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第二話二節 漆黒との再会

「SMC? 彼らが?」

 エイサムと共にトレーラーの荷台で予備パーツの簡易梱包を解きながらミカリが驚いたような声を上げた。

「そうだ。そっち持て」

 大きな長方形の側面パネルのロックを外し、エイサムが片方をミカリがもう片方を持つ。

「なんでこんなところに……」

「いくぞ、1、2……3!」

 エイサムの号令と共に側面パネルが取れる。

 中から出てきたのはMk‐2型の右腕だった。

 装甲部分はまだ3D形成装置で形成されたばかりでまだ少し熱い。

「ACTとかじゃなくて?」

「本当に信用が無いんだな、俺」

 エイサムは上面パネルの真ん中にあるロックを外し、そこから左右に割るように開いた。

 すると、奥側から寝かされていた操作コンソールが飛び出してくる。

「隊長。聞こえる?」

「エリザベスか。そっちはどうだ?」

 コンソールを弄り、電子シーリングを解いているとトレーラーの傍で佇むラギョウ機の上で通信装備を直していたエリザベスの声がした。

「交換は終わったけど、頭部ユニットの装甲パネルがはまらなそう」

 通信装備の接続ソケットの形は同じであったが、パーツのサイズが違う。

 どうやっても、横にはみ出るMk‐2の汎用送受信機にエリザベスは無表情ながら途方に暮れていた。

「固定は?」

「接続ソケットが一応支えているけど……」

「じゃあ、ダクトテープかなんかで止めとけ。装甲は諦めろ」

 短い電子音と共に右腕パーツを包装に括りつけてあったワイヤーのロックが外れ、だらしなく右腕パーツから滑り落ちた。

「その上から装甲をテープで止めるのは?」

「流石に重さで落ちるんじゃないか?」

「そう。じゃあ、そうする」

 エイサムは右腕パーツの奥に一緒に梱包されていたウィンチを取り出す。

 そのまま、二つのフックを持ち、本体はミカリに手渡した。

「やり方は分かるだろ?」

「ええ」

「じゃ、頼んだ」

 ミカリはウィンチ本体を持ったまま、傍のラギョウ機に上り始めた。

 ミカリの手の中でシュルシュルとワイヤーが伸びていく音が心地よい。

「ちょっと、ごめんなさい」

 ミカリは作業をするエリザベスの傍を通る時に少しだけ断りを入れた。

 その瞬間、エリザベスの眼が驚いたように少しだけ見開き、エリザベスはまじまじとミカリを見る。

「……何?」

 初めてエリザベスの感情に動いた表情を間近で見たミカリは足を止めてエリザベスを見返してしまった。

「そんなことを言う人を初めて見た」

「そう……ですか?」

「そう。ミカリは善い人」

 そう言うエリザベスの目こそ、純な混じりけの無い目だった。

 おおよそ社交辞令とは思えないその言葉にミカリはなんと返せば分からない。

「おい、まだか?」

 そこに飛んできたのはエイサムの粗野な声。

「私が善い人じゃなくて、あの人が悪い人なだけでは?」

「はいはい、33出身の人はご立派ですね。早くして頂けますか、大馬鹿野郎様」

 エイサムはとっくにフックを肩パーツの上面に通していた。

「ほら、そうでしょう?」

 ミカリはウィンチを肩のラインに沿うように置くと、底面の電磁気をオンにした。

 磁力が本体のどこかの層に使われている鉄板に強力に張り付く。

「いきますよ」

 ウィンチがミカリの操作によってワイヤーを巻き取ってゆく。

 ダラリとしていたワイヤーがテンションを取り戻していった。

程なく、簡易梱包からずるりと引き出されるようにして肩を上に右腕パーツがせりあがってくる。

「分隊長、少しは支えて下さいよ」

 無造作に引き上げられる右腕が簡易梱包や、トレーラーとぶつかるが、エイサムは素知らぬ顔でいつの間にかヘルメットいっぱいに広がったフレーバーを嗜んでいた。

「今、機嫌が悪いから」

「そうですか?」

 フォローするようなエリザベスの言葉にミカリは首を傾げる。

 確かにいつも以上に乱暴ではあるような気はするものの、ああいう人だと思えば、そういう気もするのだった。

「全く……」

 ミカリは肩の位置まで上がり切った右腕パーツを見て、ウィンチを止めた。

 そのまま、右腕パーツに上から抱き着くように腕を回し、下側を固定するために右腕パーツ付け根の交換用アタッチメントのバーを伸ばす。

「なんで、こんな時に限って機嫌が悪いんですかね」

 バーを本体に取り付けると、ブラブラとしていた右腕パーツが固定された。

 剥き出しになっている本体側の受けに交換用アタッチメントを噛みあわせていく。

「こんな時だからだと思う」

「それはそうかもしれませんが」

 ターンボルト式のアタッチメントが噛みあったのを確認してミカリはコクピットのラギョウに声をかける。

「ラギョウ君。通電の確認を」

『どこのですか?』

「君ね……」

 ミカリの冷え切った声にコクピットでダラダラとプレートパテを食べていたラギョウは慌ててコンソールに向き合う。

『じょ、冗談ですってば。送受信機ですよね。確認します』

 スクリーン下のマルチキーに手を伸ばした瞬間、今度はエリザベスの冷たい声。

「待って。それはまだダメ」

『え、じゃあ――』

「右腕ね。もうほとんどついているから」

『あ、わかりました、わかりました。右腕ですね。今確認します』

 マルチキーがカタカタと鳴り響く。

 選択階層を全体に戻してから右腕を選択。

 確かに右腕がついているようで、各種データが送られていた。

『Mk‐2の奴ですか』

「動くでしょう?」

『まあ、それは――』

 そう言いながら、ラギョウが接続の確認を行った瞬間、機体が大きく左に傾いた。

 右腕の肩に腰掛けていたミカリはエリザベスを押し倒すように頭部ユニットに倒れ込む。

「ラギョウ伍長!」

『す、すみません! バランサーの設定が!』

 右腕を失った時のままのバランサーが右側に正体不明の重量を検知した結果だった。

 慌ててバランサーを切り、現状への最適化を行う。

「ごめんなさいね、全く……」

 ミカリが立ち上がりながらふとトレーラーの荷台を見るとそこにエイサムの姿は無かった。

『ふー、パテ食で良かった』

 どこまでも呑気なラギョウと乱暴なエイサム。

 ミカリは大きくため息を吐く。




「おい」

 エイサムはトレーラーの運転席のドアを開けるなり、そこにいた人物のマルチスーツの襟首を乱暴に掴み、こちらに引き寄せた。

振り返させられた彼女の胸で『Ⅵ』の徽章がキラリと嫌味に光る。

特殊展開作戦集団、通称【SMC】の証。

「空気を無駄にしない」

 その女はエイサムの紫の煙の間から垣間見える露骨に不機嫌な目を見ても、動揺せず、器用に足でドアを閉める。

「さっさと自分の隊に戻れ、アシェイ」

 エイサムはもう片方の手でダッシュボードに置いてあったアシェイのヘルメットを取り、彼女に押し付ける。

しかし、アシェイはその代わりと言わんばかりにヘルメットを受け取らないばかりか、座席の下に積んであったエイサム秘蔵の固形食を手に取ってペリペリと袋を開け始めた。

「来賓に失礼じゃない?」

「呼びたくて呼んだわけでもないし、失礼の無いようにする気も無い」

 襟首を持ったまま、エイサムがすごむが、アシェイは一行に気にすることなく、固形食をもしゃもしゃと食べた。

「相変わらず、舌がブチ壊れてるとしか思えないようなモノばっかり食べてるってワケね」

 自分で食べておいて酷い言い様だが、アシェイはそれでも固形食を食べ続ける。

「イズ、なんでコイツをトレーラーに入れたんだ」

「私に八つ当たり? 私は二曹。少尉様なんだから」

 後部座席でくつろいでいたイザベラがめんどくさそうに答える。

 エイサムはイザベラをにらむが、すぐにイザベラの顔は座席に阻まれて見えなくなった。

「出てけ」

 エイサムは車外を親指で示すが、彼女に動く気配はない。

「少尉様にそんな口きいていいの?」

「ここは、俺の隊の、俺のトレーラーの、俺の運転席だ」

「助けてもらったお礼の一つでもあっていいと思うけど?」

「それが仕事だろうが」

 エイサムはどうやったって動こうとしないアシェイの襟首を離し、手から固形食を奪い取った。

 ため息を吐きながら、ヘルメットを取ると露骨にアシェイが顔をしかめる。

「うぇぇ、臭い……」

 パタパタと手を振るアシェイの顔目がけてフレーバー交じりの吐息を短く吐きかけてから、エイサムは固形食を口に運ぶ。

「ホント、軍法会議にかけてやろうか……」

 彼女に負けず劣らず不遜な態度を取り続けるエイサムをにらみながら彼女が呟く。

「SMCの規定で尉官になっただけだろ。くだんねぇ」

「そのSMCにすらなれてない一曹はどこの誰ですかねぇ」

 運転席にドカッと座ったエイサムが彼女に固形食の包装を投げつける。

 彼女はそれを寸でキャッチし、エイサムをにらみ続けた。

「せっかく再会を祝いに来たのに」

「俺はお前に……会いたく無かった。会うとロクなことがない」

 彼女を見ずにそう言ったエイサムの言葉。

 言い淀んだその一瞬だけ、二人の心は喧騒の外だった。

「わた――」

 少しだけエイサムに寄り添った言葉をかけようとしたその刹那。

 エイサムが再び、アシェイの襟首を掴んだ。

 文句を言う間もなく、彼女はダッシュボードの下に押し込められる。

「ちょ――」

 暗いダッシュボードの下で何が起こっているのか分からない彼女が口を開こうとした瞬間、車体が大きく揺れた。

 地震に似た揺れだが……長い。

 揺れが少し止み始めた途端、エイサムがトレーラーと飛び出した。

「…………変わらないなあ」

 ダッシュボードから這い出ながらアシェイ女は呟く。

 吹きすさぶ緩やかな爆風の中、トレーラー後方に駆けていくエイサムの顔には不安が滲み、目に心配を浮かべていた。




「何事だ?」

「これを」

 大隊長室で腰掛ける彼女を目の前にコバライネンが書類を差し出す。

「大規模な爆発です」

「攻勢か?」

「いえ、敵の勢力圏内です」

 シートをスワイプしながら彼女は眉を顰める。

「なんだ、これは。攻撃核か?」

「分かりません。確認中です」

「が、急ぎで私の所に来たんだ。それなりの理由があるんだろう?」

 早く言えと言わんばかりの彼女の目にコバライネンは短く息を吐く。

「推定爆心地があの分隊の進行方向です」

 パタ、と軽い音と共に彼女が机にシートを置く。

 いつになく神妙な顔で何かを思案する彼女をコバライネンは一挙手一投足も見逃さないように凝視した。

「……気づかれた、か」

「は」

「全てが残骸と化したか、あるいは……」

 そこでようやく生返事を返したコバライネンを彼女が見る。

 まるでそこにあるはずの無い答えをコバライネンに見出そうとするかのような視線。

 じわりと彼女の目の中で諦観が広がりつつあった。

「彼らと連絡はつくのか?」

「現在、確認中です」

「便利だな、その言葉は」

 彼女は帽子を手に取り、席を立つ。

「どこへ?」

「大隊長という肩書はその確認とやらをしている連中に発破をかけるには不十分か?」

 帽子の奥から覗く彼女の目がギラリと鋭く輝いた。

「本部中隊が仕事をしていないと?」

 大隊長室から毅然と出ていく彼女を追いながらコバライネンが釘を差す。

「しているだろうさ。だが、それが不十分な時もある」

「していないこととできないことは違います」

「良いか。それを判断するのは誰だ?」

 歩きながら彼女がコバライネンを振り返る。

 コバライネンとしては、今ここで彼女の意に賛同するつもりは無かった。

 彼は彼らの仕事ぶりに疑問を抱いていないからだ。

「……師団長です」

 苦し紛れの彼の言葉を彼女は一笑に付した。

「つまらん答えだ。それを言うなら国民だろう」

 彼女はコバライネンの言わんとすること、コバライネンが何をかばっているかを理解していたし、それを無下にする気も無い。

 しかし、論じている視点も違えば焦点も違う。

「だから、今は大隊長である私だ。無論、そうでない時は君だろうし、もっと下の連中だろう」

 勢いよく彼女が指令室のドアをくぐると、一瞬で雰囲気が変わる。

 その瞬間だけは、大隊長という肩書で良かったと思えるのだ。

「RI12と交信は?」

「確認中です」

「君もか。一体、何を確認しているんだ? 交信手順か? 自分の能力か?」

「EMPと思われるノイズが酷くて……」

「5分以内だ。できなければ、有線を持って彼らの所へ行ってもらう」

 一介のオペレーターができることなど限られている。

 ただ、一刻も早く爆発の障害が消え、RI12が――つまるところ、エイサム自身が通信機を手に取ってくれるのを祈りながら、呼び出すだけだ。

 しかし、幸運なことにリミットが1分に迫ったところで彼は救われた。




「それは本来の任務の趣旨から逸脱しています」

 エイサムはよっぽどこの高度暗号化通信機をブン投げてしまおうかと思っていた。

『本来の任務? 君らの本来の任務は偵察であって、延々、北に行軍することじゃあるまい?』

「SMCは?」

『無論、彼らにも同行させるが、単独はあり得ない。彼らが戦闘集団でしかないことは君にも分かっているはずだ』

 こちらに来るのが分かっている敵と戦うのとは全く訳が違う、とエイサムは頭を抱えていた。

「何の爆発かも分からない。地図を見ても大きなクレーターがあることしかわからない。それを調べに行くっていうのは――」

『なるほど。上官に文句を言うのが君の本来の任務だと』

 その一言はエイサムを怒りの渦中に叩き込むには十分だった。

「ええ、全くその通りです。承服しかねます」

 それはおおよそ一般的な軍人の発言とは思えないモノだった。

 佐官であり、上官であり、大隊長である彼女に一介の末端兵士でしかない一曹が口にして良い言葉ではない。

『ああ、そうか。では、次の報告は2時間後に頼む。以上だ』

 一体全体、どんな経歴ならばこんな人物が出来上がるというのだろうか。

 すでに何も伝えなくなった通信機の受話器をヘルメットから外し、エイサムはただ愕然とする。

「ラーカス……」

「ずいぶん、お怒りみたいだけど」

 馬鹿な、あの女が、とエイサムは思うが、すぐに自分のことだと分かり憮然とした顔でイザベラを見る。

「怒っちゃ悪いか?」

「別に。ただ、あんまりカリカリしている指揮官と付き合いたくはないわね……変な任務なら特に」

「全く……どうしろってんだよ」

 ウォータータンクにぶら下がっていたスチールのマグカップに水を注ぎながら悪態をつく。

「お前もいつまでもここでダラダラしてんなよ」

「下着だけは替えさせてよ」

「早くしろ。出発はすぐだぞ」

