第二話一節 スリルに一撃
『状況。目標群接近。距離4km。隊長、目視は?』
「いや、出来ない」
『ポイントRQ188824付近、015方向』
「ダメだ、手前に深いクレーターがある。砂塵すら見えない」
レーダーでしか見えない敵が徐々にエイサム達の方へ近づいてきていた。
捉えたのは密集したTM反応。レーダー画面で見ても密集しすぎていて正確な数は分からない。
『一曹……』
必死に望遠鏡片手に月面を眺めまわしていたエイサムの耳にラギョウの困ったような声が入る。
「なんだ、不安か?」
新兵の世話も大変だ、と思いながらエイサムは答えたが、返ってきたのはもっと深刻な何かだった。
『そうじゃなくて……4kmって何マイルですか?』
「は?」
エイサムは敵を探すのを止めて襲ってきた頭痛に頭を抱えてしまった。
『すみません、まだkmって感覚で分からなくて……』
「お前、どこ出身だよ?」
『LT28……ジャスティーナです』
「なるほど、デブがヒーローを夢見てるド田舎か」
エイサムはウンザリだと言わんばかりに首を振った。
流石のラギョウもムッとしたのか、口をとがらせて反論する。
『自然肉の一大産地ですよ? 牛肉。食べたことありますか?』
「悪いな、俺は菜食主義者なんだ」
『本当ですか?』
「そうだとも。それにそんなもんばっか食ってっから太るんだよ」
うそぶく様なエイサムの口調にラギョウは素直に信じる気にならなかった。
『酷い偏見です』
「お前らの先祖のせいで俺らの先祖は宇宙移民に苦労したそうじゃねぇか」
『そんな前の話をされても困ります』
「じゃあ、ヤードポンド法を使ってるクソ田舎のせいで、今まさに、俺は苦労してるんだがな」
手元のレーダーシートと見える月面を比べながらエイサムは軽口を叩く。
あまり良い気がしないラギョウがなお、エイサムに食い下がった。
『じゃあ、一曹はどこの出身なんです?』
「09」
さらりと言われたその人口月衛星のアドレスにラギョウは一瞬戸惑った。
そして、何かを思い出し更に首を傾げる。
『一桁台のLTはもう解体されたはずですが』
「博識だな」
ラギョウの指摘にもエイサムは全く動じることなく、うそぶき続ける。
『歴史の授業で習いましたよ。実際、どこなんです? まさか、ジャスティーナですか?』
「ホントだって」
『まさか。一曹、何歳なんです?』
『分隊長』
「ミカリか。ラギョウに言ってやれ。敵がすぐそこまで迫ってるってのに」
緊張感を欠いているように見えるのはエイサムも同じなのだが、エイサムは大仰にそんなことを言ってみせる。
ミカリはその言葉を聞きながらこれまた緊張感の欠く様なことを言った。
『それで、本当の出身は?』
「あのなあ……」
『教えて貰えないのですか? ちなみに私はLT33出身です』
「そりゃ良かったな。ちなみに俺は本当に09出身だ」
呆れたエイサムがミカリの真似をして吐き捨てる。
『本当ですか? ラギョウ伍長の言ってること、事実ですよ?』
「33出身のミカリが言うくらいなら本当だろうな」
すると、エイサムの隣でバックパックを開き、大型携行コイルガンMk‐0152を組み立てていたイザベラが二つに折れたアッパーレシーバーを弄りながら口を開いた。
「皆諦めるべきね。私とエリザベスは2年くらい一緒だけど、コイツのこと、何も知らないもの」
『何も?』
ミカリが念を押すように聞くが、イザベラは黙ってアッパーレシーバーにボルトをねじ込む。
「そういうことだろ。俺はホントのことを言ってる。疑うのはお前らだ」
『しかし、一曹――』
『状況。距離3kmまで接近』
ラギョウの未練がましい声はエリザベスの澄んだ声にかき消される。
あと1kmでラギョウ機の持つCW‐1004のファイアレンジだ。
「いいか、1kmになるまで絶対に発砲するな」
『2kmで射程圏内ですよ?』
「それはお前だけだし、何よりお前は3km先がどこか分かってないだろ」
アッパーレシーバーを閉じたイザベラの手に重たい感覚。
「来た。目視したぞ。012方向……HAIVが三機だ」
チラチラと遠方のクレーターの稜線で揺れる三機の敵のHAIVの頭頂部。
『他には?』
「他は……ダメだ、見えない」
イザベラも一緒になって取り付けるべきスコープで敵影を見るが、確かに他には見えない。
「戦車ってこと?」
「T‐10かもな」
「不利なことに変わりはないのね」
