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猛毒スノーホワイト  作者: 氏原ゆかり
Sky of Daybreak
7/14

第6話『瑠璃色』

ChapteR.6 Azure sky

 四月二十二日、水曜日。

 玄関の扉を開けると、門の前に彼女がいた。

 七分丈のスポーツウェアと、首に巻かれた白いマフラー。肩に革製の竹刀袋をかけている彼女は我が家のフェンスに背を預け、寝ぼけまなこをこすりながら小さなあくびを漏らしている。

 いつも通りの黒神桜夜が、そこに存在していた。

 ああ、きっと今日も。昨日と何も変わらない一日が始まるんだろう。

 そんなことを考えながら、後ろ手に扉を閉めた。ぱたん、という音に肩をわずかに揺らし、彼女はこちらを振り向く。そしてその丸い瞳に俺を映すと、あ、と短い声を漏らした。


「おはよう、イツキくん」


 桜夜の表情や声色は、一昨日に見たそれと何も変わらなくて、俺は胸を撫で下ろした。

 ……撫で下ろした?

 無意識の行動に、自分で首をかしげてしまう。いつも通りの彼女に、どうして俺はほっとしたのだろうか。

 疑問に思いながらも挨拶を返すと、桜夜はひとつ瞬きをして、うん、と頷いた。


「昨日は悪かった。体調はもういいのか」

「私は大丈夫だけど、イツキくんこそどうなの?」

「問題ない」

「そっか」

「今日はどこに行くんだ?」

「ん? 特に決めてないけど」

「そうか。じゃあ、いつものルートでいいか」

「……いや、できれば道は毎回変えたいかな」


 桜夜は静かな声でそう言うと、何故か自分の背後に視線を向けた。今は早朝の時間帯で、当然、この道には俺と彼女のほかに誰もいない。


「桜夜?」

「……ううん、なんでもない。そうだね、今日は白露(しらつゆ)大橋のほうに行こうか」

「白露……?」

「最近空がいい感じだから、いいものが見られるかも」


 ちょっと遠いから帰るのは大変かもだけどね、と桜夜は言った。その白露大橋とやらがどこにあるのか知らないが、少なくともこのあたりに橋が架かりそうな大きな川はないことを考えると、彼女の言う通りそれは少し遠い場所にあるのだろう。

 そういうわけで、俺たちはいつもより少しペースを上げながら走る。俺にとっては一日ぶりのジョギングなのだが、三年間繰り返し続けてきたおかげなのか、一日休んだ程度では特にブランクのようなものは感じなかった。

 平凡な住宅街の風景は、俺たちのスピードと比例するように視界の端を流れていく。その街並みの中を、ほんの少し潮の匂いを含ませた風が吹いていた。

 この町は海から近い。自転車で三十分ほど走れば見えてくる距離だと聞いた。ただ、あくまでもそれは港だとか波止場だとか呼ばれるところのようで、夏がきても海水浴はできないらしいのだが。

 春の空気は好きだ。特にこの時間帯に吹く風はどこか冬を残すように澄んでいて、それでいてこの季節らしい柔らかさがあるように思う。そして風は海から磯の匂いを運び、やがてこの町の桜と混ざっていく。その香りは、人のいないこの夜明け頃にしか感じることができないものだ。

 桜といえば、この季節の曇り空のことを花曇りと呼ぶらしい。そもそも春は高気圧と低気圧の関係で雲が多くなる傾向にあるのだとか。そんな雑学を思い出しながら空を見上げた。思えば、確かにここ最近は空が灰色のような気がする。桜夜はいい感じと言っていたが、曇り空が好きなのだろうか。


「私、殺してないよ」


 唐突に。

 それまで無言で先導していた彼女が、そんなことを言った。

 あまりに突然のことだったのでとっさの反応ができないでいると、殺してない、と桜夜は再び同じ言葉を繰り返す。


「先生を殺したのは、私じゃないよ」

「先生? ……ああ、あの件か。犯人はいったい誰なんだろうな」


 伊東先生を殺したのは通り魔、つまり桜夜ではないのかもしれない。それはつい昨日、警察の人から聞いたばかりの話だったので特に驚きはしない。

 しかしそうだとすれば、先生を殺害した犯人は誰なのだろうか。

 俺は警察でもなければ探偵でもない。ただの高校生で、ついでに通り魔の共犯者だ。犯人探しをするつもりはないが、このまま彼女が冤罪をかけられ続けるのもよくないと思う。

 そんなことを考えていると、前を走っていた桜夜が不意にこちらを振り向いた。流すような瞳で俺のことを見つめ、しかし数秒後には再び前を向く。その横顔が一瞬だったうえに揺れる前髪とマフラーが邪魔で、彼女の表情をうまく読み取ることはできなかった。


