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猛毒スノーホワイト  作者: 氏原ゆかり
Maiden in the Nightmare
10/14

第9話『赤い血』

ChapteR.9 As red as the blood


※流血・暴力描写有

「最近、付きまとわれてたんだ」


 木の幹に背中を預けながら、桜夜は静かな声でそう呟いた。

 場所はいつもの遊歩道、その周囲に広がっている雑木林。この遊歩道は道の左右に桜を植えているが、その周りには林が広がっている。正確には、雑木林の中にこの道を作った、と表現したほうが正しいのかもしれない。

 俺は道なりに走り抜けようとしたのだが、それは彼女に止められた。ここの出口は一本道だから。追いつかれてしまうかもしれないし、仲間が出口で待ち伏せしているかもしれない。そう言った桜夜に腕を掴まれ、再び引きずられるように林の中へと進んだのだ。

 日の出前という時間帯のせいで、雑木林の中は普段よりも薄暗い。そのうえ雨が降り始めたので、足場は徐々に悪くなっていく。俺の目は先日色彩が戻ったばかりだが、この状況では視界良好とは言えそうになかった。


「付きまとわれてたって……あいつに、桜夜が? なんの理由があって」

「わかんない。ほんとに心当たりがないから」


 彼女は首を横に振りながら、そう言った。


「私以外には興味なさそうだったし、特に害があったわけじゃないから放っておいたんだけど……このタイミングで姿を見せてきたのは予想してなかったな」

「最近って、具体的にはいつからだ」

「イツキくんとジョギングをし始めたころだから……十七日くらいからかな」

「放置しすぎだ」


 十七日というと、十日以上前のことだ。マイペースというか、のん気すぎる。


「……まあ、今は置いておこう。とにかく警察に通報するか」


 スマートフォンを取り出し、片手で電源を入れながらロックを解除した。しかし桜夜は、待って、と液晶画面を手で覆うようにしてそれを制する。

 その意図がわからず、思わず理由を問いかけようとした俺を彼女はもう一度制した。しー、と端末に重ねているほうとは反対の手で指を立てる。

 そのとき。

 ざり——と。

 足音が、静かな遊歩道に響いた。

 反射的にスマホの電源を落とす。なるほど、と今になって理解した。桜夜が画面を隠したのはそれが理由だったのだ。

 薄暗い雑木林。液晶の光はいい目印になるだろう。

 息を殺し、物音を立てないように振り向き、背にしている木の幹の陰から様子をうかがう。

 見据える先は、十メートル以上は離れている遊歩道。

 あの男が、その姿を現した。

 その手には——鉈が握られていた。先ほど桜夜が体勢を崩してくれなければ、恐らく街路樹ではなく俺の首に突き刺さっていただろう凶器だ。


「…………」

「…………」


 呼吸を潜める。隣にいる彼女も同じようにしていた。

 男はひとりだった。誰かと話しているような様子もないので、おそらく仲間はいないのだろう。

 きょろきょろと周囲を見渡しながら、男は徐々に近付いてくる。その様子だけ目にすると、まるで落とし物を探しているだけの普通の人に見えた。

 事実、俺はつい先ほどまであの男のことを普通の大学生だと思っていた。本人の言う通り、深夜のアルバイトを終えた帰りにたまたま通りがかっただけなのだろうと。いつか会った犬の散歩をしていた女性のように、こんな時間に出歩いている子供たちのことを気にかけたお節介な人なのだろう、と。

 しかし、それは違った。男は殺意のない佇まいで、敵意のない表情で、そして害意の感じられない物腰で——呼吸をするように凶器を振り上げたのだ。それこそが、男の異常さをより引き立てているのだろう。

 しかし同時に、その異質さに既視感のようなものも覚える。

 それはまるで——と、思考しかけたとき。

 男が動き出す。

 遊歩道を散歩するかのように、ふらりと緩い足取りで立ち去ろうとしていた。

 やり過ごすことができたのだろうか。そう考え、詰めていた息を吐き出そうとする。

 そのときだった。


「——みーつけた」


 男が、こちらに視線を向けた。まるで宝物を探し出した少年のように、あどけない微笑を顔に浮かべて。

 思わず声を上げそうになるが、ぎりぎりのところで耐え忍ぶ。

 何故だ。何故見つかった? 雑木林は薄暗く、雨のせいで視界は最悪だ。そのうえ男がいる遊歩道とは十メートル以上は確実に離れている。よほど視力がよくなければ、ここにいる俺たちを見つけることは不可能だろう。

 そこまで考えて、そうか、と思い至る。

 足跡だ。

 地面は雨水を吸ったせいでぬかるんでいる。先ほどついたばかりの足跡は、さぞかしわかりやすいことだろう。

 失念していた。思わず舌を打ちたくなる。


「童心に返ってかくれんぼかな? もーいいかーい」


 明るい声でこちらに呼びかけながら、男は雑木林に足を踏み込んだ。当然、俺も桜夜も答えない。すると彼は、あれれ、返事がないぞう、などとおどけながらもこちらに近付いてくる。その言動のすべてがひたすら不快で、恐ろしかった。

 肋骨の下で、心臓が激しく鼓動を打っていることが自分でもよくわかる。本音を言えば、今すぐ走り出して逃げたい気分だった。

 けれど。

 先ほど彼女が言っていた通りなら、あの男の目的は桜夜だ。彼が桜夜に何をするのかはわからない。理由も動機も、何もかもわからない。わからないからこそ怖くてたまらない。

 それでも、彼女のことだけは守りたい——守らなければならないと、俺はそう思うのだ。


「桜夜、どうか怒らないで聞いてほしいんだが」

「ここは任せて逃げろ、とか言わなかったらね」

「何故わかった」

「イツキくんこそ、そんなこと言えば私が怒るってわかってた癖に」


 そんな掛け合いに、思わず笑いそうになる。このような状況だというのに、いつものように軽口をたたこうとする桜夜に対して。

 ああ、わかるよ。彼女が怒っているところを見たことはないが、わかりやすく不機嫌になるだろうことは想像できる。桜夜は意外と頑固なところがあるから、自分が本当に嫌だと思ったことは絶対にしようとしないだろう。

 男はゆらゆらとした歩みで距離を縮めてきている。ぬかるみに足を取られているのか、進み具合は遅い。

 けれど時間は無限ではない。この融通の利かない少女を、どうにか説得しなければならないのだから。


「桜夜」

「なあに」

「俺の話を聞いてくれ」


 言いながら、俺は着ていたジャージを脱ぐ。黒いそれは雨水を吸ったせいでその色をさらに濃くしていた。

 ジャージを脱ぎながら、俺はできる限り論理的に、これからのことを桜夜に説明する。

 彼女は沈黙していた。こちらの目をじっと見つめて、真剣な顔つきで俺の話を黙って聞いている。


「——わかってくれたか?」

「……仕方ないなあ」


 桜夜はため息をつくように頷く。しかしその声色は渋々といったものではなく、むしろ逆に、明るいもののように思えた。


「じゃあ、そういうことで」


 そう言うと、彼女は手にしていたものをこちらに投げ渡してくる。俺はとっさにそれを掴みとった——そのとき。

 ぐちゃり。

 そんな足音が、静かな雑木林に嫌に響いた。

 背後から聞こえたその音に、反射的に肩が震えた。脳が激しくアラートを訴えているのがわかる。それを無理やり無視し、俺は振り向いた。

 男が。

 思っていた通り、そこにあの男がいた。

 人懐こい微笑みを浮かべ——大きく鉈を振りかぶり、そこに存在していた。

 その笑顔に嗜虐が滲んでいるように見えたのは、はたして、俺の錯覚なのだろうか。


「かくれんぼはお終いだ、よっ!」


 振りかぶっていたそれを、男は一気に振り下ろした。

 即座に、先ほど彼女から渡されたもの——長い棒のようなもので、その刃を受け止めた。がっ、という鈍い音が鉈と棒、男と俺の間に響く。

 それに驚いたのか、男は目を見開いた。一瞬の隙が生まれる。その不意をつき、俺は体当たりをするように彼の身体を突き飛ばした。

 男はぬかるんだ地面に倒れ込む——同時に、桜夜が走り出した。

 視界や足場の悪さを感じさせない俊足で、彼女はみるみるうちに遠ざかっていく。やがて、その姿は薄闇に消えて見えなくなった。

 ほっと息を吐き、俺は呼吸を整えるために深呼吸をした。

 囮作戦……とも呼べないような、安直な策だ。この男の注意を俺に引きつける。その間に桜夜は姿を消す。大体そんな感じの内容だ。

 ふたりで逃げることも考えたが、それは提案する前に自分で棄却した。たぶん、彼女も同じことを考えていたのだろう。

 たとえここで逃げることができたとしても、その場しのぎにしかならない。十日以上の尾行期間を経て、この男は俺たちの前に姿を現したのだ。今回はたまたまこの時間、この場所で姿を見せたが、次はいつどこに現れるか予測がつかない。

