六話 されるがままファッション ガールズモード
「……自分で着替えるから、手伝わなくても結構なのだけど」
化粧台の前。
ほとほと困り果てた表情で飛鳥が言った。
相変わらず寝間着姿のまま、胸の前で手を合わせることで脱がされるのを防いでいる。
彼女としては代わりの服さえ持ってきてもらえればそれで十分であり、当然、自力で着替えるつもりだった。
「いえ、傍仕えとしてお嬢様のお手伝いをしないわけにはまいりません」
だというのに、シアは頑として譲らない。
身長差を解消するために踏み台の上に立ってまで、万歳して身を委ねるよう要求していた。
恐らくは、イナンナは幼少のころからこうして他人に服を着替えさせて貰っていたのだろう。
だからこそ、それが当たり前だと考えていて、羞恥など覚えるはずがなかった。
だが、飛鳥には男子高校生として生きてきた十五年の経験があり、今の肉体もそれと同じぐらいの年齢だ。
自分より小柄な少女――大よそ小学生低学年ぐらいの外見だろうか?――のシアに着替えを手伝ってもらうなんて、言ってしまえばこの上ない屈辱でしかない。
「本当にそんなことしなくていいから!」
「お嬢様が私のことを拒むだなんて……」
主から受ける反発の激しさに、呆然としてシアが呟く。
栗色の瞳には動揺の色が浮かんでいた。
――不味いかも。
途端に飛鳥の抵抗が緩む。
きっと、シアとしては特に意図しての言葉ではないのだろう。
しかし、今の飛鳥にとっては殺し文句だ。
差異から中身を見破られでもしたら、何をされるかわからないのだから。
「……じゃあ、お願いしてもいい?」
――女の子の下着のつけ方とかわからないし。
下は男とは変わらないだろうが、上は皆目見当もつかない。
かといって、このサイズでは何もつけないのは無理がある。
自分にとっても周囲にとっても目に毒だ。
飛鳥は言い訳のようにそう考えると、――渋々とだが――一切の抵抗を止めることにした。
◆
それから十分ほどが経過した。
ようやく辱めが終わったとばかりに立ち上がろうとする飛鳥。
「まだですよ、お嬢様」
すると、やんわりと留まるように窘められた。
シアの手に握られているのは飴色の櫛である。
今の飛鳥の髪は寝起きということもあってぼさぼさだ。
どうやら整えてくれるつもりらしい。
「……よろしくね」
着替えとは異なり、こちらは十二分に許容できる範囲。
そう考えて飛鳥は大人しく受け入れた。
いや、むしろありがたい申し出とすら言える。
下着のこともわからなかった飛鳥だが、女の子の髪型の作り方などもっとわからない。
無造作のままでは見栄えが悪いのは勿論のこと、何かと長髪は邪魔になる。
「では、失礼して」
断りを入れてシアが飛鳥の赤髪へと触れる。
若干癖づいてはいたものの、すっと櫛が通るたび、赤髪はどんどん本来の絹糸のような艶やかさを取り戻していく。
髪を梳かれる心地良さに目を細めていれば、あっという間に手入れは終了した。
「出来ましたよ、お嬢様。どうか確認なさってください」
促されるままに化粧台に備え付けられた大きな鏡へと目をやれば、飛鳥の口からは感嘆のため息がついて出た。
そこに映っていたのは、活動的な格好をした一人の少女。
当然飛鳥だ。
ところどころにフリルがあしらわれた淡い水色のカットソー。
ブラウンのホットパンツからは輝くような脚線美が惜しげもなく披露されていて目に眩しい。
後ろ髪は耳より少し下のあたりで一まとめに結われていて、左側の方へと緩やかなS字を描きながら流されている。
飛鳥は正式名称を知らないのだが、サイドポニーと呼ばれる髪型である。
長袖の上半身は兎も角――とはいえ、大きく首元は開けていて肩が見えそうだが――、下半身に関しては飛鳥のオーダーを満たしていないように思える。
しかし、これもやむを得ないことなのだ。
シアが用意したのはミニスカートとホットパンツの二択。
どうやら、彼女は「露出度低め」より「動きやすい」を優先して衣服を持ってきたようだった。
当然、飛鳥も不満を口にしたのだが、他にズボンタイプの衣服はないようで、ならばスカートよりはマシだろうと断腸の思いで後者を選択した。
若干の不満はあるものの――
――か、可愛い……。
褒め称えるにはありふれた、端的な一言。
それが飛鳥の結論だった。
「気に入っていただけましたか?」
「う、うん……」
見惚れていたところに声をかけられ、飛鳥は素に戻り、気まずそうに返事をした。
酒場で鏡を見たときはショックで冷静に考えている余裕はなかったのだが、自分であることを加味しなければ紛れもなく今の姿は美少女といえる。
実のところ、イナンナのキャラデザには飛鳥の趣味が多分に含まれていて、その点も影響しているのだろう。
――動きやすい衣装も用意してもらったし。
……準備は整った。
後は神殿から逃げ出すだけ。
飛鳥としては恩をあだで返すようで心苦しいとは思う気持ちもなくはない。
とはいえ、ここで時間を無駄にしている猶予はなかった。
「……そういえば、喉渇いちゃったかも」
「畏まりました、お嬢様。急いで用意いたしますね」
わざとらしいほど大きな声でいえば、ベッドの傍にある水差しを手に取ろうとシアが背を向ける。
あまりにも無防備な後姿。
その隙を見逃さず、飛鳥はもごもごと口の中で呪文を唱える。
暗殺者は警戒に長けた職業であり、本来ならば簡単に不意などつけるはずがない。
しかし、シアとイナンナの関係ならば話は別。
まさか主から不意打ちを食らうなどと夢にも思っていないのだろう。
従順な信徒である彼女は、完全に油断してこちらを見ていない。
信頼を利用するようで心は痛むが、ゲーム的に考えれば大きく上方修正が加わった状況だ。
致命的失敗――サイコロを二個振り、両方1だった場合のこと――を引かない限り、まず間違いなく成功する。
「眠れ、【催眠】!」
シアの口元を小さく靄が覆う。
吸い込んだものを昏睡状態に陥らせる、濃密な魔力の霧である。
「……お嬢……様?」
驚愕に彩られた眼差しが飛鳥へと向いた。
だが、一度まともに喰らってしまえば抵抗などできるはずもなく。
程なくして、シアは意識を失いベッドに崩れ落ちた。
「……ごめんね、シア」
昏倒したシアをベッドに運ぶと、小さく呟いて布団をかけてやる。
そうして、飛鳥は二度と振り向かずに寝室を後にした。