 水を飲むが、昂った感情のせいかエイサムには全く美味しく感じられない。

 そんなエイサムの傍でイザベラがマルチスーツのバックパックを外し、背中のファスナーを下ろす。

「樹脂ボトルはある?」

「なんだ、用意してなかったのか」

「もう少し時間があると思って」

「待ってろ」

 エイサムがダッシュボードの下をごそごそとしている間、イザベラは肩から少しマルチスーツをはだけさせる。

 露わになった素肌を覆うのは透明の樹脂――彼らのいうところの下着だった。

「ほら。早くしろよ」

「ああ、もう、せっかちなんだから」

 何かと文句を言うエイサムにイザベラはめんどくさそうに眉を顰める。

 そんなイザベラの顔を目がけてエイサムは樹脂ボトルを投げた。

「ありがとう」

 難なくそれを受け取ったイザベラはそれを股に挟んだまま、肩から下着を引っ張った。

 すると、するすると全身を覆っていた下着がところどころ破れながらも、一体のまま、そこからはがれていく。

 程なく全てはがれた下着がイザベラの足元に転がった。

「フェチズムね」

 その透明の樹脂を見たイザベラの言葉に今度はエイサムが眉を顰める番だった。

「あ?」

「結構な間、体に密着してたのよ。フェチズムだと思わない?」

「何言ってんだか」

 エイサムは脱ぎ捨てられた下着を拾い上げ、少しだけ開けたドアから投げ捨てた。

 すぐにそれは放射能によって自壊を始め、人の目には見えなくなっていく。

「んっ……じゃあ、エイサムは何フェチなの?」

 樹脂ボトルを手に取り、胸元から無造作に液状の樹脂を流し込むイザベラがそう尋ねた。

 真面目に取り合ってくれないと思っていたイザベラだったが、意外にもエイサムは少し黙った後、神妙に口を開いた。

「……一回だけ、ボロボロのくせに良い音を出すギターを見たことがある。指が弦に触った時のノイズが……そうだな、良かった」

 半ば呟くようにそう言ったエイサムをイザベラはチラリと横目で見る。

「オブジェクシャル?」

「人生を賭けても良いのは人間もギターも同じだろ」

「ギターとセックスはできないけど」

「樹脂の塊がフェチズムなら、ペンタトニックスケールはフェラチオってとこだな。まあ、俺はオブジェクシャルじゃないが」

 うそぶきながらもこれから向かう先をマップで真剣に品定めしているエイサムの横顔は隊長のそれであって、一体どこまでイザベラの話に真摯か分からない。

「どうだか……口ぶりがホンモノのそれだもの」

「差別か? ウチの分隊を抜けたいと見える」

 イザベラはその言葉に小さく鼻だけ鳴らしてファスナーを閉じ、バックパックを接続する。

 通電した樹脂が足元から徐々に硬化し、上体までせり上がってくる感覚にイザベラは震えた。

「……っふ、貴方はどう思っているの?」

「連盟憲章に差別はいけません、って書いてあるんだから――」

「そうじゃなくて。あの爆発」

 イザベラは座席から立ち上がり、ヘルメットを手に取りながら、エイサムの前からマップシートを一緒にのぞき込む。

「ミカリが落ちて腰を打った。行くには十分な理由だが、命を賭けるほどでもない」

「そ」

 短くそれだけ言ってイザベラはヘルメットをかぶる。

 ARモニタが起動し、色々な付加情報が見えるようになるが、エイサムはエイサムのままだ。

「それに……ミカリが落ちたのは半分はラギョウのせいだ」

 マップシートをハンドルの裏に立てかけて、エイサムがイザベラを見る。

「あとの半分は勝手に積み荷を修理に使った隊長の責任?」

「なんか隠し事してるあのクソ大隊長の責任に決まってるだろ」

 実に忌々しそうに吐き捨てるエイサムは珍しい。

 大体の任務に対して無関心を貫ている彼がここまで怒るというのは、分隊員としては不安が先に立つが、それなりの時間を過ごしたイザベラ個人としては心配だった。

「大丈夫?」

 それは、彼という人間に対する配慮であり、気配りであり、心配であった。

 エイサムの言う所のクソ大隊長が何かを隠しているのと同様にエイサムもまた、全てを見せびらかすような人間ではない。

「ああ、大丈夫じゃないな」

 全くそんなことを思っている口調でなく、エイサムはうそぶきながら立った。

 少しだけ疲れたような目をして、イザベラを見たかと思うと、おもむろにイザベラに手を伸ばす。

「『アゴヒモ』をちゃんとしてない奴が部下なんだもんな……」

 エイサムはだらりとした手つきでイザベラの首に両手を回し、『アゴヒモ』を襟から伸ばして彼女のヘルメットに取り付ける。

「…………」

イザベラは何も言わない。何もしない。

「お前が死んだら、ベティは何もできないんだぞ」

 『アゴヒモ』を取り付けたエイサムが無気力にイザベラの肩を叩く。

 いかにもエイサムらしい配慮の欠けた言葉だ、とイザベラはふっと笑った。

「一緒に死ねってこと?」

「……お前らが死んだら、俺が何もできないな。死ぬときは俺も連れて行ってくれ」

「いつも、一言多いわ」

「さあな。それこそ、死ねば直るかもしれん」

 エイサムは面白くもなさそうに運転席に再び座った。

 もう、彼が見ているのは先だった。

「15分後に出発だ」

「了解」




「なんだかねェ、ほんとーに。気がチガァって、しまったかと。思う時ィも、あるんだけど」

 自律運転中のHAIVの中ほど暇なモノは無い。

 アシェイはダラダラと独唱会を開いていた。

「別にいつも、ってわけじゃない……」

 戦闘地域で最前線である。

 その自覚そのものはアシェイの頭の中に無いわけではない。

 ただ、それ以上にレーダーとアシェイ自身の嗅覚を彼女は信じていた。

「メタリィイックが響いてェ……泣き叫んでいたァァ……」

 日本語は好きだった。中国語こそが世界で一番美しい言葉であるならば、日本語は世界で一番奥行きのある言葉だった。

 ふと、自分に日本語を教えてくれた教授はまだ元気だろうかと思った瞬間に歌声は途切れてしまう。

『たいちょーはあの男のこと知ってるんスか?』

 共用語は嫌いだ。中性名詞しかないなんて言語ではない。

 アシェイは少しだけ息を吐いて通信に応える。

「SXよりは知り合いかな」

『SXはなぁ……アタシでも良く知らないし、比較対象にならないっスよ』

「隣にいるのに?」

『いやー、たいちょーだって、たいちょーじゃないっスか』

 SMCの隊員で自分のことをべらべらとしゃべる者は居ない。

 確かに機密仕事の多い関係でそういう暗黙の了解ができ易かったが、アシェイはそれに不満がないわけではなかった。

「……私の機体、紫のペイントがあるでしょ」

 思わぬ告白だった。

『…………』

『あるっスねぇ』

 気になる話題だったか、通信機の向こうで生真面目でこういう会話を好まないイチハさえ息を呑むのが聞こえた。

「これ付けたの、ヤツなんだよねぇ」

 この情けない告白をさせたのもヤツだ、とアシェイは自嘲する。

 うらやましかったのだ。彼と彼の部隊の関係が。

『本当ですか?』

「んー、イチハ……作戦行動中の私語は慎むべきなんでしょ?」

『それは隊長の裁量です』

「言ったな。覚えとけよぉ、その言葉」

 なんのことは無い。恐らく、自分が彼と別れてから彼はこういう会話をしてきたのだ。

 自分が黙々と仕事をこなしている間、ずっと。

『いやいや。つまり、どういうことなんスか、それ』




『一曹、元HAIV乗りだったんですか!?』

「そんなに驚くことか?」

 ハンドルに上体をもたれたエイサムがつまらなそうにそう言った。

 ラギョウのオーバーリアクションにはもう慣れた。

『それで、SMCとのコネもある……一体、何をしてたんですか?』

「コネってお前な。単純にあのペイントは俺に由来するってそれだけだぞ」

『それが分かんないんじゃないですかー』

 まあ、確かに説明しないと分からないことかもしれない。

 説明するのはやぶさかではないが、適切な言葉を探すのにエイサムは少し時間がかかった。

「……『イマジナリフォース』なる奴がいてな。被弾しないのがウリだったが、ある時、演習の時にしょうもない奴が一発当ててケチをつけたとさ。それだけだ」

『か、カッコイイ……! 一曹ですよね、それ!』

「何がカッコイイ、だよ。俺は奴の機体に乗る随伴歩兵にめちゃくちゃ嫌われたんだからな」

 エイサムの頭に数年前の苦い思い出がフラッシュバックする。

『じゃあ、あの隊長がペイントをつけたままなのは悔しさとかリベンジとかそういう……』

「友軍にリベンジ? 勘弁願いたいね」

『いやー、でも、めちゃめちゃカッコイイですよ!』

「ハイハイ、そんなことで騒げるなんてまだまだだな。どうせ、ただの願掛けだろ」

 それはただのエイサムの願望であった。

 機体を乗り換えても、ペイントを施す奴なんてごまんといる。

 アシェイもその中の一人であって欲しいものだ。

 エイサムが水と共にその溜飲を飲み下すと、ミカリがぽつりとエイサムに尋ねる。

『分隊長は職業軍人なんですか?』

「人気者だな、俺」

『軍歴が長そうだな、と思っただけです』

「頼りになるだろ?」

 ま、実際の所、自分の上司にそんな奴は願い下げだが……、とエイサムは心の中で吐き捨てる。

 長い間、戦場で生きてきたなんて何の誉でもない。

 運が悪いだけだ。

『もっと、なんかそういうエピソード無いんですか?』

 ラギョウは恐らく機体の中でこれまでにないほど目を輝かせているに違いない。

「『ミコン奇跡の渡河作戦』の話でもするか?」

『【ミコン】……? 【ミコン】ってあの【ミコン】ですか!?』

『【RP55流星河】ですね。分隊長、ツィオルコフスキー攻略に参加したのですか?』

 なぜか、詳しいミカリも半信半疑にエイサムの話に乗っかっているとイザベラがしれっと釘を差した。

『その辺で止めときなさい。その男の言っていることなんて何のウラも無い与太話よ』

 話す気も無かったラギョウも別に話の腰を折られても支障は無かったが、なんだかおもしろくない。

「……思い出した。面白い話がある」

『本当ですか!?』

『やめなさいって』

「長距離の偵察任務だ。2週間で往復の任務で指定のポイントにレーダーポッドを置いて帰る。まあ、普通の任務だな」

『私達も良くやってる』

『ベティまで……』

 イザベラが呆れたようにため息を吐く。

 しかし、何も気づかないイザベラと違って分かっている風なエリザベスの合いの手に気を良くしたエイサムは更に饒舌になった。

「途中までは敵にも合わず、平和の極みだった。しかし、問題は最後のポッドを置く時に起きたんだ」

『……ん? ちょ――』

 話の雲行きが怪しくなってきたことを察したイザベラが口を挟もうとするが、エイサムはそれを遮って話し続ける。

「俺の目の前で、ポッドを置く奴が突然倒れたんだ。もう、こう死んだようにな。敵の部隊が数キロも離れて無い所で立ち往生さ」

『エイサム!』

 イザベラは耐えきれなくなったかのように顔を真っ赤にして叫んだ。

 エイサムとエリザベスだけ、くすくすと笑い、話を続ける。

「そいつはスーツの充電を全くしてなかったんだ。有り得ないだろ? エグゾスケルトンのパワーアシストが無くなって動けなくなってたんだ」

『まるで死体みたいになって帰ってきたから驚いた』

「その後、すぐに敵に見つかって逃げ――」

『エイサム! もう、その話は良いでしょ!』

 もうこれ以上は話させまいとイザベラが一際大きな声を上げるが、エイサムとしてはもうこれ以上話すことなどなかった。

『全く! 無駄口叩くとすぐこれなんだから……』

「誰の話とは言ってないだろ、笑えよ」

『……悪趣味だわ』

 HAIVの随伴歩兵用後部座席でイザベラが拗ねたようにそっぽを向いた。

 さりげなく向けた視線の先にいつも一番初めに使うレーダーポッドがかけられているラックがあった。

 すでにもういくつか使った後のそのラックは手持無ち沙汰に宙に突起を伸ばしていた。

『もう……2年、か』

 イザベラはそのくたびれたラックを見て呟く。

 配備されたときに最新鋭だったMk‐2偵察型も、もうこの有様だった。

 内装の角が削れ、塗装がところどころはがれている上に魔改造の極み。

『イザベラ二曹はおいくつですか?』

 無性な感傷に浸っていたイザベラにラギョウのことごとく無神経な質問。

『……19』

『やっぱり、年下なんですね』

 どこまでも無神経な男だった。

『は? それが何?』

『いえ……あ、ミカリ二曹は!?』

『ラギョウ君、君ね……』

「八面塞がり、袋のネズミ、だな。余計なことは言わない方が良いぞ」

『貴方がそれを言う?』

「……こういうことになるからな」




「爆心地の詳細な座標が分かりました。QZ982234。半径500mのクレーターです。まあ、もっとも、広がった結果かもしれませんが」

「…………君は」

 軍人がうらやむ就寝環境は三点に集約する。

 気密、重力、羽毛入りの掛布団。

 実にその内の二つを手にした彼女のお気に入りの時間こそが就寝だった。

「命令と経験と歴史に従ったまでです」

「…………なるほど。君の……君の、あー、なんだ」

 コバライネンとて、彼女の就寝時間というものに気を遣わなかった訳ではない。

 盛りの付いた時代も終わっているし、女性というものに今、さほど執着があるわけではない。

 まあ、もっともそんな時代が彼にあったかと言われるとないのだが。

「君は……その、あれか? うぅ、その、あれだ……」

 しかし、彼の想定を超える状況がそこにはあった。

 普段の彼女……一介の士官を越える不気味さを有した彼女でさえ、寝起きはこの有様なのだ。

「『今回ばかりは寝ている時でも報告を怠るな』、とおっしゃったのはつい先日の貴方です」

「そうか、そうだな……うん、まあ、そうだな…………ぁ」

「報告を続けても?」

「……そうしてくれ」

 そんなことを言いつつも、彼女はベッドから出てくる気配が一向に無い。

 暗い室内に光を差し込むドア口に立ったまま、コバライネンは口を開いた。

「座標は申し上げた通りですが、そこにTM反応……基地を形成するほどの大規模なTM反応があったことはありません。少なくとも我が隊の広域レーダーに反応があったことはありません」

「……そうか」

「そうです。全軍の侵攻記録も確認しましたが、そこに侵攻している部隊はありません。攻撃核の可能性は極めて低いと思われます」

「……で?」

 未だかつてこの人がここまで苛立ちをこうもあからさまに露わにしたことがあっただろうか。

 本来であれば、上官の苛立ちなど徹底して避けたいものだが、コバライネンは彼女がこのことで理不尽な制裁を加えるとは到底思えず、むしろ、更に苛立たせてみたい、と思ってしまうのだった。