 通学路かもしれないし、学校や自宅の近くかもしれない。

 それは駄目だ。それだけは、駄目だ。

 周りの人たちを巻き込む可能性が、一パーセントでもあるのなら。

 この男は、今ここで止めなければならない。

 桜夜から受け取った棒を構えた。使え、という意図で渡したのだろう。ありがたいと思った。笑顔で鉈を振り回す狂人を相手に素手で臨む勇気なんて、俺にはない。

 ゆっくりと、男は立ち上がる。鉈を持っていない左手で服を染めた泥を軽く払いながら、彼は桜夜が姿を消した方向に視線を向けた。

 彼女はもうここにはいない。男はそう判断したのか、あーあ、と呟いてこちらに向き直る。


「逃げられちゃった。なんで僕と彼女の逢引を邪魔するかなあ」

「あ、逢引……?」


 男が軽く口にしたその単語は、この状況にはあまりにも不似合いで、俺は思わず反芻した。

 意味がわからない、以前の問題だ。まるで俺がこの男と桜夜の仲を邪魔しているみたいな言い方をしている。それは少し……いや、正直とても不愉快だった。


「……あいつは、あんたのことは知らないと言ってたが」

「うん。僕も彼女のことは知らないよ」


 あっさりと言われたその言葉に、俺はいよいよ混乱してくる。

 まるで、脳が理解を拒んでいるかのようだ。


「君は、この世界は自分を中心に回っているって思うかい?」

「…………」

「思わないよね。この青い地球は、地軸を中心に回っているんだ」


 当たり前のことを、当たり前のように、男は言う。


「この世界は退屈だし、僕の人生は平凡だ。ヒーローも、ヒロインも、ライバルも、ヴィランもいない。普通のことしか起こらないんだよ、この世界は」

「……当たり前だろ。映画を観てるわけでもあるまいし」

「そうだね、その通りだよ。だからこそ、通り魔のニュースを見たときは興奮したよ。こんなに待ち望んでいたことが僕の住んでいる町に起こるなんて! ってね——ああ、僕は巷で噂の通り魔じゃないよ」


 知っている、と口に出しかけた言葉を飲む。状況を客観視すれば、この男のことを通り魔だと思い込んでも不思議ではないだろう。それは彼も自覚しているところらしい。

 ……待て。

 この男は、今——


「他人の不幸は蜜の味——通り魔のおかげでニュースを見ることが毎日の楽しみになったよ。彼は最高のエンターテイナーだ! 僕は一瞬で彼のファンになったね!」


 感情が高ぶったのか、はつらつとした声で高らかに男はそう言った。

 猟奇的な事件、あるいはそれをテーマとしたコンテンツに影響を受け、現実でも罪を犯すという人間は多数派というわけではない。

 けれど、決してゼロというわけでもない。

 この男はその少数派側……古鷹の通り魔事件に触発されてしまった人間なのだ。

 桜夜の行いが、誰かに悪影響を及ぼしている。その事実に、共犯者として思うところはあるのだが——さておき、俺は彼の言葉にひとつの確信を覚えた。

 やはりそうか。

 この男は、桜夜を通り魔と知って接触してきたわけではないのだ。

 俯瞰的に見れば、鉈を振り上げ襲いかかってくる男のことを通り魔と勘違いするのも当然だ。だからこそ彼は、自分は通り魔ではないと宣言した。

 言っていることの内容はまったく理解できないが、少なくとも嘘をついているようには見えない。つまり、先ほどこの男は通り魔のことを『彼』と呼んだが、それは演技でもなんでもなく……単純に、通り魔の性別が女だということを知らないということだ。

 ようするに、この男から見れば——非常に苛立たしい事実ではあるが——俺はたまたま桜夜の隣にいるというだけの邪魔者でしかなく、通り魔を恐れている世間の人々と同じだと認識しているのだろう。

 通り魔事件の犯人は黒神桜夜だ。俺はそれを知っている。しかし、俺が知っているということをこの男は知らない。

 だからこそ、先ほどのような言葉が出た。

 けれど。

 そうすると、この男の行動の意図、その目的がますますわからなくなってくる。最高のエンターテイナー、とまで熱狂的に評価している通り魔に会いにきたわけではないのか……?


「でも、通り魔にはひとつだけマイナスがあった……六人もの人間を病院送りにしておきながら、彼は人を殺してはいない! 一度も! ひとりもだ!」

「…………」

「最後の犯行だって、もう二週間も前じゃないか! 焦らすのもいいけれど、さすがにもう待ちくたびれたよ——だから、彼の代わりに僕が悲劇を提供してあげたんだ」

「提供……?」


 悲劇の提供。その言葉に思わず首をかしげた。

 つまり、通り魔の代わりに人を殺してやろうと、俺たちに襲いかかったということだろうか。人通りの少ないこの時間帯、ほぼ毎日のようにジョギングをしている子供なんていい獲物だろう。その対象が通り魔とその共犯者というのは、皮肉な話だと思うが——

 そのとき。

 思考が、停止した。


「————え」


 停止した脳が再び起動し、そして急激に回転する。

 提供してあげた。この男は確かにそう言った。過去形。待て。ちょっと待ってくれ。そういうことなのか? そういうことだというのか? 考えたくない。想像するのも嫌だ。何も知らないなら、知らないままが一番いいに決まっている。

 それでも脳は、思考の結果を——たったひとつの解答を、容赦なく突きつけてくるのだ。

 つまり。


「伊東先生を殺したのは、お前だったのか……っ!」

「いとーせんせー? へえ。あの冴えないおじさん、先生だったんだ」


 そういえばニュースでそんなこと言っていたかなあ、と。

 男は肯定も否定もしない。しかし、そのあっさりとした口調は肯定するまでもなく、何よりもわかりやすく、自身の罪を認めていた。

 一歩、後ろに退く。無意識の行動だった。本能的な行動だった。

 怖い。

 頭を侵略してくるこの感情は恐怖だ。

 桜夜と公園で邂逅したときも怖いと思った。教室で脅迫されたときもそうだ。しかし、これに比べればそんな恐怖はどうとでもなかったのだ。

 この男はもはや恐怖などという段階ではない。それ以上の戦慄だ。


「生まれて初めて人を殺した。思いのほか楽しめるよ、人が死ぬ瞬間って。脊髄反射でね、陸に打ち上げられた魚のように身体が跳ねるんだ」

「…………っ!」

「想像したかい? 学校の先生が血の泡を吐きながら命乞いをする姿を。どう? 興奮した?」


 興奮するわけがない。そう叫んでやろうと思った。しかしそんな思いとは裏腹に、胃の底から込み上げてくるひどい吐き気に喉が動かず、声も出せない。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け。頼むから落ち着いてくれ。冷静になれ。動じるな。うろたえるな。取り乱すな。ムキになるな。こいつのペースに巻き込まれることだけは駄目だ。

 今優先すべきことは、それではないのだから。


「……その話と、あんたがあいつに付きまとうのは、なんの関係があるんだ」

「ん? ああ、そうだったそうだった」


 ようやく絞り出した俺の言葉に、男はやはり軽い口調で返した。


「僕は彼女をひと目見て思ったんだ——ああ、この子は僕と同じだって」

「……同じ、だと?」

「人を殺すことができるってことさ」


 男は断定するようにそう言った。


「虫も殺さないような目をしている彼女は、きっと虫をつぶすように人を殺すことができる」

「…………」

「物理的に人をつぶすって意味じゃない。まるで夏の虫をたたくかのごとく、殺意も殺気もなく人を殺すことができるって話さ」


 俺は言葉を返さない——返せなかった。

 否定することは、できなかった。

 殺意のない佇まい。敵意のない表情。害意のない物腰。

 呼吸をするように鉈を振り上げた彼と、教室で頸動脈に日本刀を当ててきた少女。

 似ていると、思ってしまったから。


「きっかけはそれだけ。そのときはまだ、ちょっと気になりかけている女の子ってだけだった。それが変わったのは、いとーせんせーを殺したときだ」


 間延びをした口調で、男は先生の名前を口にした。まるで彼のことを揶揄しているかのようで、また気持ち悪くなる。


「初めて人を殺した。楽しかったよ、とても興奮した。僕は憧れた彼に近付くことができたと思ったし、焦がれた彼女と同じだとあらためて考えさせられた。でもね——決して満たされることはなかったんだ」


 男は。

 そこで初めて、それまで浮かべていた人好きのしそうな微笑みを消した。

 それは、まるで夢に酔っているような、恍惚とした表情だった。


「人は命を失う刹那がもっとも美しい。全力で抗い、必死に逆らうその姿に魅せられた。だけど、僕が本当に求め欲しているものはそうだけどそうじゃなかったんだ。僕は——僕は、あのおじさんのようになりたかった」


 その顔をうっとりとした忘我の色に染め、どこか遠くを見つめるように男は言葉を続けた。


「憧れた人に殺されて、焦がれた人を僕が殺す。殺し、殺され、両想い。最高の死に方だと思わないかい?」

「思うわけがないだろ!」


 食い込み気味に、俺は怒鳴った。もう限界だった。

 雨はまだ止まない。冷たい雫は今も腕を濡らし続けていた。肌も服もとっくに冷え切っている。けれど、熱かった。身体の内側が、炎のように熱かった。

 ああ、胸の奥から湧き上がるこの感情は怒りだ。先生のことを愚弄し、桜夜のことを知った風に言うこの男に対して——俺は、生まれて初めて怒りという感情を覚えている。


「お前の嗜好にあいつを巻き込むな!」

「だって、初めての相手は女の子がいいじゃないか」


 す、と。

 それまで熱かったものが、急激に冷めていくのを感じる。

 鏡を見るまでもなく、自分の顔が蒼白になっているのがわかった。

 この男は——こいつは、いったい何なんだ。本当に俺と同じ国の言語を話しているのだろうか。


「彼に僕の初めてをあげるっていうのは解釈違いなんだよ。推しに会うときは準備万端の自分で行きたいじゃないか」

「準備って……」

「十人くらいは殺しておきたいかな。だから、あと八人」


 あと八人。

 ひとり目は伊東先生のことだろう。

 だから、ふたり目というのは——


「まあ、そういうことだから。がんばって抵抗して、ね!」


 男が鉈を振りかぶる。とっさに、俺も手にしている棒を握り直した。

 大きく半円を描くように腕を横に振り、そしてひと息で薙ぐように斬りつけてきた。その刃を再び防ぐと、衝撃で指が震える。木の繊維が破壊されたような感触が伝わってきた。ぱらりと木くずのようなものが落ちる。打ち込まれた箇所が少しえぐれたのかもしれない。一瞬、これを渡した桜夜のことを脳裏に思い浮かべたが、状況が状況なので止むを得ない。それを握る手に力を込め、鉈を弾き飛ばして男と間合いを取る。