「信じてくれるの」

「ん? 何をだ?」

「私のこと」

「桜夜がそう言うのなら、俺はお前を信じるが……」


 何故そのようなことを訊きたがるのだろうか。すこし考えてみて、そしてすぐに納得した。

 ああ、そうか。

 桜夜からしてみれば、自分が先生を殺したと俺が思い込んでいるように見えるのか。

 それも仕方のないことだろう。世間的には、彼を殺したのは通り魔だと考えられている。俺だって、警官の人たちからたまたま話を聞くまでは、彼女が殺したものだと思っていたのだから。

 まあ、その件がなかったところで、桜夜が自分ではないと言うのであれば俺は信じたのだと思う。彼女が俺に嘘をつく筋合はないし、ひいては俺が桜夜を疑う理由もないのだから。


「どうして」


 不意に彼女は呟き、そして同時に立ち止まる。

 俺も同じように足を止めた。目の前にある細い背中が不規則に震えている。呼吸が荒い。今日はいつもよりペースを上げていたし、運動部に所属しているわけでもない桜夜にとってはきつかったのだろう。

 乱れた呼吸を繰り返している彼女は、どうして、と再び同じ言葉を口にした。


「どうして、そんなこと、言えるの……私なんかを、信じてくれるの」

「えっと……疑ってほしいのか?」


 そう問いかけると、桜夜は首を横に振る。


「わかるよ、わかってるんだよ。イツキくんは私に嘘をついたことないって。ほんとに私のこと信じてくれてるって。だからこそあなたには——あなたにだけは、嘘つきだって思われたくない」

「…………」

「でも、だからこそわからないんだよ。考えてもみてよ。仮に同じ状況になったとき、もしも私たちの立場が逆になったときのことを。そのとき私は……私は、イツキくんに嘘をつかない自信がない。あなたを信じられる自信もない。それが普通じゃん——でもあなたは、当たり前みたいにやってのけるんだね」


 わからないよ、と。彼女は最後にそう言ってうつむいた。前髪が桜夜の顔に影を落としているせいで、そこに浮かべている表情をうかがうことはできない。

 ただ、その声には強い感情が込められている。それだけは理解できた。

 どうして俺は、彼女を信じるのか。

 その問いに対する答え。それを少し考えてみて、そして、


「面倒事は、好きじゃないんだ」


 と、俺は答えた。

 誰かを疑ったりいぶかしんだりすることは面倒だし、何よりエネルギーをとても消費する。それなら最初から信じたほうがずっと心が楽だと、俺はそう思う。

 たとえ信じた後に裏切られたとしても。

 それはそれで、仕方のないことなんじゃないだろうか。


「……私が先生を殺しても、そうじゃなくても。イツキくんにはどうでもいいことなのかな」

「まあ、俺の命とは関係ないからな」


 先生には同情するが。そう言うと桜夜は、そっか、と小さく呟いた。


「そうだよね。あなたは、そういう人だった」


 言いながら、彼女は顔を上げる。いつの間にか呼吸は落ち着いているようだった。

 休憩は十分にできただろうかと考えながら、俺は言葉を続けた。


「でも、よかったとは思ってる」

「……え?」

「桜夜が、人を殺してなくてよかった」


 あの警官たちからその話を聞いたとき、まず心に覚えた感情は安堵だった。

 伊東先生を殺したのは桜夜ではない。

 彼女は、誰も人を殺してはいない。

 そのことに、俺はほっとした。よかったと心から思ったのだ。

 黒神桜夜は通り魔で、既に六人もの人間を病院送りにしていて、約束を破れば殺すと脅してくるような少女だと、頭では理解している。

 それでも俺は、どうしても楽観的に考えてしまうのだ。

 桜夜は、誰かを殺せるような人じゃない、と。


「じゃあ、そろそろ行こうか。えっと、なんだったか……なんとか橋っていうのはもう近いのか?」


 彼女がくだんの橋に行こうと言い出したのはいいものが見られるかもしれないから、だったか。いったい、何があるというのだろう。

 そういえば、通り魔らしく人を襲ったりしなくてもいいのだろうか。それとも殺人事件のほとぼりが冷めるのを待つつもりなのだろうか。だとすればそれが一番いい。明日も、その次の日も、これまでみたいにただ散歩して帰るだけの日常を続けられるなら、それが最善だ。