背が低いだけなら敵の新鋭機、T‐10かもしれない。
3km地点でも、まだ敵は緩やかなクレーターの坂だ。
レーダーの情報を見る限り、これだけな訳は無いが、見えないことにはどうしようもない。
『一曹……』
そこにラギョウの困ったような声がする。
「今度はなんだ」
『IRが、サーマルが不調です』
分子走査式のメインカメラの補助にサーマルカメラをつけていたラギョウ機のスクリーンはCGI補正がぐずぐずにかかり、まさしく乱れていた。
『だから、テンゴは嫌だったのに……』
ラギョウはC2Cの接続を切り、コンソールを弄って何とか元に戻そうと努力してみるが、閾値を弄ろうがなにをしようが、乱れは直らない。
旧式機にボヤきながらも、敵が近いことにジワリと焦る。
『くそ……』
しかし、エイサムはそれが機器の不調でないことを知っていた。
「サーマルを切れ」
『しかし、射撃精度が――』
「不調なのはお前の認識能力だ。サーマルは壊れてない」
『あ……』
そこまで言われてラギョウもようやく気が付いた。
これは敵の赤外線防護装置だ。
「ここまで広範囲なら、少なくとも電子戦装備が2機か、電子戦専用機が1機だな」
エイサムが決めつける様に言うと、ミカリが疑問を呈した。
『他の……車両型の可能性は?』
「敵の移動速度からして、それは無いだろう」
敵は平均60km/hくらいで移動している。
そこまで高速に動くとなると、車両型ではアンブッシュに対応できない可能性が高く、付随させるメリットとデメリットが釣り合わない。
「となると、後は兵員輸送装備か?」
「楽観的すぎない?」
あっさりと決めつけすぎている、とイザベラが隣で呆れるが、エイサムは大まじめだった。
「馬鹿言え、最低でもHAIVが5機はいるって見積もってるんだぞ」
エイサムはイザベラの肩を叩いた。
「何?」
「スコープを貸してくれ」
今まさにMk‐0152に取り付けようとしていたイザベラは嫌々ながらスコープを手渡す。
すると、エイサムは正面の敵を見たかと思えば、すぐに上を見始めた。
「何してるの?」
「傾きを……よし、ありがとう」
エイサムはスコープを何の気なく、投げてイザベラに返した。
「ちょっと、壊れやすいんだから」
「壊れやすいからお前は気を遣ってキャッチする。俺が投げても取り落とさない。取り落とさないなら壊れない」
イザベラの小言を聞き流しながら、エイサムが取り出したのはMk‐4503 グレネードランチャーだった。
一体、何をするのかと思えば、エイサムはそれを小脇に抱えてクレーターの影から飛び出した。
「あ!」
敵を目前にしてその行動はイザベラに全く理解できなかった。
しかし、エイサムのその奇行に釣られて一緒に飛び出さなかったのは、理性か、信頼か。
『イズ。どうかした?』
「あの馬鹿が、飛び出してっちゃった」
『何か言ってた?』
「何も」
イザベラはすぐに小さくなってしまったエイサムの背中を見ながら、スコープを取り付ける。
『分隊長直々にっていうのはリスキーですね』
「でも――」
反論しようとしたイザベラの言葉をミカリ自身が遮る。
『分かってます。何かするんでしょうし、他に誰も何もできないから、でしょう』
ミカリの口ぶりは呆れていたのかもしれない。
しかし、イザベラにはどこか遠い羨望を感じたのだった。
『状況。2km』
C2Cを接続し直したラギョウの手に力が入る。
光る銃口と、物々しい弾帯がかすかに揺れた。
『きた……』
パッシブFCS(火器管制システム)が、敵影を捉え、自動的に照準を補正する。
引き金を引けば、撃てるだろう。
弾は飛ぶし、当たるかもしれない。
しかし、ラギョウにはできなかった。
『一曹は、どこへ……?』
敵から自分の意識を引きはがそうとしたラギョウが無意識に呟きながら、月面のエイサムを探した。
すると、小さい岩陰にいるのが見える。敵と2マイルは、もうない。
1マイルと400フィートあまり。
「…………」
エイサムはそこで息をひそめていた。
地面が少しずつきしんでいる。
それは迫る敵の体で感じられる存在感であった。
「グラディウス、RI12。通信待機」
『――RI12、グラディウス。どうぞ』
「接敵。そっちの準備は?」
『完了。開始しますか?』
「頼む」
『了解。観測ドローンを飛ばします。詳細な座標を』
「RE398213。REの後の8桁は298213」