「現在、RI12とZR23は地点の南西5kmを北上中。接敵はない様子です」

「……………そうだろうとも」

 他に何かないのか? という言葉すら厭ったその短い彼女の返しはコバライネンにとって新鮮以外の何物でもなかった。

「どうお考えですか?」

「……君と、君にその情報をいかにも大切そうに伝えた馬鹿……をそうだな、爆死させたい」

「重要ではないと?」

「君も……エイサム達と一緒に行くべきだったな。そうすれば、そんな馬鹿な質問はしなくて済むし、私も起こされなくて済む」

 徐々に口ぶりが普段のそれに戻ってきた彼女。

 2分くらいかかっただろうか、とコバライネンは心の時計を見る。

「申し訳ありません」

「全くその通りだ。39時間寝てなかったんだぞ。第2中隊がへまをするから……ああ! 全てが忌々しい!」

「申し訳ありません。ご就寝を続けますか?」

 白々しく言い放ったコバライネンの顔面に全ての怨嗟がこもった枕が飛んできた。

 呆気にとられるコバライネンはそれを捕ることも、拾い上げることもできなかった。

「君は……本当に馬鹿だな! さっき、君はなんて言った!」

「……は! 申し訳ありません!」

 ベッドから飛び起き、声を荒げて怒鳴る彼女にコバライネンは素直に頭を下げる。

 いかに寝起きのぼさぼさの髪で、よれよれの民生品のTシャツとどこから手に入れたか知らないが、だぼだぼのタンカーズボトムズの情けない姿であっても、彼女は大佐である。

「エイサム達はもう5kmなんだろう! もう到着じゃないか! そのタイミングで起きるつもりだったのに……君は!」

 一見、ただ上官が部下を叱っているだけだが、彼女とコバライネンとなると話は違う。

 コバライネンは初めて、馬鹿にされるわけでも呆れられるわけでもなく、ただ純粋な怒りを買っていた。

「……もう良い! 何か食べるものを持ってきてくれ! 水に合うヤツだ!」

「は! すぐに」

 コバライネンが許してもらえたのは、彼が持って行ったPXのベーグルを彼女がパクパクと食べたその後、ようやくだった。




「なんだ、これ……」

『どうする?』

 漆黒のMk‐3の傍らでエイサムは望遠鏡片手に呻く。

 熱線により、ドロドロに溶け、アスファルト化したクレーターに広がる建造物の欠片。

 そして、その中心にあるのは深い穴だった。

「ベティ、レーダーは?」

『EMPの残滓がまだ少し。敵影らしいものは見当たらないけど……』

「けど?」

『微細な反応がそこかしこにある』

 エリザベスが言いたいことは良く分かった。

 この散乱した建造物の構造体がレーダーに映っているのだろう。

「アシェイ、どう思う?」

『なんにせよ、行くなら行く。行かないなら行かないって決めた方が良いね』

「……はあ。お伺いを立てるか」

 エイサムはラックの高度暗号化通信機を手に取る。

「グラディウス、RI12。グラディス、RI12」

『RI12、グラディウス。通信待機』

「QZ982234、200mまで接近。大隊長は?」

『現在地確認。大隊長に変わります』

 ぷつり、と少しの間があって、変わる声音。

『……どうした?』

 実に忌々しいことに聞き慣れてしまった声だが、何かが違う。

 それを少しだけ訝しみながら、エイサムはぶしつけに質問をした。

「ここからどうしましょう?」

『君に伝えた命令はなんだった?』

「座標の確認ですが」

『君は今、どこにいる?』

「座標の200m手前ですが」

 おかしい。

 エイサムはこの大隊長殿の異変に思考を巡らせるが、イマイチ答えがつかめない。

『それで? 君はそこで一体、どんな報告をしてくれるんだ?』

「ああ……いえ、分かりました。中に入ってみましょう」

『有意義な、いいか、有意義な報告を頼むぞ』

 それっきり、もう無線はうんともすんとも言わなくなった。

 エイサムは取り外した受話器を本体に戻す前にまじまじと見る。

 余裕と皮肉。それが今の大隊長に無かったものだった。

「なんだってんだ、全く」

 コバライネンのしでかしたことなどもちろん、エイサムの与り知る所ではない。

 しかし、エイサムとてああいった類の上官の理不尽さには愛想が尽きるぐらいには慣れたことだった。

「アシェイ、入るぞ。突入だ」

『やっぱり?』

「お前んとこの歩兵を出せ。先行させる」

『ウチだけ?』

 ラックに高度暗号化通信機を再びかけながら、エイサムは背中に回していたMK‐1018を胸の前に持ってきてスリングを外す。

 軽機関銃特有のバランスの悪さが手のひらで感じられた。

「俺も出る。轢くなよ」

『はいはい。Qs、SXは前で。T2を先行させるから』

『了解』

『うぃーす』

 その両極端な返事の後、T2イチハ機が縦に割れる。

 開いた機体から、QsとSXが降りてきた。

 MK‐0016 アサルトライフルにMk‐4302 多目的ミサイルの標準的な装備。

 しかし、マルチスーツが一般部隊のDFCSと違い、エグゾスケルトンが太く、黒に塗装してあった。

「なあ、黒一色なのはお前の趣味か? それとも、部隊規定か?」

『んー、両方』

「SMCってのはずいぶん悪趣味なんだな」

 アシェイと軽口を叩きあっているとその二人がエイサムの隣に並んだ。

「自分、Qsっス」

「自分はSXです」

 軽薄そうな女とお堅そうな男。

 どちらもエイサムが苦手とする人種だった。

「俺はエイサム。よろしく頼む」

 こういう相手には程なくそっけない対応をするのが一番だとエイサムは思っていた。

『私は出なくていいの?』

 歩兵が続々と集まりつつあるのを見て、イザベラがそう尋ねるが、エイサムは無線越しにも関わらず、大仰に首を横に振った。

「いい。あのクソ大隊長の口ぶりはここがもぬけの殻って知ってる感じだったからな」

『……そんなこと言われるとスパイなんじゃないかって思っちゃうけど』

「いや……絶対もっとタチの悪いヤツだ」

 茶化すイザベラにエイサムはポロリと思っていることをのぞかせてしまう。

 しかし、そのあからさまにマズそうな発言に食いつくものはいなかった。

『それじゃ、行きますかね』

 アシェイが話を流すように飄々と呟いた。

 そのまま、部隊全体が滑り出すようにエイサムとT2を前に前進を始める。

 徐々に迫ってくるクレーターの外壁が視界を占めていく。

「アンタ、たいちょーに一発当てたんスよね?」

「またその話か」

 ちょうど、坂に差し掛かった時、Qsがエイサムにそんなことを言った。

「なんでまた、HAIV乗りが歩兵なんか」

「しろって言われたらするのが軍隊だろうが。コケるなよ」

 DFCSのフットスパイクがクレーターの斜面を食う。

「やや、自分ら、SMCっスよ?」

 難なく坂を上り始めたQsが不満げにエイサムを見る。

「すまんな、最近、子守りばっかりで」

「アンタの隊、若いっスもんね」

 そう言うQsだって歴戦の大ベテランとは到底思えなかったが、まあ、この歩きぶりと雰囲気は、確かにエイサムの分隊員達よりも風格があった。

「残骸が多いっスねぇ……」

 チラリとQsは振り返り、隊列を組むHAIV達を見た。

 この程度の残骸であれば、HAIVのキャタピラは問題なく稼働するはずだが、エイサムはその視線を見て少しだけ不安を抱く。

「…………」

 エイサムは一度捕らわれたその不安に釣られるように後ろを見たまま、斜面を登り始めた。

 まず、斜面に差し掛かるのはイチハのMk‐3、そこからアシェイ機、三角を描くエイサム分隊と続いていく。

 流石はSMCと最新鋭機といった所で前の二機はするすると斜面を登り始めた。

「おお、そこそこ揺れるっス」

 Qsの言う通り、斜面の残骸が小刻みに揺れ始める。

 その揺れに気を取られている時だった。

「……! エイサム一曹、前!」

 SXが声を上げた。

 ちょうど、エイサムの顔の高さに残骸が揺れによって倒れかかったのだ。

「……!」

 別に何のことは無い。そのまま、ぶつかっても良かったぐらいのことでしかなかったが、エイサムはすぐに前を向いたかと思うと、それを素早く潜ってしまった。

 その人離れした反射神経と素早さにQsもSXも目を見開く。

「一曹、流石です」

「やー、目が良いんスか? それとも、体さばきがヤバいのか……」

「……たまたまだろ、たまたま」

 口々に評価する二人を尻目にエイサムは少しだけバツが悪そうに足を進める。

 明らかに普段より歯切れが悪いエイサムだったが、付き合いの浅い二人には分からない。

「そろそろ、頂上だな……ラギョウ、付いてきてるか?」

『馬鹿にしないで下さい。これくらいなら自分だって……』

 HAVIより一足先にクレーターの稜線に達したエイサムはクセでそこに寝そべって後方を確認する。

 確かにラギョウはそういうだけあって意外にも他の機体に負けず劣らず器用に残骸を避けつつ、踏み越えつつ斜面を登っているのであった。

「おいおい……」

 そして、ラギョウよりもよっぽど目を引いたのがミカリ機だった。

 我が道を行くと言わんばかりに残骸をひたすら乗り越えて一直線に斜面を登っているのだ。

「ミカリ、機体を壊すなよ」

『10tあるんです。そうそう壊れないですよ』

「ホントかよ……」

 呆れながらエイサムが呟くと隣でSXも斜面に寝そべる。

 それを見たQsがいかにも面白くなさそうに声を上げた。

「いやいや、二人でなにしてんスか……こういうのはもうパパッと!」

