第一話三節 一発、俺にくれよ
第一話三節 一発、俺にくれよ
『RI12、RI12、こちらグラディウス。聞こえているか?』
固形の栄養食を食べていたエイサムの顔が一瞬にして曇る。
固形のタイプは兵士の中ではおおよそ不味いという評判だったが、エイサムのお気に入りだった。
「あー、グラディウス、RI12。どうぞ」
エイサムはもそもそと口の中のものを飲み込みながらコネクタを接続する。
それでも片手で栄養食は離さない。
『大隊長が話したいと』
「……はぁ、何を?」
エイサムの疑問に答えるオペレーターはもう通話口にはいない。
次に聞こえていたのはあの忌々しい大隊長の何とも言えない声音だった。
『RI12。首尾はどうだ』
「上々です。詳しくはそちらのオフィサーがまとめる報告書を」
早く食べたいと言わんばかりにエイサムの目は栄養食ばかりを見ていたが、その目は笑っておらず、猜疑に揺れていた。
たかだか、一分隊にここまで入れ込む理由は何だ?
『六回ほど足を止めているようだが』
「レーダーがTM反応を示したからです」
『確認したか?』
「残骸ですね。大方、宇宙からのデブリだと思いますが」
それが何か?という言葉をエイサムは飲み込んだ。
息遣いだ。
そう言った途端、大隊長の息は少しだけ乱れたのだ。
「…………」
エイサムは黙って耳をそばだてる。
喋る時だけ無線を入れるのが普通だが、大方受話器のスイッチを入れっぱなしなのだろう。
だから、『曲銃床』――官僚という奴は好きになれなかった。
『……君はデブリだと言う。しかし、その周りにクレーターはあったか?』
「……は?」
『いいか、君が今北上しているルートで戦闘は無かった。宇宙からの残骸なら問題はないんだ。しかし、通常、宇宙からの飛来物の周りにはクレーターが……』
エイサムにとってそこから先が重要だった。
しかし、彼女はまたそこで言葉を切ってしまう。
『……まあ、良い。君に伝えなければならないことがある』
「承りましょう」
もう一つ、嫌いな理由はあった。
彼らはいつなんどきも自分が話したいように話すのだ。
『四時間前、第二中隊MCT第三小隊が襲撃を受けた。第三小隊は最右翼、つまり、東側に展開していた部隊だ』
「それは……」
エイサムは事の重大さを分かった上でさして驚いていなかった。
何となく、そんな気がしたのだった。
それは、この任務を受けた時からの予感。
『君たちがこのまま北上すれば、襲撃した部隊に接敵する可能性が高い』
「ルートを変えますか?」
『違う。そのまま、北上し続けてもらう』
北上。つまり、何も変わらない。
今、エイサムが見ているウィンドウ越しに流れていく月面を行くだけだ。
「了解」
『文句を言うと思ったが』
エイサムは不満だった。
理由は色々ある。文句を言うようなことをやらせること、軍人としての最低限も守れない奴だと思われていること、彼女が何かを知っていて話さないこと……。
そして、何より、どうしてもこの状況が愉しいと思っている自分がいることだった。
「接敵後の対応は?」
『交戦だ』
エイサムは大きく息を吸い込む。
彼は静かな高揚を感じていた。
しかし、彼のリーダー足り得る一つの才、思考がこうも言っている。
MCTの小隊を一つ潰した部隊だ。一個偵察分隊で勝てる訳はない。
「撤退は認められますか?」
『できない』
やり様はある、とエイサムが意気込むのは簡単だった。
様々な逡巡が彼の頭を駆け巡る。
しかし、その瞬間、黙り込む彼のヘルメットは別の無線をキャッチした。
「どうした?」
『200m先にレーダーポットらしきものを目視』
エリザベスの冷めた声がパキリ、とエイサムの頭を急速に冷やしていった。
「分かった。全員聞け、50m後退。この辺りで一番深いクレーターを探せ」
『了解』
自分も栄養食を床に放り捨て、トレーラーのギアをバックに入れる。
『どうした?』
心なしかいつも嫌味な大隊長の声にも緊張が走っている。
「近いうちに接敵する可能性が高い状況に変わりました」
早口なエイサムの説明に彼女は少しだけ息を呑んだ。
『状況は?』
「レーダーポットを発見。恐らく敵のものでしょう」
『確認は?』
「すぐに?」
『いや、君の判断に任せる』
今のエイサムには先ほどまで何も感じなかった彼女の息遣いすら明瞭に聞こえる。
彼はまず、頭に地図を広げた。現在地、辿った経路、残骸を見つけた場所。
この向こうの地図はどうなっている? 敵が来るであればどの経路だ?