 受けてばかりでは駄目だ。攻撃に出なければキリがない。幸い、得物のリーチはこちらのほうがある。相手は刃渡りが三十センチメートルの鉈、対して、こちらはおおよそ七十から八十センチといったところだろう。

 俺は駆け出した。守りに徹するだけと思っていたのか、男は少し戸惑ったように見える。慌てて鉈を構えようとするが、その一瞬の隙をつき、俺は凶刃を上へ弾き飛ばした。

 男は弾かれた勢いにつられ、右腕を上げる体勢となる。すると、彼は身体の正面を、隙だらけの姿勢をこちらに晒すこととなった。チャンスだ。俺は棒を握り直し、男を倒すために振りかぶった——そのときだった。

 唇をかすかに歪めたのが、視界に映る。

 男は笑いながら、鉈のグリップを俺の顔面に殴りつけた。


「ぐっ……!」


 鼻骨に走る、激しい痛み。俺はぬかるんだ地面に後ろ向きに倒れた。冷たい泥が髪や服を汚すが、それを気にするような間もなく、反射的に片手で受身を取る。

 しかし、その行動が誤っていた。

 片腕は受身を取るために使い、反対の手は棒を握っていた。しかしそれを構え直す暇もなく、男に腕を蹴り上げられる。足蹴にされたそれは空中を飛び、そしてすぐに重い音を立てて地面に落ちた。

 それを拾うこともできず、上から押さえつけるように男に押し倒された。そして鉈を持っていないほうの手で強く首を絞め上げられる。

 気管が圧迫され、呼吸が苦しくなっていく。声を出すこともできない。肺は死にもの狂いで酸素を求めていたが、空気は一切入ってこない。舌の根のあたりで塩辛く、そして苦いものを感じた。先ほど殴られたときに出血したのだろう。血が喉を伝い食道に流れ込もうとしている。それがより窒息を意識させてきて、抵抗しようと爪を立てる手を震わせた。

 徐々に薄れていく意識の中、目の前の男が笑ったのが見えた。

 それはまるで。

 虫をつぶして遊ぶ子供のように、どこまでも凄惨で、無邪気な笑顔だった。


「ばいばい、王子様。お姫様を守ろうとする君は、素敵に輝いていたよ」


 男が鉈を高く掲げた。その刃が白く光ったのが視界に入る。いつの間にか、雨は既に止んでいたようだ。雲が晴れ、光は木の葉の隙間から筋を落とす。


「そういえばその棒切れ、その辺の枝にしては妙に頑丈だったけど……」


 そう呟くと男は俺から視線を外し、そちらのほうへと目を向けた。

 お互い、目はとっくに暗順応を済ませている。そのうえ夜が明けかけているこの時間帯、この薄暗い雑木林も徐々に明るくなってきていた。『それ』を認識することは、それほど難しいことではないだろう。

 眼球で視認し、その情報を脳が処理する。しかしその情報を飲み込むことができないのが、男は目を丸くして、それを凝視するように見つめていた。


「日本刀の——鞘?」


 それに気を取られ、どこか呆けたように男がそう呟いた——その瞬間。


「ぐ……あっ!?」


 彼はうめき声を上げ、横へ勢いよく飛ぶ——いや、飛ばされた。

 がら空きになっていた脇腹を思い切り蹴り上げられ、倒れ込むようにごろごろと転がったのだ。

 絞められていた首が自由になり、それと同時に、空気と血液が流れ込んできて激しく咳き込んでしまう。そんな俺の様子を、男に蹴りを喰らわせたその人物はこてんと首をかしげながら見つめていた。


「生きてる? 血、出てるよ」

「……生きてるよ」


 そう答えながら口元の血を拭えば、手のひらが赤く染まる。

 それに対して少女は——黒神桜夜は、それはよかった、と頷いたのだった。

 彼女の髪やウェアはしっとりと濡れており、頬や肌に貼りついている。羽織っている俺のジャージには雫が滴り、スニーカーや手のひら、大切だと言っていたマフラーの端も泥にまみれていた。

 しかし。

 それでも——その手にしている抜き身の白刃は木漏れ日の光を受け、美しくきらめいていた。


「か、たな……真剣……?」


 戸惑ったような呟きに、桜夜はそちらへと視線を向けた。

 男は放心したように口を半分ほど開け、ただ彼女のことを見つめていた。しばらくそのまま動かなかったが、徐々に状況を理解したのだろう。

 やがて、


「そうか。そうかそうか——君だったんだ」


 男は木の幹で身体を支えながら、ゆっくりと立ち上がる。

 そして。


「——あはは。ふふ、ははは」


 本当に楽しそうな、歌うような笑い声を、静かな雑木林に響かせた。

 それから慎重に、鉈を構え直す。


「人は、死ぬ瞬間が一番綺麗なんだ。だから、どうか——退屈な僕の世界を、君が輝かせてくれ!」


 笑いながら、男は鉈を大きく振りかぶって桜夜へと飛び掛かる。その言葉を黙殺し、彼女はただ静かに腰を落とし、まるで鞘に収めているかのように刀を右の腰に構えた。

 そして。

 ひゅん、と。風を切るような音が、鼓膜を震わせた。

 男は少し驚いたような表情を浮かべた。たぶん、俺も似たような顔をしているのだろう。

 まったく無駄のない一閃。

 それが、男の服を裂いた。

 まるで芸術のように刀を振るった桜夜に、俺は思わず、状況を忘れて見とれてしまった。

 我に返ったのは男のほうが先だった。鉈を高く掲げ、彼は桜夜の脳天を砕くために振り下ろす。そんな一撃を喰らってしまえば、彼女の小さい頭蓋骨は簡単に砕かれることだろう。

 しかし桜夜は、一歩後ろに飛びのくことでそれを避ける。そして男が勢いあまって空振りをした隙をつき、彼女はアキレス腱のあたりを思い切り蹴る。

 年齢の差。性別の差。そのうえ、ふたりには体格の差や体重の差もある。しかし桜夜が仕掛けた足払いは見事に成功した。男はやすやすと転び、受身も取れずに背中から地面にたたきつけられる。

 そして彼女は膝を立てるように男の上に乗ると、刀の刃を彼の喉仏に突きつけた。少しでも柄を握る力を緩めれば、その刃は即座に男の首を貫くだろう姿勢で——桜夜は、ぴたりと静止する。