 この稜線の先に何があるのか分かってもいないのにQsは稜線からひょこりと頭を出したばかりか、そのまま稜線の向こうに行ってしまった。

「おい!」

 エイサムが少しだけ身を乗り出すと、アスファルト化した斜面を楽しそうに滑り落ちてゆくQsの間抜けな姿があった。

「SMCって偵察任務はしないのか?」

「威力偵察なら、数回は」

 皮肉のつもりで言ったエイサムの言葉もSXには通じない。

「はあ……全員聞け。俺達は先に降りる……まあ、すでに降りた奴もいるが」

 エイサムは後続のHAIV隊にそれだけ伝えてSXの肩を叩く。

 SXは頷いてQsとは違い、しっかり斜面に背中をつけて滑っていった。

 エイサムもチラリと後ろとの距離を確認してSXと同じように滑っていく。

「……まあ、確かに楽しい、か?」

 アスファルト化した地面は抵抗が少なく、砂塵も舞わない。

 ガリガリとDFCSと地面が擦れるのだけが不快だが、速度はそこそこに出る。

 すぐに斜面を下り終わり、二人に合流すると、膝射で警戒しながらエイサムを待っていた。

「そういうところは、特殊部隊なんだな」

「いやいや。勢いも大切っスよ」

 エイサムが歩き始めると、右をSXが、左をQsがクリアリングしながら先行した。

「何だったんスか、ここ……」

 中心に大きく抉れた部分があり、そこを中心に飛び散った残骸。

 近づいて行けば行くほど、残骸の背が大きくなっていく。

「基地なんじゃないか、普通に」

 どう見ても残骸は建造物のそれが混じっていた。

 大きなものは全て壁や鉄骨の類だった。

「放棄したと?」

「死体があれば事故。無ければ、計画的な放棄だろう」

 残骸の合間を縫うようにクリアリングをするSXと残骸を銃口で動かしながらクリアリングするQs。

 しかし、いずれも死体は見つからないようだった。

「お前らがブチ殺した連中はここが拠点だったかもな……」

「なんでそう思うんスか?」

「タイミングが良すぎるだろ。あの部隊が全滅してから間もなくここは爆破された」

 くねくねと残骸が比較的浅く積もっているところを選びながら中心に向かう。

 HAIV隊も続々と稜線を越え、こちら側に向かっていた。

「殿ですか」

「いや……囮、あるいはあの部隊の動向次第だったんじゃないか」

 少なくとも、ここが爆破され、放棄されたのは計画的だったはずだ、とエイサムは考えていた。

 それが事前の計画通りだったとして、実行の決定を左右したのは――

「あの、レーダーポッドか」

 エイサムが思い出したのはあのTMを使っていないレーダーポッド。

 中継器を使えば、ここまでレーダー網を展開することは簡単だ。

「んお?」

 そこに気の抜けたQsの声がするりと入って来る。

 そのQsの銃口が押しのけた残骸からコロコロと手のひらより少し大きい円盤のようなものがエイサム達の目の前に転がりこんだ。

「なんスか、これ」

 Qsは相変わらず能天気だったが、エイサムの顔色がサッと変わる。

 エイサムは足を止め、それを凝視した。

「酸化薬だ……」

「酸化薬? なんのっスか?」

「127mm……」

 その言葉にさしものQsもギョッとする。

 力の抜けた銃口が瓦礫から離れ、残骸が重力に引かれ、また動く。

「……げ」

 動いた残骸から更に複数の酸化薬が同じところにまた転がった。

「い……いやいや。いやいやいや……」

 平静を保とうとQsが首を振りながら、苦笑する。

 しかし、エイサムとSXに睨まれ、Qsの額に冷や汗が伝った。

「いやいや、酸化薬でしょ? 発射薬と点火薬がなきゃ――」

 しかし、現実は非情だった。

 その瞬間、エイサムに取り繕うQsの背後数百mで爆炎が上がる。

 ギョッとする暇はない。

「走れ!」

 その爆炎の付近では誘爆が広がり、次々と新たな爆炎が上がっていた。

 三人は足元に転がっていた酸化薬を蹴散らし、一目散に前に向かって走り始める。

「も、もし、う、撃たれたらどうするんスかぁ!?」

 HAIV隊を置いて、敵が最もいそうな中心部へ走りながら、Qsが情けなく声を上げる。

 残骸の上を走るエイサム達は確かに良い的であったが、今はそれどころではない。

「お前、撃たれるのと爆散するの、どっちが良いんだ!」

「どっちもいやっスー!」

 エイサムの究極の二択をQsは一蹴する。

 しかし、その選択をQsに迫るかのように先程までいた地点の近くで爆炎が上がった。

「ひぃーっ!」

 散乱する破片と煙の中で騒ぐQsの顔とその爆炎を見たSXがなぜか口を開いた。

「どうせ、この爆発の中なら撃たれても当たらない」

「爆発が収まったら!?」

「隊長達が何とかしてくれる」

 SXはそう言ったが、あまりにも平坦なその口ぶりに気休めなのか本当にそう思っているのか二人には全く分からない。

『エイサム、生きてる?』

「アシェイ!」

 件の隊長様達からの通信である。

 SXの言う通りだ、何か良い報告でもあるのではないか、とエイサムは期待したが――

『おお、生きてるね。こっちはもう、進めないけど』

「はあ!?」

『いやー、爆風自体は何ともないだろうけど、飛び散る破片がさあ……』

「おま――」

『熱のせいでIRも絶不調だし。爆発収まったらそっち行くよ』

 今のエイサムに後方を確認する余裕はないが、恐らく皆が皆で爆発の中走るエイサム達を傍観しているのを想像するに難くない。

 思わず、エイサムとQsはSXを恨みがましい目で見る。

「SXの嘘つき!」

「……捕虜になったら隊長達が何とかしてくれる」

 三人は仲良く巨大な残骸によじ登り、そこから飛び降りる。

 すると、希望の光が見えてきた。

「あそこだ! あそこまで走れ!」

 今までエイサム達が走ってきたのは爆風で飛ばされた残骸の上だった。

 しかし、中心に近づくにつれ、爆風の被害だけでなく、熱線の被害を色濃く残す残骸群が広がっている。

 エイサム達は気が付けば、ほとんど中心部まで走っていたのだ。

「走れ走れ!」

「言われなくても!」

 熱線でドロドロに溶かされた残骸にはまともに反応する爆薬や誘爆しそうなものは残ってないはずだ。

 瓦解する瓦礫の上でみっともなくバランスを崩しながらも三人は前に行くのを止めない。

「…………!」

「そこ! その瓦礫が無い所に!」

 もう、目標地点は目の前だ。

 運良く瓦礫が一切なく、熱に溶かされた月面がぽつりと広がっているところがあった。

「――あっ!」

 しかし、そこが文字通り、目前に迫ったその瞬間、伸びた鉄骨にQsがMk‐4302を引っ掛け、落としてしまう。

「その場に伏せ!」

 エイサムの号令で三人は月面に腹から飛び込み、頭を下げる。

 しかし、その途端、パタリと地面が揺れなくなった。

 エイサムは顔を上げ、左右のQsとSXの顔を見る。

 二人もまだどこかで誘爆が起こるんじゃないかと疑心暗鬼の顔だった。

「…………もう、いいだろ」

 ようやく、エイサムがそう言ったのはしばらく後のことだった。

 三人は立ち上がり、装備品の点検をする。

「……はあ、あの人らと同じ給料なのが気に入らないっス」

 Mk‐4302を拾いながら、はるか後方で突っ立っているだけのHAIV隊を忌々しげにQsが吐き捨てた。

「俺なんか部下よりも給料が低いんだぞ」

「そりゃ……ご愁傷様っス」

 Mk‐4302をラックにかけながらQsは何とも微妙な顔をする。

「いやー……でも、なんスか、これ」

 横一列に並んだ三人の前に広がるのは大きな穴だった。

 一度入れば、月の中心核まで行けそうな、そんな不気味さをたたえている。

 飲まれないように、エイサムはフレーバーのカートリッジをバックパックに刺した。

「……ふぅ。地獄への常道ってヤツかもな」

 淵に立つエイサムの背後に黒鉄の巨人がぞろりと近づく。

 彼らを従え、紫煙にまみれる彼は地獄の門を叩く者か、はたまた、地獄の使者か。




「第3中隊、第4中隊の報告書です」

「ああ、そこに置いておいてくれ」

 机に座る彼女のその言葉にコバライネンは露骨に顔をしかめた。

「貴方が座るその机はこれを読む為のものではないのですか?」

「君も……言うようになったじゃないか」

「そうなるのにこの一週間は長すぎるくらいでした」

 彼女はコバライネンをまるで品定めするかのように一瞥し、笑う。

 コバライネンはもうその彼女のスタンスには慣れたし、元々、評価される立場であるのは分かっているつもりだった。

「君はHAIVという兵器についてどれぐらい詳しい?」

 チラリと彼がのぞき込むと、彼女の手にはいつぞや渡したあの『黒い機体』の映像の資料があった。

「4次TMの話ですか?」

「いや……そうだな、戦術的な話だよ」

「戦術的……? それは貴方の方がお詳しいのでは?」

 コバライネンの言葉に彼女の目が思案するかのように泳ぐ。

 皮肉や言い回しの為に言葉を探す時の様子とはまた少し違う彼女の姿だった。

「私はHAIVが戦っている姿を見たことがないんだ。いや、正確にはあるが、5年前のミルン防衛戦が最初で最後でな」

「ミルン防衛戦……ああ」

 彼女が挙げたミルン防衛戦は共和連盟軍の勝利に終わった戦闘だった。

 しかし、その実態はありったけの現有戦力を集めた共和連盟軍とHAIVをいち早く実用化していた国家集団軍数個師団との戦闘であり、報告によれば、共和連盟軍の死傷者は国家集団軍の4倍であったとされている。

