#実神鷹 ―助け合い― 5
「実神!」
廊下で突然名字を呼ばれる。女の声。僕のことを名字呼び捨てで呼ぶ女子なんて、先輩以外に一人しかいない。とまぁ、そんな思考なんてせずとも、その特徴ある声で誰か判断できるんだけど……。
振り返る一瞬でそんな事を頭の中で処理した。そしてこちらに走ってくる人影は、予想通りのそれだった。
あの独特の空気を身に纏い、ショートヘアーを振り乱し、風を切ってこちらに向かってくる小金井。
「廊下ででかい声を出すなって言っただろ……」
「いいの!そんなことは!それより、ちょっと話したいことがあるの。付き合いなさいよ」
そう言って顔をぬいっと近づけてくる。小金井の方が身長が低いため、上目遣いで僕の瞳を覗き込む。さらに、少し乱れた呼吸によって、僕の顔に吐息がかかる。つい、ドキッとしてしまった。
「ね、いいでしょ?」
「分かったから顔を離せ。ち、近いんだよ」
言うと、小金井は意外とあっさり顔を離し、「あ、ごめん」と、少し顔を赤く染めた。それは走ってきたためかもしれないけど。
「ごめん、これ癖だから……」
「どんな癖だよ」
「もういいの!とにかく屋上行くわよ!」
こいつもなかなか気の変わりが早い奴だった。照れたと思ったらもう怒ってる。いや、怒ってるのではないのかもしれない。ただ、こういう感情表現しかできないのか。もしそうなら誤解も多いことだろう。
気になっていたが、屋上には木津たちはいなかった。今日はもう帰ったのだろうか。グラウンドでは運動部が各々の活動をしている。この屋上の下の教室では岡後さんが合唱部として活動しているだろう。微かに女性との声が聞こえる。
僕はフェンスにもたれかかって、空を見ながら話しかける。
「で、何だっけ?話があるって。あんまり長いのは困るんだけど」
「そんなに長くならないよ。1時間以内に終わる、かな」
「それは長くなくないんじゃないか?」
「それで、えっと、なんだっけ?あ、そうそう。4組の小束の話」
「小束?小金井、お前あいつの事知ってたのか?」
小束本識。魔術師。元高校生。表向きでは急に転校することになったと伝えられているが――ま、不審といえば不審だ。ましてや正義感の強い、事件とかが大好きそうな小金井のことだ。何かあると考えているに違いない。
「知ってるよ!あいつ、急に転校したじゃん。あれ、絶対おかしいよね」
「まぁ不自然だよなぁ」
僕はあまり興味無さそうに言う。あまり突っ込んでボロを出すといけない。僕が関わっているなんて、ましてや公園で対決しただなんて知れたら、僕の高校生活なんて綺麗に霧散してしまうだろう。
「それでね、あいつ、岡後さんと一緒に歩いてたらしいっていう噂があるんだけど、実神、岡後さんと仲いいでしょ?その辺何か知ってることがあったら教えなさい」
「僕は人に物を頼む時に命令形を使うような人間に、協力する気はない」
「お、教えてよ……」
「は?」
「教えて、ね、実神?」
「……………………」
「お、教えて……くださ、い……」
「詳しくは知らないけどさ、小束は岡後さんに気があったらしいよ。だから言い寄ってたんだって」
僕は小金井を飼い慣らした気分でそう言った。コミュニケーションにだって、時には沈黙が必要なのだ。小金井の悔しそうな顔が実に心地よかった。ってあれ?僕って変態じゃないかな?そうでなくともドSなのか?
「それだけ?他に何か聞いてない?」
「何にも、寡聞にして聞かないな。ま、人それぞれ事情があるんだよ。あんまり捜索しないほうが身のためだと思うぜ」
「私にも事情があるのよ。別に探偵ってわけじゃないわよ。私が決めたルールだから」
「別れの時にまたねって言うのもか?」
「へ、何それ?あたしそんなこと言った?」
はて、と首を傾げる小金井。意識して言ってたんじゃないのか。
「二回の別れとも言ってた気がする」
「それは、純粋にまた会おうねって意味なんじゃないかな?」
また会おうね?