『REの8桁、298213……北西の方向に大きなクレーターはありますか?』
「ある」
『了解。そのまま待機をお願いします』
「了解。交信終了」
エイサムは大きく息を吸った。
本当はそれを同じように吐き出したかったが、今のエイサムにはそれ以上にすることがある。
「良いか、敵は狭く散布している。なるだけ、足を止めさせろ」
『了解』
皆、もう手持無沙汰な感じは無かった。
ただ、目の前の敵を見る。
「始めるぞ」
エイサムはグレネードランチャーを岩陰から少しだし、空に向ける。
擲弾特有の重たい引き金を引いた時には煙が尾を引きながら飛んで行った。
それは敵の目の前で炸裂し、敵の正面で電煙をまき散らす。
「撃て!」
その日、グロル中尉はその時まで暇だった。
砲撃支援要請も無く、部下の皆もEPL(電磁式射出台)や155mmの周りでダラダラとしていた。
「中尉はゲイなんだ」
そんな噂話を小耳にするくらいには。
侵攻拠点の外れで砲撃支援小隊を指揮するというのは中々に思うモノはある。
なんせ、すぐそこに気密の利いた快適なベッドが広がっているというのに、今、こうして自分は簡易テントの中でボサッとしてなければならないのだ。
「中尉!」
しかし、そんな退屈もそれまでだった。
彼を呼ぶ二曹が差しだしたのは通信機の受話器だった。
グロルはそれをヘルメットにつける。
「サンダーフォース2、通信待機」
『サンダーフォース2、こちらグラディウス。緊急の任務だ』
グラディウス、つまりは大隊本部からの通信だったが、いつものオペレーターではない。
そのことと『緊急』という言葉が重なってグロルは少しだけ震えた。
「何を?」
『FM99だ。よろしく頼む。以上』
「……! 了解」
砲撃任務99。
砲撃輸送任務の一種だが、グロルの頭の中は高揚と混乱が渦巻いていた。
『99』というのは任務再編の影響を受けないように付けられた飛び地のナンバー。
あるいは機密性の問題から一般兵士には関係の無いように。
「二曹!」
交信が終わってからすぐに副官を呼ぶ。
「は」
「本隊の方から、それらしいのは来てるか?」
「それらしいの?」
副官はグロルの言わんとすることが分からず、首を捻る。
「特には……。ご自分で確認されたらどうです?」
嫌味な言い方に普段のグロルなら小言の一つでも言っていただろうが、今のグロルにとっては紛れもない正論にしか聞こえなかった。
グロルは忠告通りに簡易テントを飛び出す。
「中隊長、何を……」
遅れて副官も簡易テントを出る。
この中隊長が簡易テントの外に出るなんてことは滅多にない。
事態の異常性を彼もようやく理解し始めたのだった。
「おい、見ろ」
テントの傍で侵攻拠点の方を見て興奮気味に口走るグロルの傍に副官がようやく並んだ。
「輸送トラックですね。仕事の時間ですか?」
副官の目に見えたのは三台の見慣れたトラックだった。
二台は恐らくHAIVを積んでいるだろう。
他の一台は……良く分からない。
「そうだ。我々の仕事だ」
「そういうことは早く言ってもらわないと困ります」
なんの変哲もないようにしか見えない副官は中隊長の仕事を求めるが、グロルは手を振って否定する。
「そうじゃなくて……! EPLはどうだ?」
話の分からない副官にできる話は仕事の話だけだ、とグロルは割り切ってそう言う。
しかし、グロルは完全に任務の内容の話をすることを失念していた。
「チーム2、3が待機中です」
「155mmは?」
「6、7、8が」
「良し。2、3、6に準備させろ」
興奮気味にグロルがそう言うが、副官は困り果てていた。
「準備って何のでしょうか?」
「我々の任務だ、仕事だ!」
「ですから、詳細を――」
「FM99だ、99だぞ! アレに載っているのはSMCとEMPだ!」
グロルの一言は中隊にその瞬間に伝播した。
皆が興奮の渦中に身を置き、ある者は慌ただしく動き始め、ある者は悔しがる。
漆黒のパラトルーパーを積んだトラックはもうサンダーフォース2を目の前にしていた。
「オブザーバー、サンダーフォース。REの後の8桁、398213。目標番号SR2013」
『サンダーフォース、オブザーバー。REの後の8桁、398213。目標番号SR2013』
「飛行情報は?」
『取得済み。当該空域、宙域に予定飛行物体無し』
「観測ドローンとデータリンク。データリンクローテーションS、ナンバーX1S」