「現代歩兵戦闘の良い教科書であり、貴方にとって良い経験であったのではないですか?」

「まさか。機関銃陣地を迂回できる機動力が高い兵器を持っていけば戦闘が優位に行えるというのは大昔に実証されたことだ。それを彼らは再び証明したに過ぎない」

「それが戦術的な話では?」

 ふぅ、と彼女はため息を吐いた。

 それは呆れや怒りなどではなく、ただ単純に理解されないことへのもどかしさであり、それはコバライネンにも理解できる。

 コバライネンとてわざとああいった物言いをしている訳ではない。

 彼女が何を言いたいのか分からないのだ。

「君は……そうだ。これをただの新兵器だと言った。そして、動揺するなとも」

 彼女が指さすのはシートいっぱいに映る黒い影。

「ええ」

 素直に頷くコバライネンに彼女は更に問いかける。

「では、これがただの新兵器であったとして、なぜ……なぜ、ここまで強い?」

「4次TMが使用されているからではないですか?」

「だとしてだ。軽量化、高効率伝達、それによる高機動性……それだけでこれだけの強さが果たして保証されるだろうか?」

 彼女はもう一度コバライネンに見る様に促すかのようにシートを机に投げた。

 相も変わらず、黒い影が跋扈し、我が小隊がなぎ倒されていく映像を見るのは心地の良いものではない。

 しかし、そうされた以上、コバライネンは受け取り、それを見る必要があった。

「良いか、その黒い影は明らかに射線をかいくぐっている。それも一度ではない。幾度も」

「その根拠は?」

「君は敵と撃ち合う時、どこで戦いたい?」

 その答えはもちろん、自分の武器の有効射程でかつ、被弾率が最も低いであろう場所だ。

 その視点を持った時、コバライネンはそう答えるのを止め、彼女に賛同した。

「確かに……近すぎます」

「そうだろう。さて、最初の質問に戻る。君はHAIVに詳しいか?」

 ようやく、彼女の言いたいことが分かった。

「被弾率の高い接近戦をあえて挑むこと、そして、その接近戦で被弾しない理由。それが聞きたいことですか?」

 コバライネンの言葉に彼女は満足気に頷く。

 しかし、質問の内容が分かったからといってコバライネンがそれにスマートな答えが出せるかどうかは別の問題だった。

「……一つ考えられるのは実戦での試験投入の可能性です」

 しばらく悩んだコバライネンの答えはそれだった。

 恐らく彼女もその説を考えなかった訳ではないのだろう。

 すぐに彼女は切り返す。

「機動力のテストか? 鹵獲の危険性を冒してまで?」

「量産の体制がもう揃っている可能性もあります」

「それは私も考えたが……恐らくそれは違う」

「敵も味方も……周りが静かすぎる?」

 コバライネンの言葉に彼女は心底意外そうな顔をした。

 形の良い瞳を見開いて、綺麗にコバライネンを見る。

「君は……本当に言うようになった」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」

 そううそぶく彼の目を見て、彼女は寂しそうにふっと笑った。

「何か?」

「いや……良い。他に何かないか?」

 彼女はそう言うが、コバライネンの頭には彼女の笑いがこびりついて離れない。

 一体、どういう意味なのか、直ちに問いただしたいが、彼女はそれを好しとはしないだろう。

「狙いが……狙い?」

 その時、コバライネンの頭を彼女の笑いと共にある数字が横切る。

 ハッとしたコバライネンの様子を見て彼女が少しだけ身を乗り出した。

「何か気づいたか?」

「我が軍のFCSの精度と、敵の精度を比べた資料を見たことがあります。詳しい数字は忘れましたが――」

「我が軍の方が高かった?」

「そうです。敵は……FCS、火器管制系のソフトウェア開発に遅れている可能性があります」

 バッと彼女の瞳に光が差す。

 どうしようもない活力と魔力を秘めたその瞳が何時でも、コバライネンを見て離さないのだ。

「なるほど……! 確かに彼らは無限軌道から二足歩行に切り替えている。そうなれば、自動的に『動かす』方のソフトウェアが優先されてもおかしくはないか……?」

 ふむ、と考え込む彼女をコバライネンはジッと見つめる。

 今、彼女は何を考えているか。

 そして、次に何を言い出すかに備えるのが副官としてのコバライネンの務めだった。

「これで良かったでしょうか?」

「良くない……いや、良かったと言えなくはないが……」

 彼女がそう言いながら徐々に顔を曇らせていく。

 何か自分の答えに不備があったのだろうか、とコバライネンは思うが、彼女は良かったと言えなくもないと言っている。

「では、何が……」

 尋ねるコバライネンを彼女は鋭い視線で制する。

「君は質問を一つしか答えていない。接近戦を挑む理由だ。しかも、それはもう一つの質問、奴がそんなに強いのか、に答えられていない」

 そこでコバライネンの顔にも一瞬で緊張が走った。

「そして、君が出し、私が納得した答えはそれと実に相反する」

「では――」

「いや、君の仮説は強ち間違っていないだろう」

 彼女は引き出しからチョコレートを出した。

「未完の機体を使って実戦で接近戦をしてみせる……」

支給品の味気ない包装の奥で彼女の瞳がゆらめく。

「化け物なのは機体か? それとも……」




「ミカリちゃん、聞こえる?』

『はい。良好です。アシェイ少尉』

 この数時間の調査で分かったことがある。

 この謎の施設はTMの傘を使った現代の月面施設ではなく、クレーターを利用した掘削型の旧来型施設であること。

 そして、何らかの軍事施設であったこと。

 最後に、大隊長が望む報告は中に入ってみないとできないということだった。

「まさか、アンタを乗せることになるなんてね……」

 アシェイは忙しそうにコンソールを操作しながら立ち乗り状態でアシェイに覆いかぶさらんばかりのエイサムにうそぶいた。

「俺だって好きで乗ってるわけじゃない」

「じゃー、降りれば?」

「お前なあ……」

 妙に突っかかってくるアシェイにエイサムは呆れてため息を吐いた。

「じゃあ、私も降りましょうか?」

 その言葉はエイサムとアシェイの目を引いた。

「お前も、何言ってんだ」

 エイサムの後ろで座席に座るイザベラだった。

 そして、珍しく無言のQsがもう一つの座席に肩身が狭そうにしている。

「別に……自分の機体にあまり人を乗せたくないのかなって」

 この会話を聞いて本当にそう思う人間はいないだろう。

 イザベラもそれは分かっていたし、分かった上での発言だった。

 命を賭けた任務の前に不穏な空気が漂う。

「……ふう。ミカリちゃん、もう降下できそう?」

『いつでもどうぞ』

 アシェイ機のバックパックに取り付けられているのはトレーラーの牽引用ウィンチだ。

 そして、そのトレーラーはイチハ機とラギョウ機で無理やり地面に押さえつけられていた。

「じゃあ、行くよ」

 アシェイが機体を前に滑らせる。

 地平に埋め込まれるように広がる基礎部分がキャタピラと緩やかに擦れた。

「……!」

 前進する機体が向かうのはこの大きな穴だった。

 それが目の前に広がった時、アシェイは本能的な恐怖にかられるが、少しだけ息を吐くだけでその速度のまま、穴に機体を落としていった。

「いってぇ……」

 Mk‐3の優秀なサスペンションは機体が半分以上穴に突っ込んでいても、地面を離そうとはしなかった。

 そのまま機体を前進させた結果、機体は前のめりに落ちていったのだ。

 すると、どうなるか。

 何も固定されていないエイサムが頭をコクピットの角にぶつけたのである。

「壊さないでね」

「壊れる方が悪いだろ」

 そのまま、地面を失った機体は重たい脚部ユニットを下に落ちていった。

 初めから引っ張られ、テンションのかかっていたウィンチによって落下速度はとても緩やかだ。

『問題ありませんか?』

「ないない、大丈夫だよ」

 と言ったものの、アシェイの心境は穏やかではない。

 落ちていく淵は爆風と熱線により破壊された地下施設だ。

 いつ、何かにワイヤーが引っかかって切れるか分からない。

 一度ワイヤーが切れれば、このどこまで続くか分からない地下施設の底にぶち当たることだろう。

「ライト、付けてくれ」

「はいはい」

 エイサムの注文によってMk‐3の脚部ユニットから下方向にハイビームライトが点灯される。

 それでも、この施設の最深部は見えなかったが、事前の計画通り、真下に切り立った床が現れた。

「あそこに降りるのか……」

「怖い?」

「怖いだろ。成功したって二度とはやらねぇぞ」

 恐らく核に耐えた床だ。それなりに頑丈ではあるだろう。

 しかし、耐えた後まで頑丈とは限らない。

「死にたくないってガラ?」

「もちろん。俺はまだ面倒みなきゃならんからな」

 エイサムは誰とは言わなかったが、アシェイには伝わる。

 そして、その後ろで聞く誰かがどう思っているのかも。

「そういうの、普通は国に残した妻子が、とかじゃない?」

「じゃあ、逆にお前はなんかあんのか?」

「……さあ? コツコツ貯めた給料とかじゃ?」

「夢がないな」

 戦場にやり残したことがあると言ってのけるアンタとどっちが、とアシェイは言いかけたが、なんだかそれは言ってはならないような気がした。

 少なくない時間を彼と過ごしたことがそう告げていたのだ。

「もう、そろそろね」

「崩れてくれるなよ……」

 ゆるりとキャタピラが熱に溶けた床を噛む。

 軋む音でも聞こえようものならアシェイは即座に引き上げてもらうつもりだったが、不気味なほどに静かだった。

「……成功?」

「だな。開けてくれ。降りてみる」

「いや、私が――」

「イズ、この俺の姿勢を見て何も思わないのか?」

 窮屈そうにしていたエイサムはハッチが開くことでようやく背筋を伸ばすことができる。

 そのまま、肩伝いにコクピットから這い出し、ジッと床を見たかと思うと、フッと飛び降りてしまった。

