでみたいという気持ちがあったけど、敢えて嘘は言わなかった。僕はパトカーに乗る地方公務員さんが嫌いなのだ。
制服を着た地方公務員さん達は、犯人が捕まるまで君達は危ないと言って、わざわざパトカーで僕達を送ってくれた。正直言ってパトカーに乗るというのはあまりいい気分じゃなかったけど、岡後さんを危険に晒さないためには仕方ないと、一人納得した。
いつも利用している駅まで、地方公務員に送られ、パトカーを降りた。周りの人に多少白い目で見られた気がしたが、僕の心の迷いだろう。
さて、まだ僕にはやることが残ってる。
「帰ろうか、岡後さん」
「うん」
駅前の喧騒を抜けて、住宅街に入る。ふと上を見て、僕は一つ思い出した。僕はそれを伝えようと口を開こうと岡後さんの方を向くと、丁度岡後さんもこっちを向いた。
「……………………」
「………………………」
しばらく見詰め合った後、岡後さんの方から口を開いた。
「ねぇ、あの後行くとこあるって言ってたよね?それってどこだったの?」
「ああ、ちょっと街中から離れて星でも見ようかなって考えてたんだけど、警察に捕まったからね」
「今から、行かない?」
「でももう9時前だよ?僕はいいけど、岡後さんは大丈夫なの?」
「一回家に帰ったら大丈夫だよ」
「そう?じゃあここら辺であんまり明るくないところって………あの公園があったな。まさかこんな時に役に立つなんてな。あの公園でいいよね」
「そうだね。うんいいよ」
小束と対峙して、先輩と僕が退治した、アノ公園。
丁度通り道となった岡後さんの家に一旦寄り、再び公園に向かって歩き出す。
今夜は、星がきれいだ。ラッキーなことに雲一つ見られない見事な星空が頭上に広がっていた。公園の中心より20メートルほど外側に位置するベンチに二人で腰掛け、空を見上げた。
夜景よりも光の数はずっと少ないけど、その分一つ一つの光が儚く美しく見えた。
「星には名前があるっていうのは知ってた?」
「ううん。知らなかった」
「あそこにある、周りより少し青白い星が、ベガっていう名前の星だよ」東の空を指差し、まだ夜空に上ったばかりであろうその星。
「あ、あれのこと?」
「いや、あれって言われても……」
「あの、その、あの木の先っぽの延長線上にあるやつ?」
「そうそうそれそれ。あれがベガ。それから、その星の右下辺り、もう一つ明るい星がアルタイルっていう星。そこから左に行くと、デネブっていう明るい星がある」
「うんうん。分かる分かる」興味津々で聞いてくれてこちらとしても説明のしがいがある。「三つ繋げると三角形だねっ」
「うん、この三角形を夏の大三角っていうんだ」
「夏の大三角。何ていうか、神秘的な名前だねっ」
「神秘的か……そうかもしれないね」僕は笑顔を見せた。
これ以上星の名前を教えられないのが残念だ。くそ、もうちょっと勉強しておけばよかった。ん、いや待てよ。夏の大三角が東の空にあるんなら。
「………あった。南の方の空、赤っぽい星があるの分かる?」
「んー。……あ、あったあった!」
「あれがアンタレスっていう星」
へぇ~、と頷く岡後さん。「他には?」「え、えっとね……」「うんうんっ」そんなに期待しないでくれと心の中で突っ込みながら、僕は頭をフル回転させる。じゃない、思考をフル回転させる。他に何か知ってる星があったような、思い出せ。何かあるだろ。
「………北の空、あそこに光ってるのが、ポラリス――」だったと思うけど。和名では北極星。
「ポラリス――ポラリス――。何か可愛い名前だねっ」
えへっと笑う。僕の目と心臓に悪いから、遠慮して……いや、何でもない。さて、今度こそ終わったなと一息つくと、隣からくしゃみが聞こえた。
無論、岡後さんしかいない。
「寒い?」と僕は聞かずに、黙って上着を脱いで岡後さんに着せてあげた。直後に格好付けすぎたと恥ずかしくなって、岡後さんの方を見れなくなった。
いつだって何やってんだろうな。僕と言う人間は。
「あ、ありがとう」
「ちょ、照れるから止めて」
上着を脱いだのに、寒くなるどころかサウナに来たみたいだ。このままの体温で、今度の冬を越したいと思った。まだ夏が始まったばかりなのに。
僕は視線を星の瞬く夜空に戻す。こうすると落ち着くなぁ。
あ、今日7月7日じゃん。
気付くのが遅いなあもう。そういえばデパートとかに行ったときに笹があったじゃないか。あの時は夜に言おうと黙っておいたんだっけ。
「ねぇねぇそこの二人。ちょっと俺達にお金貸してくれない?」
僕の思考は、得体の知れない輩の腐ったボイスによって途切れた。見ると、高校生らしい男の三人組だった。ちょっとチャラいけど、ヤンキーってわけでもなさそうだ。なんだなんだ、幸せカップル見つけて邪魔しようってのか?別に付き合ってないけど。
「返してくれるアテがあるなら貸しますよ。僕は人情厚いですから」僕は本当に困っている人が居たら、1000円までならただで渡してやってもいいと思っているが、未だ実行には至っていない。
「来週のこの時間にここに居てくれたら返すからさ、とりあえず、財布見せてくれない?」
僕は岡後さんを庇いながら「来週は予定があるから無理です」と否定する。
「暴力に訴えたくないからこうやって頼んでるんだぜ?分かったら早いとこ金出しとけって」
「身分証明になるものを見せてくれたら貸しますよ」相変わらず回りくどく返事をする。ここで学生証とか見せてくれるバカだったらいいのにな、という淡い期待は見事に霧散する。
「そっちの女が大事なら早く財布出せよ」今まで黙っていた男の一人が、一歩近づいてきた。こいつがこの中のリーダーか?