「あ、ちょ、別にそういう意味じゃないから!勘違いしないでよ!別に実神に興味があるとか、そんなんじゃないからっ!」
「僕はまだ何も言ってないんだけどな……」
お前はアニメに出てくるツンデレキャラか。と、心の中で突っ込んでみる。でもツンデレって、実際に居たら面倒じゃないか?
「えっと、もう一つ、こっちが本命なんだけどね」
小金井は少し真剣な表情になる。僕もつられて顔を引き締める。何故か向かい合っていた。さっきまで空を見てたはずなのに。
「岡後さん、いじめられてるらしいね……」
予想外の話題だった。
小金井と岡後さんなんて一回しか顔を合わせてないし、そもそも性格がまるで違う。天と地の差。月とすっぽんと言ってもいいくらいだ。共通点といえば、髪の毛の長さくらいしか思いつかない。二人ともショートヘアーだ。
「実神と岡後さんが話してるのを聞いたのよ。確かもう一人、男子も居たけど。それで、いじめ側に超能力者が居るって」
どうやら、狩口と岡後さんとで屋上に言った日のことを言ってるようだ。
「木津葉月って奴だ。能力は、パイロキネシス――発火能力らしいが、僕は見たことがない」
「それから、屋上では能力が使えるって話。あたしも行ってみて実際に使えたの。勿論、対象物が教室でも、ちゃんとテレポートできた」
「そうか。ならやっぱり、屋上では能力が使えるようだな」
先輩が言っていた、能力を制御する装置――CMMSだっけ?とにかくその装置が屋上では働いてないということだ。果たしてどういう装置なんだろう。電波でも出してるのだろうか。しかし屋上だけっていうのもおかしいしな。
「で?」
「ふぇ?」
またも変な声を出しやがった。どうやらボーっとしている時に話しかけるとこの声が出るようだな。覚えておいて損は無い。
「で、だよ。岡後さんがいじめられてるって事を知って、お前は僕に何を言いたいんだ?」
「それは勿論、助けたいに決まってるじゃない!」
目を大きく見開いて言われた。
「あたしね、いじめってものが世界で3番目に大っっっっ嫌いなのよ!!あの集団で一人を狙うやり方!そして気付かないフリをする周囲の人間!どれをとっても気に食わないわ!いじめなんてこの世から完全に消えればいい!」
「大した熱弁だこった。ま、気持ちは分かるよ。僕も同感だ。お前は岡後さんを助けてくれるってことか?」
勿論よ、と胸を張ってみせる。相変わらず少し子どもっぽいところがあるが、能力の無い僕からすれば十分頼りになる存在だった。これで、人数的には4対3と相手を上回ることができた。やはり、持つべきものは友達だよなぁ、と心の中で呟く。
――――小金井と僕って友達なのか?
だけどさ、と、僕は小金井に質問する。
「僕達あいつらと戦うことになるかもしれないんだぞ。テレポートってどんな役に立つんだ?」
「テレポートなんて、応用すれば色んなことができるよ。例えば――」
小金井は学校の裏の山に向かって右手を伸ばす。指の形はフレミングっぽい。右手だけど。
ほいっ、という声と共に、僕の頭に石が降ってきた。
「いてぇ」
「こんな風に石で攻撃できたりするのよ」
「もうちょっとサイズを選べ。何でこんなでかいの」
落ちた石を拾ってみると、野球のボールほどの大きさがあった。
「もっとでかいのを頭に落とせば、気絶させることだってできるよ?」
「成程。確かにバリエーションは多そうだな」
「あああああああああああああああああああああああ」
鼓膜が破れるかと思うほどの大音量。小金井の喉から発せられた。
というか、何かこのシーン、デジャヴ………。
「ごめん、今日用事があった!わわ、忘れてたー!うわーどうしよ!あ、またねっ!」
僕が一言も喋る間もなく、小金井は走っていってしまった。登場した時も走ってきたのに、帰りもか、とくだらない突っ込みを入れたが、全く面白くなかった。
面白くなかったが、少し、笑えた。
これこそまさに台風のような人物じゃないか。
嵐の後の静けさ―――僕は静かになった屋上でほっと一息ついた。
今まで聞こえなかった声が、下から聞こえてくる。
その美しい声は、まだ正常に戻らない耳でも、はっきりと誰のものか分かる大きさだった。
「向こうにも聞こえただろうな、さっきの」
僕はまた少し笑った。