 あっという間だった。

 完全に、俺のことは置き去られていた。

 男は自分の上に乗っている少女のことを見つめ、そして口を開く。


「……君は、僕の輝きを、忘れないでくれるかい?」

「え、やだよ」


 あっさりとした、普段通りの声で桜夜は拒絶する。無関係な俺のほうが肩透かしを食らってしまうほどに、淡白なひと言だった。


「お願いがあるの」

「……へ?」

「一生のお願い」


 一生のお願い。

 同じ台詞を、放課後の教室でも聞いたことがあった。

 それは、彼女にとって脅迫と同じ意味だということを……俺は知っている。

 男は思考が止まっているのか、ぽかんとした表情を浮かべていた。それを完膚なきまでに無視し、桜夜は言葉を続ける。


「まだまだやりたいことがあるの、私」

「…………」

「だから、あなたが古鷹の通り魔になって」


 そのとき。

 遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。

 それはきっと、赤い光の音。モノクロの車がこちらへと近付いてくる音だった。


「私の罪を被れって言ってるんだ」


 彼女の表情は変わらない。声色も普段と同じだ。しかしほんの少しだけ、その声を低めていたように感じる。

 男はしばしの間動かなかった。まるで時間が止まったかのようにフリーズしている。

 短いようで、しかし永遠のように長く思える静寂と沈黙が、この雑木林を満たしていた。

 やがて。


「あははは、あは、あはははは、は、はははははははは!」


 狂ったように、男は笑い出した。いや、そもそもこの殺人鬼は最初から壊れているのだから、笑うように狂っていたと表現したほうがいいのかもしれない。

 やおらに、桜夜は立ち上がる。そしてそのまま男から離れ、こちらに近付いてきた。

 しかし、男は動かない。ただただ、楽しそうに笑い続けているだけだった。

 彼女は刀を一度振るとくるりと回転させ、やはり右腰の横に添えた。こちらに手を伸ばしてきたので、俺は手にしていた鞘を渡す。それを受け取ると、自然な動作で刀を収めた。

 ねえ、と。男が声を上げた。


「ひとつだけ、質問をしてもいいかい?」

「なあに」

「どうして殺さないんだい?」


 それは何故自分を殺さないのかという意味なのか、それとも六人の被害者たちを殺害しなかった理由を尋ねているのか、俺にはわかりかねた。

 桜夜には、わかったのだろうか。無表情で男のことを見つめている彼女の思考も、俺には読めない。

 男の問いかけに桜夜は一旦間を置き、少し考えるような仕草を見せ、やがて、


「未成年のうちに人を殺したら、罪が軽くなるじゃん」

「…………」

「それって、なんとなく損だと思わない?」


 と。

 そう答えたのだった。

 その回答に対し、そうかい、と男は呟く。どこか満足そうに笑っているように見えた。

 彼女はそんな男を黙殺し、そのまま雑木林を立ち去ろうとしていた。俺は少し迷ったが、パトカーのサイレンが徐々に大きくなってきていたので、その背中に続くことにする。

 遊歩道を歩いている間、お互いにひと言も喋らなかった。俺は男を警戒して何度か後ろを振り向いたが、桜夜は一度も振り返らず足を進めていく。

 遊歩道の出口を越えた瞬間、唐突に、彼女はその場にへたりと座り込んだ。不意のことで反応が遅れてしまったが、俺も同じように屈む姿勢になる。


「桜夜? 大丈夫か。どこか痛めたのか」

「……ごめんね、大丈夫。ちょっと、腰が抜けちゃっただけだから」


 桜夜は歩道のアスファルトに腰を下ろし、うつむくように背中を丸めている。


「……あのね」

「ん?」

「あのお兄さんの言うことは、正しいよ」

「……何が」

「私は、人を殺せる人間だって」


 私とあの人は同じだって、と。目を伏せたまま、静かな声で彼女はそう言った。あのときの、俺と彼の会話を聞いていたのだろう。

 そっと、桜夜は竹刀袋を撫でた。黒い皮でできているそのケースの中には、先ほどまで殺人鬼を脅迫するために使われていた——そして六人もの人間を病院送りにした、日本刀が入っている。

 その仕草を目にして、無意識に、俺はぐっと奥歯を噛み締めた。


「……あの男が言うようなこと、桜夜にできるわけがない」

「できるよ、私は。ハクを守るためなら、なんだって」


 彼女は静かな声のまま、しかしはっきりとした口調で、断言するように言い切る。


「何もできなくても、何も知らなくても——きっと、やってみせるよ」


 とん、と。俺の胸のあたりに、桜夜は自分の額を押しつけた。そのとき初めて、彼女の身体が小刻みに震えていることに気付く。

 かたかたと、細い肩をかすかに揺らして。

 まるで、何かを怖がっているかのように。


「気にしないで。寒いだけだから」

「…………」

「ほんとに寒いだけだから。あと……ちょっとだけ疲れた」

「……そうか」


 桜夜がそう言うのなら、そうなのだろう。だから俺は肯定もしない、否定もしない。

 ただ黙って、彼女のことを信じることにした。

 少しの躊躇はあったが、俺は桜夜の背中に手を回す。雨に濡れた身体はひどく冷たくなっていた。寒さに凍える彼女の肩を、より近くに引き寄せる。それでこちらの体温や熱が、桜夜に移ってくれればいいと考えて。

 ジャージはしばらく貸してやろう。

 彼女を抱き締めながら、そんなことを思った。



* * * * *



「次の角を曲がって」

「ああ」


 背中に負ぶった桜夜に言われるまま、曲がり角を折れた。

 細い身体つきをしている彼女は、その見た目通りに軽い。しかし衣服は雨水を吸っているし、そのうえ桜夜が肩にかけている日本刀の質量もすべて俺が背負っているので、総合的には重いと感じなくもなかった。

 あのとき。

 結局、名前を知ることもなかったあの男が襲いかかってきたとき——彼女は、逃げ出したわけではなかった。

 俺が注意を引きつけている間に、桜夜が警察を呼ぶ。

 たったそれだけの、囮作戦とも呼べないような、安直な策。

 本当なら俺たちも警察に事情を説明しなくてはならないのだろうが、通報したのはよりにもよって巷を騒がせている通り魔だ。仮にそれをごまかすことができたとしても、彼女の竹刀袋の中を調べられたらそれだけでアウトだ。銃刀法違反で捕まる。

 だからこうして、腰を抜かしてしまった桜夜を背負い、俺たちは逃げるように家路についているのだった。


「しかし、大丈夫なのか? 警察なら電話番号の特定もできるだろうし、非通知も意味がないと聞くが」

「携帯じゃなくて電話ボックス使ったから。それに一一〇番じゃなくて近所の交番に通報したし、たぶん、大丈夫だと思う」


 なるほど、相変わらず抜け目がない。

 感心しながら、俺は先ほどまでのことを思い出していた。

 あなたが古鷹の通り魔になって。そう言った彼女の『お願い』を、あの男は拒まなかった。

 拒絶しなかったということは、つまり、受け入れたということだ。

 桜夜が自分の罪を着せようとしたことも、あの殺人鬼がそれを甘受したことも。そのすべてが、俺には予想外だった。

 とはいえ、結果的にはこれで伊東先生を殺害した犯人が逮捕されたということになるのだろう。それは、きっと悪いことではないはずだ。

 もっとも……予想していなかったのは、あの殺人鬼との乱闘での桜夜の立ち回りだ。

 鉈は刃が厚く、破壊力に優れている——しかし包丁や短刀のように、突くや刺すといった攻撃はできない。必ず振り上げるという動作が先行する。それはつまり、相手の攻撃を予測することが可能ということだ。

 言葉にすると簡単だが、それを実際に行うことは難しい。しかし実際に、彼女は最小限の動きだけで男の刃を避け、あっという間に武器を奪ってマウントポジションを取った。

 居合い抜きのような構え、そこから繰り出された無駄のない斬撃、流れるように刀を振る動作。

 まるで、日本刀の扱いに慣れているかのようだった。


「桜夜」

「なあに」

「剣道の経験はないって、言ってなかったか」

「ないよ? 剣術は習ってたけど」

「そうか、剣術は習ってたのか」


 …………。

 ん?


「……つまり、経験者ということか?」

「剣術はね」

「何がどう違うんだ……」

「簡単にいえば、剣術をスポーツ化したものが剣道だ……って段平(ダンペイ)さんは言ってたかな」

「段平さん?」

「ツルギさんたちのお祖父ちゃんだよ。うちの家族で一番偉い人」


 そんな桜夜の答えに、ああ、という声を思わず漏らした。

 黒神段平。

 その名前は、親戚の大人たちから何度か聞いたことがある。彼女の言う通り、黒神家でもっとも権力のある人物——簡単に言えば、家長にあたる人だ。


「スポーツしたものが剣道、か。なるほど……となると、その元となった剣術は、どう定義されるんだ?」

「技術だよ。人殺しの技術」


 なんとはなしに桜夜が口にしたその言葉に、思わず黙る。突然静かになったこちらに気がついたのか、あ、いや、と少し慌てたような声で彼女は言葉を続けた。


「ほんとに人の殺し方を習ったわけじゃないよ。ちょっと実戦的な護身術って感じっていうか……やってることは実質居合道みたいなものだったしね。道場の先生がダンペイさんの友達だったから、その縁で中学のとき教えてもらってたの」

「ああ、なるほど」

「けんかで使ったら怒られるんだけどね」

「駄目じゃないか」


 もう辞めちゃったから時効だよー、と桜夜はどこか間延びしたような口調で言った。不意に、背中が少し重くなる。身体から力を抜いたのだろう。

 ようやく、緊張をほどくことができたのだろう。

 彼女を背負い直し、ナビゲートされる通りに道を行く。目的地は桜夜の家だ。

 正直なところ、遠縁とはいえ火宮の人間である俺としては黒神邸にはあまり近付きたくないのだが、この場合は仕方がないだろう。

 三十分ほどの距離を歩くと、いかにも歴史がありそうな、古くて重厚な雰囲気の日本家屋が見えてくる。親戚たちから聞いていた、豪壮な武家屋敷のような家、というイメージそのままの見事な建築だった。

 屋敷の造りを眺めながら、彼女を背負ったまま正門へと向かう。

 そのとき。


「え」


 桜夜が短い声を上げた。

 こちらから彼女の表情は見えないが、きっとその視線を向けている先は俺と同じなのだということは予測できた。

 門扉の前に、黒い車が停められていた。俺でも知っている高級ブランドの初代モデル。そしてその車の隣に、ひとりの女性が立っていた。

 年齢は三十代……ひょっとしたら二十代の後半くらいかもしれない。背の高い人だった。ハイヒールを履いているようだったが、それを脱いでも百七十センチは越えているように見える。シンプルなデザインのブラウスとパンツ、いわゆるオフィスカジュアルと呼ばれる服装。それは男性的な雰囲気を纏っていたが、背の高いその人にはよく似合っているように思えた。

 彼女は火のついた煙草を口にくわえ、濡羽のような黒髪をひとつにまとめて結んでいた。それを終えると、そこでようやくこちらの存在に気付いたのか、流すような視線を俺たちに向ける。

