七話 夢模様ドキドキパニック
寝室を出た飛鳥は、まず宝物庫へ向かうことにした。
そこで高品質な片手剣を手に入れると、今度は外套や固形食といった旅の必需品を探しに倉庫へと。
アスタロトの神殿に飛ばされたことは予想外の出来事ではあったが、飛鳥にとって若干の幸運でもあった。
何故なら、ゲームマスターとして神殿のマップを作ったのは彼女なのだ。
自分で設計した地形で迷うはずもなく。
むしろ、勝手知ったる他人の家とでも言いたげに澱みなく家探しを行っていく。
実のところ、先ほどの片手剣も探索中のプレイヤーへの報酬として用意したものである。
人の気配さえ意識していれば、彼女が神殿を抜け出すのにそう時間はかからなかった。
◆
外に出てみれば、辺りは真っ暗闇だった。
飛鳥としては朝のつもりだったのだが、どうやらあまりに長い間眠りこけていたせいで体内時計が狂ってしまったらしい。
アスタロトを祭る神殿は人里離れた山の奥深くにあり、それ故に月光は樹木に遮られ薄暗い。
その上、今夜は新月のようだ。
完全に視界を奪われたこの状況。
常人であれば遭難すること必至であり、それは高レベルの冒険者であろうが例外はない。
唯一、明かりなしで踏破できるとしたら、『暗視』スキルを習得している場合か。
盗賊や暗殺者といった職業限定のスキルであり、これさえあれば完全な暗闇の中でも問題なく辺りを感知することが可能となる。
――出来ることなら、追っ手が来た場合や、魔物に気付かれることを考えて使いたくないけど……。
実は新月というのが食わせ物で、暗がりであること以外にも飛鳥の焦りに大きく関係していた。
神を降ろす儀式は満月の夜でなければならないのだが、月齢に関しては『ルフェリア』も飛鳥たちの世界も変わりなく一月ごとに満ち欠けのループを繰り返している。
つまり、制限時間は残り二週間。
だというのに、王都までの距離は離れていて、人の足で行くのならどんなに急いでも一週間はかかってしまう。
馬車でもあれば話は別なのだが、飛鳥には馬を操ることなど出来るはずもなく。
逃げ出して五日間意識を失っていたロスが予想以上に大きく響いていた。
――後悔しても仕方がない。
飛鳥は光源を作り出す呪文を唱えると、逸る気持ちを抑え――だが可能な限り急いで――黙々と夜道を進んでいく。
◆
小一時間以上走っただろうか。
全速力で進んでいたので次第に飛鳥の息が切れてきた。
夜の山道は足場が不安定なのも影響していて、高レベルのNPCであるイナンナとはいえ、このような状況下では本領発揮できていないのが実情である。
だが、いつの間やら開けた場所に出ていて、どうやら麓まで来ていたらしかった。
飛鳥は無意識のうちにほっと胸をなで下ろした。
やはり、視界が鮮明でないというのは無意識に恐怖を与えてくる。
折角山々を抜けたのだから一端休憩を取ろうと考え、腰に提げた水袋をくいっと煽る。
ただの水なのだが、からからに乾いていた彼女にとっては飛び切りの甘露である。
ごきゅごきゅと喉から大きな音を立て飲み干していく。
「疲れたぁ……」
別に飛鳥は独り言が多い質ではない。
しかし、真夜中に一人だと、気を紛らわすためかついついこういう一言が漏れる。
もしかしたら、先ほどまでずっと演技していたせいもあるのかもしれない。
「こんなに走ったの、久々かも……ん?」
微かに耳障りな音が聞こえ、飛鳥は口を噤む。
金属同士がぶつかりあい、そして擦れあう音。
このような盆地に鍛冶屋などあるはずもなく。
今のは剣戟の音に他ならない。
ということはつまり――。
――戦闘だ!
一寸遅れて飛鳥の背筋にぞわっとしたものが伝う。
恐らく、『危機感知』のスキルの発動判定に成功したのだろう。
『危機感知』とは周囲の害意に反応するスキルなのだが、相手のレベルを上回っているほど成功率が高くなる。
この距離で判定に成功したということは、イナンナにとってはさほどでもない相手なのだと推測できる。
だが、これはゲームではなく、現実となった世界での初陣だ。
彼女は頬を叩き、気合を入れる。
背中に鞘ごと括り付けた剣を抜くと、少しずつ剣戟の方向へと近づいていく。
そこにいたのは、一台の荷馬車とそれを覆いつくすほどのゴブリンの群れ。
例えるなら獲物に群がる蟻のような情景である。
二人の冒険者が追い払おうと必死に応戦しているのだが、数が多すぎてまともな戦果はあげられていない。
それどころか、じりじりと追い詰められているようにすら感じられる。
このまま放置すれば、彼らは全滅するに違いない。
となれば――
「……見過ごせないよね」
飛鳥は呟くと戦場を見据えた。
この世界に来て初めての戦闘。
いや、元の世界でも飛鳥は声を荒げたりするような乱暴な人間ではなかった。
よって、初めての喧嘩ということになる。
それでも不思議と頭は落ち着いていた。
驚くほど冷静に状況を確認していく。
――こういうときのセオリーは……。
飛鳥がプレイヤーとして戦闘に参加したことは一度もない。
しかし、友人たちのプレイをゲームマスターとして見守っていた以上、ある程度の知識は兼ね備えている。
――先手必勝。広域呪文で制圧する!
飛鳥はまず、スキル『呪文広域化』を発動。
消費魔力を増大させる代わりに、効果範囲を拡大するスキルである。
多数を一度に対象に取る分、集中力の低下による失敗率の増大というペナルティも付与されるものの、彼我戦力差がこれだけあるならば何の心配もないはずだ。
次に呪文の選択。
ここはシアのときと同様、【催眠】でいいだろう。
手っ取り早く攻撃呪文で薙ぎ払うのも手なのだが、混戦状態では冒険者二人まで巻き込んでしまう可能性がある。
その点、【催眠】なら眠らせてしまうだけであって大怪我を負うわけではない。
気兼ねなく仲間を巻き込めるのが【催眠】系呪文の強みなのだ。
一応言及しておくと、『メイク・ワールド』には攻撃対象の敵味方を判別するスキルも存在した。
しかし、飛鳥はボスキャラであるイナンナには――邪神の巫女というフレーバーも加味して――無用の長物と考えて習得させていなかった。
最後に、飛鳥は呪文を唱えつつ本来必要な量以上に魔力を注いでいく。
目的は『呪文広域化』で失われた成功率の補強である。
これは、余分に魔力を消費すればするほど、成功判定に上方修正が加わるというもの。
さて、これで準備完了。
先ほどとは異なり様々なオプションを使用しているのだが、飛鳥には感覚的にその方法が理解できた。
「微睡の海に沈め! 【広域催眠】!」
ついでに気分を乗せ、杖代わりの剣を振るいながら高らかに詠唱する。
少女の赤髪が魔力を吸収し、暗闇の中であたかも宝玉のごとく輝いた。
ぼわん。
そんな効果音と共に紫色の雲が戦場を覆いつくし――
一陣の突風が魔力の残滓を押し流した後、そこに立っているものは飛鳥以外一人たりともいなかった。