『データリンクローテーションS、ナンバーX1S。リンク』
「気になることは?」
『あー……気象情報、空域情報、地形情報共にクリア』
「了解。報告を待つ」
『あー、サンダーフォース。それは、こちらのタイミングで良いということか?』
「肯定。いつでもどうぞ」
『あー……了解。――サンダーフォース2、オブザーバー。聞こえるか?』
『オブザーバー、サンダーフォース2。どうぞ』
『地点、REの後の8桁、398213。目標番号SR2013』
『地点、REの後の8桁、398213。目標番号SR2013』
『3門、一斉射、輸送射02、炸裂射01』
『チーム2、3、輸送射02、チーム6、炸裂射01』
『方位角……あー、6210と出た。そちらは?』
『こちらも6210』
『了解。方位角6210、座高22、敵部隊主攻正面、正面20、縦深20』
『方位角6210、座高22、敵部隊主攻正面、正面20、縦深20』
『撃て』
『撃て! ……射撃。初弾、炸裂射、弾着32秒。次弾共に、弾着152秒、順次降下』
『了解。――サンダーフォース、オブザーバー。射撃、弾着32秒。次弾共に、弾着152秒、順次降下』
「オブザーバー、サンダーフォース。了解。――グラディウス、サンダーフォース。射撃、弾着32秒。次弾共に、弾着152秒、順次降下」
「サンダーフォース、グラディウス。射撃、弾着32秒。次弾共に、弾着152秒、順次降下、了解。砲撃効果評価を待て」
「RI12、グラディウス。RI12、グラディウス。RI……弾着32秒。次弾共に、弾着152秒、順次降下。弾着32秒です。聞こえましたか?」
様々な情報が映し出され、聞こえ、出入りする大隊本部中隊。
オペレーター達の手元でサンダーフォースからの報告が自動的にデータ化され、全員が目にできる統合情報モニタに表示される。
それをつぶさに見ていた大隊長にコバライネン少佐はそっと耳打ちした。
「結局、SMCを動しましたね」
「可愛い私の偵察分隊が強襲された。十分な理由だろう?」
その瞬間、警告音と共にモニタに赤い文字が走る。
それはすぐに他の情報と共に流されていくが、場に緊張が走るには十分だった。
「EMP発生、レベル5。ロケーションB33CR」
「展開部隊、第4中隊第1小隊所属、第2先遣偵察分隊、コールサインRI12。当該空域を飛行中は特殊展開作戦集団、第23小隊、コールサインZR23」
「サンダーフォース、グラディウス。弾着確認。状況EMP、レベル5。ドローンをロスト。初弾の効果を認めるも次弾の確認はできず」
EMPの発生によって当該地域の情報が一切遮断され、マップスクリーンも黒く塗りつぶされる。
「あの奥で、彼らはどうしているかな?」
おかしそうに言う大隊長にコバライネンは眉を寄せる。
「戦っているでしょう……貴方の為に」
「ふん。彼らが他人の為に戦うものか」
「しかし、実際は貴方の手の上だ」
吐き捨てる様なコバライネンに彼女はふっと笑った。
肩の力の抜けた良い笑いだった。
「君は私を過大評価しているようだな」
「貴方はSMCを動かした。何よりも、核を使った。つまり、軍そのものを動かしたということに他ならない。正当な評価です」
電磁障害はここにまで及ぶ。
ほんの一瞬、刹那的に全ての機器にノイズが走った。
「彼らは、私の上司の師団長でさえ、【モスクワの海】を落とすのに夢中で東の外れのここになんて興味がないのさ。戦争に勝ちたい一心でね」
そんなことは誰しもが慣れていて気にも留めずに仕事をするし、下らない雑談もするのだった。
「立派なことです」
「何が立派なものか。戦争を終わらせたいなら、それこそLTにそのまま核でも撃ち込めばいい」
「その発言は今まさに月に立つ人間として見過ごせません」
この部下を持って初めてだった。
彼女は初めて彼にれっきたる意志を持った目で睨まれた。
彼女より身長のあるコバライネンが睥睨したと言っても良い。
「良いか、戦争に勝ちたいから、いや。今後、有利に事を進めたいという、ただそれだけで悪戯に7年……7年だぞ。無駄に時間を費やし、その時間と共に多くの様々なリソースが失われた」
彼女はそれを意外に思いながらも、取り乱すようなことは無く、右手を広げる。
「それは看過するのか?」
「軍人である以上、悲しみこそすれ、状況を受け入れる他ありません」