 切れ長の三白眼。その目つきの悪さに、俺はとある人物のことを思い浮かべた。


「サ……紗織(サオリ)、さん」


 小さな声で、桜夜はそう呟いた。

 紗織さん。彼女の知人ということは黒神家の人間——まあ十中八九、黒神先生の姉だろう。ここまでうりふたつの顔立ちをしているのだから。

 黒神先生の姉ということは……血縁関係はないものの、双子の姉にあたる人でもあるのか。


「…………」

「…………」

「…………」


 沈黙が交差する。門扉の前で、三人が見つめ合っていた。

 ふと、かすかな揺れを感じた。背中にいる彼女が震えている。そういえば、先ほどの声もどこか震えていたようだった。まだ寒いのだろうか。

 紗織と呼ばれた女性はそんな桜夜のことをじっと見つめ、煙を深く吸い、そしてため息をつくように紫煙を空に吐いた。


「桜夜」

「あっはい」

「怪我しちょるんか」

「無傷です」

「降りろ」

「はい」


 そこからの行動は早かった。彼女は俺の首に回していた腕をほどき、抱えられていた脚を器用に抜いて歩道のアスファルトに足を着ける。まだ腰に力が戻らないのか、少しふらふらとしていた。


「挨拶」

「おかえりなさい、サオリさん」

「違う。家に帰ったらなんて言うんか」

「ただいまかえりました」

「うん、おかえり。ちゃんと手洗いや。ていうかもう風呂入り」


 訛り交じりで穏やかにかけられたその言葉に、へ、と桜夜は間の抜けた声を漏らした。しばらくそのまま呆けていたようだが、やがて、彼女はほんの少しだけまぶたを伏せる。


「サオリさん」

「なんや」

「ハクには言わないで」


 それは、力のない声だった。

 言わないで、というのはどれのことなのだろう。早朝に外出していることか、俺と一緒にいることか。どちらとも問い詰められたら確かに答えには困るが、何もそれは白夜に限定した話ではないはずだ。

 それとも。

 双子の兄にだけは、決して知られたくないということなのだろうか。


「秘密にしてるの、ハクには。お願い」

「わかったけんはよ風呂入り。風邪引くやろ」


 紗織さんの優しい声に桜夜は言葉を失ったようだが、ほどなくしてためらいがちに頷いた。


「イツキくん、ジャージありがと。えっと……」

「ああ、そのまま返してくれて大丈夫だ」


 洗濯するとしても、家族や白夜への言い訳が難しいだろう。彼女も同じことを考えていたのか、わかった、と首肯するとジャージを脱いでこちらに手渡した。

 桜夜は姉に一礼すると、門をくぐる。そして門の向こう側からこちらに手を振ると、何故かそのまま玄関には入らず、どこかへと去っていった。

 少し気にはなったものの、黒神家の敷地内に入ることはできない。俺も家に帰ろうと踵を返したとき、


「小僧」


 と、呼び止められる。

 先ほどまで妹に向けていたものとは違う、圧のある声だった。

 ゆっくりとそちらを振り向くと、彼女は吸っていた煙草を指に挟み、どうしてか車の助手席側の扉を開けている。


「入れ」

「え」

「入って待っちょき。逃げたらくらすけんね」

「くらす……?」

「殴り殺す」


 ぐしゃり、と。

 紗織さんまだ火のついている煙草を握りつぶす。どうやら拒否権はないようだった。

 言われるがまま助手席に座る。泥だらけの格好で高級車に乗ることに抵抗はあったが、もしも逆らえば『くらされる』かもしれないので従わざるをえなかった。

 彼女は一度家に帰り——桜夜とは違い、普通に玄関から入った——しばらくして、ひとつの箱を持って車に戻ってくる。運転席に座ってシートベルトを締めると、ぽい、とそれをこちらの膝に投げてきた。


「やる」

「え」

「シートベルト締めな」

「……え、え?」


 戸惑う俺のことを徹底的に無視し、紗織さんはエンジンをかけてアクセルを踏み込んだ。

 いったい、これはどういう状況なのだろうか。頭は混乱していたが、それでも言われた通りにベルトを締めた。

 急な展開を徐々に飲み込んで冷静になってきたころ、俺は渡された箱を確認する。ひよこの形をした饅頭。隣の県で有名なお菓子だった。


「お前、名前は」

「……紅野、樹月です」

「家は。送っちゃる」

「え……あ、いえ、大丈夫です。ひとりで帰れるので」

「あァ?」

「葛城です」


 まるで心臓を直に掴まれているような気分だった。へたに歯向かえば先ほどの煙草のような目に合うかもしれない。

 俺が握りつぶされた煙草のことを思い浮かべていたとき、彼女はちょうど片手で器用にそれを取り出しているところだった。流れるように口にくわえ、ジッポーで火をつけようとする。すると、おっと、と呟いた。


「お前、煙草はいけんか?」

「煙は大丈夫です。お構いなく」

「吸うか吸わんか聞いちょんのや」

「未成年なので……」


 吸うか吸わないか以前に、喫煙は法律で禁止されている。俺がそう言うと紗織さんは、あー、という声を漏らし、まだ火のついていない煙草をへし折って灰皿に捨てた。

 彼女は運転を続けている。自宅に送ってもらえるというのはかなりありがたい話ではあったが、しかし正直なところ、これから連れていかれるのは地獄なのではないかという錯覚を起こしそうになるくらいには、桜夜たちの姉は怖い。先ほどの男とは別のベクトルの恐怖だ。


「私な」


 そう口を開いた紗織さんの声に、思わず肩が震えてしまった。


「先月から隣の県に出張やったんよ。んで、色々荷物取りに徹夜で高速かっ飛ばしてついさっき帰ってきたとこなんや。みんな起こさんよう静かにな」

「それは……お疲れさまです」

「そしたら大事なひとり娘がびしょ濡れで、泥まみれで、そのうえ知らん男にしょわれて帰ってきたやん。それ見た私の気持ちがわかるか」

「え、娘?」

「文句あるん?」

「い、いえ……」


 姉ではなく母だったらしい。そういえばいつだったか、自分たちは四人兄弟で、次男は大学生だと白夜が言っていた。そもそも姉なんていないのだ。

 黒神母の若さに俺は驚くが、彼女が桜夜の母親だとすれば驚いている場合ではない。

 大事なひとり娘。紗織さんは確かにそう言ったのだ。

 自分とは血の繋がっていない、少女のことを。


「——すみませんでした」

「なんか悪いことでもしちょったんか」

「それは……」


 悪いことをしていたわけではない。しかし、そのまま答えるとなると嘘になる。正確には『今日はまだ』という言葉の後に続けなければいけないのだから。

 黒神桜夜は通り魔だ。六人もの人間を病院送りにした人斬り。

 そんなこと、彼女の母親に言えるわけがない。

 黙って下を向く俺に対し、まあ、と紗織さんは口を開いた。


「警察の世話にならん程度のヤンチャなら、別にいい」

「はあ」

「いや、別に少しくらいは世話んなってもいいけど」

「はあ……はい?」


 思わず顔を上げた。それはいいのだろうか。いや、たとえ少しでも駄目だろう。


「紅野っちゅうことは火宮の一族か」

「えっと、遠縁ですが……一応はそうです」

「本家の親父どもからうちらの悪口聞いちょるやろ」

「……すみません」


 肯定も否定もできず、俺には謝ることしかできない。

 火宮家と黒神家。この両家は、戦後から犬猿の仲とされている。

 元来の文化や伝統、風習を重視している火宮家と、常に変革を求め戦後目まぐるしい発展を遂げた黒神家。この両家の仲は非常に険悪であり、古鷹町を中心に小競り合いを繰り返していた。

 しかし、実際のところは火宮が一方的に嫌悪しているだけの関係らしい。それすらも気に食わないのか、親戚の大人たちは会合があるたびに黒神の悪評を流布するのだ。


「子供が謝らんでいいんよ」

「しかし……」

「やつらが言いよんことも正しいけんね」


 言いながら、彼女はシニカルな笑みを浮かべた。


「うちらの親戚にチンピラが多いのは事実やけん、野蛮ち言われても否定できんわ」

「そうなんですか……」

「エンコ詰めたやつもおるし」

「えんこ?」


 耳になじみのないその単語に思わず首をかしげたが、そんな俺のことを流すように紗織さんは言葉を続ける。


「そげなわけやけん、少しくらいお天道様に顔向けできんことしてもいいんよ」

「よくはないと思いますが……」

「まあ、迷惑かくるんは警察とうちだけにしちょき。たとえお前らが何しゆうとも、うちらだけはお前らの味方やけんね」


 それは。

 例えば、自分の娘が通り魔だったとしても。

 彼女は同じように味方だと言ってくれるのだろうか。

 信号が赤に変わり、車がゆっくりと停車した。とんとん、と紗織さんは指でハンドルをたたく。


「なあ、あのふたりって学校ではどげな感じなんや?」

「え?」

「親としては子供の学校のことも聞いてみたいけんね」

「…………」


 その言葉はごく自然なものだったけれど、あまりにも自然過ぎて、かえって俺は不思議な気持ちになってしまう。

 血の繋がっていない子供に対して、この人は、当たり前のように自分を親だと言った。

 それは、正直、平凡な家庭環境で育った俺にはよくわからない感覚なのだが——それでも、あの双子のことを当然のように家族と呼ぶ彼女に応えたいと、そう思った。


「白夜は……いい人だと思いますよ。クラスの委員長として、みんなをよくまとめてくれてます」

「あ? なんや、また委員長しよるんか」

「また?」

「中学時代もようナントカ委員長やらナンタラリーダーやらしちょったわ、あの子は。三年のときは風紀委員長やったかな」


 それっぽいですね、と思わず笑えば、昔から世話好きな子やったわ、と紗織さんは言った。


「まあ、あの子にはリーダーの資質なんてないち思うけどな」

「え、そうですか? そうは思えませんが……」

「ただ面倒見がいいこととリーダーシップがあることは違うっちゃよ。あの子はどっちかといえばサポーター体質やけん、二番手くらいのポジションからリーダーを支えるほうが向いちょんのや」


