十五話 トライア177
王都――『トライア』。
またの名を城壁都市という。
読んで字のごとく、四方を城壁によって囲まれた、王都に相応しい広大な敷地を有した都市である。
面積は大よそ七十㎢ほどで、人口は約三十万人。
無論、飛鳥が測ったわけではない。
ルールブックとしての『メイク・ワールド』に記載されていたのだ。
――何があっても、僕はみんなを元の世界に送り届ける。
飛鳥は不退転の意思を再確認すると、正門を潜り抜け、新たなる一歩を踏み出した。
◆
決意を新たにした飛鳥だが、大通りの市場に出た途端、早くもグロッキー寸前になってしまった。
理由は簡単。
行きかう人ごみが原因だ。
流石は王都というべきか。
辺りを見渡せば人、人、人。
芋の子を洗うよう――とまではいかないが、交通量は非常に激しく、立ち止まっていられる暇がない。
自然と通り道の中央の、人が少ない部分に押し出されてしまう。
「そこの嬢ちゃん、どいたどいたぁ!」
……嬢ちゃん。
後ろから投げかけられた言葉は、飛鳥にとって呼ばれ慣れていない表現だった。
そのせいで反応が遅れてしまうのだが、お構いなしにすぐ傍を馬車が通過する。
「ひゃあっ……」
飛鳥は情けない悲鳴を上げながら身をよじると、なんとか体勢を崩してへたり込むのだけは堪えた。
どうやら、中央は馬車の通り道らしい。
――す、凄いなあ……。
飛鳥はこういった雰囲気に慣れていないため、どうにも気圧されるばかりである。
さて。
実のところ、飛鳥はこの市場に一切のお金を落とすつもりはなかった。
無論、バッツたちから受け取った報酬は非常に潤沢であり、懐には余裕がある。
とはいえ、特に必要なものはないし、有事に備え貯めておく方が賢明だろう。
では何故、不調を押してまで市場に留まっているのか。
それは、この時間帯に市場で出没するはずのバイモン信者を捉えるためだった。
今回のシナリオは、所謂シティアドベンチャーと呼ばれるタイプ。
プレイヤーたちはダンジョンではなく街中で情報を収集し、ゲームマスターはNPCを通じてヒントを提示する。
そうして、――故意か偶然かは別として――真相へと辿り着けばシナリオが一段階進展するというもの。
勿論、ゲームマスターの飛鳥は全ての答えを把握していて、バイモン信者を捉えても新たな情報が得られるわけではない。
目的は一つ。
彼らの持っている『鍵』である。
バイモン教徒たちは王都の地下にアジトを作り潜んでいるのだが、入り口には信徒以外入れないように結界が貼ってある。
これは、飛鳥が偶然によるクエスト攻略を嫌ったのが原因だ。
その結界を穏便に突破するには、信徒だけに与えられる『鍵』と呼ばれる札が必要だった。
――力づくで破ってみるのも考えたんだけど……。
恐らく、イナンナの魔力をもってすれば難しい話ではない。
しかし、そんなことをすれば襲撃者の存在は筒抜けであり、バイモン教徒は神器を持ったまま脱兎のごとく逃げ出すだろう。
それでは振り出しに戻るだけ――いや、手掛かりが失われる分、なお悪い。
何はともあれ、まずは『鍵』を手に入れねば。
飛鳥は人通りを避け、裏路地近くの煉瓦で出来た壁にもたれ掛かると、虎視眈々と――まるで獲物を待ちわびる狩人のように――警戒を張り巡らせることにした。
◆
一時間が経過した。
本来なら、もうとっくにバイモン教徒が現れるはずの時間帯だが、怪しい人影など全く見当たらない。
「……やっぱり駄目みたいだ」
飛鳥はもたれ掛かるのを止め、身を起こすと最後の確認とばかりに周囲を見渡した。
――待ち人来ず、か。
謎のフレーズを頭の中に浮かべつつ、手慰みに紅の長髪を指で弄ぶ。
今回のクエストをプレイするにあたって、飛鳥は関係人物の詳細な行動を記録しておいた。
シティアドベンチャーは情報量が煩雑になりがちで、事前に整理しておかないと往々にして収拾がつかなくなるからだ。
だが、それはたったの一週間分だけ。
まさか、それ以上ゲームが長引く可能性など想定しておらず、考える必要はないとたかをくくっていたのである。
だというのに、飛鳥が逃げ出してしまったこともあり、本来の予定とは一週間以上のズレが生じていた。
結果、件のバイモン信者の行動は飛鳥の手を離れ、無軌道になっているのだろう。
――他の手段は、ないこともないんだけど……。
一応、救済策として、盗賊ギルドに情報提供を求めるルートも用意していた。
とはいえ、それは『ヴェルダー』がプレイしたときの場合。
イナンナは盗賊ギルドに顔の利く職業ではないし、コネも持ち合わせていない。
金に飽かせて――というのも、残念ながら難しいだろう。
今の飛鳥は幼くも目麗しい少女なのだ。
金品をちらつかせでもすれば、格好の獲物として目を付けられ襲われるのはまず間違いない。
所詮はごろつき。
あっさりと返り討ちには出来るだろうが、盗賊ギルドに対する敵対行動と受け取られる可能性は高く、誤解を解いている時間も惜しい。
さすれば情報を得るなど夢のまた夢である。
「せめてスキルがあればなあ……」
問題はまだあった。
果たして出没する時刻がある程度特定できたとしても、この人ごみの中、一体どうやって見つけ出せばよいというのだろうか。
ボスキャラであるイナンナは戦闘スキルに全振りしてしまっていて、探索系スキルは未修得。
精々、不意打ちを避けるための『危険感知』ぐらいか。
だが、この場では当てにはならないだろう。
相手が敵意を向けてくれるなら兎も角、ただの不審者には『危険感知』スキルは発動しないのだ。
余りにも速く暗礁に乗り上げてしまい、飛鳥は見通しの甘さを痛感する。
「はぁ……」
目の前が真っ暗になりそうで、大きくため息をつく。
どうやら、思っていた以上に長期戦になりそうだ。
飛鳥はそう結論を下し、一端、その場を離れると、当面の宿を探すことにした。




