月の隣に プロローグ
プロローグ 足を揺らして
『RI12、RI……』
地球が太陽に蓋をして月のグロテスクに歪んだ裏側は闇に消える。
その暗闇に沈む荒寥の中でノイズ交じりのその声はヘルメットの外には漏れ出さない。
『RI12、こちらRI。まだか?』
「RI、RI12。あー……後方に戦車らしき反応あり」
光を失った世界をCGIで補正して観る現実。
今、自分の周りにはあと二つを残して温かみのある生命はいないという事実にももう慣れた。
7年だ。
『終わったのか?』
「後方戦力の詳細を調査中」
少し離れたところに目を凝らすと小さな円筒を展開する人影。
そこにいるモノは現実でも、観えているのはバイザーが織りなす美麗なCG。
「作戦のリスケジュールを要請」
『容認できない。中隊は定刻通りにACTを出撃させる』
「……了解」
『もう時間は無い。作戦の成否がかかっている』
欺瞞だ、と反射的に思う。
そもそも、今から強襲する地点にさしたる敵はいない。
撤退に殿という体で取り残された、いわば戦力の残滓みたいなものだ。
そこに過剰な戦力を投入する。成功はするに決まっている。
『CC、RI……偵察のほとんどを――』
中隊全域無線で先程話していた先遣偵察小隊長が中隊に報告をしているのを流し聞きしながら、手を少し上げた。
レーダーポットをクレーターの稜線に置いていた人影が、ちらりとこちらを見たかと思えば、手を止め、月の砂を踏みしめてこちらに歩いてくる。
急ぐわけでもなく、緩慢に、一歩ずつ。
「もう、良いの?」
彼女は全ての作業を終えずに戻ってきたことへの疑問を短波無線でぶつける。
「時間切れだ。あと……あと50秒後か。EPLでACTが山ほど飛んでくる」
時計を見た時、あの小隊長の焦りも何となく分からないではなかったが、無理なモノは無理である。
「帰還準備だ」
踵を返し、遠くに臨む大隊侵攻拠点がある方へ足を踏み出す。
そして、その方角には大隊侵攻拠点よりも前に、冷たく沈む一つの大きな影があった。
『もう、終わり?』
その機械的な輪郭、工業の線で構成された金属の箱から無線が飛ぶ。
同じことを繰り返すのは何となく嫌な気分だったのでその箱の分子走査カメラにも分かるように上を指さした。
「終わりだ……ほら、見ろよ」
そこには流星と見まごうような白の線がまばらに走っていた。
そして、その奥には月の衛星軌道を回る彼らの故郷が放つほのかな光と、遠く離れた無数の恒星。
『任務失敗?』
「作戦は成功するから同じだろ」
『あの中にHAIVが二機入ってるとして、全部で何機?』
「中には人しか入ってねぇよ。人と、その手足だな」
うそぶきながら、DFCSのウェストポーチを月の空を見ながら片手で探った。
取り出したのは小さなケース。それをバックパックに取り付けると程なくヘルメットの中は甘い紫の煙で満たされていく。
「止めたら? 酸素の無駄でしょ」
「何回言うんだよ、それ。ほっとけ」
二人と、一機は静かに肩を寄せ合う。
ノイズと、声。
影とCG。
いつもの様に分からない何かに囲まれてほぅ、と息をつく。
「ああ、何時でもこのフレーバーだけは旨いな」
人類が月の衛星軌道に居住の地を移して29年。
それでも人類は争いを放棄することはできなかった。
地球の6分の1、月の重力。
『隊長、HAIVのミューオンがそろそろ怪しい』
「帰還だな」
彼は少女を引き連れ、その薄い重力の中、金属の箱、鋼鉄の巨人に足を向ける。
その巨人『HAIV』の中身は『ミューオン水素式常温核融合炉』と『テンセグリティマテリアル(TM)』、そして、彼の言う通り、人だった。
月の重力はヒトに新たな『テンセグリティマテリアル(TM)』という資源を与えると共にそれはまた、争いの火種でもあった。
どこまでも進歩しない人類の懐古的闘争本能に火がついて7年。
共和連盟と国家集団の争いは決着が尽こうとしていた。