「……!」

 その行動に息を呑んだのはエイサム自身ではなく、コクピットで見守る三人だった。

 理屈で言えば、10tそこそこのMk‐3が降りたのだ。

 装備を含めて100kgほどのエイサムが降りたところで崩落はあり得ない。

 そもそも、エイサムの自重はMk‐3が降り立った時、すでにその床にかかっている。

「ほら、降りて来いよ」

 そうと分かっていても、コクピットの中でイザベラとアシェイはしばし顔を見合わせた。

「早くしろよ、いつここが崩れるか分からないんだから」

 エイサムの言う通りだった。

 三人が飛び降りることで崩落する可能性よりも、時間経過で崩落する可能性の方が高い。

「いやいや、アタシはここに残るんスけど……」

 エイサムの縁起でもないセリフにQsがおずおずと口を開く。

「ワイヤーと上の連中を信じろ」

「ホントに大丈夫スかね……」

 ボヤくQsを尻目にイザベラとアシェイが機体から出てくる。

 残されたQsが不本意そうにコクピットに座り、ハッチを閉じた。

「なる早で戻ってきて欲しいっス」

「お前んとこの隊長次第だ」

 パチリ、と三人がDFCSのメインライトを点灯する。

 電力供給の失せた施設に久々の明かりだった。

「まずは……真っすぐだな」

「それしかないんでしょ」

 三人はとりあえず、この床が繋がっていたであろう廊下を奥に進み始めた。

 それは恐らく廊下であったであろうくらいの推測でしかない。

 部屋を区切る壁やドアが良い感じに破壊されていて、どこからが部屋でどこからが廊下なのかはあまり判別がつくものではなかった。

「大陸語が読めるのはお前しかいないんだから、お前が前を歩けよ」

 何となくの流れで一番先頭を歩いていたエイサムがアシェイにそう言った。

 原型を留めていないモノを拾い上げては捨てていたアシェイがエイサムを見る。

「怖くなった?」

「何が?」

「幽霊とか、ゾンビとか?」

 アシェイがそう言った瞬間、ビクリと体を震わせたのはエイサムではなくイザベラだった。

「ん、イザベラちゃんはそういうの嫌い?」

 からかうようなアシェイの言葉にイザベラは眉をひそめた。

「ちゃんって、それ、止めて貰っても?」

「……じゃー、なんて呼べば良いのさ」

 予想した反応を裏切られたアシェイは答えを求める訳ではなく、ただ、そう呟いた。

 分かっている。イザベラは自分に話しかけるなと言っているのだ。

「ここが、行き止まりか?」

 三人の前に壁が立ちはだかった。

 左右を見渡してみるが、どうも、今までの通路とは違い、すっきりとし過ぎている。

「通路と通路の交差点か……おい、これ、読めるか?」

 エイサムが指さしたのは壁に刻印されている文字だった。

 恐らく、一枚の金属のパネルであったとは思われるが、左半分が綺麗に溶解していて原型を留めていない。

「ん、ちょっと待って」

 アシェイがそのパネルについた煤や汚れを手で払いながらなんとか解読を試みる。

 期せずしてエイサムの隣に立ったアシェイを面白くなさそうに見ながら、イザベラはその目の前の壁に背中でもたれかかった。

「なんだよ、本当に怖いのか?」

「貴方もそういうこというわけ? 別に幽霊は怖くないわ」

「良いか。昔はゾンビ、ヴァンパイア、エイリアンなんてのはホラーだった。だが、今は違う。奴らが役所に行って戸籍さえ取得すれば、立派な連盟民になる」

 アシェイの手がせわしなく動いてはライトでそこを照らす。

 まるで映像で見た昔の考古学者とかいう人だ、なんてイザベラは思うのだった。

「逆にだ。その手続きをしなければ、俺らは奴らをコイツで殺したって良い」

「……何も分かってないのね」

 Mk‐1018を掲げてみせるエイサムにイザベラは心底馬鹿にした口調でそう言った。

「お前こそ、古典を見たことないのか? 映像的にエポックではあるが、怖くはない」

「……はあ」

 ため息を吐いて、イザベラが深くもたれかかった時だった。

 イザベラが背にしていた壁だと思っていたものが、ガコッ、という大きな音と共にそのまま四角い板となって外れてしまう。

「――!」

「イズ!」

 エイサムは何も考えずにMk‐1018を手放し、その手でイザベラの右腕を握った。

 驚きと恐怖に歪んでいたイザベラの顔にエイサムの握力によって苦痛が走る。

「……!」

 外れた板はそのまま、闇に飲まれるように下へと落ちていった。

 イザベラは抱きすくめられたエイサムの胸の中でその板がMk‐1018と共にどこか遠くで落ちてしまった破壊的で空虚な音を聞く。

「もう……大丈夫だから」

 イザベラはそう言いながら、エイサムから無理に離れようとはしなかった。

 エイサムはイザベラが先ほどまでいたところにぽっかりと開いた穴を見つめながら、イザベラから手を離す。

「ここは、エレベーターホールだったみたいだけど……遅かった?」

 アシェイのおずおずとした言葉を裏付ける様にエイサムが覗いた穴は下へ広がっており、上からはリニアガイドレールがぶらりとぶら下がっていた。

「結果は同じだから良いだろ」

 底が見えない穴はもう見慣れたものだったが、エイサムは何かないかと底をジッと見つめた。

 すると、穴の側面がぴかりと自己主張するかの様に一瞬光る。

 見間違いか?とエイサムは目を凝らすが、また、光った。

「……まだ、電気が生きているかもしれない」

「え?」

 アシェイは聞き返すが、エイサムはそれに答えることなく、自分でバックパックからワイヤーキットを取り出し、何かを準備し始めた。

「また下に行く気?」

 イザベラはほとほと愛想が尽きたようにそう呟くが、エイサムは取り出した二本のワイヤーのうちの一本を股間周りのアタッチメントに通し、器用に末端をフックと共に括る。

「嫌なら来なくてもいいんだぞ」

 エイサムは体に通していない方のワイヤーの末端に二股に別れたどこでも固定できる炸薬式の中型ストライカーを接続した。

 それをなるべく瓦礫の無い床に展開する。

 炸薬が爆破し、杭が地面を捉えたのを見てからそのワイヤーを体に括ったワイヤーにしっかりと固定した。

「俺が思うに……三人で行動した方が死ななくて済むと思うんだけどな」

 エイサムは固定を確かめる様に軽くワイヤーを引っ張りながら、そううそぶく。

 黙ってみていた二人は諦めたように自分たちもワイヤーキットを取り出した。

「ラペリングなんて、訓練以来だわ」

 エイサムの様に股間にワイヤーを通しながらイザベラがボヤく。

 それは本当のようでエイサムやアシェイの手つきに対してイザベラのそれはおぼつかなかった。

「貸せ」

 括る行程で手間取っていたイザベラの手からワイヤーをエイサムが奪い取る。

 アシェイはそれを尻目にエイサムのワイヤーに自分のワイヤーを接続し、強度を確かめていた。

「まだまだだな」

 そのまま、何もせず、全ての行程をされるがままにしていたイザベラにエイサムが皮肉たっぷりとそう言った。

「市街戦も、渓谷戦も、無縁なものだったからしょうがないでしょう」

「これはそのどちらでもないけどねぇ」

「…………」

 無論、イザベラはこの二人に比べて軍歴が短いことを分かっていた。

 しかし、自分はそれだけで劣等感などを感じるような人間ではない、とイザベラは自負している。

「で、どこまで行くの?」

「俺が先導する」

「武器を持っていないのに?」

 Mk‐1018を落としたエイサムの空っぽの手をイザベラが見る。

「コイツでなんとでもなるだろ」

 エイサムがホルスターから抜いたのはワイヤーカッター兼用のナイフだった。

 その動きのまま、エイサムはDFCSの登山用スパイクを展開する。

「行くぞ」

 遂に、エイサムは体に括っていない方のワイヤーを穴に投下した。

 どこに行きついたかも見えないが、ワイヤーの自重がテンションとなって少しだけワイヤーが張る。

「ふっ……」

 エイサムは淵でブラブラとワイヤーのテンションを確認したかと思うと、ふらりと穴の中へ飛び込んでしまった。

 地面が失われ、エイサムの体は宙に浮くが、すぐに左手の握力がワイヤーを掴み、落下は止まる。

「うん、良い感じだ」

 エイサムは体を反対方向に回転させ、足を壁につけながら、少しずつ落下を続けた。

 目標はあの光のチラつく階。

 ところどころ同じようにエレベーターの扉が破損して空洞になっている階があったが、どこも先程いた階と何も差異が無い。

「ここか」

 目標の階の上まで来たエイサムはいったん降下を止め、見える範囲で危険の確認をする。

 光が時折点滅することが一番の差異かと思っていたが、フローリングの色が炎に焼かれておらず、綺麗な灰色だった。

「どうせ、誰も居ないだろ……」

 万が一、敵がいたらこのナイフで応戦するだけだ、とエイサムは覚悟を決め、大きく体を振り子の様に振った。

 揺れるワイヤーと共に前にエイサムが送り出される。

 そのまま、エイサムは自分の体をその階に滑り込ませた。

「……良し」

 エイサムは綺麗にその階に降り立つ。

 どこを見渡しても人の気配はない。

「次、降りて良いぞ」

「もう、ここにいるけど?」

 その言葉にエイサムが振り返るとちょうどアシェイがエイサムと同様にその階に突入しようとしているところだった。

「お前……イズを置いてきたのか?」

 エイサムの想定では次に初心者のイザベラが上と下で経験者のサポートを得ながら、安全に降下する予定だった。

「あ……」

 何も考えていなかったのかアシェイは目を見開く。

 その頃、上の階に取り残されたイザベラはまるで訓練でもしているかのように指さし確認を行っていた。

「座席良し。固定良し。テンション良し、手袋良し……」

 正面から穴に落ちていった二人とは違い、イザベラは初めから背中を穴に向けて淵に立った。

「イズ、危なかったら銃を背中に回しとけ」

 そう言われて右手に持つMk‐0016を見るが、同時に自分がいかに淵のギリギリに立っているのかも見えてしまう。