「——イツキくん」


 不意に。

 桜夜に手を取られて、俺は驚いた。彼女の右手は、当然ながら男の俺と違い細くしなやかで、しかし指のつけ根あたりにまめでもあるのか、思いのほか硬い感触が伝わってくる。

 一昨日触れた際にも思ったが、やはり桜夜の手は雪のように冷たい。その冷ややかな体温もあってか、彼女の手のひらはひどく頼りないものに感じられた。

 けれど、俺が驚いたのはその手の冷たさや柔らかさ、そのどちらでもない。

 握り締めてくる力の弱々しさ、そして——小さく震える指に、俺は驚いた。

 足元に視線を向けて黙り込んでいる彼女に、桜夜? と声をかけてみると、ふるりと肩を震わせてほんの少しだけ顔を上げた。前髪の下にある目は伏せられている。真っすぐに相手の瞳を見つめ、視線を合わせようとしてくる彼女らしくない表情だった。


「……今日は、もう、帰ろう」

「帰るのは構わないが……疲れたか? それとも体調が悪いのか?」

「そうじゃないよ。大丈夫……ただ、ね」


 苦くってね。

 かすかに声を震わせながら、桜夜は呟いた。


「苦くて、苦しくて——死にたくなってきた」



* * * * *



「遅かったね。待ちかねたよ、紅野樹月くん」


 と。

 見透かしたような言葉で、細い金髪を揺らしながら雪村先輩は俺を迎えた。

 二十二日の放課後。俺は図書室に訪れた。

 雪村先輩は金曜日の当番のようだから今日はいないだろう。そう思い来てみれば、彼女はくつろぐようにカウンターの上に足を乗せてそこにいた。片手で器用にページを繰っている文庫本の表紙には、やはりアニメのような絵柄の女の子が描かれている。

 周囲を見渡してみたが、下校時刻が早められたからかほかに利用している生徒は勿論、彼女以外の図書委員もいないように見えた。


「おや、今日はひとりなんだね」

「え、ああ、そうですね」


 正直なところ、図書室までの道はうろ覚えだったのだが、藤咲には声をかけられなかった。

 声をかけなかったのではなく、かけられなかった。

 話しかけることすら、俺にはできなかった。

 いつも通り教室で授業を受けていた藤咲蒼海。しかしいつもと違うのは、彼女の顔の半分を覆い隠すように白くて大きなガーゼが施されていたところだ。

 怪我くらいは誰でもするだろう。俺も先週の火曜日に日本刀で斬りつけられ、左頬をガーゼで覆うことになった。

 しかし、彼女のそれの原因を、俺は知っている。

 昨日の放課後のことを、思い出す。

 藤咲の家庭と、そして彼女の母親のことを。

 教室での藤咲は普段と何も変わらない態度だったように見えた。しかしその周囲は違う。クラスの委員長として好かれていた彼女の顔を隠すガーゼに、教室はにわかに騒然としていた。

 しかし藤咲は、いつも通りの気さくな笑顔で、転んだんです、と堂々と言った。

 堂々と、嘘をついていた。

 けれど、それを嘘だと知っているのも俺だけだ。クラスメイトたちは普段と変わらない彼女の笑顔に安心し、そして藤咲らしくないドジの話にまたにぎわっていた。

 ただ。

 今日一日、彼女が俺に近付くことはなかった。それも当たり前のことだろう。昨日の今日で藤咲は原因を知っている俺に対していつも通りに振る舞うことはできないだろうし、俺は俺で取り繕うようなことは得意ではない。だから、俺から彼女に話しかけるようなことはできなかった。

 そういえば、クラスメイトたちは全員藤咲に声をかけていたのに、ただひとり——桜夜だけは、何故か静観に徹したように見えたが……。


「本の返却かな?」


 その声にはっと我に返る。見れば、声の主はこちらに視線を向けないまま、手元の小説を読んでいた。その姿を目にし、リュックサックの中に入っている本を思い出す。

 雪村先輩は文庫本から目を離さないまま、ご感想は? と問いかけてきた。その問いに、本の内容を思い浮かべながら少し考えてみる。

 そして、


「特にないですね」


 と俺は答えた。


「白雪姫が毒林檎の前に二回も殺されそうになってた、というのは初めて知りましたが……それくらいです」

「ふうん。当たり障りのない答えだね」

「そういえば」


 という俺の声に、彼女は本から顔を上げた。


「先輩は、黒神の双子と親戚だったんですね。いとこのいとこ、だとか」

「そうだよ。ちなみに私は、黒神家の居候だったりする」

「居候?」

「中学を卒業する前に、父親が母さんと兄貴連れて北海道に転勤することになってね。私はもうこの学校に合格しちゃってたから、そのころから黒神さんちのお世話になってるんだ」


