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猛毒スノーホワイト  作者: 氏原ゆかり
Maiden in the Nightmare
14/14

EpiloguE

※少女T視点

 五月四日、月曜日。

 みどりの日である。

 しかし今日が何を祝い、何に感謝することを趣旨としている日なのかは既に形骸化しているといえるだろう。多くの日本国民からしてみれば、ゴールデンウィークを構成する祝日のひとつでしかないのだから。

 しかし私にとって、休日とか祝日とかは特に関係ない。寝坊はもはやルーティンである。だからいつものように遅い時間に布団を出て、パジャマから部屋着に着替えた。そして髪をゆるくふたつに結んでから、私に与えられている一室を後にする。

 コンタクトはつけない。家では基本的に眼鏡だ。

 洗面所で顔を洗ったあと、そのまま台所に向かった。ケトルでお湯を沸かし、その間に食器棚から湯呑を取り出す。数は……まあ、ふたつでいいだろう。用意した湯呑に熱湯を注ぎ、急須に茶葉を入れる。最後に湯呑のお湯を急須に入れると、それらをお盆に乗せて居間へと向かった。

 そこには同居人の男性がいた。黒の着流し姿である。この家の人たちは和装を好んでいるらしく、プライベートなときにはよく着ているようだった。

 彼は座布団の上であぐらをかき、新聞紙を開いていた。おそらく今日の朝刊だろう。その新聞に視線を落としたまま、男性は口を開く。


「おはよう、月見」

「おはようございます、剣さん」


 剣さんと朝の挨拶を交わし、彼の正面に座った。ちなみに時刻は昼前である。

 急須のお茶を湯呑に注ぎ、ひとつを剣さんの前に差し出し、もう片方を自分で飲む。苦い。紅茶にすればよかったとほんの少し後悔した。

 彼は新聞を閉じると、それを傍らに置いた。私が淹れてきたお茶を手に取り、少量口に含み、そして再び座卓に戻す。その間、まるで暗黙の了解かのように、私と剣さんはひと言も発しなかった。

 先に口を開いたのは彼のほうだった。


「蔵に刀が戻った」


 唐突に、剣さんはそう言った。

 彼がそう言ってくるだろうことは予想通りだったので、そうですか、とだけ私は返す。


「お前、いつから何を知っていた」

「私は何でも知っているんですよ」


 と、お決まりの台詞を口にする。その台詞に対して剣さんは、そうか、と返してくるだけだった。

 予定調和のような掛け合い。お互いに相手の言うことをわかりきっているうえでの、お約束通りの会話。

 だからこれは、私たちにとっては時候の挨拶のようなもの。

 ここからが本題だ。


「あなたこそ、いつ知ったんですか」

「昨夜」

「はい?」

「昨夜、爺さんからことのすべてを聞いた」


 彼の言う爺さんとは、剣さんの祖父であり、黒神家の家長でもある黒神段平さんのことだ。

 なるほど、と呟く。最速でも土曜日のうちにはこの話になると計算していたのだけれど、それが今日になったのはそれが理由だったようだ。

 土曜日——つまり、一昨日の五月二日こと。

 白夜は学校から帰ってくるやいなや、昼食も取らずに段平さんの部屋へと向かったらしい——らしい、というのは、そのとき私はまだ学校だったので、オフだった刃くんを通して聞いた情報だからだ——おそらくそのときに、この春に起きたすべてを告白したのだろう。

 告白、あるいは自白……いや、そんな言葉はドラマチックじゃないな。

 ここは——懺悔という言葉を選ぶべきなんだろう。

 少年は、自らの罪を懺悔したのだ。

 ただ、刃くん曰く、白夜が段平さんの部屋にいたのはたったの五分程度のことだったそうだ。むしろその日の夕方ごろにサボタージュから帰宅してきた桜夜へのお説教のほうが長かったくらいだという。

 その五分間であの子の話を聞き終えたあとの段平さんのリアクションを想像するとしたら……大体こんな感じだろう。


『そうかそうか、話はよくわかった。要は蔵の小窓を修理せねばならんっつうことだな。委細承知した。もう戻っていいぞ。ああ、夕飯はアジの開きを食いてえ気分だ』


 実際、その日の夕飯にはアジが出されたから、この想像もそれほど間違っていないはずだ。

 段平さんの部屋から出たときの白夜はとても戸惑ったような表情をしていたらしいけれど、それは刃くんから聞かなくても簡単に想像ができることだった。

 そして昨夜あたりに……おそらく蔵を修理するという話題になったときに、段平さんはついでとばかりに剣さんにそのことを話したといったところだろう。


「その際にすべてを知った、ということですか。……でも、まったく気付いてなかったわけじゃないんでしょう? 少なくとも蔵の刀が持ち出されてた件は知っていたんですから」