「……今、スリングを弄ったら色々失敗しそうだから、最悪投げ捨てるわ」

「分かった。絶対に手を離すなよ」

「……ふぅー。降下!」

 息を吐き、勇ましい言葉で覚悟を決めたイザベラが小さく穴に飛び降りた。

 突然の浮遊感に一瞬頭が真っ白になるが、すぐに左手でワイヤーをキャッチし、足を側面につける。

「…………」

 かなり落ちたつもりだったが、上を見上げるとまだまだ落ちていないのが分かる。

 最初のうちはイザベラも恐る恐るといった感じで少しずつ降下していたが、徐々に訓練の時の感覚を思い出し、かなりのテンポで降下をしていった。

「あ……」

 しかし、問題が起こったのは最後の突入の瞬間だった。

 声を上げたイザベラに周囲を警戒していたエイサムが背後を振り返る。

「なにやってんだよ……」

 そこに見えたのはぶらりとぶら下がったイザベラの下半身だった。

 一度、振り子の様に勢いをつけたのだが、左手を上手く離せなかったのだ。

「勢いをつけすぎて……」

「一回上るか?」

 一度上れば、確かに足で勢いをつけられる。

足が無くとも、右腕と体を上手く使えば、勢いはつくかもしれない。

 しかし、もうイザベラにはそのいずれもできる気がしなかった。

「降ろして、くれない?」

「はあ……アシェイ、足をもってやれ」

「はいはいー」

 アシェイが足を両腕で抱え込み、エイサムが手を伸ばしてワイヤーの連結部を持つ。

「引っ張るぞ、手を離せ」

「はい」

 イザベラが手を離した瞬間、重力がイザベラを穴の底に誘うが、エイサムとアシェイがそれを阻止して床に引きずりこむ。

 三人は倒れ込むようにしてラペリングを完了したのだった。

「はあ、大丈夫か?」

「……ありがとう」

 流石にここまでの醜態を演じたイザベラはうつむいて恥じる。

 エイサムの顔もアシェイの顔も見ずに、Mk‐0016を拾いながらイザベラが立ち上がった。

 それを二人してぼんやりと見ていた時だった。

「……!」

 アシェイがすぐにMk‐0016を構える。

 その銃口は聞こえるはずもない何かが落ちる音がした方向だった。

「…………」

 慌ててイザベラも銃を構えるが、二つの銃口が向いた方向からそれ以上、音はしなかった。

「ここは……気密が生きているのか?」

 DFCSの装甲と構造材は厚すぎて音も風も感じにくい。

 しかし、先程の音は幻聴とは考えにくかった。

「どうする?」

 アシェイは光学サイトから目を離さずにエイサムに問う。

「……行くしかないだろう」

 エイサムの一言で三人はじりじりと音がした方への廊下を歩きだした。

 略奪されたのかと思うくらいに物が散乱した廊下ではあったが、それは逆に熱線や爆風に犯されていない、人の匂いのする廊下だった。

「…………」

 もしかすると、偽装としての爆破放棄であって、地下にまだ戦力を隠しているという可能性もある。

 しかし、そうであるには人気が無さ過ぎたし、やりすぎた破壊であった。

「おい」

 エイサムがアシェイの肩を叩き、停止を促す。

 三人の足音が止み、静寂が訪れるかと思ったが、そうではない。

 あの何かを落とすような音と、光学ディスクが回る不愉快な音がその廊下にこだましたのだ。

「三つ先、か」

 その部屋がどうやら物音の正体であるようだった。

 三人は素早くその部屋のドアに張り付く。

 こちらの音も向こうに聞こえているだろうに、その音は止む気配がなかった。

「…………」

 無言でエイサムがアシェイの肩を叩くと、アシェイがそのドアの電子ノブに触れる。

 通電していたようでそのドアは軋みながら部屋へ三人を招き入れた。

「動くな!」

 真っ先にアシェイが突入し、素早く部屋をクリアリングした。

 その後ろで二人がカバーしていたが、エイサムが顔に苦汁をにじませたかと思うと。部屋にすんなりと入ってしまう。

 訝しみながらもイザベラがエイサムの後を追うと、そこにいたのは無重力白衣を身にまとった一人の女性だった。

「もう来たのか……」

 それは大陸語ではなく、綺麗な共用語だった。

汎用バッテリーを抱えて懸架ディスプレイを余裕なく操作していた彼女だったが、ふらりとこちらを振り返る。

「!」

 彼女の無重力白衣は左脇腹の辺りが酷く朱に染まっていた。

 イザベラがまごつきながら、二人を見ているとなぜか、二人は銃を下ろし、ナイフをホルスターにしまってしまう。

「お前らか……!」

 驚きに染まった彼女の顔がジワリとある種の諦観、達観に染まるのは時間の問題だった。

 そして、それはエイサムとアシェイにもすぐに伝播する。

「L2M……」

 エイサムが呟いたその単語が彼女の呼び名であることにイザベラは気づけない。

「懐かしい響きだな。だが、それは我々が空は良いと吹聴して回るようなものだ」

「お前の喩えは相変わらず良く分からんな」

 エイサムはDFCSのポーチをごそごそとし出す。

 チラリとそれを見てアシェイが眉を顰めるが、それを咎めることはなかった。

「我々に地球を語る資格があるか? そういうことだろ」

「……分からん。それ以外になんて呼べば良いんだ?」

 次にエイサムが吐いた息は紫に染まっていた。

 それを見たL2Mはニヤリと口を歪める。

「お前は……それこそ、そういうことということか」

「お前がここにいるってことはロジーもここにいるんだな」

「彼女はロジーではなく、LOVEという番号がある」

「いつもそうだ。名前にこだわっているのはお前の方だよな」

 矢継ぎ早に繰り返されるその応酬は確実に三人……いや、二人だけのモノだった。

 イザベラも、やもすると彼女を知るアシェイですら入り込めない可能性がそこにあった。

「お前はこの惨状を見て未だに彼女がここにいると? 本気で?」

「彼女を手放したのか」

「フハハぁっ……ぐ……お前が面白い事をいうから」

 声を上げて彼女が笑ったのはつかの間、L2Mは脇腹を抑えて痛みに額に汗をにじませる。

 手当をするべきか、とイザベラは半歩前に出たが、エイサムが片手でそれをそっと制した。

「ふぅ……っ。彼女が――LOVEが私のモノであったことなどあるもんか。生まれたその時から私の……全て、そう、全てだ。それを越えて私の前に立ったんだぞ」

「それで? 固執したのはお前だろ。お蔭で、アシェイは少尉、俺は一曹だ」

「くくく……そういうことだろ? 手に入らないモノは誰にだってある」

 苦痛に耐えながら笑うL2Mのその姿はどう見ても狂人のそれでありながら、彼女に狂気は感じられなかった。

 あるのはただ、諦めだけだった。

 その瞳で彼女はエイサムを見る。

「お前は、LOVEと文通でもしていたのか?」

「まさか」

「ふふ……彼女がお前をずっと探していたぞ。あまりにも本気だから……そう、今、お前がここにいることも全く不思議じゃない」

「ここでお前らは何をしていたんだ?」

 そこでL2Mは少しだけ押し黙った。

 周りを見渡し、三人の顔を良く見ていた。

「……お前らはそれを調べに来たわけか。たった三人で」

 何かを警戒しているわけではない。ただ、漫然と面白くもなさそうにL2Mは呟く。

「私に会えなかったら、君らは手ぶらで帰ることになっただろうな。三人じゃ、余りにも人手不足だ」

「じゃあ、話せ」

 迫るエイサムに彼女は一つの光学ディスクを手渡す。

「これは?」

「一番重要な研究データが入ったディスクだ。これを君が死ぬまで管理すると言うのならば……話してやっても良い」

 常人であればためらうようなその条件にエイサムはすんなりとその光学ディスクを受け取り、バックパックにしまう。

 イザベラは普段のエイサムならば、確実にその約束を遂行しないという確信があったが、今のエイサムが一体どうするのかは全く見当がつかなかった。

「……ふう。ここでやってたのは、敗戦の儀式だ」

「余計な喩えはいらない。色々聞く前に死なれたら困るからな」

「お前に教えたのはそういうことを楽しむこと……いや、むしろ、俗ではあるのか。まあ、良い。平たく言ってしまえば、4次TMの兵器転用だな」

「4次TM?」

 その聞き慣れない単語にエイサムは眉を顰め、アシェイとイザベラは顔を見合わせる。

「気体分子のTM結合物質を4次TMと言う。お前らが使ってる分子レベルの個体TMが2次TMだ。それを気体にしただけの面白くもないものだ」

 本当に心の底から面白くもなさそうにL2Mは吐き捨てた。

「メリットは考えれば誰でもわかる。軽く、かつ膨張率に優れる。簡単なTMシリンダパッケージで考えてもすぐ分かる」

「それをここで研究していた?」

「そうだ。敗戦のくすぶりで脳が焼き切れた連中はそれを現場の兵器に転用しようと必死だった。彼らはHAIVに目を向けた……いや、それ以外に目を向けなかった」

 エイサムは大きく息を吐いた。

 彼のヘルメットで充満するフレーバーをおかしそうにL2Mは見ていた。

「失敗か?」

「どちらとも言えないが……まあ、こうなった以上失敗だろ。ここ以外にまともな施設は無い」

「4次TMの?」

「違う。LOVEのだ」

 憤慨するように強くL2Mは否定した。

「そうだ。だとして、なぜお前がここにいる?」

「4次TMを使ったHAIVには問題しかなかったんだよ。固体より体積を変える4次TMには発熱と過膨張の傾向がある」

「……それで、ロジーをテストドライバーにした?」

「バカな……と言いたい所だが、結局、専用の調整を施した彼女にしか乗れなかった。私がそれを断れるものか」

 じわりじわりと浸食を進める脇腹の失血を彼女はジッと見つめた。

「未熟なハードウェアをソフトウェアで補おうとする、その発想がすでに敗北に染まった考え方だ……。そうは思わないか?」

「ロジーのことか?」

「比喩を無くせと言ったのはお前だろ。連中は制御系のソフトウェアの開発をずいぶん頑張っていたが、全く実らなかった。火器管制に関して言えば、石器時代レベルだった。馬鹿気た連中だ」