彼女が見たコバライネンの目は静かだった。
彼もまた、無作為に人を殺めている身だった。
「月の人であったり、軍人であったり忙しいな」
だから、彼女はそう言う他ない。
彼と彼女は同じ道を辿りつつも、終着点が違うのだ。
「貴方は?」
「私は人さ。道具と損得勘定との奴隷だよ」
『――!』
分隊無線にノイズと爆発が交じる。
同時にラギョウ機で黒煙と構造体と装甲が炸裂した。
エイサムはとっさにラギョウ機を見る。
「ラギョウ!」
『――あ――……――ッ!』
右上半身を失ったラギョウ機をバランサーが必死に傾け、こけないように制御していた。
ノイズの狭間からラギョウの声が聞こえるということはまだ生きていはいるようだ。
しかし、生きている、にも色々ある。
「損害報告!」
『報告。装甲前面全体に軽微な被害』
『ミカリ、損傷有りません』
「……ラギョウ!」
どうしても、別のクレーターにいるエイサムには稜線が邪魔をしてラギョウ機の様子が見えない。
イザベルも気になってスコープから目を離し、頭を上げようとするが、エイサムが無理やり上からそれを押し込める。
「やることが違うだろ!」
エイサムがイザベルに叫んだ瞬間、至近に敵HAIVの20mm弾が着弾する。
稜線にぶつかり、砂塵と衝撃を巻き上げる中でエイサムは敵の歩兵が停止した敵HAIVの影越しに多目的ミサイルを構えるのが見えた。
「700m、020、HAIVの影!」
イザベラは必死になってエイサムが指示する方向を覗く。
見えた、と思った瞬間にMk‐0152のトリガーを引いた。
初弾はHAIVに当たるが、2弾目、3弾目が尾を引く彗星の様に敵兵の胸に吸い込まれていく。
「目標制圧!」
「いったん隠れろ」
イザベラは稜線に置いていたMk‐0152を持ち上げ、坂に身をひそめる。
エイサムも寄り添うように隣で寝そべった。
「ラギョウ、生きてるか?」
ラギョウ機はバランサーが利き、すでに平静の態勢に入っていた。
残った左腕で有線ケーブルを左脚部から取り出す。
それを見たミカリ機が射撃を中止し、ラギョウ機に近づいた。
『分隊長、ラギョウ機稼働を確認。有線を繋ぎます』
ミカリの報告を聞いた瞬間、エイサムは心底安堵した。
その理由は様々だったが、そんなことを考えている余裕はない。
「分かった。もういい、エリザベスも撃つのを止めろ」
『了解』
CW‐004を抱えてエリザベス機も稜線に身を潜める。
こちら側の射撃が無くなり、敵の弾が飛んでくるだけの戦場になった。
「敵の情報」
『HAIV5機、戦車1台、歩兵ユニット複数』
「最先端との距離は?」
『500m、北西の方向』
エイサムはそれだけの情報を頼りに稜線越しにグレネードランチャーを曲射する。
弧を描くように飛んで行った擲弾が敵HAIVの傍に着弾するが、エイサムはそれを見ることもできなかった。
『――一曹、申し訳ありません!』
そこへ飛んでくるラギョウの声。
有線ケーブルをミカリ機のヘッドユニットに繋いたラギョウの声は明瞭だった。
「損害は?」
『右腕全損、右脚部に異常警告、上体回転軸――』
「気密、通信、戦闘能力!」
ダラダラと警告を読み上げ始めたラギョウにエイサムは必要な情報を怒鳴る。
『き、気密! 問題無し! 通信、有線で対応! 戦闘能力! あー、い、今、拾います!』
左腕で右腕と一緒に取り落としてしまったCW‐1004を拾う。
瞬時にコネクトされ、武器の状態が返ってきた。
『火器、弾帯箱に異常。本体は動きます。やれます!』
弾帯箱から伸びる自動給弾システムに異常があるだけのようだった。
何とかリロードしようと左指でフィードカバーボタンを押そうとするが、いつもの右と勝手が違い、何かともたついてしまう。
『あー……』
『0時、ミサイル!』
その間に敵の多目的ミサイルが飛んでくるが、ラギョウ機の左肩の自動迎撃システムが辛うじてそれを撃ち落とした。
『ああ……! ああっ! ラーカス!』
黒煙で目の前が真っ暗になり、更に作業が滞る。
その怒りの行き場はラギョウの荒げる声に集約した。
何とか、フィードカバーボタンを押すと、自動的に排莢され、フィードカバーとフィードトレイが開く。
『サブアームを展開して……』
右腕を失ったことでフリーになったラギョウ自身の右手でコンソールを操作し、左脚部のサブアームを展開し、CW‐1004を保持する。