「まあ、な。何かよくないことをやらかしているのだろうとは察していたが」

「ふうん。それで、あなたはどうするんです?」

「言うまでもないだろう」


 さも当然だと言いたげに、彼は口を開く。


「あの馬鹿どもが何をしようとも、俺たち家族はあいつらの味方だ」


 剣さんがそう答えることもわかりきっていたので、私はただ頷いた。

 きっと、段平さんも同じ判断をしたのだろう。あの人は……というより、この人たちはそういう人たちだ。

 何をしようとも自分たちは味方である。

 それは、決して罪を許すという意味ではない。

 もしもあの子たちの罪が裁かれる日が——罰を受けなくてはいけない日がきたなら、そのとき、彼らは一切逡巡せず双子を差し出すだろうし、その責を負うことになんの躊躇もないだろう。

 この人たちはただ待っているだけだ。

 この家で、ただ『おかえり』のひと言をかけるためだけに、ずっと待ち続けるのだ。

 ここは、帰ってもいい場所——帰ってくるべき場所なのだと。

 そう思える居場所を用意して、いつものように迎え入れてあげるのが家族の役割だと、彼らは心から信じているのだ。

 それが、この人たちの家族観。

 とは言っても、たぶん、そんな未来はこないだろう。表面的には春野木葉が逮捕されたことで通り魔事件は解決しているし……裏から見れば、そもそも被害者たちは犯人を覚えていないと主張しているうえに、被害届すら提出していないのだから。

 白夜のことは、安心して藤咲さんに任せればいい。彼女ならきっと、上手な落としどころを見つけてくれるだろう。


「しかしな、月見」


 唐突に、剣さんはこちらに振ってきた。

 その瞳には、ほんの少しだけ、私を責めるような感情が滲んでいた。


「お前がもう少し干渉していれば、早々に終わらせられただろう」

「そうですね」


 私がもう少しあの子たちに干渉していれば——舞台に上がることを良しとしていれば、ここまでこじれることもなく事件はとっとと解決していただろう。その自負はある。

 けれど。


「けれど私には、あの子たちの問題の根源まで助けることはできません」

「…………」

「あの子たちの痛みや傷は、すべてあの子たちだけのものです。自分の足で前に進むために必要な、大切なもの。それを奪うことなんて、私にはできません。それは、誰にもできやしないんです」

「………………」

「私があの子たちに最低限してあげられることは、力を貸すこと、情報を与えること、そしてヒントをあげることくらいです。……まあ、今回は少し喋りすぎたと反省してますけどね」


 言いながら、私は赤毛の男の子のことを思い浮かべた。

 今回は、本当に余計な世話を焼きすぎた。家族であるあの子たちが関わっていたから、という理由も勿論あるけれど、私はああいう風に弱くて脆い子にはつい手を差し伸べてしまうのだ。猛省しなくてはいけない。

 それでも、この春、彼は随分とがんばってくれたようだし。結果的に彼はあの子を救ってくれたのだから、終わりよければすべてよしと判断しよう。


「……とはいえ、計算外はありましたけどね」

「伊東先生が殺されたことか」

「そういうことにしておきましょう」


 伊東智晴先生。

 アルビニズムである私と、高校デビューで髪を金色に染めたお嬢様をよく指導しに来ていた教師だ。思えば、あの火宮の令嬢である彼女を本気で叱ることができた教師は、高校生活の三年間で彼だけだったかもしれない。

 性格に難があったとはいえ、本当に、惜しい人が亡くなってしまった。

 けれど、その件はただのイレギュラーであり、そもそも計算に入れるまでもないことだ。

 だから私にとって計算外だったのは殺人鬼・春野木葉の件ではなく、通り魔——つまりは、白夜の犯行動機のほうだ。

 復讐ではなかった。それはいい。問題は理想郷(ユートピア)を守るためとかいう夢見がちな理由のほうだ。あの少年がどうしてそのような発想に至ったのか、その式も解もまったく思い浮かばない。

 いったい、()()()()()()()()()()()()()()……?


「…………」


 まあ、いいか。事件は既に幕を下ろしている。これ以上この件で思考を続ける必要もない。優先して思考すべきは『これまで』のことよりも『これから』のことだ。

 具体的には、いつか刑期を終えるであろう春野くんへの対策だけど……これに関しては、須磨くんに任せていればたぶん大丈夫だろう。

 そんなことを考えながらまたひと口お茶を含んだとき、廊下のほうからどたばたとした足音が聞こえてきた。


「サク、早くしろー」

「大丈夫だよー、イツキくんも今家出たとこだって言ってるし」

「アオミがもう到着してるんだよ」

「はやっ」


 そんな掛け合いをしている少年と少女の声が響いたかと思うと、開かれているふすまの向こう側に白夜の姿が見えた。灰色のポロシャツの上に、薄い生地のアウターを着ている。ああ、そういえば今日は金剛(こんごう)町のほうへ出かけると言っていたっけ。

