#実神鷹 ―魔術少年― 3
憲法記念日。
戦後、日本国憲法が施行開始された日だ。
僕は今、ベッドの中で、そろそろ起きようかと考えているところだった。だが、あと一歩踏み出せない感じ。何かきっかけがあれば、すぐにでもベッドから出れそうな気もするのだけれど……。はて、何かきっかけは無いだろうか?例えば、僕の部屋のドアがノックされて、「鷹~いい加減起きなさ~い。また下着姿で外出るよ~?」なんて姉ちゃんの声が聞こえてきたら、僕は刹那に起き上がるだろう。
「あ~………」
何だろうこの感覚―――。予感、とは違う。もっと別の、もっと似ている。嫌な予感と良い予感が混ざり合って混沌としている、みたいな。いや、違うな。多分僕の語彙では説明できないような概念だ。
「もっと本読まないと」
ダメだよな。と、最後まで言えず、僕の言葉は携帯電話の着信音によって遮られる形になった。よかった。これで僕はようやくベッドから起き上がることができる。机の上に置いた携帯電話を手に取りながら、そんな事を思った。まぁ、僕が勝手に寝ているだけなんだけども。
「……………もしもし?………はい。―――――はい?―――――どういうことですか?――はい。とりあえず、会って話をしましょう。――ええ。――何か必要な物はありますか?―――分かりました。――はい。また後で」
携帯電話の電源ボタンを押して、通話を終える。そして、まず僕は着替えることにした。
「さって………こんなに早く来るとはな……。本気なのか。正気なのか?」
1分程で着替えを終えた僕は、洗面台に向かう。さすがに急いでいようと、顔も洗わず外に出るようなことはしない。勿論、歯も磨く。髪の毛も、適当に梳かす。さて出発だと思ったところで、丁度姉ちゃんが部屋から出てきた。まだパジャマ姿で、長い髪もぼさぼさだ。
「あれ~?鷹、どっか行くの?」
頭を掻きながら聞いてくる。
「ああ、ちょっと用事。急用だから、もう行くよ」
「うん。でも、あんまり遅くならないでよ。やることだってあるんだから」
「分かった――」
僕は靴をはき終え、玄関のドアを開けた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい――」
ドアが閉まる直前――。
「早く帰って来るんだよ………」
ドアが閉まったせいで、返事はできなかった。
学校近くの駅。生徒の多くが利用している。
変わった名前の駅で、直向と書いて”ひたむき”と読む。ま、読み方はそのままだが、駅名としては少し特殊じゃないかと思う。とまあ、そんなことはどうでもよく、僕はその直向駅近くの喫茶店で、旭先輩と話をしている。
昨日の話の続きとして――だ。
「――魔術、ですか」
「うん。魔術。つまり、『小束本識』は魔術師。今、岡後さんに近づいているのは、魔術の勢力。あそこは確か、男の多いところだったと思う。うん。魔女は男に対しては強く力発揮するからね」
「でも、何故ですか?何故岡後さんが、そんな奴らに狙われなきゃいけないんですか」
「それは……言えない。昨日も言ったよね。まだ――言えない」
「そんな…………」
旭先輩の話は、あまりに酷く、聞き捨てならない話だった。
昨日聞かされた話。その勢力とやらが、今現在進行形で、岡後さんに近づいていると言うのだ。
「じゃ、じゃあ、岡後さんはどこかの勢力に入ってるって事に、なりますよね……」
「う、うん――。いや、えっと―――違うかな。う~ん、ごめん。今は言えない……」
いかにも歯切れ悪そうだった。何か、機密事項とか色々あるんだろうけど。
「ごめんね。言えない、言えない、って。私、全然役に立ってないよね」
「そんなこと無いですよ。これだけ色々教えてくれれば、十分です。少なくとも、僕は行動することができますから」
「―――実神くん、優しいね」
旭先輩は感心するように、ホッとするように言う。
「ありがとうございます。それより、これから旭先輩はどうするんですか?もしかして、僕を助けてくれたり」
「あああああ!30点!折角いい雰囲気作ってあげたのに、何で話変えるかなー」
「す、すいません……。でも、今は岡後さんの方も大事ですから……」
「女性と話してる時に他の女性を話に出さない!もう!甲斐性ないんだから!そのくせ、ちょっと優しいなんて許せない!どうせだったらもっと優しくしなさい!もっと男を見せなさい!初対面の女性が泣いていたら、そこがどこだろうが、誰だろうが、優しく抱きしめて胸の中で泣かせるくらいの甲斐性を見せなさい!!」
「甲斐性――ね」
僕は―――。
彼女の肩を抱いて、彼女の唇に、自分の唇を押し当てた。目を瞑ったから、彼女の表情は読めない。
刹那のような、永遠のような時間。過ぎて――――。
そして唇は離れる。
「こんな感じでどうですか?」
と、これは僕の勝手な想像。否、妄想と言うべきか。しかしこれくらいすれば、100点取れるかもしれないぞ。
「残念。95点だよ。妄想ボーイくん」
「採点が厳しいですよ」
「私は猫だからね。ハイテンションなら100点だった」
だそうだ。僕は返す言葉も見当たらず、話題を元に戻すことにした。
「で、この格好から推測するに、やっぱり行くんですか」
「うん。合唱部が活動するからね。当然、彼女も学校に来るはず。そして、彼女が来るなら彼も」
そういうことだ。
かくして、僕が今まで生きてきた中で最も特異な一日が始まろうとしていた。
それは、デタラメでもなく、大袈裟でもなく、大仰でもなく、本当に本当。
何も知らない彼女に忍び寄る魔の手から、僕は岡後さんは守り抜けるのだろうか。
「まさか、学校でバトルする日が来るなんてなぁ…………」
でも。
それでも。
僕は緊張もしてなかったし、不安も、心配も、全くと言っていいほど無かった。
僕の心の奥の奥。
そこにあったのは、微かな安心感だけだった。