没後50年
GAGA #93
ショスタコーヴィチを聴いてみる
1906年生まれ、生きていたなら118歳
1975年没、今年でもう50年
好きな作曲家だった訳では無い
死んでもう50年、いばら姫でも眠りは100年
ショスタコーヴィチを聴いてみる
交響曲は肌に合わない
何だか素直に聞こえない
弦楽四重奏のみ何故か全曲
持っているのより新しく
ショスタコーヴィチを聴いてみる
共産党の忌憚に触れて
反省強いた曲と違って
素直な声きく四重奏曲
何故に死の影、四重奏曲
ショスタコーヴィチを聴いてみる
世を去った楽員を悼む曲もあった
その音色を懐かしむかの旋律もあった
たぶん空へと消えていった
いま聴いている音と同じように
ショスタコーヴィチを聴いてみる
回教徒が信じる天国の前には
アーシラトの橋が架かるという
一本の弦、髪の毛より細いという橋が
架かる奈落の底は地獄という
ショスタコーヴィチを聴いてみる
地獄の橋を渡る善人については
両側から天使のサポートがあるそうだが
何も持たない悪人は、震える弦を踏み外す
奈落の底へと真っ逆さま、そうなるだろう
ショスタコーヴィチを聴いてみる
此方から彼岸へと張り渡した一本の弦を
魂を震わせる音を聴いた以上
覚えている、動かなくなった左足を
おそらくはその脳梗塞が再発した以上
ショスタコーヴィチを聴いてみる
地獄に堕ちるしかあるまい
綱渡りどころか立てもしない
それが運命となれば腹も立たない
次の詩のもととするしかない
ショスタコーヴィチを聴いてみる
何を考えて作曲したか
半世紀前の死人に問えはしない
問えたところで変わらない
行き先が同じはずもない
ショスタコーヴィチを聴いてみる
誰一人として同じではない
誰一人として死なないということがない
ただ交わり斬り結ぶ一瞬に上がる
火花を見る事も有ろう、運が良ければ
ショスタコーヴィチを聞いている…
「アーシラトの橋」のイメージは、バイロン卿ジョージ・ゴードンの叙事詩『異教徒。The Giaour.』の一節に依るものです。