 剣さんは手にしていた湯呑を不意に置き、視線を白夜へと向けた。


「白夜」

「え、あ、はい。なんですか?」

「出かけるのか」

「えっと……友達と買い物に。林間学校で必要なものを」


 一拍か二拍の間を空け、一瞬、目を逸らしてから白夜はそう答えた。嘘をついている、というよりは何かをごまかしているだろうことは明白だ。

 買い物なら友達ではなく家族と行けばいい。むしろ段平さんや剣さんに頼めば車を出してくれるだろうし、お金も代わりに払ってくれるだろう。そもそも林間学校で必要なもの程度なら、わざわざ金剛まで行かなくても手に入る。

 金剛町は数年前に駅の周辺がリニューアルされており、映画館やブティック、ゲームセンターといった商業施設が新しく作られていた。そんな場所を選んだということは、つまり買い物というのは口実で、本当の目的は遊びに行くことなのだと推理できる。

 それを隠そうとするのは……まあ、女の子と遊びに行くことが家族にばれるのが恥ずかしいからとか、おおかたそんな思春期らしい理由だろう。

 挙動が不審な弟の態度には剣さんも気付いているのだろうけれど、あえて無視をするように彼は口を開く。


「今日は親父とお袋が帰ってくる。お前たちも夕飯までには帰ってこい」

「ああ、ゴールデンウィークだから帰ってくるんですね。それまでには戻ると思いますよ」

「戻るんじゃない、帰ってくるんだ」

「へ?」


 剣さんの言っていることがよくわからなかったのか、白夜はきょとんとした表情を浮かべて首をかしげた。そんな弟の様子を気にも留めず、彼は淡々と言葉を続ける。


「ここは、お前たちの家なのだから」


 それで話は終わりだとばかりに、剣さんは湯呑のお茶をすする。

 白夜は黙り込む。そのとき彼が浮かべた表情は、今にも泣き出してしまいそうなほどの切なさがあって、けれど喜びや照れも入り混じった……そんな複雑なものだった。

 そのとき、静かになった空間に軽やかな足音が響いた。そしてその足音の主はふすまの前に立ち止まると、


「あ、ツキミ起きてる」


 おはよー、と言って、こちらにひょっこりと顔を覗かせた。

 双子の兄と同じように、桜夜のほうも私服姿だった。ややスポーティな印象のあるワンピースの上に、桜色の春用アウターを羽織っている。

 取り立てて描写する必要もないくらいに普通のファッションだ。

 けれど。

 中学生のときに、私があげた白いマフラーを巻いていない。髪型も、いつものふたつ結びをほどいていた。


「桜夜、マフラーはどうした」


 さすがにスルーできなかったのか、剣さんは妹にそう訊いた。尋ねられた桜夜はあっけらかんとした態度で、ああ、と声を上げる。


「あれはいいの。もう寒くないから」

「そうか。髪は結ばなくてもいいのか」


 ぽん、と彼はあぐらをかいた自分の膝を軽くたたく。自分が結んでやろう、と遠回りに主張しているつもりなのだろう。


「それも、もういいの」

「そうか」


 妹の返答に、剣さんは表情ひとつ変えない。けれど、頷いたその声はほんの少しだけしょんぼりとしたものだった。それに気付いたのは、きっと私だけなのだろうけれど。

 この人、本当に弟と妹のことが大好きだな。

 呆れにも似た感情を抱きつつ、私はあらためて桜夜に視線を向けた。


「桜夜」

「うん?」


 名前を呼ぶと、桜夜はこちらを向いた。その動きに合わせて、茶髪のストレートがさらりと揺れる。

 ああ、そういえば、中学のときの私はふたつ結びの髪型をしていたんだっけ。そんなことを考えながら、私は彼女にこう問いかけた。


「——悪い夢は、もう終わったのかな」


 桜夜は、驚いたように目を少しだけ見開く。

 けれどすぐに、


「うん」


 と。

 はにかむように、笑ったのだった。


「それはよかった。じゃあ、行ってらっしゃい」

「ああ。帰りを待っている」


 私と剣さんは、送り出すための言葉をかける。


「行ってきます!」

「行ってきまーす」


 双子はそう返事をして、仲良く廊下を後にした。

 ふたりの足音がだんだんと遠くなっていき、玄関の引き戸の開かれる音が響く——そして、閉じられた音が聞こえてきた。

 再び、居間には静寂が訪れた。それを打ち破るように、


「最後に訊くが」


 と、彼はおもむろに口を切る。


「お前は、どう思っているんだ」


 曖昧な問いかけ。けれど剣さんがそう訊いてくるだろうことも、そしてその問いの意図も、やはり私は知っていた。


「剣さん。私はね、こう考えてるんです」

「ああ」


 私は静かに頷いて、ただひとつの答えを口にする。

 単純でありふれた、言葉にすればひどくチープでしかない——そんなアンサーを。


「これは、女の子がキスで悪夢から目覚める——ただ、それだけの物語だったんですよ」

《The Snow white of The Poison》is the End.

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