第三話 地獄も案外悪くない
『12時! イチハ、目を逸らすな!』
『たく……! おい、相手のデカブツが減らねぇぞ! 何やってる!』
『T2、全隊。MCMを使います! 爆風と飛散物に注意!』
漆黒の機体の手によって放たれる幾多の銃弾。
放たれた先から応えるように返ってくるのもまた銃弾だ。
その中を一発のミサイルが飛んでいく。
『MCM着弾!』
自動迎撃装置のレーザーはそれを捉えられなかった。
宙に舞ったレーザーが錯乱した奥で爆炎が上がる。
『リロード!』
『ミカリ二曹、援護します!』
アシンメトリーな腕をまとったその機体からは他の機体より多くの銃弾が吐き出される。
当たるかどうかが重要で無いのはラギョウも分かってきた。
ラギョウが撃てば、敵は身を隠す。それで十分なのだ。
『イチハ、Qs、SX、前進!』
『リョーカイっス!』
戦線が上がる。
上がった先にいるのは敵だ。
殺さねばならない。
『まったく……!』
毒づくコクピットに一つの影が映る。
エイサムだ。
彼が全ての元凶で彼を殺せば終わるような気もする。
しかし、そうであってもそれが自分の仕事じゃないのは分かっていた。
『来た……!』
未確認機……いや、ロジーだ。
もう、顔も思い出せない。思い出したくもない。
私がこうなったのは奴のせいだ、とアシェイは何度目か分からない呪詛を頭の中で吐く。
『エイサム……』
もう、彼の姿はアシェイには見えない。
いつもの……そう、どこまでもいつもの、アシェイの日常だった。
荒寥の月面に良く似合う硝煙の匂いがする。
そんなモノは幻であるということはエイサムも重々承知の上だった。
それでも、あのHAIV達が撃ちだす弾丸の向こうには激しい銃撃の音と硝煙の匂いがするのだ。
「……はっ、はぁっ!」
PSFO、下部レールにグレネードランチャー、今時珍しい金属のマガジンが取り付けられたMk‐0016を携えて、エイサムは走る。
横でクレーターの稜線越しに撃ち合う友軍機がすぐに遠ざかっていく。
もう500mも離れただろうか……。敵軍がひしめくクレーターはもうすぐそこだった。
「……ふぅ。はぁっ…………!」
孤独に月面を走り切ったエイサムは手前の浅いクレーターに背を向けて倒れ込む。
特殊装備がラックされたバックパックが重い。
倒れ込んでもなお、月の核まで引きずり込もうとするような重さだった。
「…………来い」
いるのは分かっている。
レーダーの空虚な情報なんかじゃない。いつか、隣で感じたあの不気味な存在感だ。
皮肉なモノだった。機体の姿は見たことなんかないのに、ドライバーの雰囲気だけはヒシヒシと感じるし、奴の苦しそうな顔だけはよく浮かぶのだ。
「来いよ!」
エイサムの届かない声が嫌というほどエイサムの耳にこだました時、月面が少しだけ揺れた。
ずっと、細かく揺れていたが、この揺れは違う、とエイサムは直感する。
「来いよ……っ!!」
影が飛んだ。
エイサムの頭上を黒い影が通り過ぎた。
エイサムも、CGI補正もその姿を正確に捉えることなどできない。
しかし、それを見た瞬間にエイサムはMk‐0016のトリガーを絞る。
「――!」
金属のマガジンに装填されていたカートリッジは近接信管の電煙曳光弾。
一つ一つの弾頭がその影に近づいた瞬間、炸裂し、ジャマー素子の混じった煙を吐き出した。
すぐに空になったマガジンから吐き出された31発の弾頭が黒い影を覆い尽くす。
「!」
もわり、と煙がエイサムに触れようとした時、エイサムはグレネードランチャーのトリガーを引く。
これは、メッセージだった。
弾速の優れた電煙弾で覆われた敵を火力のある武器で攻撃する。
「見慣れた……ヤツだろ!?」
電煙の中を擲弾が穴を開けながら飛んでいく。
本当はエイサムにそれを悠長に眺めている暇などない。
しかし、ほんの刹那、それが美しい、そんな気がして、エイサムは眺めていた。
「――!」
そして、擲弾は電煙を抜けた。
抜けた先に見えたのは『頭』、そして、『視線』
擲弾が傍を通り抜けていく人型をしたその機械にエイサムは睨まれたのだ。
すぐにエイサムは起き上がる。
「!」
起き上がったエイサムに向けられる60mmの口径。
飲み込まれそうなその真円と向き合った刹那、エイサムは特殊装備を起動する。
バックパックに背負った特殊装備が一瞬で燃料を酸化させ、爆炎を吐いた。
浮き上がる気持ち悪さよりも、ほんの少し前に自分がいたところに総重量1ポンドの9発の散弾が撃ち込まれ、小さなクレーターになっていることへの恐怖の方が勝る。
「この……っ!」
脚のスケルトロニクスと連動した制御装置で空中を飛びながら、エイサムは素早くリロードし、通常弾を陰に向かってバラまくが、奴は動じない。