 ということは、先輩は黒神家の人たちと一緒に暮らしているということか。親戚というのも現実味を感じられないが、嘘つきな彼女が嘘を嫌う桜夜と同じ家に住んでいるというのは、なんとなく想像がしにくい。

 ふと、思った。


「じゃあ、つつみさんのことも知ってるんですね」


 あの双子と一緒に暮らしているということは、当然、ふたりの母親のことも知っているのだろう。そう考えてのことだったのだが、こちらの問いに対して先輩は、


「ん? うん、まあ。一応」


 と、どうしてか曖昧に言葉を返した。


「知っているよ。堤美咲(つつみみさき)さんだろ?」


 そんな彼女の言葉に、俺は少し戸惑う。

 堤、美咲?

 つつみさんというのは名前ではなく姓だったのか——いや、それはどうでもいい。

 母親の名字が子供たちと違う。黒神じゃない。

 堤というのは旧姓なのだろうか。しかし、そうだとすれば——


「ふむ……これくらいのヒントは大丈夫か」


 先輩はゆっくりと何かを考え込むような素振りを見せ、そして口を開いた。


「白夜と桜夜は、そもそも黒神家の子供じゃない。あの双子は養子なんだ」

「……養子?」


 それは。

 知識としては知っているけれど、あまりなじみのない単語だった。


「もともとふたりは堤っておうちの子で、ワケあって施設に預けられたんだ。そしてある日、黒神家が引き取った」

「……四年前、ですか」

「そうだね、四年前。君たちが小学校の六年生だったときかな」


 昔は私も葛城の人だったんだよ。

 小学校の六年生くらいまでだったかな。

 そう、桜夜は言っていた。

 四年前——卒業式の前と言っていたから、正確には三年と数か月だろうか。ふたりが施設に預けられたという時系列まではわからないが……ともかく、その年に古鷹町にある黒神家に引き取られたとすれば、それはあの双子の話とは矛盾しない。

 引っ越したのではなく、引き取られた。

 堤という名字を捨てさせられ、黒神へと変えられた。

 白夜は雪村先輩のことを赤の他人だと言っていた。それはいとこのいとことかいう親戚と呼ぶには微妙な関係だからではなく、本当に血が繋がっていないからこそそんな言い方をしたのだろう。

 何も知らないならそのままでいい。

 彼がそんな風に追及を拒んだのも当然だろう。

 誰にだって、触れられたくないことのひとつやふたつはあるものだ。


「さて。時間もあるし、もうひとつくらいならヒントをあげよう」

「はあ……ヒント、ですか?」

「私は何でも知っている。そう、まるで白雪姫に登場する魔法の鏡のようにね。ひとつだけ、君の質問に答えてあげよう」


 と、彼女はそう言った。

 魔法の鏡。

 どんな問いかけにも答える鏡。

 何でも知っているという決め台詞が本当のことだとすれば、それ以上に先輩に似つかわしいポジションはないだろう。しかし、女王の鏡は真実しか語らず、嘘も偽りも決して言わないという設定だ。その点は彼女に不似合いだと思う。

 さて、ヒント……か。正直なところ、先輩の指すヒントというのがどういうものなのかよくわからないのだが、ともかく訊きたいことがあれば答えてくれるらしい。

 何を訊きたいのか。

 何を知るべきなのか。

 それは、考えるまでもない。


「何でも知っている……ん、ですよね」

「当然」

「じゃあ、例えば——通り魔事件の犯人、なんて」


 さすがに知りませんよね、と。

 俺がそう言い終えるより先に、ぱたん、と音を立てて本を閉じ——彼女は立ち上がる。そして足元からいつか見たトートバッグを出すと、その中から何か紙のようなものを取り出してカウンターの上に広げた。