「では、確認してきます。可能であれば、交信可能な状態にしておいて頂きたいのですが」
『良いだろう』
エイサムは大型の通信機の母機を素早く腰のマルチラックにかけ、トレーラーを停車させる。
すぐにコンソールを弄り、遠隔操作モードにしてから、相棒のPSFOと共にトレーラーを下りる。
「エリザベス、トレーラーのコントロールを任せる」
『了解。リンク、操作可能』
「イズ、降りろ。フル装備だ」
『分かったわ』
ジリジリと後退を続けるエリザベス機の背中が一気に開く。
気密状態だったコクピットから吐き出された空気が一瞬にして凍り付いた。
イザベラはフル装備で大型のバックパックを背負いながらも、器用に動き続ける機体から飛び降り、エイサムの傍による。
『分隊長。左斜め後方、方位240に20m位のクレーターがありますが』
確かにそこにクレーターがある。地図で見た。
深さは20m……十分だ。HAIVが身をひそめてもかなりのお釣りがくる。
「そこだ。全員、そこで待機だ。最大限警戒しろ」
『ずいぶん、慌ただしいですね』
「ラギョウ、聞こえてるぞ」
レーダーポットの方へ小走りに近づきながら、エイサムは冷えた頭で指示を下す。
「エイサム、見えたわ」
イザベラが指さすのは月面の平原にポツリと立った膝ぐらいまでの小さなレーダーポット。
無論、それはエイサム達が見たことがないタイプのものだ。
「まあ、予想はしてたが」
「敵のね。偵察分隊がバレるなんて……」
「近づくな、壊す」
左手でイザベラを制しながら、エイサムはハンドガンを抜き、レーダーポッドを撃った。
レーダーポッドは無抵抗に三発の銃弾を浴び、綺麗に穴が開く。
初め、エイサムは何も思わずハンドガンをケースにしまったが、その穴を見ている内にある疑問が浮かび上がってきた。
「おい、イズ。これ、TMを使ってないんじゃないか?」
エイサムはレーダーポッドに近寄り、パイルで固定されていたそれを引き抜いた。
「今時、そんなことってある?」
「見ろ。これ、リチウムだろ? バッテリーだ。ここから伸びた線がこれで、ほら見ろよ」
エイサムは銃弾が一番下に開けた穴に指を突っ込み、器用に導線を取り出した。
「導線が……金属だ」
エイサムが言う通り、出された導線は金属の束――恐らく銅、が束になって焼けただれていた。
「TM素材ならここは緑なはずだろ? それに何より――」
「『雪だるま』のレーダーに引っかからなかった、でしょ?」
イザベラの言う通りだった。
『雪だるま』、エリザベス機には高性能なTM反応式のパッシブレーダー兼IFF(敵味方識別装置)がついている。
少なくともこのサイズの物であれば、10km段階で微弱な反応を示すはずだった。
それが目視になるまで見つからなかった理由だ。
エイサムはレーダーポッドを無造作に捨てた。
「……気に入ったのか、それ」
「新人にしては良いセンスだと思わない?」
肩をすくめるイザベラに眉をひそめているとエリザベスから通信が入る。
『隊長、配置完了』
「トレーラーは?」
『後方、100mに』
「もうちょっと後ろにできないか? やられたら、この先飯抜きだぞ?」
『二日に一食分は機体に積んである』
「はぁ、遭難用だぞ、それ」
エリザベスがそう言うということは下げられないのだろうと察したエイサムはそれ以上そこには突っ込まなかった。