 彼女の口から語られる白夜の話は、俺には少し意外なものだった。傍から見れば、彼には十分リーダーシップがあるように思えるのに。

 それは家族にしか知らない——家族だからこそ知っている、彼の一面なのだろう。


「支えるリーダーが強烈なカリスマを持っちょれば持っちょるほどあの子の特性は発揮されるわけやけど……まあ、そのうちわかるやろ」


 で、と彼女は言葉を続ける。


「桜夜は? どげな感じ?」

「白夜と比べると、その……俺が言えることじゃないんですが、あまり友達がいないみたいです。というより、基本的に白夜以外とはほとんど喋らないようで」

「ふうん……、授業は?」

「居眠りして先生によく叱られてます」

「まったく……」


 紗織さんは呆れたように深くため息をつく。そして不意に口元を引き締めたかと思うと、何かを考え込むかのように真剣な表情を浮かべた。


「……? あの、どうかしましたか」

「ん……ああ、いや。すまんな」


 そう返事をして、彼女は顔を上げる。しかしどこか神妙そうな面持ちは変わらず、眉間には皺が寄せられたままだった。

 ややあって、紗織さんはためらいがちに口を開く。


「あー……あの子らが養子ってこと、小僧は知っちょるんかな」

「あ、はい。雪村先輩に教えてもらいました」


 黒神家の世話になっていると先輩自身が言っていたのだから、紗織さんも彼女のことは知っているはずだ。そう判断して雪村先輩の名前を出せば、なるほどな、と彼女は予想通りすぐに理解してくれた。


「白夜はいい子やよ。真面目やし、ルールは守るし、家のこともしてくれる」

「はい、知ってます」

「うん。それで桜夜のほうやけど——正直、これがようわからん」


 紗織さんの声色は先ほどまでとあまり変わらない、淡々としたものだ。しかし、その顔には複雑なものを浮かべている。


「寂しがりな癖に友達を作ろうともせん。白夜だけに懐いちょんのかと思いきや黒神の悪口を言ったやつにキレる。じゃあうちらのことを家族と認めちょんのかって言われれば……絶対に『お母さん』とは呼んでくれんし」


 その言葉に、ふと気付く。言われてみれば、先ほど桜夜は彼女のことをサオリさんと呼んでいた。彼女だけじゃない、兄である黒神先生のことも名前で呼んでいたし、家長の黒神段平に対してもそうだった。そしておそらく、それはほかの家族に対しても変わらないのだろう。

 母さんや兄さんといった人称を彼女は使わない。かつての両親のことでさえ同じように名前で呼んでいた。それはつまり、桜夜は、彼ら彼女らのことを父とも母とも思っていないということなのだろうか……?

 ……いや。

 それは違う、と俺は思う。

 ——私の家族の悪口を言われるのは、めちゃくちゃ腹立たしいかな。

 そうだ。あのとき、彼女は確かにそう言っていた。あの憤りが嘘だったとは俺には思えない。

 認めていない、わけではないはずだ。


「まあ、桜夜に関しては何も問題ないってお義父さんが言うけんそげえ心配はしちょらんっちゃけど——それに、母親と呼んでくれても心を開いてくれん子もおることやしな」

「……それは、もしかして白夜のことですか」


 そう問うと、紗織さんは黙り込む。その沈黙が、俺の問いを肯定していることを物語っていた。

 崩壊してしまったかつての家族と、血の繋がりがない今の家族。

 心を開けていない兄と、頑なに親と呼ばない妹。

 そして——復讐。

 もしかすれば、そのあたりが通り魔事件の鍵になるのか……?


「…………」


 やがて、信号が青へと変わる。停車していたのは時間にして一分前後だったはずなのだが、体感ではそれよりずっと長く感じられた。

 アクセルを踏み込みながら、紗織さんはまるで独り言を呟くように口を開いた。


「たとえ自分たちを置いて自殺したやつらやとしても、あの子らにとって親と呼べるんは前の両親だけなんかもしれんなあ」

「……え?」


 今。

 この人は、なんと言った……?


「自殺、って……」

「ん。それは知らんかったんか」


 震えていた。

 それは車の振動なのか、俺の声なのか——あるいは心臓なのか。自分ではわからなかった。

 対照的に、彼女は冷静だった。

 落ち着いた態度で、淡々と。

 その悲劇を、口にする。


「心中や、一家心中……いや、夫婦心中か? 旦那が嫁の首絞め殺してな、その後を追うように毒飲んで自殺したんや」



* * * * *



「そういえば、聞きましたかおふたりとも」


 弁当の卵焼きを箸で分けながら、藤咲はそう話題を切り出した。


「連続通り魔事件の犯人、逮捕されたみたいですね」

「おー」


 俺の正面に座っている白夜は、そんな風に、驚愕なのか興奮なのかよくわからないリアクションを返していた。

 昼休みの教室。

 今朝降っていた雨は一旦止んだようだったが、数時間後にまた降り始めた。雨のせいで町の気温は下がっているが、しかし、その空気はどこか騒然としているように感じた。

 無差別連続通り魔事件の犯人を逮捕。

 彼女が切り出したその話題に、俺は今朝のニュース番組のことを思い出した。

 犯人の名前は春野木葉(はるのこのは)。まるで普通の大学生のようだと思っていたが、どうやら本当に地元の国立に通う大学生だったらしい。番組では同じ大学に通う学生たちへのインタビューも放送され、春野を知る学生たちは、そんなことをする人には見えなかったとか、どうして彼がそんなことをとか、誰もが戸惑うようにそう答えていた。

 最初は、スリルを求めていた。徐々にその行為そのものが快楽になってきた。誰かを傷つけることが気持ちよくて、そうすると欲望は一時的に満たされたけれどだんだんともの足りなくなってきて——だから、七人目のことは殺した。

 警察の取り調べに対し、春野はそう語ったらしい。その供述が報道されると、彼は現代によみがえった切り裂きジャックだとか呼ばれ、インターネットを中心に少し話題になっていた。

 しかし。

 一連の事件の真実を知っているのは、この世界で俺と桜夜——そして、春野木葉の三人だけだ。

 春野は、本当に彼女の『お願い』を叶えてしまったらしい。彼自身にはなんのメリットもないというのに。

 まるで信仰のようだと思った。あるいは狂信と表現したほうが正しいのかもしれない。『ファン』という言葉の由来は熱狂的を意味する英語だが、そもそも『fanatic』という単語は『狂信者』を意味している。それを考えると、通り魔に狂わされた春野にとって、それ以上に似つかわしい言葉はないだろう。

 その信仰の対象——黒神桜夜は、今日は学校を欠席している。兄の白夜曰く、ひどい風邪を引いてしまったから、だそうだ。その原因を知っている立場からすると、桜夜とその家族に対して後ろめたいものを感じてしまう。


「でもまあ、あれだな……それで天国の伊東先生が報われたのは、いいことだよな」

「ですね」


 彼の言葉に藤咲が頷いたが、俺には肯定することができなかった。

 犯人が逮捕されようと裁かれようと、それで先生が報われようと報われまいと——亡くなった人は、二度と帰ってはこないのだから。


「そういえば、前から気になってたんですけど」


 不意に、横にいる彼女が話題を変えた。今日は桜夜がいないので、藤咲は俺たちに対して垂直に机をつけている。


「本人いないから聞いちゃいますけど、桜夜さんのあのマフラーって、何なんです?」


 彼女の言葉に、昼食を食べていた手を思わず止めた。

 クラスメイトからしてみれば、あんな季節外れのマフラーを巻いている桜夜のことは不思議で仕方がないだろう。本人に直接質問するのははばかられるから兄に訊く、という思考はわからなくもない。

 白夜は弁当を食べる箸を止め、あー、という声を漏らした。


「なんか、寒いらしい」

「寒い? もう四月末ですよ?」

「そうだよなあ。いや、昔から寒がりではあったんだけどさ。最近、特に寒いみたいなんだ」


 なんでだろうな、と呟いて彼は食事を再開した。問いかけた藤咲も、どうしてでしょうね、と返す。

 俺はそのやり取りを眺めながら、桜夜のことを考えていた。

 どうやら白夜はあのマフラーに関して、妹は寒がりだからという理由で納得しているらしい。しかしどうして寒いのか、その本当の理由についてはどうも知らないようだ。

 寂しかった、と桜夜は言っていた。誰かに隣にいてほしくて、けれど誰もいなくて……今も大切な人のことを避けてしまっているから、寂しくて寒いのだと。

 あのマフラーは雪村先輩からもらったものだ。しかし、彼女が避けているのはあの人だけではないだろう。通り魔であることを隠すために、実の兄や黒神家の人たちとも一線を引いている可能性だってある。

