エピローグ 月の隣に
左腕を失った男がいた。
彼は揺れるトレーラーの中で光学ディスクを取り出した。
彼にとって左腕はまやかしだった。
いや、その実、全身が機械化された彼にとってまやかしでない部分があるか、彼には疑問だったし、どうでも良いことだった。
「…………」
マルチシートに光学ディスクの情報が飲み込まれていく。
そこに入っていたのはなんのことはない、ただの画像だった。
特に研究データとやらに興味は無かったが、肩透かしな感は否めない。
失った左腕の分、いっそう肩がすかすかする。
「…………あ」
しかし、あの画像を表示すると自然と声が漏れた。
こんな顔は見たことがない。
そして、その隣にいる自分の顔もなんとも奇妙で自分だと思えない。
それでも、その一枚の画像が発する光がまるで彼の脳を破壊するかのようにジワジワと彼の記憶を書き換えていく。
「……っ」
笑顔だ。満面の笑みとはこういうのを言うのだ。
何かを取り戻していくような感覚。
そして、何かを失っていく感覚。
もう、どこにも苦しそうな彼女の姿は無い。
「…………」
閉じてしまうべきだった、開くべきではなかった。
そう思う瞬間もあった。
しかし、そうするには何もかも遅すぎた。
こうも簡単に失ってしまえるとは思ってなかった。
「……まやかしだ」
たった一枚の画像に押し出された記憶が零れ落ちるように彼の頬を涙が伝う。
止まらない。たった一滴の涙が止まらなかった。
自分がどうなっているのか、自分が何をしたのか、もう分からない。
ただ、それはもういっそうそれそのものが彼の人生であるような気もした。
「……新しい腕、形成できたけど」
彼の隣で優しい声がする。
また、自分は腕をつけるのだろう、と思った。
新たなまやかしを手にするのだ、と思った。
それは腕だろうか、隣にいる少女だろうか、と思った。
「…………」
黙り込む彼の体が不意に揺れる。
少女が彼の体に触れたのだ。
どうだろう、この感覚もまた、まやかしなんだろうか。
分からない、と思った彼の視界に紫煙が満ちる。
「……てっきり、腕をつけてくれるのかと」
「自分でつけなさいよ」
そうだ、その通りだ。
まやかしであっても自分が選んだなら――。
紫煙が肺を通って、脳を溶かす。
生きていけるような、そんな気がした。