 灰色の紙と、その上に刷られた黒いインクの活字。独特な墨の匂いに、それが新聞紙であることはすぐに察する。

 彼女はカウンターの上に手をつき、


「ミステリーのお時間だ」


 と、静かな声で言った。


「通り魔事件の犯人。うん、九十パーセントは特定できてるよ」

「…………」

「該当者が想像以上に多くて、絞り込むのが面倒なんだ。それに、犯人に致命傷を与えられるような証拠がない。警察が通り魔を逃してるのも、そのあたりが理由なんだろうね」


 それは、つまり。

 証拠さえあれば容疑者を絞り込むことができて、通り魔はもう逃げられなくなるということなのだろうか。

 そう考えて、その思考を表に出さないよう意識した。少しでも感情を顔に出せば、目の前の彼女はきっとそれを読むだろう。

 黒神桜夜が通り魔であることだけは、決して悟られるわけにはいかない。

 先輩はひとつ瞬きをした。どこか不思議な色をしているように見えるその瞳に見つめられると、まるで本当にすべてを見透かされているような錯覚を起こしそうになる。


「さて、ミステリーには動機とトリックが必要だ。まずは前者から考えてみよう。『どうしてやったのか(ホワイダニット)』——犯人の動機はわかるかな、ホームズくん」

「……? 探偵役は先輩なのでは?」

「嫌だよ、主人公(ヒーロー)なんか。物語(ストーリー)は参加するよりも読むほうがずっと面白いからね。だからそういうポジションは君にあげる」


 あと彼は薬物中毒者だからね、と彼女はつけ加えた。俺だってそんなポジションは嫌だ、と思ったが、話が本筋から離れそうだったので黙っておく。

 犯人の動機。

 それは先週の水曜日、桜夜に問いかけたことのある疑問だった。

 知らない、と。彼女はまるで他人事のように、そう答えたのだったか。


「わかりません。そもそも無差別なんですから、動機なんて最初からないんじゃないですか」

「いや、それは前提から誤ってる。この事件、無差別じゃないんだよ」


 先輩はあっさりと、そう断言した。


「無差別と報道してるのはメディアだけさ。警察の正式な発表じゃない。これを見てごらん」


 言いながら、彼女は広げた新聞のうち数枚を俺に手渡した。地元の新聞社が発行している地方紙。日付を見ると、三月に発行されたものが四部、四月のものが二部だ。

 すべて、連続通り魔事件の当日か翌日に作成された記事だった。


「見ての通り、犯行はすべて早朝に行われてる。ひとりやふたりなら偶然も考えられるけれど、六人だよ、六人。そんなの——犯人に呼び出されたとしか、考えられないだろ」


 一連の事件が本格的に報道され始めたのは、三人目の被害者が出たころだったように思う。手元の新聞に視線を落とすと、記憶通り、三度目の事件から記事の面積が広くなっていた。警察がパトロールを強化したのも、それにつられるように世間に不穏な空気が流れ始めたのも、確かそのころだったはずだ。

 このあたりは決して都会とは呼べない、どちらかといえば田舎町と表現したほうがいい地区だ。深夜ならまだしも、早朝は人通りが少ない。桜夜の通り魔活動に付き合っていたこの一週間だって、遭遇したのは犬の散歩をしていた女性ただひとりだ。

 偶然、だと思っていた。俺と同じように早朝の運動を習慣にしていて、たまたま桜夜に襲われてしまったのだろうと、そうとしか考えられなかった。

 しかし、もしも——もしも六人全員が、偶然ではなかったのだとすれば。


「犯人の動機も、被害者たちとの関係も、一度置いておこう。紅野くん。この事件には大きな謎がひとつある。さて、それはなんだと思う?」


 先輩の問いかけに、俺は考えた。

 大きな謎。それは当然、警察が通り魔を逃がしていることだ。

 被害者たちの事情聴取を終え、六人分の証言があるというのに、ただの女子高生を相手に後れをとっている。それは、普通ではありえないことだろう。

 その疑問に対して、あの壮年の警官はこう答えた。


「——被害者は、犯人を庇っている」

「その通り……ではあるけれど、なんというか、途中式を省略した答案を提出された数学教師のような気分だよ」


 もうひとつかふたつ、ステップを踏ませる予定だったのに。彼女はそう呟いて肩をすくめた。回りくどいことをする人だ。


「どうやら誰かから既に答えを得てたみたいだね。まあ、それはどうでもいっか——さて、それでは何故、被害者たちは通り魔を庇ってるのか。まずは彼らの共通点を考えてみよう」