 復讐を遂げる、その日まで。

 桜夜は寂しさに凍え続けるのだろうか。


「あ、じゃあもうひとつ」

「ん?」

「いつも持ち歩いてるあの楽器ケースみたいなのも気になってたんです。桜夜さん、吹奏楽部じゃないですよね?」


 藤咲もあれのことは気になっていたらしい。初見なら吹奏楽部かとスルーするところだが、入学式から半月も経てば彼女が帰宅部だということに気付くだろう。


「あー、あれ竹刀袋なんだよ。中は見てないけど、たぶん竹刀か木刀が入ってるんじゃないか?」

「竹刀? 桜夜さん、剣道を習ってるんですか?」

「いや、もう辞めてる。あれについては護身用って言ってたぜ。通り魔のせいで、最近は何かと物騒だからな」


 もう逮捕されたから大丈夫だな、と白夜は笑った。

 護身用。その言葉に、俺は静かに納得する。

 もう剣術を習っていないというのに竹刀袋を持ち歩いている妹。そんな桜夜のことを彼はどう認識しているのか少し気がかりだったのだが、そんな風にごまかしていたのか。


「中学のとき道場に通っててさ。あれはそのときに使ってたものなんだ。俺のとおそろいなんだぜ」

「白夜も?」

「だーれが剣術習ってた癖にもやしみたいなチビだって?」

「言ってないが……」


 そう言うと、どうしてか彼は愉快そうにけらけらと笑う。よくわからないが、とりあえず怒ってはいないようだ。

 考えてみれば、運動の習慣をつけるために道場に通わせていたということらしいから、孫娘に習わせておいてその兄に習わせないということはないか。ほかの兄弟たちも同じかもしれない。黒神先生が木刀を携えているのも、そう考えると自然のことなのだろう。


「でも俺に剣の才能はなかったみたいでさ。中学の卒業と同時に辞めたんだ」

「桜夜さんもそのときに?」

「ああ。『ハクがいなきゃ意味ないから』って、一緒に辞めたよ」


 白夜がそう言うと、藤咲はほんの少しだけ顔をしかめた。


「……あまりよその家庭に首を突っ込みたくないんですけど。彼女、あなたに少し依存ぎみじゃないですか?」

「あー……わかるか?」


 彼はその表情に浮かべている笑顔を、少し困ったものに変えた。その言葉に、俺も彼女も一緒に頷く。たぶん、この教室にいる全員が気付いているだろう。

 兄を守るためならなんだってやってみせる。今朝、桜夜はそう言っていた。それが依存ではないのなら、はたしてなんと呼ぶのだろう。


「このままじゃよくないって、俺もわかってるんだけどさ。ついつい甘やかしちゃうんだよな」


 たったひとりの妹だから。そう呟いた白夜の表情は、とても穏やかなものだった。

 そうですか、と藤咲はひと言だけ言うと食事を再開した。これ以上の深入りはすべきではないと判断したのだろう。俺も同じように昼飯を続けながら、今朝の黒神母の言葉を考えていた。

 夫が妻の首を絞め殺し、その後を追うように毒を飲んで自殺した。

 自分たちを置いて死んでしまった両親。

 白夜にとって、血の繋がった家族と呼べる存在は、同じ腹から生まれた妹である桜夜ただひとりだ。

 その片割れが真の通り魔だと知ったとき、この優しい兄は、どう思うのだろうか。

 ——何も知らないなら、そのままでいい。

 いつか聞いた白夜の言葉が、不意に頭に浮かんだ。

 まったくもって、その通りだと思う。



* * * * *



「あれ、紅野くんじゃないか」


 図書室の扉を開けると同時に、雪村先輩は広げていた新聞紙の向こう側から顔を出した。涼しげな形をした目を、何故かほんの少しだけ丸くしている。

 驚いたのは俺のほうだ。放課後の図書室を訪れたのはこれで三度目だが、一度目に案内してくれた藤咲のことを除けば、この部屋はいつも彼女ひとりだけの空間だった……が、今日は先客がいたのだ。

 黒いジャージ姿のその人は受付のカウンターの前——先輩と向かい合うようにして置かれたパイプ椅子に腰かけていた。彼は左手首に巻いている腕時計に視線を向けていたようだが、扉が開かれるとその目をこちらに移動させる。その切れ長の三白眼は、今朝会った女性とよく似ていた。

 黒神先生だった。

 彼の弟である白夜から聞いたのだが、先生の担当教科は体育らしい。いつもジャージを着ていたのはそれが理由だったのか、とその話を聞いて納得した。そんな体育教師である彼があまり縁のなさそうな図書室にいたことにも驚いたが……それ以上に、俺はカウンターにいる彼女のほうに驚く。

 よう、と先生がこちらに短く挨拶をしてきたので、俺は軽く会釈を返した。そして彼はちらりと時計に視線を向けると、あらためて先輩と向き合う。


「時間だ。俺はもう行くが、お前はどうする」

「車で待ってます」

「遅くなるかもしれんが」

「構いませんよ」

「了承した」


 先生は短く返事をしながら立ち上がる。そしてポケットから何かを取り出すとそれを彼女へと投げ、そのまま俺と入れ替わるように図書室を去った。

 先輩は受け取ったそれを手のひらの上でしばらく弄び、やがてぱしりと握り締める。それは自動車のキーのように見えた。


「で? 君はなんの用かな?」

「あ、はい。本を返却し忘れてたので」

「……ふうん?」


 どこか意味ありげに頷いた彼女に首をかしげつつ、俺はリュックサックからグリム童話全集を取り出す。本当は先週中に返却しなければいけなかったのだが、色々あってすっかり忘れていたのだ。

 先輩は本を受け取ると流れるような手つきで返却の手続きをする。その様子をなんとなく見つめながら、俺は気になっていた疑問を口にした。


「いつもみたいに『やっと来たね』とか『待ちくたびれたよ』とか言わないんですか」

「んー? だって、普通に計算外だったからね」


 彼女は手続きを終えると本をカウンターの上に置き、再び新聞を広げた。


「君がここに来るルートを考えてなかったわけじゃないけれど、その可能性は低めに見積もってたし……万が一来たとしても私とエンカウントする確率はほぼゼロだと思ってたんだ」

「道?」

「そのルートじゃなくて、分岐って意味。マルチシナリオタイプのゲーム、やったことないかな?」


 先輩は視線を新聞に向けたままそう問いかけてきたので、ありません、と俺は答えた。ゲームなんて、トランプの神経衰弱くらいしかまともにやったことがない。


「何でも知っている雪村先輩でも、予想が外れることはあるんですね」

「いや、自分の地雷をぶち抜いた女に会いにいこうとするやつがいるなんて、考えるわけがないだろ」


 それこそ本なんて返却箱に入れなよ、と彼女は呟いた。返却箱というのは、図書室の開いていない早朝などに本を返すための箱で、扉の前に設置されている。レンタルショップや公立の図書館とかでもよく見られる、あれのことだ。

 先輩が新聞を捲るたびに、腰まで伸ばされた細い髪がかすかに揺れていた。その髪に、無意識に視線が引き寄せられる。

 色素が薄いと思っていたそれだが——事実、それは誤りではなかったのだが——より正確に表現をするなら彼女の髪は色素が薄いのではなく、色素がないのだ。

 雪村月見。

 雪のように白い肌と、月のように輝く髪をもつ彼女に、その名前は皮肉なほどによく似合っている。

 ふうん、と。唐突に呟いた先輩の声に、俺ははっと我に返った。


「どうやら本当に治ったみたいだね。おめでとう」


 いつの間にか、彼女は新聞から視線を外してこちらを見つめていた。その瞳は、不思議に淡い紅色をしている。

 おめでとう、という言葉に思わず、おかげさまで、と返しそうになったが、口に出す直前で迷う。きっかけは確かにこの先輩だとは思うのだが、それが地雷を踏まれた結果だと思うとなんとなく感謝しにくい。俺は迷った末に、どうも、と当たり障りのない言葉を選んだ。


「黒神先生とは、どんな話をしてたんですか?」

「一緒におうちに帰ろうって話。彼の車でね。いつもは次男の単車で送迎してもらってるんだけど、今日は大学の都合が悪いみたいだから」

「送迎? 黒神の家はそんなに遠くないですよね?」


 土地勘がないからよくわからなかったのだが、黒神邸と古鷹高校はそれほど離れていないと今朝桜夜から聞いた。あの双子が徒歩通学をできているのだから、同じ家に住んでいる先輩も同じだと思っていたのだが。


「日のあるうちに歩いて帰りたくないんだよ。今の君ならわかるだろ?」

「……ああ」


 アルビニズム。

 先天性色素欠乏症。

 そう呼ばれるものを患っている人たちはメラニンが欠如しており、日光に当たっていると皮膚の病気になるリスクが高いと聞く。紫外線を避けるため、様々な対策をしなくてはならないらしい。


「あれ、でも今日は雨ですよ」

「傘、持ってきてなくてね」

「ああ、傘を忘れた人多いらしいですね。登校するときには降ってなかったから」

「忘れたんじゃない。持ってきてないんだ」

「え?」

「荷物になるし」


 新聞に視線を戻した先輩は、平然とした口調でそう言った。思えば、この人の荷物はいつも薄いトートバッグひとつだった気がする。教科書類も必要最低限しか持ち歩いていないのだろうか。

 窓の外では、相も変わらず大粒の雨が降っていた。空も町も、視界に映るすべてが灰色に濡れている。あの日も曇り空が広がっているように見えたが、本当の灰色の空というのはこのことを呼ぶのだろう。

 ふと、あの日のことを思い出した。図書室で雪村先輩と言葉を交わした、その後のことを。


「そういえば、スクールカウンセラーの雪村先生は親戚なんですか?」

「ん? そんな人いたかな」


 こちらに視線を向けないまま、彼女はそう言った。その言葉に俺は少し驚く。全校生徒のことを知っているらしい雪村先輩のことだから、教師の情報も網羅しているに違いないと思っていたのだが……さすがに、教師でもないスクールカウンセラーのことは知らなかったようだ。


