殺したのは誰ですか
それは、まだ前兆だった。そうではないと信じたかったが、その事実を私が変えることは出来ない。
この現場を前にして、これ以上の悲惨なことがあるのだろうか、と疑問に思う。この場で私が冷静に頭を動かしていることも、疑問に思われるだろう。私の体験によると、人はあまりにも予想外で残酷なものを見ると、感情を露にすることを忘れてしまうようだ。それは実は私だけで、他にそんな人はいないのかもしれない。けれど、少なからず私という人間はそうなってしまった。
何故彼女は、このような運命を辿ってしまったのか。目の前に転がっているのは、もう彼女ではない。もう彼女という人間はこの世には存在せず、その魂は何処か知らないところに逝ってしまった。いつも可愛らしい笑顔で、誰にも渡したくないような表情で、私を見てくれた。いつ見ても、誰が見ても、彼女は小学生のような無邪気さと、大学生らしい大人っぽさを纏っていた。私は、小学生といるのか大学生といるのか、時々混乱してしまうことがあった。それは彼女が纏っている様相と、彼女が放つオーラにも原因がある。黄色のオーラを放っているときもあれば、紫色のオーラを放っているときもある。彼女はそれを見事に使い分けて、私を狂わす。そんな彼女に惹かれてしまった。なのに、今の彼女からは、どんなオーラさえも感じ取れない。もうオーラ自体を捨て、死んでいるようだ。
私はそれが彼女なんだと、受け止めたくない事実をようやく受けとめ、鮮血で汚れている頬に触れた。何故か今は、彼女の血が綺麗に思えた。見え方も、映え方も、触り心地も、癖になるようだった。
頬に触れれば、微笑んでくれた。抱擁をすれば、控えめに声を出して笑ってくれた。接吻をすれば、雪のように白い歯を見せて笑ってくれた。何故今、頬に触れても微笑んでくれないのだろうか。何故抱擁をしても、耳元で笑ってくれないのか。何故接吻をしても、薄桃色の唇の裏に隠している白い歯を見せてくれないのだろうか。
動かない彼女は、いつになったらまた、私の名を呼んでくれるのだろうか。明日は彼女の誕生日だ。一緒に街を歩いて、彼女が行きたかったところを、いつまでも、好きなだけ歩く予定だった。夜になると街を一望できる場所で食事をする予定だった。そしてその日は、朝が来るまで、ずっと一緒にいる予定だった。それなのに、それらは全て、予定で終わってしまった。どうせなら、彼女がこうなってしまうことも、予定で終わってほしかった。
突然、私は彼女から離れた。その時に、彼女の肌よりも、空気の方が温かいということに気付いた。私はいつまでも目覚めない彼女を見て、彼女であるはずなのに、恐ろしく見えたのである。冷たくて動かなくなった彼女は、もう彼女ではない。彼女が私のことを認識できずに襲いかかってきたら、そう考えてしまったのだ。私では、彼女をどうこうすることは出来ない。襲いかかってきた彼女を、私では落ち着かせることが出来ない。何故なら、そうなった彼女を落ち着かせる方法は、一つしかないからである。私には、それが出来ない。かと言って、それを放っておくことも出来ない。彼女が無心で、無我夢中で暴れまわる、それを思い浮かべるだけで、心が痛むのである。もし彼女が他の誰かの手によって止められようものなら、それなら私の手で彼女を落ち着かせてやりたい。それが、私に出来る最後のことだから。そうだと思っても、やはり私の手で彼女を落ち着かせることは出来ないだろう。だから、私はここで彼女が目覚めて暴れてしまわないように、出来るだけ刺激を与えたくないのである。
私は立ち上がると、彼女を見下ろした。やはり彼女は、どの角度から見ても、美しい。
私は冒頭でこう告げた、その事実を私が変えることは出来ない、と。これはまだ前兆なのだ。これも、私が冒頭で告げたことだ。彼女がいなくなってしまったことは、物語の中心ではなかった、私の人生の中心ではなかった。全てに対して、これはまだ前兆だった。彼女がいなくなってしまったこと、それはきっと、私が死ぬ前兆だ。