 言いながら、先輩はトートバッグの中からファイルを取り出し、紙を数枚手に取ると新聞の上に重ねた。

 カウンターの上に並べられたその紙は、全部で六枚だった。それらはB5用紙の履歴書のように見える。そこには簡単な略歴と個人情報、そしてモノクロの顔写真が印刷されていた。

 それは連続通り魔事件——その被害者たちの資料だった。

 こんなもの、いったいどこで手に入れたのだろうか。


「照井蓮輔、二十五歳教師。機織元気(はたおりげんき)、二十二歳フリーター。乙坂佳以(おとさかけい)、十四歳女子中学生。寝良法助(ねらほうすけ)、二十歳の大学生。鬼怒川凛(きぬがわりん)、十四歳男子中学生。そして櫛谷美々、十五歳高校生……さて、彼らの共通点はわかるかな?」

「わかりません。老若男女、バラバラじゃないですか」

「それはどうかな」


 彼女はそう切り返し、こちらの回答を求めてきた。だから俺は思考する。

 そして、その答えはすぐにわかった。


「……老若男女、ではありませんね。最年少が中学生で、最年長の照井先生は二十五歳……被害者は、若い人たちばかりだ」

「その通り。そして、キーポイントは照井先生だ」

「キーポイント?」

「被害者の共通点さ。とはいえ、これは普通にぐぐってもわからないだろうから、優しさに定評のある雪村先輩はとっととアンサーを出してあげるよ」


 先輩はそこで一度言葉を区切り、


「彼らは、葛城町で行われた詐欺事件の関係者だ」


 と、淡々とした口調でそう言った。


「詐欺、事件?」

「覚えはないかな。五年くらい前に、七人組の詐欺グループが逮捕されただろ」


 五年前の詐欺事件。通り魔とは無関係そうなその単語に、俺は記憶を探る。

 小学校の四年生か五年生のときだっただろうか。そのころ、確かにテレビで詐欺事件のニュースを見た覚えはある。

 その詐欺グループは、いわゆる霊感商法というものを行っていた。小学生のときのことなので詳細はうろ覚えなのだが……カルト的な儀式をしたり、スピリチュアルな治療を騙ったり——そんな、悪徳な新興宗教のお手本みたいな事件だったように思う。

 言い方は悪いが、よくある話だ。

 そして、そんなよくある事件は、やはりありふれた結末を迎える。

 詐欺グループが活動範囲を葛城町から古鷹町に広げたころ、彼らのリーダーが逮捕された。芋づる式にほかのメンバーも捕まり、そしてお決まりのように、グループには有罪判決が言い渡された。

 平凡な地方都市で起きた詐欺事件は、そうして幕を下ろした。

 幕を下ろした——そう、すべて終わったことのはずだ。

 それが、続いていたというのか。


「照井先生以外の五人は、そのグループの子供たちだね」

「……先生は、違うんですか?」

「彼は詐欺グループの関係者じゃなく、当事者だからね。つまりは、加害者側だ」


 先輩はすがすがしいくらいにあっさりと言った。


「当時、照井蓮輔は大学生だった。詐欺の当事者といっても、やってたことは事務や経理のバイトだったみたいだけどね。知人だったグループのリーダーに誘われて、何も知らないまま犯罪の片棒を担がされてたんだ」

「……何も、知らないまま」

「そのうえ犯行当時はまだ未成年だったからね。情状酌量の余地があった。逮捕はされず、実名報道からも守られた。教職に就けてることを考えると、大学も無事に卒業できたんだろうね。それでも在学中に謹慎なり停学なりの処分はあっただろうけれど——でもそんな事情、被害者にとっては知ったことじゃないだろ?」


 その通りだと思った。被害者の視点から見れば詐欺師は詐欺師でしかなく、それ以外の何物でもない。グループの中に何も知らない大学生がいたとしても、彼らからすると自分を騙した悪党のうちのひとりでしかないだろう。彼女の言う通り、被害者にとってそのような事情は知ったことではないのだ。

