#実神鷹 ―異世界― 6
楽しすぎて忘れていた。
僕がこのデートを取り決めた理由を。
僕は物忘れが激しいということが、今回こそ理解した。今までは自覚が無かったから忘れることがあったんだ。日頃から注意していれば良いだけの話。そうだ。もう僕は忘れない。もう僕は忘れない――。
映画を見て、岡後さんの笑顔を見て、夕食はイタリアンレストランに行き(リーズナブルな店。ゆっくりできる店がいいという岡後さんの意見から)、岡後さんの笑顔を見て、僕達は日が暮れて気温が下がり始めた街をある場所目指して歩く。
「ねーねー、次はどこ行くのー?」
「んー?夜景が綺麗なところ、かな」
お楽しみお楽しみ――と。僕は一回だけ言ったことがあるその場所で、岡後さんと夜景を楽しもうという考えだ。
「こんなビル街で、夜景見れるの?それとも山とかに行くの?」
「街中でも夜景は見えるよ。高いところに上れば」
僕達は立ち並ぶ高層ビルの一つの内側に入り、エレベーターに乗った。24のボタンを点灯させる。
「ねぇねぇ。さっき入り口のとこにさ、『市役所』って書いてあったけんだけど、ここが市役所?」
「そうだよ」エレベーターは10階を通過した。
「市役所って……何するとこだっけ?」
「市が市民のために仕事をするところだよ。詳しくは……知らない」20階を過ぎる。
誰も乗ってくること無く、ノンストップで24階に到着した。エレベーターホールを抜けて、さりげなく表示を見て、展望ロビーを探した。ああ、そうだ、こっちだ。急に、依然来た時の記憶が蘇った。あの時は小学校の奴らと来たんだよな。昼間だったから少し雰囲気は違う。
ロビーのガラス張りの空間に、二人で足を踏み込む。すると目の前に、初めて見る夜景が広がった。
「わぁ~」
「お、おおぉ~」
初めて見る光景というものは、どうしてこれほどに心を揺さぶるのだろう。僕はガラスに手をつけて、下を覗き込む。光る米粒のように自動車が動いている。人の姿なんてミジンコみたいだ。そこから視線を少ししずつ上へ向ける。JRの線路と電車、道を行く車、その奥にある無数の民家。さらに奥には山が広がる。山の側面には市のマークを象ったライトアップが見える。
「きれーだねー」感激したように岡後さんは言う。僕はそれに対して静かに頷く。
「確かに、きれい以外に言葉が出てこないや」
なんて口にしたらいいか分からない。多分それは、普段からモノを比較して見る癖があるからだ。だから、初めて見たモノに対して、適切な感想を吐けないんだろう。そんな自分が、少し恥ずかしく思った。情け無いじゃないか。
反対側に行こう、と岡後さんに伝え、僕は岡後さんの手を握る。柔らかくて暖かい感触に、僕は心臓の鼓動を早める。ドクンドクンドクン――。今日、初めて手を繋いだ。さぞびっくりしているであろう岡後さんの顔を見てみたかったが、僕は顔と耳が真っ赤だったので、わざと前を向いていた。
反対側には、大きな道路、そして海が見える。光の粒が海の上に掛かる橋を渡り、浮島へと向かっていく様子が見られた。浮島にも反対側同様、民家のそれであろう無数の明かりが光る。
「わぁ………」
「おぉ………」
口をあけたまま、きっと今僕はアホ面なんだろうな、なんて考えには及ばず、ただただ目の前に広がる夜景を見つめた。左手は離していない。
岡後さんの右手は小さくて柔らかくて暖かかった。二人で手の温度を分かち合う。僕は岡後さんから暖かさを貰った。
「岡後さん、手、熱くない?」
「へ?そ、そうなのかな?」と岡後さんは首を傾げる。そして繋いだままの手を持ち上げて、自分の頬にそっとこすりつけた。すりすりすり。「そうっぽいね。私、体温高いのかな?」
「お酒なんて、飲んでないよね?」一応聞いてみたが、否定された。当たり前だ。お酒は危ない。調子に乗って飲んだことのある僕の体験談だ。それにしても暑いな。耳が暑い。
「向こうに喫茶店があるんだ。座ってゆっくりしよう」
「うん」
手を繋いだまま入店。店内には、何組かのカップルとスーツ姿の人が居た。席はたくさん空いていて、僕達は店員さんに気を遣われたのか、奥の眺めが良い席に案内された。昼間のイタリアンレストランでも同じようなことがあったので、僕は今日は運がいいな程度のことをひっそりと考えていた。
「カフェオレとアイスコーヒー」と店員さんに注文し、待ってる間にまた夜景を眺める。
「きれいだよね~」
「うん……」敢えて視線を合わさない会話。
「何ていうかさ、何だろうな。上手く言葉にできないんだけどさ……」
「うん……」
僕は考える。
「僕は何で岡後さんと一緒に居るんだろう」
ポンッと、栓が抜ける音。頭の中で止まっていた思考が働き出す。
僕が、岡後さんと一緒に居る理由。
この世界で、一緒に居る理由。何だろう。
「よく分かんないけど、一緒に居たいって思ってるからじゃないかな?少なくとも私は、実神くんと一緒に居たいと思ってるよ」
「一緒に居たい、ね」
それはあるかもしれない。確かにそれは、あるかもしれない。それから、一緒に居る必要がある、というのも。けど、それは向こうの世界での話だ。向こうの世界の岡後さんは得体の知れない奴らに狙われている。僕には、岡後さんを守る義務がある。そういう理由でも、僕達は一緒に居ることが多かったんだ。
じゃあこの世界の岡後さんはどうなんだ。得体の知れない魔術師だかに狙われているのかといえば、そんなことは絶対に無い。何故なら、この世界に魔術師だかの存在など有り得ないからだ。
あれ?そうすると何だ。…………………そうだ。
『僕が来る前に居たこの世界の僕』は、岡後さんと一緒に行動してたんだろうか。
「岡後さん、僕達って、4月に会ってからずっと一緒に居ることが多かったよね?」曖昧な聞き方になってしまうのは仕方ない。
「うんっ。そうだけど、いきなりどうしたの?」
「いやっ、何でもない。忘れて」
「気になるよっ」
今まで外を見ていた視線がこちらに戻される。
なんて言い訳をしよう。記憶喪失で、昔の記憶が無いんだ、なんて言ったら絶対怒るだろうな。くそう、今日の僕の脳は正常に働かない。嘘一つ思いつかない。いっそのこと、僕は異世界の人間だ、ってばらしてしまおうか。お、これ意外といい考えなんじゃないか?岡後さんなら信じてくれるだろうし、対策も思いつくかもしれない。
「実は、さ。僕」
―――――――なんだ。
いつぞやの時のように、僕の声は遮られてしまった。プツン、というあからさまな停電の音によって。
「キャーッ」
「岡後さん落ち着いて!ここから動かないでっ!」
僕は暗闇の中、岡後さんがさっきまで居た場所を感覚で把握し、その身体を抱きしめた。
さっきよりもさらに暖かい何かを感じた。岡後さんの息が、首元にかかって、また僕の心臓が暴れだした。