そのまま、左腕で弾帯箱を引き抜き、新しいものと交換した。
『よし……!』
弾帯箱から伸びる給弾システムが本体と噛みあうと自動で弾帯を巻き上げる。
本来なら左腕で持ち直してからフィードカバーボタンを押すのだが、グリップを持つと、ラギョウはそのままCW‐1004を構えようとした。
『このまま……』
上に持ち上げられた本体とサブアームが離れる瞬間にサブアームの突起にボタンを擦り合わせ、構え終わるころにはフィードカバーが完全に閉じ、初弾が装填されていた。
『行けます! 戦えます!』
ラギョウがそう叫ぶ頃にはサブアームは格納され、左腕だけながら、ラギョウ機は戦闘態勢に入っていた。
一連の動作を傍で見ていたミカリは舌を巻く。
『あなた、器用ね』
『HAIV、好きですから』
ラギョウは左腕環境でのFCSを調整しながら、ミカリ機と同時に火線を通す準備をした。
「良し、戻れ……いや」
エイサムは聞き間違いかと思い、言い淀みながら無意識にヘルメットに手を添えた。
聞き間違いなどではない。
無線が入っていた。
『――12、グラディウス。RI――』
「グラディウス、RI12!」
飛びつくようにして無線に返事を返す。
徐々に敵の集弾も良くなり、砂塵が巻き上がることを止めなくなってきていた。
『弾着32秒。次弾共に、弾着152秒、順次降下。弾着32秒です。聞こえましたか?』
「了解! 弾着32秒!」
32秒。
エイサムにその長さを感じる時間は無い。
「全員聞け! 32秒でここはEMP影響下になる! エリザベス以外は周りをよく見ろ!」
『EM――』
「ラギョウ! ここまで来ておいて!」
エイサムの喝がまだEMPが着弾もしてないのに分隊に静寂をもたらす。
静かに誰かが息を吐いた。
最後通告にエリザベスの透明な声が分隊に静かに染み渡る。
『推定あと5秒。4。3。2。1』
「誤射だけは避けろ!」
それが、皆にどこまで聞こえただろう。
空が光った。ただ、無暗に光る。ただ、ひたすらに光る。
がりがりと無線機がノイズを立て、保護されていないありとあらゆる電子機器が破壊される、そんな光。
それはいずれ、熱線と放射能を運んできた。
「…………」
DFCS越しに背中が少し熱くなったぐらいだろうか。
エイサムはイザベラの肩を叩いた。
イザベラは少しだけ頷いて稜線から顔を出す。
カリカリッ、と脳の奥で嫌な音が響いた次の瞬間、意識が混濁した。
(コンタクト)
(コンタクト)
イザベラとエリザベスの間に交わされる一つの単語。
それが二人の脳内を走った時、二人の五感と思考は共有化された。
体が重たくなる感覚が二人を包む。一人で二人を抱える嫌な感覚だ。
それでも、今は軍事作戦中であり、有利な状況に軍人が為すべきことは決まっていた。
(前700m、HAIV)
(前方680m、HAIV)
エリザベスは今まででは考えられないほど機体を露出させ、持てる火力をすべて投射する。
レーダーは潰れた。パッシブのFCSも聞かない。
ノイズの走る分子走査式カメラが捉えた月面と動く機体だけが全ての戦力。
(1機……燃えてる。次、その、隣)
(1機に甚大な被害。隣接機に照準)
それは敵も同じだ。
そして、こちらはイザベラという戦力がある。
指揮を失い、通信を失い、レーダーすら失った敵からは散漫な反撃しか返ってこない。
(電子戦装備を目視。あっちのほう……1km、ぐらい)
(電子戦装備に照準。355……1km)
どうしても、脳改造の差で勝るエリザベスの思考にイザベラは引きずられてしまう。
イザベラはエリザベスが今、コクピットで行っているだろう動きを無意識になぞろうとする体を押さえつけようとするが、どうしても手足が震えてしまう。
流石に耐えきれなくなったイザベラはMk‐0152を抱える様にうつぶせにしていたのを、仰向けに、空を拝むようにした。
流星だ。
(直上、なにか……飛んでる)
(直上。確認。あれは……)
もしかしたら、全員かもしれない。
敵も味方も関係なく、その場にいた全員が、その光の軌跡を見ていたかもしれない。
それは、すぐに二つに別れたように見えた。
しかし、別れた訳ではなく、初めから二つの飛行物体だったものが近づいてきただけだ。
(……綺麗)
(最大望遠で確認)
コクピットのサブモニターに圧縮された空の映像がノイズと共に映る。
(なんだった?)
(BDTP。こっちに飛んでくる)
(友軍?)