 被害者にとって。

 その言葉に、俺ははっとした。


「つまり、犯人の……通り魔の、動機は——」

「ああ。きっと、復讐だろうね」


 彼女は抑揚なく、そう肯定した。

 復讐。

 それが、黒神桜夜が通り魔をしている動機。

 詐欺事件の、被害者——いや。普通に考えれば、当時小学生だった彼女が詐欺の被害を受けるわけがない。

 だから、ターゲットとなったのは桜夜本人ではないのだ。

 家族。

 両親。

 堤さん。

 先ほど先輩は、堤美咲さんとは双子の母親の名前だと言った。もともと白夜と桜夜は堤家の子供で、施設を経て黒神家に引き取られたことも教えてくれた。

 しかし、あることだけは決して答えなかった。きっとふたりのことを慮り、彼女は意図的に黙ったのだろう。

 それは——堤家が双子を施設に預けた理由だ。

 堤夫妻がふたりと離れなくてはならなかった事情。

 かつて葛城町を中心に起こった詐欺事件。

 加害者と被害者の関係。

 施設に預けられた双子。

 連続通り魔事件。

 そして——復讐という動機。

 ばらばらだったパズルのピースが、頭の中で次々とはまっていくようだった。


「今回の事件の被害者たちが犯人を庇ってる理由もそれだ。六人全員が、自分には復讐されるだけの理由があると、本気で信じてるんだろ」

「で……でも、照井先生はそうかもしれませんが、ほかの五人は——」

「ほかの五人は無関係だ、と言いたそうだね。その通り、君の言う通りだ。親の罪は親の罪。子が背負う必要はどこにもない。けれど——誰しもがそんな風に考えられたら、どんなによかっただろうね」


 それもまた、よくある話だった。

 犯罪者の子供はそういったレッテルを貼られ、周囲から迫害される。当然、子供たちに罪はなく、責任は一切ないことなんて誰しもが頭では理解している——それでも、本能的に遠ざけてしまう。

 それは本当であればあってはならないことだが、しかし実際のところ、特別珍しくもない話なのだ。

 周囲は勿論——もしも、五人の被害者たちもそう思っていたのだとすれば。

 そんな風に考えて、諦めて、悟っていたのだとすれば。

 だからこそ、彼らはそれを受け入れたのだろうか。

 それでも、と思ってしまう。

 たとえそうだとしても、やっぱり、彼らは何も悪くないじゃないか。

 そんな俺の思考が表に出ていたのだろうか、


「復讐の対象と、彼らにとって大切な存在。敵を討つには、どちらを殺すほうがより効果的だと思う?」


 と、先輩は見透かしたように問いかけてきた。

 ああ、そうか。

 それが、黒神桜夜の目的だったのだ。

 彼女は事件のせいで両親と——家族と離れることになってしまった。

 だから今度は、桜夜が奪う側になったのだ。

 それが、七人の詐欺師たちに対する、彼女なりの報復。

 …………。

 ————七人?


「……ちょっと、待ってください」

「何かな」

「七人目、は」


 そうだ。

 雪村先輩は、七人組の詐欺グループだと言っていた。

 しかし、現在の通り魔事件の被害者は——六人。

 はっとして、思わず彼女に視線を向けた。そんな俺に対して、先輩はただ首肯する。


「この事件は、まだ終わらない」


 ぱん、とひとつ乾いた音を立てて手のひらを打ち合わせると、彼女は椅子に座る。


「はい。ミステリーの時間はおしまい。これ以上はノーヒントだ」


 そう言って、先輩はカウンターの上に広げられた新聞や資料を再びファイルの中に戻し始めた。その様子を眺めながら、ただ深く息を吐く。

 何でも知っていると謳う雪村先輩が、通り魔の正体は桜夜だと気付いているのかいないのか。俺としてはただそれを知りたかっただけなのだが、なんというか、情報を一度に与えられすぎてオーバーロードを起こしそうな気分だった。

 不意に、整理したファイルをトートバッグにしまっていた彼女が、ああ、と声を上げた。


「もう知ってるみたいだから——っていうか誰かに聞いてるみたいだから言うまでもないことかもだけど、伊東先生は無関係だよ。思考するに値しない。完全なイレギュラーでありミスリードだ。……伊東先生、か。楽しい人だったな」


 ふう、と彼女はため息をつき、目を伏せた。その吐息にはどこか、先生が亡くなってしまったことに対する悲しみのようなものが含まれているように思える。

 楽しい人。

 俺にとって彼は校則に厳しい教師という印象しかなかったのだが、ひょっとしたら、それ以外では生徒に対して親しげな人だったのかもしれない。彼の授業を一度も受けることができなかったのは、少しだけ残念だと思った。