その鋭角的なシルエットに良く似合う鋭い視線をこちらに向けたまま、また散弾をぶっぱなす。
「くそ――っ!」
一発の散弾がPSFOの左側をぶち破り、エイサムの左腕をかすめた。
破れたDFCSがすぐに対放射能膜と気密膜を展開するが、運が悪いことにPSFOの破片がエイサムの腕に突き刺さってしまう。
ただ、運が悪いことばかりではない。
「対HAIVの弾じゃな……ぁ!」
奴が装填しているのは対HAIV用の1ゲージ、9発シェルの強装弾だ。
対人にはシェルが大ぶり過ぎて向かない。
二発目も飛んでくるが、更にこちらが飛行状態とあれば、当たるはずもない。
すぐにエイサムは特殊装備の力によって、200mほど離れた所へ飛び、強硬着地した。
「ベティ!」
『――!』
エイサムの叫び声と共に後方に隠れていたエリザベス機が射撃を開始する。
しかし――
「ああ、ラーカス! 分かってたさ!」
新型機の機動性にロジーの能力。
レーダーだってどこまでポンコツかも分からない。
エリザベスの弾が当たる要素などどこにもないのは重々承知の上だった。
「こっちに来いよ……!」
エイサムは再装填した擲弾を雑に撃つ。
あからさまに誘っている射撃だったが、しっかりと影がこちらを見た。
「見つかっちまったか……なんてな」
もう一度特殊装備で空を飛び、更に奴との距離を離す。
エリザベス機の射撃にもまごつくことなく、奴はしっかりと射線をかいくぐりながら、エイサムの方へと駆けていた。
「凄い凄い……でもな」
空中でエイサムが装填したのは電煙擲弾。
二度目の着地と共に今度は冷静に奴に向かって撃つ。
それは当たらなかった。
かわされた訳ではなく、予定された信管によってちょうど奴とエリザベス機の間に電煙を発生させたのだ。
「行け!」
それが予定された合図。
クレーターの影で射撃をしていたエリザベス機が激しい揺れと共に豪快に飛び出し、一直線に奴に向かう。
間にあるのはやや浅く広い、2m程の深さのクレーター。
「イズ!」
『分かってる!』
「……よし」
電煙が晴れてきても、奴はエイサムを追っていた。
走りくるエリザベス機など眼中にないかの様に右へ左へとFCSの自動照準をかいくぐりながら、エイサムに執拗に銃口を向けようとする。
「こっちだ!」
エイサムが最後の飛翔をした。
それに追従するかのように銃口がこちらを向くが、すぐにショットガンを構えたまま、奴も走り出す。
すでにエリザベス機はクレーターの稜線を越え、そこから射撃をしていたが、全く気にする素ぶりも無く、ただ、エイサムを追ってクレーターに突っ込んでいく。
「……! いってぇ……」
最後に特殊装備を切り離してクレーターに墜落するように落ちたエイサムは被弾した左腕を思いっきり月面にぶち当ててしまう。
『! エイサ――』
「集中しろ!」
心配など今は要らない。
必要なのは奴をいかに素早く、スマートに、地獄に叩き落とすかだけだ。
「来たぞ……」
ごくり、と唾を飲んだのは誰か。
それを気にする暇もなく、奴が遂にクレーターを越えようとした。
(イズ!)
イザベラの脳内にただそれだけ、強く響き渡った。
エリザベスの意識に強く引き付けられながらも、イザベラは今の自分の世界を見る。
「……は」
イザベラはずっとのそのクレーターの影であの施設から頂戴してきた127mm砲と共に潜んでいたのだ。
クレーターの稜線のどこを越えるかなど、正確に分かるものではない。
それでも、陽動に陽動を重ね、ロジーと共に過ごしたエイサムなら、一縷の望みとしてそこへ誘導することがただの確率として可能だった。
『――っ!』
イザベラの操作によって127mm砲が大仰にそのマズルブレーキから火を吐き出す。
そして、それを掻き割るように一直線に飛んで行った弾頭が奴の右腕を吹き飛ばした。
一瞬だった。
誰しもが、右腕に当たる弾頭のその姿を見ようとして、そして、見られなかったに違いない。
「――イズ!」
一番最初に我に返ったのはエイサムだった。
敵の真下で呆けているイザベラに檄を飛ばす。
ハッとした双子が駆け出す。一人は奴から離れようと。一人は奴に接近しようと。
『させない!』
右腕と共に取り落としたショットガンを拾おうとした奴の左手目がけてエリザベスがありったけの弾丸を撃つ。
目的無く動き続ける敵に当てるのは難しいが、今の奴になら当たる。
一発の徹甲弾が奴の左腕をかすめた。
右肩の付け根とその左腕部の被弾箇所が同時に煙を吹き始める。
「逃げんなよ!」
エリザベス機が放つ弾幕をかわそうとクレーターから引く様子を見せた奴にエイサムは擲弾を放つ。
それは奴を狙ったものではなく、奴の背後を狙ったものだった。