(射角的には)
エリザベスは冷たくCW‐0004のトリガーを引き続ける。
「いつでも真ぁっすぐ、歩けるか。湖にドボンかもしれないぜっ」
鼻歌交じりにコンソールを弄る。
ヘルメットに付属するHMDに文字が点滅したかと思うと、次々とモニターが起動し、機体に最後の火が入る。
火器管制と各種最終シーリングの解除だ。
「誰かに相談、してみても。僕らのぉ、行く道は変わらないっ!」
自動チェックリストが次々とこなされていく。
全く便利なものだ。
そして、便利なものに囲まれた結果、今、ここにいる。
全く不便なものだ。
「手掛かりになるのは……薄い月明りぃ……」
『いつにもましてご機嫌ですね』
『隊長の歌はいつも良く分からん言葉ばかりでつまらんぜ』
シュウゥゥゥッ、という耳障りな音と共にBTP(ボトル型輸送パッケージ)の中に満たされていた液化緩衝材が外へ放出されていくのが分かる。
同時に包まれていた感覚が失せ、どうしようもない浮遊感が体を包んだ。
「いくよ!」
その瞬間、BTPの外殻が炸薬によって弾け飛ぶ。
真っ暗だった視界に映りこむ、同じように味気ない月面。
一瞬にしてEMPが包み、計器が異常をせわしなく伝えた。
「手掛かりになるのは……薄い、月明りぃ!」
最後のコネクタを炸薬が吹き飛ばす。
月の重力に引かれて2機の漆黒のMk‐3 PARAが空を裂いて月面を目指した。
空中で足を下に向け、姿勢を安定させる。
手足だけで綺麗に姿勢を整えるその姿は流石の練度だった。
「さあ、始まった! どこで下ろそうか」
『おいおい、アンタが隊長だろ』
『私たちはいつでも』
「そう? なら、もうちょっと待つか」
何事も無いかの様に落下を続けるが、もうすでに望遠カメラはEMPでまごつく敵の部隊を捉えていた。
敵も捉えたようで散漫な射撃が2機の間をすり抜けていく。
『撃たれてっけど、大丈夫か?』
『敵の数は?』
「HAIVが4機見えるかなぁ? うげ、戦車だ。どうする?」
望遠サブモニターで敵のマズルフラッシュを確認する。
初期の報告より少ない。意外とあの男も善戦したようだ。
いや、そうでなくては困る。
『そのどうする、ってのはもう決めてるヤツだな』
「ご名答。ご褒美は特別危険手当だ!」
空挺専用バックパックのパララックからXCDWを取り出す。
その三本の銃身が束ねられたガトリングガンを敵の方向へ向ける。
「切り離すよ! 頑張って!」
ガコッ、と鈍い音と共に両足についていた兵員空挺ポッドが切り離された。
自由落下により、その瞬間は並走する。
しかし、すぐに兵員空挺ポットのメインジェットが点火し、急減速、二つの箱ははるか上空で緩やかな落下を始めた。
「よーし」
遂に有線で繋がっていた人間は失せ、薄暗いコクピットで孤独になってしまった。
それでも、それはそれでロマンがあるというものだ。
ためらうことなく、XCDWのトリガーを引く。
銃身が回転し、鋼鉄の雨が敵に降り注ぐ。
「逃げろ、逃げろ!」
こちらの発砲に合わせて、隣を落ちる僚機も発砲を始めた。
敵は上空からのあわせて毎分2400発の攻撃に慌てる様に前線を下げ始める。
月面に土煙が舞い、一瞬にして敵の視界は奪われたことだろう。
中には運悪く、当たってしまった敵もいるかもしれない。
「高度1000m!」
パララックの隅につけられたアポジモーターが最終降下態勢に機体を自動制御する。
煙の中から敵HAIVが勢いよく飛び出してきた。
それに狙いをつけようとすると、別の火線が飛び、その機体の脚部を完全に破壊する。
「お、SCU?」
脚部が破壊されたその機体は僚機の射撃によって完膚なきまでスクラップとなった。
「ウチのイチハも容赦ないねぇ……」
ボヤいた瞬間、横を戦車の主砲弾が通過する。
「狙いをつけるのが遅いんだよね! 500!」
パララックで一番目を引くメインジェットが点火し、機体が大きく上に引かれる。
食い込むシート固定器が痛い。
それは何度文句を言っても改善されないこの機体の大きな欠点だった。
このまま降下すれば、ちょうど敵の正面200mくらいだろうか。
「アブソーバー展開、降着姿勢、よし!」
パララックのメインジェットが切り離され、最後に残ったラック本体の底面から二本の棒状の何かが突き出す。
寸前に迫った月面に乱暴に棒が突き刺さった。
物凄い衝撃がコクピットを襲う。
「……!」
それでも、目は敵からそらさない。
アブソーバーが縮むことで衝撃を和らげるが、それだけで全ては上手くいかない。
「ラック、切り離し!」
掛け声と共に電磁力で本体と繋がっていたパララックが電磁力を落とし、一部反転する。
