五話 闇の仕事人 SIA
――厄介なことになったなあ。
飛鳥は心の中で嫌そうに呟いた。
意識を失ったところを助けてもらった以上、感謝はしている。
しかし、傍仕えという立場上、シアはイナンナのことを詳しく知っているのだ。
あまり不審な素振りを続ければ、中身が別人だと感づかれる恐れがあった。
シアはイナンナの腹心の部下といっていいのだが、それは邪神の復活という大目的あってこそ。
一方、飛鳥は――自分の存在は保留しておくにして――阻止する側の人間であり、正体に気づかれてしまえば、対立はまず避けられないだろう。
一対一ならば後れを取るとは思わないが、ここは神殿内部。
数で不利なのはこちらなのだ。
真っ向からの戦闘は出来る限り避け、穏便に済ませるべきに違いない。
さしあたって気を付けるべきなのは、言葉づかいである。
先の言葉からもわかるように、早速シアには違和感を抱かれてしまった。
不本意ではあるが、彼女の前では女の子口調を心がけなければならない。
――イナンナの普段の口調……ってどんなだったかなあ。
丁寧語は冒険者に対してのときだけのはず。
飛鳥が思い出そうと首を捻っていると、シアが声をかけてくる。
「では、冒険者への依頼は?」
「……出来ていないの。逃げてしまったから」
殆ど不意打ちのようなものだった。
それでも飛鳥は、なんとか不自然にならない間に答えることが出来た。
「やはり、そうでございますか」
……恐る恐る窺えば、シアが怪訝に感じている様子はない。
どうやら、正しい言葉づかいが出来たようだ。
飛鳥はほっと息をつく。
ゲームマスターという役割は、場面場面で多数のNPCを演じる必要がある。
飛鳥も老若男女を使い分けてきていて、おかげで演技力もついていた。
だが、どことなく恥ずかしいのは変わらない。
何せ、今の飛鳥は少女なのだ。
女言葉を使ってみると、高い声も相まってあまりに様になっていて――なんだかもやもやしてしまう。
「しかし、困りましたね……」
そんな複雑な内心を知る由もなく、弱り切った顔をするシア。
「ええ……このままじゃ、バイモン教団が邪神を復活させてしまうかもしれないもの」
飛鳥も枕元にあったクッションを胸に抱いて同意を返す。
今回、飛鳥が用意しておいたシナリオはこうだ。
イナンナを中心とした邪教団は、邪神アスタロトを復活させる儀式を行おうとしていた。
だが、そこに攻め込んできたのは対抗組織のバイモン教団である。
彼らは、儀式により警備が手薄になった隙を突いてきた。
結果、儀式は失敗に終わり、アスタロト教団は壊滅的な被害を受けただけに留まらず、神器を奪い取られる憂き目となる。
雪辱に燃えるアスタロト教団だが、考えなしに攻め込むのも難しい。
何せ、信仰対象の神格に差はあれど教団自体の規模は互角なのだ。
抗争となれば間違いなく無傷では済まないし、不利なのは大打撃を受けているこちら側。
下手をすれば更なる第三者が漁夫の利を狙ってくる可能性もある。
よって、イナンナは国一番の冒険者である『ヴェルダー』を利用しようと考えた。
自分たちが小神の信徒であると偽れば、自然とバイモン教団へと矛先が向かうだろう。
わざわざイナンナが僧衣姿で現れたのもそれが狙いだった。
『ヴェルダー』が奪還に成功すれば無傷で神器を取り戻せるし、もし失敗して討ち取られても相応の被害を与えられる。
これがゲームマスター視点で見たシナリオの裏側であり、『ヴェルダー』――要するに真一たちは、二教団の対立に巻き込まれた形となる。
もっとも、今となってはシナリオを書いた飛鳥自身も当事者として組み込まれているのだが。
「もう一度、王都に向かわないと……」
飛鳥の口から、ぼそっと思考が漏れた。
友人たちから距離を取るため逃げてきた飛鳥だが、頭を冷やして考えたところ、再度『幸せの青い小鳥』亭のある王都に向かう必要があるという結論に達した。
何故なら、飛鳥が死んだのはシナリオの導入の途中。それも、真一しか聞いていないタイミングだ。
そのせいで真一たちに与えられた情報は不十分であり、事件の真相へと辿り着くのは難しい。
もし、このまま飛鳥が神殿に引き籠っていれば、神器を盗み出した邪教団はこれ幸いと儀式を行い、自身の崇めている邪神を復活させるだろう。
バイモンのレベルは15。
アスタロトより随分と格下ではあるが、一度顕現してしまえば国一つが焦土と化す。
――そんなのが街中で復活したら……。
想像しただけで身震いしそうになる。
バイモンの信者たちが潜伏しているのは王都の裏社会であり、日常と紙一重の位置。
ゲームであればバッドエンドの笑い話で済むが、この世界『ルフェリア』においては現実だ。
女神出した条件が失敗に終わるのは勿論、多くの血が流れるのは間違いないだろう。
この世界の人間たちが全戦力を持ってすれば対抗できるかもしれないが、勝っても負けても孤児が大量に生まれることとなる。
女神は『メイク・ワールド』の力を知らずに使ったのだから仕方がないと言ったが、同じ身の上の人間を自分の手で増やすなんて、故意でなくても飛鳥には耐えられない。
絶対に阻止しなければ。
そう飛鳥が決意を新たにしているとシアが言った。
「以前、お嬢様は『冒険者に警戒されぬよう一人で行きたい』と申されましたが、今回のことで確信いたしました。お嬢様だけでは不届きものが近づいてくるかもしれません。次こそは私もご一緒させていただきます」
「それは……」
それを受け、飛鳥は言葉に詰まる。
邪神の復活の可能性を絶つ。
そのために手っ取り早いのは、顕現の儀式に必要な神器の破壊である。
だが、彼女が傍にいては難易度が跳ね上がってしまう。
「一刻も早く儀式を執り行い、アスタロト様の御身を拝見したいのです……」
飛鳥の考えを裏付けるように、シアが懇願するように訴えてくる。
イメージとは大きく異なる風貌と年齢ではあるが、アスタロトへの信仰心は変わっていないらしい。
よって、神器の破壊となれば妨害してくるのはまず間違いない。
「シア」
「はい、なんでございましょう」
「……このまま寝巻でいるわけにもいかないし、動きやすい衣服を持ってきてくれない? 出来る限り、露出度は控えめでお願いね」
「お召し物ですね? 承りました」
王都に向かうにしても、まずは神殿から脱出するところからだ。
それも、送り出されるのではなくシアの不意を突いて。
そう考え、飛鳥は下準備をすることにした。