「実神くん……」僕の背中で服をちょいと引っ張る。大丈夫、と背中で語っておいたけど多分通じてない。そりゃそうだけど。
「勘弁してください。それと女に手出しするのは男としてアリですか」無しに決まってるだろ。
「おい、これが最後だ。財布出せ」
相変わらずこの公園には誰も来ない。僕の嫌いな地方公務員さんの言うことをちゃんと聞いておけば、こんな事にはならなかったのに。でも嫌いなものは嫌いなんだよ。
「分かりました。財布を出します」
僕は右手を右ポケットに突っ込み、目的の物体を取り出す。そしてその物体を男達に向けて、中身を噴射した。
「うああああああああああああ」
男達の叫び声をよそに、僕は岡後さんの手を握り、一目散に公園の出口を目指す。男達は追ってくる様子は無く、ベンチの前で倒れ悶えている。
月9ドラマのワンシーンの如く、僕は岡後さんの手を引いて走った。公園を抜け出し、住宅街に入ったところで僕達は足を止めた。
上がった息を整えるため、住宅の壁にもたれかかる。岡後さんは走りにくい靴を履いていたので、僕以上に疲れていた。はぁはぁと、二人の呼吸音が静かな住宅街に響き渡る。
やっと呼吸が整ったのがそれから3分くらい後のこと。
「岡後さん、大丈夫、じゃないか。ごめんね。急に走らせて」
「ううん。それより、実神くんをポケットから何出したの?」
「ああ、これ。催涙スプレー。噴きかけられた相手は目が、どうにかなるんだと思う。護身用でね、昼間のうちに買っておいたんだ」
「いつの間に?」
「確か服の試着をしてる時だったはず」
別にこっそり買う必要は無かったのかもしれないけど、岡後さんに余計な心配をかけたくなかった。
「にしてもさっきのは危なかったな。穏便な奴らだからよかったけど、もうちょっと出すタイミング考えないとな。殴られてもおかしくなかったし……」
一人反省会。僕の言葉はああいう奴らには気に障るだろうということを忘れていた。あいつらにとっては挑発として捉えられていたからな。
「実神くん、何ていうか、平気な顔してたから、あの人たちと喧嘩するのかと思ったよ」
「無い無い。僕は喧嘩慣れしてないし、どちらかといえば頭脳派なんだ。口喧嘩なら誰にも負けたこと無いよ」
「ふふっ実神くん口が達者だよねー」
「どこでそんな言葉を覚えたんだ」
岡後さんの単語の知識は記憶喪失以降に仕入れたもの。誰がそんな難しい言葉を?という話になる。あ、もしかしたら僕がそんなことを言ってたのかもしれないな。
はぁ~。
ほっと一息。また空を見上げる。さっきと変わってない、きれいな空。
長い一日だったな。
色んな事がありすぎた。
でも、岡後さんは無事だ。怪我一つ無い。
僕が側に居れば、岡後さんは無事でいられる。入院なんてしなくていい。
僕が、岡後さんを護った。向こうの世界では護れなかった岡後さんをこの世界では護れた。
弱い僕でも。弱い僕でも。弱い僕でも。弱い僕でも。弱い僕でも。
岡後さんを護った。岡後さんを護れた。
「帰ろうか」
「そうだね」
住宅街を並んで歩く。自然に手を繋いだ。変わらない柔らかい手が、僕の手を包んでくれる。
家の前まで来たところで、岡後さんに上着を貸していたことを思い出したけど、敢えて口には出さなかった。その代わりに、岡後さんの頭と髪の毛を撫でた。
お互い、少し笑って手を振って別れた。