反発する力が落下の衝撃と反対方向に働き、本体は減速しつつ、パララックがぬるりと切り離された。
遂に地面を噛んだ無限軌道が月面を駆け巡る。
「ここまできて……当たるか!」
強く左に上体が揺れたかと思うと、一気にそちらへ機体が加速する。
通り過ぎる弾丸と、目前で迎撃用擲弾チェーンガンに叩き落とされるミサイル。
余っていたXCDWの弾丸を全て目の前のHAIVに集中させた。
「……!」
共和連盟軍のモノより丸く平べったい敵機の装甲が弾け飛ぶ。
影にいた敵兵が意地を見せると言わんばかりにミサイルランチャー片手に崩れ落ちる機体から体を出すが、それも、すぐに穴だらけになった。
「うーん、良いタイミング」
先ほど切り離した味方歩兵連中が降着し、敵兵を撃っていたのだった。
残弾が尽きたXCDWを捨てながら、戦車に正面から突っ込んでいく。
無論、敵もこちらに主砲を向ける。
ギラリと光る滑空砲が真円に見えた時、戦車目がけて飛ぶ一つの飛翔体が機体の前を横切った。
「これも、良いタイミング! ウチの小隊ってのは……!」
僚機のHAIVがCMW‐3302を発射したのだった。
EMP状況下でも的確に戦車の自動迎撃システムが作動し、レーザーが弾頭を焼き尽くそうとする。
ミサイルはレーザーの熱を感知してその場で爆発した。
「今!」
右腕C2Cの接続を切り、迎撃用擲弾チェーンガンの操作をマニュアルに設定する。
チェーンガンの銃口が向くのは敵戦車砲塔に鎮座するレーザー砲座。
ミサイルの爆炎越しに二つの銃口が対峙する。
「……!」
チェーンガンの発砲と同時にレーザーが爆炎を中心から切り裂く。
その光が見えた瞬間に機体の右半身を低く沈ませた。
交差した銃口は消え、レーザーは飛んでいく擲弾にのみ照射される。
しかし、一本しか伸びないレーザーと毎分400発の擲弾の優劣は明らかだった。
「目は潰したぞ!」
レーザーをかいくぐった数発の擲弾が砲座のレーダーユニットを破壊する。
情報と補助AIの頭脳を薄なったレーザー砲塔が虚空に光を放ち、すぐに消える。
装填が終わったのか揺れる様に敵戦車の砲口がこちらを向くが、もう遅い。
すぐそこで鈍く光る真円の威圧をものともせず、左腕で砲身を乱暴に掴み、無理やり砲口を持ち上げた。
「嫌な音だ……力比べは嫌いか!?」
敵戦車の仰角装置全体が軋み、唸る。
砲を精密に適正な位置に向ける為の装置と雑多な目的という戦場の下世話に両足を突っ込んだマニピュレータでは馬力が違う。
同軸機銃が火を噴くが、左手の甲をかすめるだけで虚しいものだった。
「壊れそうだけど……」
右腕にC2Cを再度接続し、機体正面ラックからCW‐0004を抜き、銃口が上を向いたままの砲の基部に密着させる。
火花の混じった激しいマズルフラッシュと共に弾丸が敵戦車に吸い込まれていった。
すぐに上部ハッチが開き、車長らしき兵士が這いずり出てくる。
「悪いね。捕虜は捕らない交戦規定なんだ」
彼の左足は膝から下が無かった。
彼が畏怖と怨嗟の目をこちらに向けた時、銃弾が左頬に叩き込まれ、彼のヘルメットは血で染まる。
まるで彼の怨嗟が戦場を駆り立てていたのかの様に、その刹那、全ての攻撃的行動が止んだ。
それを知らせるかの様に計器が鳴る。
「お、無線が復活してる。聞こえる?」
しかし、それはEMPの効果が薄れてきたことを伝える為のものだった。
荒寥の月面を一瞥する。
そこに広がっているのは破壊の跡。残骸と死体が点在する味気ない世界だ。
その中で彼らが生き残っているのは全く疑いようのない事実だった。
『――T2、T1、通信待機』
「おお、イチハ。生きてたかい?」
『通信規定を守るべきです』
「冷たいねぇ」
復調したレーダーとIFFが周りの友軍の所在をポツリポツリと語り始める。
イチハのMk‐3。ジョンとユージンのT1歩兵ユニット。QsとSXのT2歩兵ユニット。
『戦果報告を?』
「いやいや、良いよ。いつも通り、陳腐で結構、世はなべてことも無しってね」
そううそぶくとレーダーに一つの点が映った。
6時方向、友軍、歩兵ユニット。
全ての接続を切り、シート固定器を素早く外す。
他にも色々な見えないモノからも解放されたような気がしてコンソールを弄る手も軽い。
「ふぅー……」
短い警告音の後にシートが少しだけ後ろに後退する。
次の瞬間、Mk‐3は後退した頭頂部から大きく前後に割れた。
排出された空気が空中ですぐに結晶化し始める中でコクピットから素早く飛び出して後部装甲に大きく二本足で立つ。
「エイサム・ノッキ!」
聞こえるはずもないその大声にクレーターの影から立ち上がった彼はめんどくさそうに顔を背けたように見えた。
彼のヘルメットで紫煙が揺れ動く。