 大きく息を吐いたL2Mの額を冷たく大きい汗が一粒零れ落ちた。

 そのしずくが血の気の引いた彼女の顔を少しだけ湿らせる。

「私だって、従軍研究者として生きてきた。権謀術数だって分からないわけがない」

 L2Mは左手で脇腹を触るが、ただ血が溢れるだけだ。

「ふぅー……。ただ……ただ、こうなったのを結果だと割り切るのは所詮、研究者でしかなかったのかもしれない」

「一思いに殺してやろうか?」

「お前にできるわけないだろ。だが……そうだな。私じゃなくてLOVEを殺してあげて欲しい」

 彼女の目は色が失われていた。

しかし、そこから伸びる視線だけはどこまでも真摯にエイサムを捉える。

「……自分で殺すようにはしてあるんだろ」

「もちろんだ。もう彼女のテロメアは継ぎ足されない。2週間もすれば正常な新陳代謝が止まる」

「嫌な奴だな」

 L2Mは笑おうとした。全てを。

 エイサムの皮肉も、現在も、過去も、そして、未来も。

 しかし、LOVEが自分の最後の未来であることを感じた時、体はいっそう言うことを聞かない。

「私は……後悔することも赦されないんだな。諦め、ただこのまま死に往くだけか……」

 エイサムは見逃さなかった。

 乾いたL2Mの目尻から少しだけ流れる涙を。

「いや……やっぱり、俺が殺してやるよ」

エイサムはアシェイの手からMk‐0016を奪い取った。

アシェイは渡すつもりなどなかったが、そのエイサムの素早く、そして、一切の躊躇を見せない手に負けてしまった。

「彼女の人生を弄んだんだ。殺してやる」

 L2Mはエイサムをにらんだ。

 最後に残る力で彼の行動を阻止しようとした。

 それは彼女に残された最後の課題であり、絶対に為さねばならないことだった。

「……止めろ」

 しかし、エイサムは無駄のない、訓練されたその手つきでストックを肩に当て、右目を垂直にサイトに通す。

 そこから見えるL2Mの姿はいっそう欺瞞じみていて、恐らくそれはそう見える自分こそがそうであるのかもしれない、とエイサムは思った。

「止めろ!」

 死の淵に立った人とは思えない声が部屋にこだました。

 その声に弾かれたようにイザベラが後ろからエイサムに抱き着く。

 銃を撃つのには何の障害にもならない。トリガーを引けば、弾は出るし、この至近距離だ、外しもしないだろう。

「…………」

 しかし、そうはならなかった。

 サイトに映るL2Mの姿を凝視するエイサムがその模範的な立射の姿勢で静かに、そして、少しだけ息を吐いただけだった。

 静寂だった。その静寂は色々なモノの喪失がもたらした一つの結果だった。

「殺し……損ねたな」

 エイサムはもう興味が薄れたかのようにイザベラを振り払い、Mk‐0016をアシェイに乱暴に押し付け、背を向けた。

 もう、何もないその部屋に用は無いと言わんばかりの背中がただ佇む。

 三つの呼吸が失ったモノを追いかけて月面を目指す。




『一曹、遅いですね』

 ラギョウがコクピットで呟いたその言葉はまさに上司を心配する部下のそれであり、ミカリには少しだけ新鮮に聞こえた。

「殺したって死にそうにない人だけどね」

『それはそうですが……殺そうとした時だけでしょう? 事故には弱そうっていうか』

「エリザベスさんは? イザベラさんから何か連絡は無いんですか?」

『ない。たぶん、連絡が無いということは無事だと思う』

 そう言うエリザベスの口ぶりもどこか落ち着かないもので、待機している三人には妙な空気が流れていた。

 こういう時、エイサムはどうしていただろうとミカリは考えたが、気だるげな表情の奥で光る鋭い視線しか思い出せなくて止める。

『こうも遅いと一曹の顔を忘れてしまいそうです』

 ミカリはその言葉にエイサムの顔を詳細に思い出そうとするが、なかなか出てこない。

「……確かに」

『エピソードで思い出すと良い』

「エピソード?」

『隊長が見せてくれた映画で言ってた。兵隊に必要な情操教育だと』

「いかにも、って感じで」

『特曹でも映画は見るんですね……あ、いや、別に他意はないですけど』

 また妙な空気になってしまったのはそこでエリザベスが黙ってしまったからだ。

 しかし、エリザベスは気を悪くしたわけではなく、エイサムとイザベラ以外と話すことに慣れていないだけだ。

『……隊長は色々教えてくれた。お蔭で今は隊長より私の方が音楽に詳しい』

「へえ。分隊長が」

 ミカリはそう言いつつも、何となくそうしているエイサムの姿を想像するが難くなかった。

 ミカリから見たエイサムは趣味を仕事場に持ち込む悪い大人だったからだろう。

『でも……』

「でも?」

『隊長の方が……そう、楽しそう。私はまだまだ』

「ああ……」

 コクピットの無線機から覗くエイサムの声音は短い時間の中でも彼をよく伝えていた。

『一曹は好き嫌いがはっきりしてますよね。それでいて、その表現が独特で』

「ラギョウ君は確実に嫌われてるね」

『ミカリ二曹だって……最初は本当に嫌われてると思いましたけどね』

 冗談交じりだったラギョウがため息を吐いてそう漏らす。

『まあ、好みは合わなそうだなとは思いましたけど、そっけない態度だったので参りましたよ』

「分隊長の好みに合う人を探す方が難しそうだけど」

『あのフレーバーは止めて欲しい』

 エイサムに主だった不満もなさそうなエリザベスが食い気味にそう言うのだから二人は笑ってしまった。

「ラギョウ君は趣味とかないの?」

『趣味たって、戦場でできることなんてないですよ』

「それこそ、好きな音楽とかは?」

『ないですね。お祖母ちゃんが歌ってた古い曲くらいしか聞いたことないです』

「LT28だっけ? ちょっと歌ってみてよ」

『……自分、下手なんでヤです』

 ラギョウが眉をしかめるが、ミカリは構わずラギョウに迫る。

「出だしだけでも歌ったら、エリザベスさんがその後歌ってくれるから」

『そういうの、無茶ぶりって言う』

『はあ……』

 ラギョウは大きくため息を吐いた後に観念して歌い出す。

『あー……デカいトラックが俺を揺すって故郷まで連れてく。地方の歌を歌ってると――』

『また故郷が懐かしくって、ああ、そんでもって辛くなる』

 ミカリは聞いたことのない歌だった。

 しかし、ダサくて、それで優しい古い故郷の歌だった。

『えーっと、ヤング様とやらが故郷のこと、歌って、そんでもって馬鹿にしたって? けどさ、どうせ俺達には彼なんていらないってこと、彼に知って欲しいね』

 ミカリはエリザベスの包むような声でエイサムがあの爆発の後、こちらに駆け寄った時の顔を思い出した。

 いつの間にか、自分の世界はこの分隊とその他で構成されているような気が少しだけした。

『最高の故郷さ、空がバカみたいに晴れきっててさ。今、向かってるからさ、最高の故郷様』

 侵されているのかもしれない。

 戦場という孤独の中で。

 そう、ミカリが首を振った時だった。

『はあ、違うだろ』

「分隊長」

 地の底へ向かったエイサムから大きなため息と共に通信が入った。

『こういう時はな……見張り塔から女や召使が右往左往していたのを王がずっと傍観していると――』

『――どこからか野良猫の唸り声と共に二人の騎兵が現れて、風が騒ぎ始めたんだ』

『これだろ? 誰か、ギターを弾いてくれ』




 エイサムがトレーラーのボンネットに腰掛け、大隊長と通信を始めた時、イザベラは暇だった。

 あのどこまでも続く様な地下世界から脱出し、恐らく束の間になるであろう休息に身を浸すべきなのだろうが、そうする気にはならなかった。

「イザベラちゃん……じゃなかった、えっと。イザベラ……」

「イズで良いです」

 そんなイザベラに声をかけたのはアシェイだった。

 月面にぺたりと座り込むイザベラの隣にアシェイはどこを見るわけでもなくただ立つ。

「イズちゃんは気にならないの?」

「何がです?」

「さっきのこと」

「……なること、ならないこと、色々足し引きして、ならないですかね」

 もちろん、気になることがなかった訳ではない。

 しかし、気になることと、知らなければならないこと、この二つは明確にイザベラの中では別だった。

「スレてるね」

「そうですか?」

「そうだよ。普通は何か気になることがあれば、知ろうとするか、無視を決め込むかでしょ」

「じゃあ、私は後者なだけじゃないですか?」

 イザベラはのらりくらりとした言葉でアシェイをかわす。

 分かっているくせに、と思うアシェイだったが、あのエイサムの部下だもの、と口を開き続ける。

「距離を取ってる。そうでしょ?」

「さあ?」

「しかも、冷静にときた。そんなに……」

 しかし、肝心なところでアシェイには適切な言葉が見つけられなかった。

 口をつぐんだアシェイは何かを確かめるように『アゴヒモ』を触る。

「そんなにエイサムが……大事?」

「さあ……どうでしょうね」

「また、はぐらかして」

「はぐらかして、ないですよ」

 茶化すアシェイをイザベラはしっかりとした瞳で見る。

 その目から逃げる様にアシェイの目はどこまでも良く分からないところを見ていた。

「エイサムが大事なら、遠くから見ているだけでしょうね、私」

「それは……」

「だって、エイサムは一人で生きられる。私が居なくなって……たぶん、少尉がいなくたって」

 アシェイはエイサムを見た。

 うつむいたヘルメットの向こうで彼は確かに生きる術を模索しているに違いない。

 そして、それを確実に実践してみせるだろう。

「違いますか?」

「……違わないね」

「エイサムはずっと一人の世界で生きている。もちろん、エイサムだって超人じゃない。衣食住を支える何かが必要です。けど、エイサムの見えない人は人じゃないでしょう」

「エイサムが言いそうなことだ」

 それは嘘だ、とイザベラは思った。

 アシェイの言うことを言ってしまうような人であれば、とっくに死んでいるはずだ、とも。

「要は甘いんですよ、エイサムも、私も」

 その考えに至った時、アシェイは否定したいのだとイザベラは直感し、それがこの言葉、吐き捨てるような言葉に変わってしまう。

 それは生理的な、奇しくもアシェイと同じ排他の思考だった。

「結果でしょ」

「過程がどうしようもないから、そういう……結果が訪れるんじゃないですか?」

「干渉してしまう、お互いに?」

「だって、いて良いって言うんですから。殺してやるって言うんですから」

 アシェイはどうしようもない顔でイザベラを見る。

 ようやく交錯したその視線が月面の上をほのかにたゆたう。

「彼女は貴方じゃない」

「同じですよ、多分ね。エイサムにとってはいても良い人。エイサムの周りで心地よく生きて良い人です」

「彼女は死んだけど」

「生きるのと死ぬのってほら、表裏一体でしょう。私はエイサムの傍で死んでも良いんです」

 イザベラはこんなことを普段、考えたこともなかった。

 しかし、だからこそいかんともしがない本音であることを自覚した時、すっと心がジワリと体に溶けていってしまうような、そんな抗いがたい感覚に身を浸す。

「エイサムが生きて良いと言うから私は今、ここで生きている。それは……それはお互いに甘いって、そういうことでしょう?」

 それはエイサムの言葉であり、L2Mの言葉でもあった。

「……男と女の関係じゃないね」

 安心か、負け惜しみか。

 いや、そのどちらでもないだろう、とイザベラは思った。

 すでにアシェイはエイサムの元から離れていってしまった人だ、とそう思った。

「人と人の関係です。もっとチープなものですよ。言葉にできるんですから」

「それって」

「愛や恋って言うのは筆舌に尽くしがたいものなんでしょう?」

「やっぱり、スレてる」

 だから、アシェイはそう言うしかない。

 イザベラはそう言うことしか言わせない目をしている。

 何かを振り払うようにふるふるとアシェイは首を横に振った。

「……じゃ、今の私は?」

「……さあ?」

「だろうね。言われたんじゃ、面白くない」

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