「いや、スクールカウンセラーがいることは知っているけれど、私と同じ名字じゃないはずだよ。この学校の関係者に『雪村』はいないからね」

「あれ。でも本人が……」

「同じユキムラでも『(ライン)』の行村と『(ラック)』の幸村があるからね。漢字は確認した?」


 その問いかけに思わず、あ、という声が漏れた。漢字については確認していない。つい雪村先輩と同じ名字だと思い込んでいた。なるほどそうか、と納得する。たまたま同じ読みをもつ名字だったというだけのことで、あの男性と彼女は赤の他人なのだ。


「それで? 用件は本の返却とか、そんな世間話だけじゃないんだろ?」

「あ……わかりますか」

「君は私を誰だと思ってるのかな。雪村月見だよ?」


 何よりも雄弁なひと言だった。

 まあ、掛けなよ。そう促すように言いながら、先輩は先ほどまで黒神先生が座っていたパイプ椅子を片手で示した。彼女の言葉に甘え、俺は椅子に腰かける。


「……雪村先輩に、ひとつ訊きたいことが」

「何かな」

先生和弘(せんじょうかずひろ)についてです」


 少しためらいながら尋ねてみると、先輩は、


「どうやら調べてきたみたいじゃないか」


 と、新聞から顔を上げた。

 先生和弘。

 葛城町で行われた詐欺事件、その主犯格の男の名前だ。

 インターネットで軽く調べてみると、その名前はすぐにヒットした。とはいえ、これといって目新しい情報があったわけではない。大体のことは先輩が教えてくれた通りだった。

 それでも、その男の名前を知ることができたのは、無駄ではなかったのだろう。

 古鷹の通り魔——黒神桜夜の目的が復讐なのだとすれば。六人を病院送りにした今、残されているのは彼の家族だけなのだから。

 彼の家族を斬るその日まで、桜夜の復讐は終わらない。

 先生じゃない人を斬ったりなんかしないよ。

 そう言った、彼女の言葉を思い出す。

 桜夜の言う『先生(せんせい)』が、先生和弘とその家族のことを差しているのなら、次のターゲットは同じ姓を持つ彼の子供ということになる。その人がこの町のどこにいるのか。何でも知っていると謳うこの先輩なら知っているんじゃないかと、そう考えたのだ。

 しかし。


「どこにもいないよ」


 と。

 彼女はあっさりと答えた。


「そんな珍奇な姓をもつ人間は、少なくともこの市内にはもういない。先生和弘の実家は県境のほうだから、そこに行けば彼の両親とかはいるかもしれないけどね」

「……ということは」


 ということは。

 桜夜の復讐は、ここで中断ということだろうか。

 いや、しかし。県境にいるという家族の存在を知れば、彼女はそこまで赴くだろうか。けれどそれはリスクが高すぎる。警察がどう判断しているかは知らないが、メディアは一連の通り魔事件を無差別だと報道しているし、世間もそう認識している。ここで古鷹や葛城から遠く離れた場所に住んでいる人を襲えば、メディアは通り魔の真の目的に気付くかもしれない。

 あの男が、偽物の通り魔だとばれる可能性もある。


「…………」


 あの強かな桜夜が、そこまでのリスクを負うとは考えにくい。兄のためなら何でもやってみせると言っていたが、自分が捕まってしまえば彼とは離ればなれになってしまうのだ。それでは元も子もないだろう。

 最終的に彼女がどう決断するのか、俺にはわからない。しかし、しばらくは今の状態が変わることはないだろう。少なくとも、桜夜が両親の仇について知る、そのときまでは。

 そして。

 叶うなら、彼女がそれを知ることのないまま、何事もなく過ぎていけばいい。

 通り魔のことなんて、人々の記憶から風化してしまうくらいに。


「質問はそれだけかな?」

「……あの、ついでにもうひとつだけ」


 訊くべきではないことなのかもしれない。そう思いながらも、無意識に言葉は喉から出ていた。


「雪村先輩は、通り魔事件の真犯人を——」


 しかしその声は、おもむろに伸ばされた彼女の手によって制された。

 先輩はその指先を、俺の唇に押し当てた。雪のように白いそれは、しかしその色に反して温かい。


「言ったはずだよ」


 柔らかい声で、彼女は口を開く。


「私は君の物語には干渉しない。つまらないネタバレもしない。ミステリーのトリックを初見の読者に教えるなんてフェアじゃないだろ? それと同じだよ。私は何でも知っているけれど、何でも知っているからこそ、主人公(きみ)に対しては誠実でありたいんだ」


 とんとん、と少し鈍い音が耳に届いた。その方向に視線を向けると、カウンターの上に広げて置かれている新聞が目に入る。

 それは今日の夕刊だった。地域にも差があるらしいが、夕刊は午後三時以降に配布されることが多いと聞く。通り魔が逮捕されたという報道を受け、授業時間は通常通りに戻された。放課後を迎えた学校は、現在午後四時を過ぎたころ。コンビニなどで売られていても不思議ではない時間だ。

 とはいえ、清掃やホームルームがある中で彼女はどうやってこれを手に入れたのだろうか——と、そんなことを考えているとき、はたと気がついた。

 先輩がたたいた新聞。その指の先には——通り魔、春野木葉を逮捕したという記事があった。


「…………」


 やはり、彼女は事件のすべてを知っているのだろうか。そう尋ねようにも、当の本人に指で押さえられているので口を開くことができない。それは、その質問はするな、という先輩の意思表示なのかもしれない。

 すべてを知ったうえで静観している——すべてを知っているからこそ、干渉しないことを選んだ彼女。

 それが先輩の誠実さだというのなら。

 俺はこれ以上、彼女に何かを問うべきではないのだろう。

 そんな思考が顔に出ていたのだろうか——あるいは、見透かされたのだろうか。先輩はようやく俺の唇から指を離した。


「アンサーの代わりに、君にはヒントをあげようと思う」

「……これまでも、たくさんもらったような気がしますが」

「そうだね。だから、これが最後のヒントだ」


 言いながら彼女は椅子に座り直し、そして足を組んだ。


「人には人のルールがある。レールと言い換えてもいい。これは社会が用意したレールじゃなくて、自分自身で己の人生に敷いたレールって意味だね」

「……? すみません、もう少しわかりやすく……」

「つまりは生き方(ポリシー)ということさ。人に依存させるのも、それを拒まないのも、贖罪を望むのも、刹那の美を追い求めるのも、人それぞれの生き方だ。そして一度構築されてしまった生き方を、他人が変えることは難しい。不可能ではないけどね」

「はあ……」

「極端な話、君が色覚異常を患ったのも、そういう生き方を君が選んだからだろ?」


 誰も彼も、生きにくい道を選ぶなあ。先輩はそう呟いた。

 赤色を嫌いになり、赤色を見たくないと願い、色彩を捨てることで自分を守ろうとした。

 言われてみればそうなのかもしれない。見たくないものを見ずに済むためにほかの色ごと拒絶しようとする思考なんて、他人には理解できないだろう。両親やカウンセリングの先生に何度も優しく諭されたが、そのすべてをかたくなに拒絶してきた。

 そうやって、見たくないものから目を逸らして生き続ける道を、俺は選んだのだ。

 話の内容はなんとなくわかったが、その意図はわかりかねた。どこがヒントなのだろうか。通り魔事件とも、俺や桜夜ともあまり関係ない話のように思えた。


「自分自身に縛められている人を前に、君はその鎖をどう解くべきなのか。よく考えるといい」

「例えば……先輩が俺の地雷を踏み抜いたように、ですか?」

「そうそう」


 彼女はさっぱりとした態度で肯定した。されてしまった。

 正直、過呼吸を起こして気を失う程度には精神的にダメージを負ったのだから、もう少し別のやり方があったのではないかと思う。


「まあ、うん。多少乱暴なやり方だったことは反省してるよ。まさかあの程度で気絶するほどに君のメンタルが豆腐レベルだったとは思わなかったから」

「豆腐……」


 本当に反省しているのだろうか、この先輩。俺の目が治るきっかけを与えてくれたことには感謝しているが、あの野球部の同級生がたまたま通りがからなかったら、彼女はどうするつもりだったのだろうか。

 とはいえ、過ぎたことを責める行為に意味はないし、俺としても特に怒っているわけではないので黙って流すことにする。豆腐と呼ばれるまでにメンタルが脆いのも、まあ、自覚していることだ。

 こほん、と。空気を変えるように、先輩はわざとらしく咳をした。


「だから紅野くんは、そんな私を反面教師にうまくやること。いいね」

「…………」

「『その方法を教えてくれるわけじゃないのか……』って、考えてる顔だね。最初に言ったじゃないか。これは最後のヒントだって。答えは自分で考えることだね」

「……なるほど。わかりました」

「あ、暇があったら『ノックスの十戒』について調べてみるといいよ。参考になるかどうかは……まあ、君次第かな」


 ノックスという単語に聞き覚えはなかったし、どう参考になるのかも予想がつかなかったが、とりあえず頷いておくことにした。

 パイプ椅子から立ち上がる。カウンターの向こう側にいる彼女に一度頭を下げ、リュックを背負い直して扉に向かった。先輩は既に視線を新聞紙へと落としており、こちらを見ないままひらひらと手を振っている。

 やはりよくわからない人だ。あらためてそんな感想を抱きつつ、扉を開けて廊下へと一歩踏み出す。


「——君の物語に、ハッピーエンドを」


 その声に振り返る。

 扉が閉まる間際。その隙間から一瞬見えた雪村月見の表情は。

 気のせいかもしれないが——優しく微笑んでいるように見えた。

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