#実神鷹 ―異世界― 4
「うう、実神くん、何か目がひくひくする……」
目がひくひく?面白い比喩だな。いや、比喩じゃないのか。それにしたってひくひくと聞いて多少違うことを考えてしまった僕の思考回路は果たして正常だろうか。
「何か右目の下辺りがね……」
「右目の下?」僕は岡後さんに顔を近づけて、右目の下辺りをよーく見てみる。3秒ほど見続けていると目の下辺りがひくひくと動いた。ひくひく、と言う表現は岡後さんのそれをそのまま使わせてもらった。別にぴくぴくと言ったところで大した差異は無い。
「確かに、動いてるけど、何かな。目の周りの筋肉の痙攣とか。昨日、目が疲れるようなことしたんじゃないかな」
「携帯の使いすぎ?」
「それだな。うん、間違いない」
それは昨日のこと。
岡後さんからメールが届く。
『明日、10時に駅前でいいんだよね?』僕は『うん。駅前の喫茶店ね』と返信する。
『私、私服着るの初めてなんだ。似合わなかったらどうしようかな……』僕は『そんなこと無いよ。似合う似合う。それに明日服買いに行くし。僕も選んであげるから』と返信する。
『でも私、今時の服とかファッションとか分かんない』
『っていうか休みの日に誰かと過ごすのも初めてだよ』
『買い物にも行ったことない……』
『買い物した後はどうするの?』
『夕食はどこで食べるの?』
『何時くらいまで一緒に居れるの?』
僕はついに我慢できなくなって岡後さんに電話してしまった。コール2回で電話が繋がる。
「岡後さん、電話で喋らない?」電話して開口一番にそう言った。電話してから言うにはいささか不自然な台詞かもしれない。
「うん。何か丁度実神くんの声が聞きたかったんだっ」電話の向こうで笑顔になっている岡後さんを想像した。
「岡後さん、明日のことは明日のお楽しみっていうことにして欲しいんだ。僕も一応プランを考えてるわけだし」
「そっか。言われてみればそうだよね。うん。お楽しみにするっ!」
その後少し話して電話を切った。時刻表示を見ると、午後11時。明日に備えて寝てもいいかなと脳が思考した瞬間、僕の携帯が震えた。何となく予想はしてたけど、岡後さんだった。今度は明日のこととは関係ない話題についてメールしてきた。僕は岡後さんからメールが来るのは嬉しいし、何の苦にもならない。ついでにパケホで料金の心配も無い。けどさすがに、1時間もずっと携帯と向き合ってメールのやり取りをしたら疲れる。
というわけで、僕は日付が変わったところで僕はこのやり取りに終止符を打つべく、末尾に『じゃ、また明日。おやすみー』と付け加えたメールを送信し、その後すぐに眠りについた。
「あ、治ったー」と無邪気な声を上げる岡後さん。めのひくひくが収まったらしい。
「よかったね」
「うんっ!あ、電車来るよっ」
岡後さんはものすごく一般的な格好をして僕の前に現れた。僕は女子の服装についての知識はほとんどと言っていいほど無いので、表現するのは難しい。簡単に言えば、膝上までのスカートに上は薄手の―――ダメだ。割愛させてもらおう。
対して僕は、お気に入りのジーンズにTシャツと―――割愛。どうやら僕はファッション全般に疎いようで、その疎さに男女はあまり関係無いらしい。
時々思うんだが岡後さん、駅の改札はすんなりとクリアした。そして電車についても。買い物はしたこと無いのに。この辺の違いは何なんだろうと。
記憶喪失なのに、記憶のある部分と無い部分がある。
切符の買い方は知らなかった。けど、改札の通り方は知っている。改札なんて、通り方を知らなくても何とかなるだろうと思うけど、岡後さんは『何とか』通ったという感じではなく、『すんなり』通ったのだ。そんな些細なことが妙に気に掛かる。
やっぱり僕は神経質で細かすぎるんだろうか。或いは神経が細かいのか。
電車は日曜の昼間(まだ10時だ)ということで、多すぎず少なすぎずといった人数の乗客が居た。
岡後さんは移り変わる景色を必死に目で追っている。小学校2年の時の僕もこんなことしてたなぁ。
僕の隣で身を寄せるように座っている岡後さん。初めて会ったときより、随分髪の毛が伸びた。ショートだった髪が、今は肩にゆうゆうと掛かる程度まで伸びている。僕は個人的にポニーテールが好きなので、もうちょっと伸ばして欲しい。と、僕の好みはどうでもいいとして。
ポン、と岡後さんの頭に左手を置いた。親が小さい子どもにするようなそんな自然な動きで。岡後さんは「へ?」とこちらを見てくる。僕より身長が二十cmほど小さいので、目線は十cmくらい下だ。
「どうしたの?実神くん」
「……何でもないんだ。ごめん。けど、ちょっとだけ」
僕はそのまま左手を地面と水平方向に動かした。つまり、岡後さんの頭を撫でた。さらさらの髪の毛の感触が指先に伝わってくる。僕は岡後さんが嫌がるものだと思っていたけど、特に抵抗を見せなかったので、そのまま左手を下へと移動させる。
スルスルスル、と髪の毛が指の間から流れていく。僕はそれを数回繰り返した後、再び頭頂部に手を置いた。「何か、恥ずかしいよ……」と、岡後さんが顔を赤らめたので、僕は左手を離した。
「恥ずかしい思いさせた……よね。ごめん」
「別に、髪の毛触るくらい」ちょっと笑って続ける。
「恥ずかしかったけど、何か不思議な気分だったよ」と岡後さんは笑顔で言う。
「僕も、何だか不思議な気持ちだった」
これはちょっと嘘かもしれない。僕の中には少なくとも、もう少しはっきりとした感情が見られた。
頭を撫でたのは、興味と関心と自己満足。1対1対8くらいの割合。