奴はそうなると後ろには引けない。
かわすように前へ動いた奴の背後で擲弾が爆風をまき散らす。
「ベティ!」
やや倒れ込むようにつんのめった奴が向かったのはエリザベスの方だった。
自由に動く二本足で素早く接近する。
運悪く、ちょうどその時、エリザベスはリロードをしていた。
『う……ぁっ!』
残った左腕で奴がエリザベス機のC‐4のハンドガードを鷲掴み、銃口を背ける様に下へ勢いよく捻る。
マニピュレータの可動域限界をすぐに超えたエリザベス機の右腕は呆気なくC‐4を取り落としてしまった。
「……! ちっ!」
援護しようとMk‐0016を構えたエイサムだったが、奴がもぎ取ったC‐4をエイサムの方へ投げつける。
とっさに前へダイブしてエイサムはそれをかわすが援護が遅れた。
今、奴に投射できる火力はエリザベス機の自動迎撃システムだけだったが、それをマニュアルにしている時間も、それを撃つ時間も無い。
『この……っ!』
エリザベスが取った行動は一見地味だった。
ただのキャタピラユニットにしか見えない脚部ユニットを少しだけ上げ、振り下ろす。
奴はまさか脚部を動かすなどという発想が無かったのか、それとも、自動迎撃システムに気を取られていたのか、それをただ呆然と見ているようにしか見えなかった。
『……っ!』
次の瞬間、脚部ユニットの先の方が奴の左足のつま先を踏みつけた。
とっさに奴は足を引こうとするが、重量がそれを許さなかったし、そうしようとするには遅すぎた。
踏んだ感覚をフットペダルから感じたエリザベスはストライカーを射出する。
本来、ただの斜面などで重量を支える為だけのアンカー機構でしかないが、HAIVの重量を支えるだけあって容易に奴のつま先を貫通した。
砕けた構造材と吹き上がる煙が容赦なく無限履帯とこすれ合う。
動きが止まった奴を目の前にエリザベスは何も考えずに右腕で奴の頭部ユニットを殴りつけた。
『隊長!』
エリザベスがそう叫んだ時、もうエイサムはMk‐0016を構えていた。
HE擲弾の分だけひたり、と支える左手が重い。
エイサムが引き金を引いた、と思った時には既にコクピットがあるであろう奴の胸部装甲は歪に歪み、メタルジェットの洗礼を受けていた。
「……は」
崩れゆくその巨影を見ながら、エイサムはふと、乾いた笑いを一つ漏らす。
再会の時だ。そして、別れの時でもある。
月面の砂を巻き上げながら倒れた奴の無残な胸部にエイサムは乱暴に降り立った。
「……っ!」
胸部装甲パネルの隙間に両腕をねじ込み、てこの原理で固く閉ざされた扉を一枚一枚剥がしていく。
黒の装甲パネルの下から表面処理だけされた内部フレームが露出していくその様はまるで宝の山を掘り当てているかのようだった。
「……ちっ!」
最後のコクピットハッチフレームの歪みに左手を入れた瞬間、エイサムは被弾した左腕が限界であることを悟った。
それでも、エイサムは舌打ちを一つしただけでそのまま何も無かったかのように力を籠める。
「……………」
金属が破れ往く嫌な音を立てたのはフレームか、エイサムの左腕か。
有らん限りの力を込めた結果、フレームは見事、腹の中を曝け出した。
その代償はDFCSごとちぎれたエイサムの左腕だった。
「……よお」
メタルジェットが荒らしたコクピットはあらゆる機材、配線、メカボックスが惨めな姿を晒し、その真ん中でまるで磔刑になっているかの様に両腕両足を固定され、項垂れるドライバーに絡みついてた。
「久しぶりだな」
彼女の体に絡みつく残骸を払いのけもせず、エイサムは右腕でフレーバーのカートリッジを取り出す。
その透明な輝きに魅せられるかの様に彼女が血で染まり、バイザーが割れたヘルメットごと頭を少しだけ上げた。
「……ふぅ」
紫煙に揺られるエイサムの顔を死に際とは思えない強烈な羨望の眼差しで見る彼女。
その純粋な欲望の目にエイサムは眉を寄せてふっと笑った。
「ほら」
エイサムはバイザーを上げた。
エイサムのヘルメットから流れ出した紫煙は吸い込まれるように一つの河を作りながら彼女のヘルメットの割れ目に流れていった。
「あっちじゃ、ロクなフレーバーが吸えなかったろ」
「…………」
「飯もあんまり良さそうじゃないし、相変わらずL2Mと一緒だったみたいだし」
「…………」
「俺は……俺も地獄みたいな生活だったな」
「…………」
「でもな、そうだな……悪くなかっただろ? 地獄も案外悪くない」
「…………」
「こうしているだけで……な。そういうことだろ?」
エイサムはバイザーを上げる。
静かだった。
荒寥の大地を包み込む暗闇のその静けさに二つ身を預ける。
ふう、と一つ吐いたその息に紫の煙はいつまでもたゆたっていた。