「『雲』を展開しろ。なるだけ遠くに」
『了解。LAERD(低高度滞空偵察ドローン)、散布距離最大にセット。展開』
雪だるまの背中の箱が大きく開く。
そこから小さなドローンが8つ、全方位に向けて射出された。
中身を吐き出したケースが炸薬ボルトで切り離され、無造作に落ちる。
『フライング……アライブ、アクティベーション』
エリザベスの声と同時にエリザベス機のレーダー画面が大きく分かる。
自機を中心に円形に広がっていた索敵範囲が八つの円に囲まれ、雲のような形になった。
『レーダー情報を共有。データリンクローテーションF、ナンバーC3S』
『データリンクローテーションF,ナンバーC3S、了解』
各々の隊員がエリザベスの言う情報に従って機体情報をエリザベス機にリンクさせる。
すると、同じように全員のレーダー端末が広がった。
エイサムはその場でマップシートを広げ、レーダー情報と重ね合わせる。
「俺達はどれくらいから、あのポッドに捕まっていたと思う?」
「基準を私が持っているやつと合わせるなら、5kmくらい……あ、TM使ってないんでしょう? もっと狭いかも」
「TMはエネルギー伝導率の、つまり、バッテリー持ちの話だから関係ないぞ」
エイサムは地図から目を離さず、イザベラに返事を返す。
「じゃあ、やっぱり5kmくらい? どう?」
「俺も、それくらいだと思う」
5km……。クレーター、侵攻速度、ステルス性……。
遅くて30分前、早くて2時間前には捕捉されているとエイサムは考えた。
「ここと……ここだ」
エイサムは現在地から左右に二つの地点を指さす。
「そこが?」
イザベラは指さされた地点が何なのか分からない。
ありふれた月面だ。
「他のレーダーの位置だ。流石にここに単独では置かないだろ。網になってるはずだ」
「網の主は?」
「敵だろうな」
「そうじゃなくて、場所」
「分かったら、苦労しないよな」
『雲』の効果で有効索敵距離は4kmまで伸びた。
こっちの攻撃が本格的に有効になる距離は1kmちょっと。最低限は稼いだと言って良かったが、その火力自体が脆弱だとエイサムは思っていたし、実際そうであった。
「イザベラ、ついてこい。可能な限り、ポッドを置いて索敵範囲を広げる」
「どこに置くの? 根拠は?」
「勘だ。もう、しょうがないだろ」
エイサムは地図を片手にまた歩き始める。
「勘って……その間に接敵したら?」
「俺達がレーダーポッドだろうな」
イザベラはその縁起の悪い言葉に思わず、先程自分たちが壊したレーダーポッドを見た。
「そういうの、面白くないけど」
「グラディウス、RI12」
文句を言いながら後ろを歩くイザベラに構わず、エイサムは大隊本部と連絡を取る。
『RI12、RI12、こちらグラディウス。こちらグラディウス』
おおよそ軍用無線だとは思えないような返事が返ってきたエイサムはぎょっとしたような、呆れるような顔をした。
「それじゃまるで宇宙航行士みたいですよ」
『そうか。慣れなくてな』
そのまま通話口にいた大隊長が恥じることもなくぬけぬけとそう言った。
エイサムは凹凸の激しい月面を苦労しながら歩き、ふと敵が来るであろう、その方向を見た。
「……大隊長。手持ちの駒は俺たちだけですか?」
「何が言いたい?」
「ハンガーで見ましたよ。Mk‐3。SMC……待機しているのでは?」