「葉鶏頭なんてあだ名、つけなきゃよかった」

「…………」

「あ、何かなその顔は。まるで『あのあだ名、お前が考えたのか』とでも言いたげじゃないか。一応言っておくけれど、私ひとりだけじゃないからね。火宮のお嬢様と一緒に考えたんだ」


 そんなことを言う先輩に、言葉を返す気力はもうなかった。

 そういえば、雪村先輩はあの人たちと知り合いだと言っていたか。

 個性の濃い三年生たちに胃を痛める先生の姿が目に浮かび、彼に心からの同情をしつつ、スラックスのポケットからスマートフォンを取り出した。

 現在時刻は午後四時を過ぎたころ。思っていたよりも話し込んでしまっていた。そろそろ帰らなくてはならない。


「私たち、伊東先生にはよく絡まれたんだよ。あの子は言うまでもないけど、ほら、私もこんなだからね」

「まあ、あの人は染髪してるらしいですけど……先輩はハーフだから地毛なんですよね」

「ん? ……ああ、いやいや。よく言われるけど、私は純日本人だよ」

「あれ、三年生にはハーフの生徒がいるって聞きましたけど」

「それは私じゃなくて別の子だね。A組の歌姫のことだよ」

「ふうん。じゃあ、先輩も染めてるんですね。金髪に」


 くだんのお嬢様と同じ色に染めているのか。仲良しなことだ。

 そんなことを考えながら、液晶から視線を上げたところで、


「…………」


 雪村先輩の時間が、止まっていた。

 いや、本当に止まっているわけではないのだろうが、そんな錯覚を起こしてしまいそうになるほどには、彼女は静止していた。

 涼しげな目を丸くしてこちらを見つめ、何かを言いたげに口を開閉し、しかし結局何も言わずに歯を噛み締め、見開いていた目も伏せると、最後に、


「……………………、————ああ」


 と。

 静かな声で、呟いた。


「そうかそうか、そういうことか。君はそういうキャラクターで、そういう役割をもってたのか。思えば伏線はたくさんあったのにね、とはいえ——まさかこんな天然で朴念仁そうな少年が、()()()()()()()()()だったとは思わなかったな」

「あの……先輩?」

「それとも逆だったのかな。だからこそ、それが君の起源であり根源だったということか。それを読み取ることができなかったのは私の不覚だね。ああ、これだから——火宮の男どもは本当に面倒で、嫌いなんだ」

「あの、何を……言ってるんですか」

「紅野樹月くん」


 先輩は、俺の名前を呼ぶ。

 抑揚の少ない喋り方をする彼女らしくない、優しい声色だった。


「今日の天気は、何かな」

「は?」

「今日の天気だよ」


 突然の問いかけに戸惑いつつも振り返り、背後の窓に視線を向ける。

 四角い枠の外に広がる空は、予想通り曇っていた。


「曇り、ですけど。ここ最近、ずっと曇ってるじゃないですか」


 見ればわかることなのに、どうしてそんなことを尋ねるのだろうか。そんなことを考えながら、俺は彼女へと視線を戻した。


「今日は、晴れだよ」

「————は」

「今日だけじゃない。先週からずっと、花見日和な青空だ」


 その言葉に再び振り返るが、透明なガラスの向こう側は、やはり灰色にしか見えない。

 そこでようやく、俺は理解する。

 ああ、雪村先輩の嘘だったのだ。

 どこからどう見ても曇っているのに晴れだなんて嘘をついて、俺が困惑したところで『嘘だけどね』なんて言ってからかうつもりなのだろう。

 しかし彼女は、無言で首を横に振る。


「ごめんね」


 嘘じゃないんだ、と。

 真綿で包み込むような柔らかい声で、やはり俺の思考を見透かしているかのように、彼女は謝罪する。

 嘘ではない。

 その言葉に、俺は白雪姫を思い出した。

 魔法の鏡。

 鏡は決して偽りを述べず。

 そして——真実しか語らない。


「つまり、だよ。紅野くん」


 彼女は椅子から立ち上がり、こちらに指を伸ばした。すり、と。細い指先が目尻のあたりを撫でてくる。その一連の動作すべてがスローモーションのように見えて、俺は、身動きひとつできなかった。


「空の色もわからない、信号の色もわからない、飴の色もわからない、本の色もわからない、私の髪の色さえもわからない、紅野くん——君の瞳は、まるで昔のシネマのように世界をモノクロに映してるということさ」


 雪村月見はどこまでも優しい声で。

 しかし一切の情け容赦なく、真実を口にする。


「君は、色覚異常だね」

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